思ってたのと違うんですけど。
真っ直ぐにランバートさまの居室に案内されて、簡単に部屋の説明を受ける。部屋には重要な書類等は持ち込まないようにしているので、自由に使って構わないことと何か不便があれば使用人に伝えるようにと言われた。
自由にって言われましても、怖くて無理ですけど……
私の顔色がすぐれないことが気がかりだったのだろう。部屋の説明を終えると、ランバートさまは手が空いていた数人の使用人を呼び寄せて、私は簡単に自己紹介を済ませる。
紹介のとき、ランバートさまは私を客人だと紹介した。
その後ランバートさまは私を居室において公務に戻り、私はお留守番。お茶やお菓子を用意してもらったが手をつけることはできなかった。
夕方。部屋を夕陽が赤く染める。
仕事に戻るっておっしゃっていたけど、王宮に戻ったのかしら? それとも、この宮殿にいらっしゃるのかしら?
おとなしく長椅子に座ってじっとしていた。使用人の人たちは仕事で部屋を出入りしているが、声をかけてはこなかった。
夕食はどうするつもりなのかしら? あんまり喉を通りそうにないんだけど……
現実味がなくてぼんやりする。でもなぜかこういう光景に真新しさを感じなかった。どこかで見たような気がして、ありえないはずなのに懐かしい。
「――エルマ、気分はどうだ?」
「あ、おかえりなさいませ」
ドアが開いたと同時に声をかけられて肩が震えてしまった。ランバートさまの質問に答えていないことに、彼が正面にやってきてから気づく。
ランバートさまはテーブルにお茶がそのまま残っているのを目にして、私に顔を向ける。
「食欲がないのか……。夕食はこちらに運ばせるか? 食べやすいものにしろと指示はしておいたんだが」
「あ、いえ。お気遣いありがとうございます。私はランバートさまに従いますので」
王子さまの手を煩わせるわけにはいかないと、私は首を横に振った。
「じゃあ、やはり運ばせよう」
私の頭を優しく撫でて、ランバートさまは使用人に夕食についてを伝えるために出て行ってしまった。
私、このままここで生活していいのかな……ランバートさまだって、私みたいな凡人にはすぐに飽きて眼が覚めるだろうから、それまで辛抱すればいいか……
腕を失うだけならマシなほう、首をはねられても文句は言えない身の上だ。ランバートさまの気まぐれで寿命が延びたとありがたく思い、気が変わるまで付き合うのが穏便な方法だろう。
それ以外の方法なんて、ないもんね。
触れられた頭がなんだか温かかった。
夕食。
ランバートさまの提案でこの部屋に食事を持ってきてもらい、二人でとった。ランバートさまはその間もずっと私を気遣ってくれた。時々口説いてはきたけれど。
とりあえず、今日は乗り切れそうね……
食事を終えて、私はランバートさまが入浴で部屋を離れている間一人で過ごしていた。使用人が持ってきてくれた長袖長ズボンの寝間着に着替えさせてもらったところだ。装飾は控えめで肌触りがとてもよく、ひょっとしたら絹でできているのではなかろうか。
よく眠れそう……
小さくあくびをする。眠くなってきた。疲れが出始めているのだろう。今日はいろいろなことがありすぎた。
長椅子でウトウトしていると、入浴を終えて着替えたランバートさまが近づいてきた。ふんわりと花の香りがする。
「エルマ、寝るなら俺のベッドを使うといい。一つしかないから、一緒に寝るぞ」
「何を仰いますか。私はこの長椅子で充分です。ランバートさまはどうぞベッドでお休みください。邪魔はしませんから」
この長椅子だって、我が家のベッドと比べたら寝心地は上なのだ。身の丈を考えると私はここで構わない。
私が拒むと、ランバートさまは私の顔を覗き込んだ。
「だが、疲れているのだろう? あまり身体の負担になるようなことはしてほしくないんだが」
いかがわしい気持ちでベッドを勧めたわけではないようで、私はちょっぴり安心した。いきなり口づけをしてくるし、服を脱がそうとするし、まずは身体から――などと言われたので自分なりに警戒していたつもりだったが、体調優先ではあるようだ。
そうは言ってもな……ああ、眠い……食べ過ぎちゃったのかな……
私は心配してくれるランバートさまの言葉に返事ができないまま、いつのまにか目を閉じていた。
翌朝、目覚めた私はギョッとした。
隣で――正確には私を抱き締めるようにして――半裸のランバートさまが寝ていたからだ。
ええっと、ランバートさまの部屋に通されて、ここで今夜は過ごせと命じられて、ベッドは一つしかないから一緒に寝ようと提案されて……断ったはずなのに、どうしてこうなったの?
長椅子で寝た私をベッドに運んで、そのまま寝たということだろうか。
そこで、私はハッとした。慌てて自分の身なりを確かめる。
よかった……ちゃんと寝間着を着ている……でも、何でランバートさまは半裸なのよ?
