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6.密談

「もう──本っ当に最っ低‼ 自分でいっつも言ってたくせに、神聖な道場で何考えてんの‼ 考えることがそれしかないわけ!?」


 繁忙時間が終わりかけ、大分落ち着いて来た夜のファミレスで、理乃は王族総覧を片手に再び怒りをあらわにした。


「自分で勘違いしたくせに、勝手に怒鳴ってその上逆ギレ!? あんな自分勝手な人がミナヅキ王子なわけないじゃん‼ レポートだっていつもギリだし‼」


 開いた総覧の彼の項目には「政治・経済のみならず、自由貿易の旗手として外交にも通じる事情通。高貴な物腰と気さくな受け答えで、国民の間でも人気が高い」などと、歯が浮きそうな飾り言葉がこれでもかと書き連ねてある。これを書き出した人物に、一体康太のどこに高貴な物腰を感じたのか教えて欲しい。

 噛みつくような理乃の訴えに前の人物は微笑んだ。


「残念ですが本当に本人です。向こうでも色々調べましたし、何より私自身が一度、ソリダゴでお会いしています。親しく言葉を交わすほどには近づくことはできませんでしたが」


 彼の策士を思わせる答えに、理乃は小さく息を落とした。それなりに長いつきあいもあり、重々承知はしているものの彼の話は実にシビアだ。きっとかの国にいた時も、誰もが認める頭脳と手腕で祖国に貢献していたのだろう。

 だが理乃はどちらかと言えば、素直に人の善意や良心を信じていたい人間だった。ビジネスライクな──時として殺伐とする彼の話は、ファミレス内のなごやかなざわめきの中で耳にするものではない。

 再びため息をつきながら、王族総覧の自分の項目「多趣味。好物はイモ」に目を止める。確かに間違ってはいないだけに、余計に眉間にしわが寄った。


「どうします? 姫。今からでも私と一緒に帰りますか? ──もし姫がそう望むなら、婚約解消も視野に入れた上で陛下にその旨を申し伝えますが」


 コーヒーカップを前にして、クロトンは落ち着いた口調で続けた。


「もちろんソリダゴからはこっちに色々と言って来るでしょうが、かわす方法はいくらでもあります。そもそも、後ろめたい方法でこの婚約を取りまとめたのは、今姫がおっしゃった『最っ低』なあの方でしょう? それが気に入らないのであれば、一度冷静な立場にもどって考え直してはいかがですか」

「……」


 何とも言えない表情を作ると、理乃はわずかに肩をすくめた。ぱたんと王族総覧を閉じてテーブルの端にそれを置く。バッグの中で震え続けるスマホの存在をあえて無視して、理乃はクロトンに言い切った。


「ありがとう。でも、それはないわ。グチを聞かせて悪かったけど」


 ここではっきり言っておかないと、理乃の父親兼国王の忠実な臣下である彼は、王家の意向に沿ったことなら何をしでかすかわからない。冷徹すぎるのが玉に瑕だが、その忠誠心は本物だ。それに理乃だってわかってはいるのだ。康太が本当に自分を思い、大事にしてくれていることは。ただちょっとばかり不器用で、多分女の子の扱いに慣れていないだけなのだ。

 しかし理解しているからといって、このいらだちはまた別の話だ。いくらつきあい始めとはいえ、会うたびごとに押し倒されては「それしか考えることがないのか」と魂の底から叫びたくなる。

 少し水っぽくなってしまったグレープフルーツジュースを飲み干し、理乃はクロトンの後ろに見える知った姿にため息をついた。座った席の斜め奥側に、同じ剣道部員でもあるミナヅキ王子の乳兄弟がいる。こちらの視線に気がついて、和斗は箸を持つ手を上げた。がっつり定食を食べているのでやや遅い夕食の途中らしい。

 その優しげな微笑みと(彼も内実は目の前の人物と同じくきわめてシビアだが)、彼が食べているサバを認めて、理乃はこそっとクロトンに尋ねた。


「……和斗先輩、いつからあなたを見張ってるの?」

「仕事が終わった後からです。ここまで一緒に来ましたよ。同席してもいいかと聞かれて、さすがにそれはお断りしました」

「それって、やっぱり先輩の命令」

「そりゃそうでしょうね。あちらもそれが仕事とはいえ、本当にお疲れ様です」


 ちっとも同情していない様子でクロトンはそう答えた後、手元のコーヒーを引き寄せた。変わらない声で話を続ける。


「それで、姫。わざわざ私に声をかけたのは、愚痴以外にも何か用事があったんでしょう?」


 相手の方から言葉を振られ、理乃は再び肩をすくめた。本当はミナヅキ王子本人から直接話を聞きたかったのだが、少々微妙な内容でもある。言い争いの直後だし、話題の持って行きようが悪ければ余計にこじれそうな話だったのだ。


