5.道場 ※
欝な気分で講義を終えて、やっと課外の時間になる。久々の部活に少し気が晴れ、康太は体育館にある剣道場へと足を向けた。
弱小とはいえ、これでも康太はれっきとした剣道部部長だ。慣れた武具とはかなり違うが、剣道は性に合っていたのか地道な稽古も嫌いではない。何より(一応)高貴な身なので、同じ目線で仲間と行う部活動は新鮮だった。稽古や試合のみならず、試合の後の打ち上げや合宿さえも楽しめて、これは祖国における立場では決して味わえない経験だった。
──これの勧誘で理乃にも会えたしな。
同じ剣道部員であるものの、今日は仕事で別れた和斗から最後に言われた言葉ににやける。
『休みの間の質問ついでに、菜月が相談されてましたよ。「仲直りするにはどうすればいいか」って……ちょっと冷たくしすぎたかもって、反省してたみたいです』
今日は一日肩を落としてしょんぼりしていた主君の姿に、さすがの和斗も憐れんだらしい。部活で顔を合わせた際に食事にでも誘えばいいのでは、と的確なアドバイスを残して行った。
──そうだよな。何もあいつのせいで俺達がケンカすることはないんだ。
突如現れた邪魔者は確かに目の上のデッドロックだが、いちいち反応していたらそれこそヤツの思うつぼだ。元来楽天的な康太はそこまで考え、機嫌を直した。まずは部活でいつも通りに彼女と顔を合わせようと、道着に着替えて道場へ向かう。
だが、康太の最愛の彼女はまだ道場にいなかった。いつもはタオルやバインダーなどの仕事道具を手に持って、いの一番に明るい笑顔を康太に向けて来るはずなのに。珍しく遅刻をしているらしい。
上がった気分が一気に下がり、康太はあからさまに不機嫌になった。さらに切り返し稽古の後の休憩時間にトイレの中で、「康太先輩、機嫌悪くね?」「なんか、理乃ちゃんとケンカしてるらしい。元カレが現れたんだって」などと噂されているのを聞いてしまう。
──なんでそうなるんだ?
トイレに入りかけた状態で固まっている部長に気づき、後輩達が口を閉じた。露骨に怯えた顔をされ、さらに気分がささくれ立つ。欲求不満も相まって、引き立て稽古の指導の際にはいらない熱が入ってしまった。
その時、やっとジャージ姿の理乃が姿を現した。いつものように明るい声が汗の匂いのする道場に響く。
「すみません、遅く……」
「──遅いぞ‼」
ただでさえ張り上げていた声なのに、まるで鬱憤を晴らすかのようにそのままの勢いを向けてしまう。しんと静まり返った道場で、康太は理乃が持っている竹刀の束に気がついた。
──そうだ。今日は直しを頼んだ竹刀を取りに行った後、部活に来るって言ってたんだ。
思った時にはもう遅かった。部内の空気は凍りつき、理乃は表情をこわばらせている。康太は思わず額を押さえた。とりあえず、まずは素直に謝る。
「……悪い。忘れてた」
しかし、能面のように固まった彼女の表情はもどらなかった。周囲の視線にあからさまに責められ、康太は何だかその場所で小さくしゃがみ込みたくなった。
部内の雰囲気を最悪にした心の狭い部長のせいで、部活が終わるとそそくさと部員全員が帰ってしまう。和斗以外の部員兼従者も、「それとなく外から見張ってますから!」などといらない配慮を残し、道場からいなくなってしまった。広い道場で一人きりになり、康太はぽつんとその場に立った。自業自得ではあるのだが、普段は仲のいい部員達からハブられたような気分になる。
その時、掃除用のバケツを持った理乃が扉から入って来た。一人になった康太と目が合い、無言で廊下へもどろうとする。
康太はあわてて引き留めた。
「おい、ちょっと待てよ」
