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4.ナポリタン

──こりゃ、本当に逸材だな。和斗に命じて要注意人物のトップリスト入りに決定だ。


 康太は半ば感嘆しながら二人の会話を聞いていた。

 こいつに洗脳されちまったから、理乃は自分の縁談に対してとことんシビアだったのか──と思わず納得しかけ、その非情さに肩をすくめる。

「争いは他の者に任せて、汝は幸せな結婚をすべし」とは、政略結婚によって労せず国を治めるための格言だが、恋に恋する年頃だろうに、文句の一つも言わずに従うとは。もちろん王女としての自覚や当人の天然もあるのだろうが、教育というのは恐ろしい。

 内心の思いを新たにしながら、康太は話をまとめて告げた。


「とりあえず、これで用はすんだな。書状は和斗に渡したんだろ? あいつ経由で国に送るから、後の話はあっちに頼む。……それじゃ、そろそろお引き取り願おうか。とっとと祖国にお帰り願って街道工事の発注を──」

「早々に祖国に伝えます」


 完璧な笑顔を康太に向けて、クロトンはきっぱり言い切った。その表情と不穏なセリフに、康太は一瞬眉を寄せた。


「……つたえます?」

「ああ。私恐れながら、『しばらく姫を見張って来い』とのお言葉を陛下からたまわりまして。当分こちらに滞在します」


 はっきり答えたクロトンに、今度は理乃が絶叫した。


「えええ──!? なに言ってんの! 冗談じゃないわよ、帰ってよ‼」


 まるで拒否反応を示すかのような、激烈すぎる教え子の態度。だが、教育係はしれっと答えた。


「淑女がそんな大声を出してはいけません、はしたない。殿下の前で失礼ですし、私の教育が疑われます。──日曜まではホテルに泊まって、来週からマンスリーマンションです。姫のアパートのお隣ですので、どうぞよろしくお願いします」

「おい……ちょっと待て。嫁入り前の姫君を若い男が見張ってるって、それじゃ本末転倒だろうが‼」


 康太がいきり立って叫ぶと、クロトンはあっさり受け流した。


「私は陛下と王妃様から深い信頼を寄せられております」

「『男はみんなオオカミだ』ってこいつに教えたのは誰なんだよ‼」

「『私をのぞいて』と付け加えてください。──この際ですから申し上げますが、姫はまだまだ子供です。子供が子供を作るなんてことが決してないようにとのご配慮です。陛下、結構ショックだったみたいですよ?『まだ子供だと思ってたのに、あっさり彼氏ができるなんて。留学なんかさせるんじゃなかった』って……だからあれほど言ったのに」


 真正面から切り返されて、康太はぐっと二の句に詰まった。既成事実を作ってやろうと画策していたことを見透かされ、思わず拳を握り締める。隣の理乃は父親の嘆きを直接引き合いに出されてしまい、耳まで真っ赤になっていた。

 クロトンは悠然と立ち上がった。テーブルに理乃への手土産である可愛い弁当箱を乗せ、冷めたナポリタンを眺めやる。世間話をするように続けた。


「どうやら、私が教えた料理が役に立ったようですね。これはこちらの世界における私の大好物でして」


 自身の教育の成果に微笑む。この瞬間、康太は大好物だった理乃のナポリタンが大嫌いになった。


「それでは私は失礼します。どうも色々とお邪魔しました。お二人とも、どうぞ良い夢を」


 ぬけぬけとそう言い放ち、クロトンは玄関へ足を向けた。大小さまざまな爆弾を二人の間に落とした男は、とどめとばかりに祖国の神の聖句をつぶやいて別れを告げる。さりげなく理乃に王女としての自覚をうながすような行為に、康太は口元をひくつかせた。

 邪魔者が消えたらすぐさま理乃を押し倒す算段だったのに、今の空気でここでヤったら、王女を下町の長屋に連れ込んで手籠めにするも同然だ。場末の娼婦じゃあるまいし、一国の王女と愛を語るにはいくら何でも場所がひどすぎる。

 アパートのドアがばたんと閉まり、二人の間に沈黙が落ちた。

 康太がこめかみを押さえつつ、いかに「普通の大学生として」甘い雰囲気を取りもどすかを必死に思案していたら、理乃がゆっくりと立ち上がった。テーブル上の食事を片付け、彼女まで帰り支度を始める。ミニテーブルに乗せられた蜜芋の包みを取り上げた理乃に、康太は思わず腰を浮かせた。