上着を着ていないので、上半身が丸見えだった。視界に入らないように意識しているが、一瞬しか見なかったはずの彼の身体が脳裏に焼きついてしまって離れない。妙にドキドキする。
うう……異性の身体なんてこれまで見なかったからなあ……なんて格好をしてるのよ、この人。無防備すぎる……
私が刺客だったらどうするんだろうか。外れなくなった指輪をしているだけの町娘という情報しかないのに、油断しすぎではなかろうか。
「……はぁ」
なんでこんな目に遭わなければいけないのだろう。この状況になることを予知できたらよかったのに。こんな未来を知っていたら、謝りに行くなんて選択はせず、逃げ回ったに違いない。
「――なんだ。目覚めのキスはないのか?」
「起きていたなら、離してください」
私のため息に反応したのか、ランバートさまは長いまつ毛をゆっくり上げて目を開けた。不服そうな顔をしている。
「君は抱き心地がいい。ここに運んだまでは良かったが、そのまま眠ってしまったようだ」
私が想像した通り、彼がこのベッドに運んでくれたようだ。
それなりによく食べる私なので結構肉付きがよいから、運ぶのは骨が折れたことだろう。しかも二回も。王子さまに何をさせているんだ、私は。
服を着ていたときは華奢そうに見えたけど、実際は想像よりも筋肉がしっかりついている感じだった。私が案じるほど大変じゃなかったことを祈っておこう。
「では、二度寝をしなくて済むように解放してください。近すぎます」
「つれないな」
彼の腕が動く。やっと解放されるのかと安堵したら、体勢が変わっただけだった。私は今、ランバートさまとベッドに挟まれて動けずにいる。
「あ、あの……」
目のやり場に困って、私は顔をそらす。窓が見えた。天気は快晴。今日も暖かくなることだろう。
ランバートさまの半裸に意識が向かないようにと天気のことを考えていると、首筋に何かが触れた。
「え、あのっ⁉︎」
口づけをされたのだとわかった瞬間、私の身体はこわばった。
「ずっと触れたかった。君が年頃を迎えただろうことに気づいたときから、ほかの男に触れられる前に抱きたいと考えていた」
「わ、私は……」
声が震える。力では抗えないとすぐにわかった。彼の体温を、寝間着の薄布越しに感じると、なおさら怖い。
「――ウィルへルミナだと思って抱くことも考えたが、さすがにそれは君に失礼だ。せめて、記憶が戻るか、俺自身に興味を持てるようになってからのほうがいいだろう」
彼の熱が離れていく。そのままベッドから出ていった。
「少しは冷静になったつもりだ。悪いな、エルマ。そんなに怯えられるとは思わなかった……俺が怖いのか? それとも、男性が苦手なのか?」
私の視界に入らないように気遣ってくれたらしい。衣擦れの音がするが、こちらを向けとは命じてこなかった。
「わ……わかりません……。でも、今のは……」
本能的に危険を感じているようだった。察知して、何か対処しようとして、でも何もできずに固まってしまった。ここで彼から引いてくれなかったら、私はどうなっていたんだろう。
身体が自然と震え、両手を胸に抱く。薬指の指輪が鈍い光を返していた。
「そうか……すまなかった。欲求不満になっているのを、君にぶつけるべきではなかったな。抱き締めて眠ることができただけで、引くべきだった。申し訳ない」
「……いえ」
何度も謝られると、逆に私が悪いことをしてしまったみたいに感じられてしまう。私の中のランバートさまという人に、謝罪をするようなイメージがなかったから余計に。
「エルマ、こういうことをしておいてなんだが、俺は君自身に興味を持っている。俺に媚びることなく、自分の意見を貫こうとする姿勢は特に好感を持っているんだ」
昨日の様子と違って、彼は私をウィルへルミナとは別の存在として考えようとしていることに、やっと気づいた。一晩経って冷静になったのは本当なのかもしれない。
私は黙って耳を傾ける。
「俺の妻には、俺にきちんと助言ができる人物がいい。そういうことが君にはきっとできる。エルマ、君がウィルへルミナとしての記憶を取り戻せなかったとしても、それでいい。俺のことを愛せるように、俺は俺なりに努力しよう」
「そう……ですか……」
結局執着されるのか、と考えると気が重い。ウィルへルミナになれと言われるのが嫌ではあったが、だからといって私自身に興味を持って欲しかったわけではないのだ。
だって、本物のウィルへルミナさんが見つかったら、あなたは私を捨てるのでしょう?
指輪さえ抜けてしまえばよかったはずなのに、ずいぶんと面倒なことになってきた。
「今後のことについて調整しておくから、俺が戻るまではこの部屋にいてくれ。服や食事の手配はする。部屋から出なくても支障がないはずだ。何かあれば、昨夜紹介した使用人たちに話をしてくれ」
「承知いたしました」
「宮殿までの移動などでまだ身体に疲れが残っているだろう? 今日はしっかり休め」
どこか寂しげな声で告げると、ランバートさまは寝室を出ていった。
「……本気で私と結婚するつもりなんでしょうか」
指輪を見ながら呟くと、それはキラキラと輝いた。さっきの鈍い光とは違う。
さっさと指輪を外す方法を見つけて、ここを去ろう。私がいるべき場所じゃないもの。
心の奥がもやもやする。その気持ち悪さを忘れたくて、私は再び目を閉じた。