何も言わずに理乃がそっぽを向く。横で一つにまとめた髪が、その勢いで大きく揺れた。彼女の怒りを表すようで、康太はさらに気持ちが焦った。
袴のすそを大きく乱して大股で理乃に近づくと、下から強くにらみ上げられる。いつも温和な笑顔を浮かべる彼女にそんな目で見られ、康太はかなり傷ついた。動揺しながら口を開く。
「ちょっと待てって……だから俺が──」
悪かった、と言いかけた康太に理乃がとがった声で告げた。
「確か、ちゃんと言いましたよね。西川剣道具店に行って、それからこっちに向かいますって。菜月先輩にも言われてたはずです」
康太はうっと言葉に詰まった。現在祖国で休暇中である菜月の名まで引き合いに出され、あれだけ言われていたことなのに忘れた自分を殴りたくなる。
「わかってるよ。だからそれは」
「だったら、それはもういいです。──私はこれで失礼します」
取りつくしまのない返答に、康太はついにむかっと来た。道場から出ようとする理乃の腕を無理やり掴んで引き止める。だが強い力で振り切られ、さらに頭に血が上った。
ばんっと理乃の目の前で厚い扉に自分の手をつく。康太の腕に進路を邪魔され、理乃が怒りの表情を向けて来た。
「こんなの最悪じゃないですか。逆ギレした上、壁ドンですか。私、そういうの嫌いなんです」
小生意気な口調で言われ、本格的にブチ切れた。言い訳さえもさせてくれない彼女を力ずくで引き寄せる。
「えっ、ちょっと……‼」
理乃が持っていたバケツが落ちて、金属音が響き渡った。
逃げ出そうとする理乃の体を康太は両手で囲い込んだ。暴れる彼女を押さえると、男の本能が先に立つ。興奮をあおる抵抗が捕らえた腕に小気味よく、稽古の後で高ぶったままの神経を刺激してしまう。
歴然である力の差に負け、疲れた理乃が動きを弱める。そのすきを突き、強引に顎を向けさせて顔を寄せた。無理やり奪った唇の柔らかい感触に理性がはねる。
──まずい。止まらない……!
今までためにため込んでいたため、欲望にブレーキがかからない。理乃の縮めた小さな肩と豊満な胸のふくらみに、すでに股間はビンビンだ。だめだ、神聖な道場で──と頭のすみで思いつつ、でも、俺の信仰はこっちの世界の宗教じゃねえし、などと勝手な考えが影をかすめる。このまま体を床に倒してシャンプーの匂いを胸まで吸い込み、甘い感触に溺れたかった。
その時、自分の唇の下で、まるで嗚咽を漏らすかのような理乃の呼吸に気がついた。はっとして唇を解放すると、涙を浮かべた理乃の瞳が自分の顔をねめつけた。その表情をくしゃくしゃとゆがめ、両方の目尻から涙をこぼす。
康太はやっと自身がしでかした行為に気づいて愕然とした。
──これじゃ最初の時と同じで、逆ギレ+無理やりのコンボじゃないか。
全く成長しない自分に心の底からあきれ果てる。
「ごめん……」
そうつぶやいて、拘束を解く。自由になった体を揺らし、康太から離れようとした理乃は、ん? といった表情で泣きぬれた目を下に向けた。袴に隠れたアレの状態に理乃も気がついてしまったらしい。
「──さ……最っ低ッ‼」
顔を真っ赤にして叫ばれた。
「結局、それが目的ですか! こっちで私とつきあってる訳って、体目当てってことですか‼ ヤれれば誰でも良かったんですか‼」
訴えられた露骨な言葉に、目を見開いて反論しかける。しかしそのままくるりと背を向け、理乃はその場から逃げてしまった。
「あ……」
小さくつぶやき、上げかけた手を康太はそのまま握りしめた。今の自分は逃げた彼女をもう引き留める資格さえなかった。
康太は倒れたバケツと共にそのまま道場に寝転がった。白い天井を眺めやり、深く大きなため息を吐き出す。いまだビンビンのままの股間が自分で心底情けなかった。




