忘れているのかもしれない……?
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久しぶりに見る夢。
広いお庭でガーデンパーティーをしている。どの人も煌びやかな服装で、貴族たちのパーティーなのだろうと思えた。
私の視界は小さな子どものもので、大人たちがすごく大きく見えた。
大人たちの会話はよくわからない難しく、私はパーティーの輪からそっと離れる。
庭はとても広くて、散策のしがいがある。
「……君も抜けてきたの?」
茂みの向こうに少年がいた。私よりも少し年上だけど、とても綺麗な顔の人だった。夢の中だし、記憶も曖昧だからぼんやりしているのだけど、その印象ははっきりしていた。
「おいで。向こうに花畑があるんだ。いくらでも摘んでいいって許可は取ってる。一緒に行かない?」
私が首を横に振ると、彼は残念そうに笑った。
「そっか。花の冠、君には似合うって思ったんだけど」
ごめんなさいと謝って、私は離れる。
これが最初の出会いで、次に出会ったときは一緒に花を摘んで花の冠を作るのだ。そのあとは確か――
*****
甘い花の香りがする。
「んんっ……」
微睡んでいる。とてもいい気持ちで寝返りを打つと、何か弾力のあるものにぶつかった。
「――そんなにこのベッドは寝心地がいいか?」
声を聞いて、私はパチっと目を開ける。
ランバートさまの麗しい顔がかなりの大きさで視界を埋めていた。
「ひっ⁉︎」
逃げようと背後に飛び退くと、彼に手を掴まれた。
「いつまで寝ているつもりだ? もうすぐ夕方だぞ。まさか食事もせずに眠りこけるとはな」
「す、すみません。私、あなたさまに謝りに行くことが本当に恐ろしくて、あまり眠れていなかったもので……」
それは事実だ――正確には、好奇心と恐怖心の半々だけど。
王宮に入れると聞いて、最高の調度品をこの目で見られる貴重な機会だと私は真っ先に考えてしまったのである。それは自分が祖父のような宝飾職人に強い憧れを持っているからだ。一級品を目にする機会は、見習い未満である私にはほとんどない。
しかし、自分の目的を思い出すと喜んで行くような場所ではない。謝って済むわけがないのは明白。誰もが恐れるという王太子さまが平和的な解決法を選ぶはずがないのだ。できるだけ穏便に、いいものだけ見て帰れることを祈っていた。
どちらにせよ、ぐっすり眠れるような心境ではない。
「そうか。腕を失ってもいいと覚悟を決めていたくせに、それ以上に俺が怖いとはな……街ではどんな噂が流れているんだ?」
手を離してほしいと動かすも、彼は逃す気がないらしい。より力を入れて、手放すものかとアピールされたように感じた。ちょっと痛い。
「えっと……女性にはとりわけ冷淡である、とか。婚約者候補を何人も泣かせて、国に送り返したとか……そう言う話ですけど」
なかなか結婚を意識しない王太子さまのために何度もお見合いを兼ねたパーティーを催したそうだ。招かれた女性たちはいずれも身分が高い美女ばかり。国の内外問わず集められた女性たちは、我先にと王太子さまにアピールしたのだと聞く。だがいずれも失敗し、女性たちは泣きながら家に戻ったらしい。
私の説明を聞いたランバートさまは、困った顔をして自身の頬を掻いた。
「それはあながち間違っていないんだが……」
「事実なんですか」
女性を泣かすなんて、と非難めいたことを考えていると、ランバートさまは嫌なことを思い出したらしく渋い顔をした。
「俺はウィルへルミナ以外とは結婚したくなかったから、「想い人がいるから諦めてくれ」とそう告げただけだ。中には既成事実を作ってでも結婚しようという浅はかな女がいたが、それなりに対応させてもらったな。人の寝床に進入しようなどと、不届き者以外の何者でもないだろ」
人の寝床に、との単語に私の身体は硬直した。
「えっと……私は……?」
ベッドを貸してもらっていると言えるのか、それとも不法侵入扱いであるのか。
私の拙い言葉でも伝わったようだ。ランバートさまは不敵に笑う。
「ふふ、そうだな。このままベッドを不法占拠し続けるのであれば、君の貞操をそのままにしておける自信はないな」
ですよね、欲求不満だとご自身でおっしゃっていましたものね……
冷や汗が出て来た。再びピンチである。
笑顔が思わず引きつった。
私が口を噤んでいると、ランバートさまの両方の眉尻が下がった。