「……まあね。あなたなら総覧なんかより、くわしい話が聞けるんじゃないかと」


 万が一でも奥の和斗には聞かれないよう、声を落とす。


「王族総覧を読む前に、ちょっとおかしいと思ったのよ。ソリダゴの王太子ともあろう方が、半年前に会ったばかりの私とあっさり婚約するなんて。有能らしい人物にしては何だか少し短絡的だし、つまり、今まで決まった相手がいなかったってことでしょう?」


 事実、理乃の兄であるゴールデンスティック王国王太子は、すでに王太子妃との間に二人の子供をもうけている。康太くらいの年齢だったら婚約者くらいいなくてはおかしい。


「で、思い出したのよ。確かソリダゴの王太子って、もっと年上の方だったわよね。何年か前に世継ぎの王子がご病気でお亡くなりになって、第二王子が跡を継いだような……。それで総覧を読み直したらやっぱり彼は第三王子で」

「やっと気がついたんですか」


 面白くもなさそうな顔でクロトンはそう答えると、手元のコーヒーを一口飲んだ。冷めてしまっていたらしく、まずそうにその眉をしかめる。


「総覧に書いてある通りですよ。彼は本来、王太子に立つ予定の方ではありませんでした。生まれも育ちも彼の領地でのびのび育った方らしく、窮屈な王宮は苦手そうでしたよ」


 理乃がテーブルの端へと置いた王族総覧を取り直し、ソリダゴ王国の項目を開く。


「第一王子が亡くなった後、第二王子が王太子となり、彼はその補佐を務めていました。兄弟仲は良好でしたが、今度は第二王子がご病気で視力を無くしてしまわれて。──結局最後に残った彼が世継ぎとなった訳ですね。誰が悪い訳でもありませんし、揉めることもなくそうなりました。まあ、つまりはそういう星まわりの方だったということです」


 淡々と語るクロトンの言葉を、理乃は目を丸くして聞いていた。意外と苦労人だったらしい隣国の王子を改めて見直す。そして、彼が王太子にしては庶民的な訳も理解した。きっとそれまでは自由な立場で気さくに周囲とつきあっていたのだ。

 そこまで話し、クロトンは今度は少々皮肉そうに続けた。


「ここから先は、少し下世話な噂話になりますが。──先ほど姫がお聞きになった彼の婚約者の話です」


 理乃はぱちぱちとまばたきした。今まで聞いた話の中で、急遽王太子の立場になった彼が婚約者どころではなかっただろうことは、何となくだが想像できた。だが、それがいきなりどうして下世話な噂話になるのか。


「今まで二人の王太子が立ち、それぞれに王太子妃として貴族の娘が選ばれました。どちらも名家の出でしたが、結局両方の王子が位を下りてしまった訳でして。最後に白羽の矢が立った彼に、両家がそれぞれ妹娘を押しつけて来たみたいです。で、彼はそんな面倒な状況が嫌になったらしくて、とうとう相手を決めないままにこちらに来てしまったようですね」


 両目を見張った理乃の様子に、クロトンは一度話を止めた。通りかかった従業員にコーヒーのおかわりを依頼する。その後理乃に向き直り、持っていた王族総覧を返した。


「一応フォローしておきますが、私が知っている範囲内では彼に浮いた噂はありませんでした。典型的な体育会系で、仕事も遊びも男友達と過ごすタイプの方だったらしく、身分と気楽な立場の割に身持ちは固かったようですね。どちらかと言えば女性が苦手なほうかと思われていたらしく──女運がなかったというべきか──今回姫との話が決まって、ソリダゴは一安心です。姫なら国内の面倒な輩も文句のつけようのない相手だし、あっちは半分お祭りですよ。戴冠式も近いですから、やはり王太子の花嫁問題は頭が痛かったみたいです」


 理乃は思わず眉を寄せた。

 つまりミナヅキ王子にとって、自分はそこまで事を急ぐほど都合が良かった相手なのだ。そう考えてしまった途端、理乃は今まで向けられて来た康太のひたむきに見えた思いが、一気に信じられなくなった。不器用だった彼の印象ががらがらと音を立てて崩れ去り、ちょっと衝撃を感じてしまってその場に突っ伏しそうになる。


──そりゃあそういう立場なんだし、計算高く考えなけりゃ婚約なんてしないでしょうけど。大体、私だってそれを踏まえてずっと結婚を考えてたわけだし。


 だがしかし、一度信じた思いが信じられなくなるのは痛い。何も知らずにこちらで出会った理乃を見初めたのは事実かもしれない。でも正体を知った後は、純粋だったはずの思いはきっとかき消えてしまっただろう。結局康太も最後に見たのは理乃ではなくて王女だったのだ。

 しょんぼり肩を落とした理乃に、クロトンは平然と言い切った。


「大丈夫です、きっとソリダゴはあなたを大切にしてくれますよ。両国の交流も盛んだし、ちょっと唐突なきらいはありますが、決まって見れば双方にとってこれ以上ない良縁です。後はあなたの気持ち一つと、陛下の子離れの問題です」


 運ばれて来たコーヒーに礼を言って口をつける。相も変わらずビジネスライクで血も涙もない考察に、理乃は思わずこめかみを押さえた。人の一生の問題を子離れと同列にしないで欲しい。

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