「え、ちょっと待て。どこ行くんだよ? まだメシだって食べかけで」


 こっちはこれからだってのに──そんなスケスケな下心を見透かしたような顔つきで、理乃は冷ややかに言い切った。


「うちに帰って、さっそく総覧と王国年鑑を読むんです。殿下と教育係の二人に勉強するように言われましたから。食事はこれを頂きますので、御心配には及びません。殿下のお気遣い、痛み入ります」


 慇懃無礼な言葉と共に、手にした弁当箱を振る。先ほど二人に王女としての勉強不足を指摘され、よっぽど悔しかったらしい。康太は焦って言い返した。


「そんなの、別に後だっていいだろ。明日は休みなんだから──」

「先輩だってレポートあるでしょ? 和斗先輩が言ってたじゃないですか。また提出が遅れたら、今度こそ単位がもらえませんよ」


 取りつくしまのない返答で師匠同様にトドメを刺して、理乃はさっさと荷物を持つと部屋から出て行ってしまった。片付いた部屋に淡い残り香と、ラップがかかったナポリタンが残る。

 予定していた楽しい時間を全て台無しにされてしまい、康太は愕然とドアを見つめた。


     *


 波乱含みの週が明け、欲求不満を抱えたままで康太は大学へ向かった。週末、鬱憤を晴らすかのようにレポートを仕上げたのはいいのだが、担当教員へ提出しようと研究棟まで向かったら、学生証を忘れたのに気づいた。学生証が不携帯だと研究室には入れない。舌打ちしながら、仮発行の手続きをするために事務棟へ歩く。窓口へ顔を向けた途端に、康太はその場に棒立ちになった。

 康太の楽しい週末を台無しにしてくれた天敵が、学生課の奥のデスクに向かってノートパソコンを開いている。呆気に取られて眺めていると天敵の方が気づいたらしく、にこやかな笑みを向けて来た。席から立って、窓口に出る。


「証明書の発行ですか?」


 慣れた様子で尋ねられ、康太はどもりつつ言った。


「え……えーっと、学生証の仮発行を──」


 康太の動揺を受け流し、天敵はてきぱきと作業を進めた。名前と学生番号を聞き取り、必要な用紙を示して告げる。


「いけませんね。今年度に入って、これでもう三回目ですよ。次からは気をつけてくださいね」


 ベテラン事務員そのものの言葉を返され、絶句する。必要事項を記入しながら康太は声を低めて聞いた。


「なんでこんなとこにいるんだよ!」


 天敵は完璧な笑顔で答えた。


「今日から派遣でお邪魔しています。雪村といいます、理乃の兄です」


 ──最悪だ。


 康太は天井を見上げ、うめいた。頭を抱えて事務棟から出る。そんな思いをしてまで出したレポートの評価も今一つで、何だか全てを投げたくなった。

 大学内のラウンジで康太と待ち合わせていた和斗は、よろよろとした足取りでやっともどった主君の姿に、首をかしげながら聞いて来た。


「ずいぶん遅かったですね。どうしたんですか、幽霊でも見たような顔して」


 康太はどさっと椅子に座ると、心の底からため息をついた。


「幽霊の方がまだましだ。──ヤツが学生課にいやがった」

「ああ、派遣で来てるみたいですね。『小遣い稼ぎにちょうどいい』って昨日ニコニコしてましたよ」


 ごく自然な口調で返され、康太はまじまじと臣下を見た。


「お前、それ知ってたのかよ‼」

「あれ? 言いませんでしたっけ。金曜にでん──じゃない康太のアパートに、ク……雪村さんを案内した時、しばらくこっちで仕事するって。結構面白そうな人だし、僕も話が聞けるからまあいいかなって思ったんだけど」


 いけしゃあしゃあと答えた和斗に、康太は再度絶句した。改めて臣下の顔を眺めて性格の悪さを思い知る。


──外交関係の仕事をするやつは、どいつもこいつもこんなんばっかか。


 康太は机に突っ伏した。もう叱責する気にもなれない。

 これから祖国を治めるうえで、こんなんばっかり周りにおいて政務を執り行わなければならない。その上、心の安らぎを与えてくれるはずの婚約者は、休みの間はアパートにこもり、康太の誘いにも出て来なかった。康太が部屋まで押しかけられないことを知っているがゆえの振る舞いだ。存外根深い彼女の不機嫌に、さすがの康太もへこたれた気になる。

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