「君にその気があるなら、遠慮するつもりはないと言っているだけだ。あまり怯えられると、俺は苦しい。スキンシップを増やすことである程度の安心感が得られるというのは、どう考えても赤子との接し方にしか有効ではなさそうだからな。どうするべきなのか、困る」
口調からも、彼が私への接し方に悩んでいるのがわかる。気を使ってくれているのは明白だ。
でも、私もどうしたらいいのやら……
「えっと……その手をまずは離してください。私は逃げませんので」
「それはわかるのだが、ウィルへルミナのように消えられたらと思うと、どうにも耐えられなくてな……」
「ああ、なるほど……」
私の手を掴む彼の手が小さく震えているのは、力の加え方の調整のせいではなく、私まで失うかもしれないという恐怖からくるものだったのか。
「指輪なんて契約を示す手段でしかない。ウィルへルミナにしろ君にしろ、俺には命じる権限があるかもしれないが、君は一人の人間だ。尊重しないわけにもいかないだろう。だいたい、俺が求めているのは、尊重し合える関係を築ける相手だ。それを俺が踏みにじるわけにもいくまい」
「そうですね……」
「思考と行動が滅茶苦茶なのはわかっているつもりだ。押し付けたくないんだ、できれば。もっと制御できると考えていたのに、まだ未熟なんだな……」
そう吐露すると、ランバートさまは私の手を離した。
「とりあえず、隣の部屋に君専用のベッドを運び込ませた。今夜はそこで休むといい。君が望むなら、俺の寝室に入ることを許可する。いずれは結婚するわけだし、慣れる必要もあるだろう」
な、慣れるって、何に慣れるんでしょう?
いや、そこよりも、いずれ結婚するという言葉に着目すべきだろうか。私は、そんな覚悟はしていない。覚悟するような未来もありえない。
「……わざわざすみません」
色々言いたいことはあったが、無難な方向で話を進めておくことを選択する。私が押しかけることになり、手間取らせてしまったのは事実だろう。
「眠りこけていたということは、夕食もまだだよな? 一緒に食事をしながら、明日からのことを説明しよう。着替え終えるまで部屋の外にいるから、好きなドレスを選ぶといい。気にいる物があればいいんだが……」
「あ、そんな。昨日着てきたドレスで充分ですから!」
寝間着は必要だと思ったから借りることにしたが、ドレスまで借りるのは気が引ける。
私が断ると、ランバートさまは呆れた表情を向けてきた。
「そうはいくか。ディナーなのだから、イヴニングドレスを着るのが常識だ。デイドレスでは様にならない」
「で、でも……」
それが貴族の常識であっても、私は庶民なのだ。贅沢をする気はないし、彼の迷惑にはなりたくない。
「ふむ。そういう貴族の教育も必要だな。見たところ基礎的な仕草は問題なさそうだが、常識面は貴族から離れた生活をしてきた以上抜けていても仕方があるまい。学べる機会を設けるようにしよう」
「え、えっと……」
なんだか話が勝手に動いている気がする。止めようとすると、ランバートさまはにっこりと笑った。
「心配するな。俺に任せておけ。社交界に出ても立派だと言われるレディにしてやるから」
「そういう問題ではなくてですね……」
「さあ、着替えを済ませろ。いつまでもうだうだ言うなら、俺が着替えさせてやってもいいんだぞ?」
「わ、わかりましたよ! ドレスをお借りします!」
「それでよろしい」
彼は満足げに笑うと部屋を出ていく。入れ違いで使用人が入ってきて、私をドレスが置いてある部屋に案内した。
鏡の前でドレスアップ。まるで夢を見ているみたい。こんな上等なドレスを着る機会なんて、もうないと思っていたのに。
そういえば……この肩の傷痕って……
左肩に残る一筋の赤いライン。少し膨れてしまっているそれは、デイドレスでは隠される場所だが、イヴニングドレスになるとどうしても露出してしまう場所にあった。
物心ついた頃にはあった気がするんだけど、原因はなんだったのかしら?
お父様もお母様もこの傷については知らないと言っていた。生まれつきのものではなく、なにか後天的な事故による外傷に感じられるのだが。
私自身にも、忘れている記憶はあるってことかしらね。まあ、指輪はめて抜けなくするくらいのおっちょこちょいだし、肩に傷を作るくらいしていてもおかしくはないか!
私は着替えを終えると、肩の傷に触れて一歩を踏み出したのだった。
とりあえず、予定していたところまでは公開しました。