3.会談
理乃と初めて出会った際の結構なズレ加減を思い出し、既視感を覚えてどっと疲れる。
康太はため息を押さえつつ、できるだけ静かな声を出した。
「……わかったから、とにかく入ってくれ。ここは理乃のアパートと違って一般人も多いんだ。先月更新したばっかりなのに追い出されたら困るんだよ」
心の底から康太が頼むと、脇の和斗が苦笑した。
「ああ、それなら大丈夫ですよ。このアパートの管理会社はうちの王国の関係者ですから。……それより殿下、僕はこれでもう失礼します。人払いをって話でしたし、飲み会の途中で呼び出されちゃって結構迷惑だったんです。特に実害はなさそうなので、後はよろしくお願いします。あ、忙しくてもちゃんとレポートは見直ししといてくださいね」
「えっおい、そんな無責任な!」
わりと薄情な右腕にビジネスライクに切り捨てられ、康太はあわてて引き留めた。しかし和斗は片手を振ると背中を向けて去ってしまう。天然二人をその場に残され、康太はぽかんと立ち尽くした。理乃一人だって大変なのに増殖するなんて手に負えない。
だが。
「ちょっとクロトン、いい加減にして。なんであなたがここにいるのよ‼」
ふいに背後から響いた声に康太は両目を丸くした。珍しく怒った風の彼女が部屋で仁王立ちになっている。その反応と形相は、突如現れた過保護な兄に激怒する妹そのものだ。
サラリーマン風の男こと、クロトンはすました顔で答えた。
「ですから。陛下からの書状と……あと、王妃様から差し入れです。姫の好物の蜜芋の煮つけ」
持っていたビジネスバッグの中から、愛妻弁当を思わせるような可愛い弁当箱を引っ張り出す。それを目にしたとたんにぱっと理乃の表情が輝いた。
「え、ほんと? わあ……ってちがう‼」
──なんだ、普通に話せるじゃねえか。
二人の会話を聞きながら康太はほっと胸を撫で下ろした。多少ズレてはいるものの、これなら言葉は通じそうだ。どうにか気分を落ち着かせた後、その反動で恨めしい思いを胸に抱えて訴える。
「……こっちの常識わかってんなら、普通に話せばいいだろう。なんでまたこんな嫌がらせみたいな……」
「それはもちろん、嫌がらせですから」
いけしゃあしゃあと答えられ、康太は思わずかちんと来た。身分の違いをわきまえながらも放たれた言葉は挑発的だ。曲者だとは聞いていたが、確かに一筋縄ではいかない。
脱いだ皮靴をきちんとそろえ、クロトンは部屋へ入って来た。商社で働く営業のようにその物腰は柔らかく見えるが、自分より高い背のせいか不遜に感じて癪にさわる。仕方なく招かれざる客を狭いアパートの奥へ通すと、客は当然のような顔つきで堂々と中に踏み込んだ。
食事中だったミニテーブルの横に三人で腰を下ろす。理乃と二人でぴったりだった広さのラグはぎゅうぎゅうだ。食べかけだった彼女の食事を眺めやっている元凶(?)に、康太は厭味ったらしく告げた。
「──で、要件は何なんだ。金曜日の夜、彼女と二人でイチャイチャしてる最中に、わざわざ邪魔してくれるくらいだからよっぽど重要な話なんだろうな」
振った話の内容に、横にいた理乃が真っ赤になった。それはどこからどう眺めても、彼氏が身内にバレた瞬間のうぶな女の子の顔だ。羞恥に震えるような様子が何だか改めてとても可愛い。
だが、正座した兄役はにっこり笑って口を開いた。
「それはもちろん。我が王国の大事な姫をかっさらってくれた、礼儀を知らない王子の顔をおがんで来いとのお達しです」
──へえ。
正面切って売られたケンカに康太はむしろ感心した。日頃ぽやんとしている理乃が生まれ育った場所らしく、温和な人柄で知られる国には珍しいほどの逸材だ。しかし、康太の方だって無礼講なら得意分野だ。ポンコツ相手に脱力するよりこっちの方が面白い。
──せっかくケンカを売ってくれたんだ。ちょうどいいから買ってやる。
少々物騒な考えを浮かべ、口元を不敵に引き上げた。
「……なるほど。それなら、そちらとしては『この婚約に不満がある』と、わざわざ俺のところまでいちゃもんをつけに来たわけか。正式に婚約が成り立った後で」
康太が冷ややかにそう言い放つと、今度は理乃が青くなった。
乱暴すぎる応酬のせいで内容が矮小に聞こえるが、実際は互いの国の代表が交渉のテーブルについているのだ。せっかく決まった祝いの話がひっくり返りでもしたら、ことは話し合いだけでは済まなくなる。互いの国のメンツもあるし、話の持って行きようが悪ければ、国家の尊厳を傷つけられたとの宣戦布告もおかしくない。
二人に挟まれ、おろおろしている自国の姫君の表情に、教育係が苦笑した。
「大いに不満ではありますが、せっかく決まった祝事です。めでたい話にこれ以上、水を差すのは好みません。そこで提案なのですが……」
やっと譲歩の段取りになって、康太はにやっと笑いを浮かべた。その内容は昼間の話題とほぼ同様の案件だった。それにいくつか懸案事項を添えて交渉を振って来る。
先ほど売られたケンカとは打って変わった丁重な口調に、康太は剛毅な様子を見せて、あらかた提案を飲んでやった。昼間側近に命じておいた街道の整備の件については、すでに通達済みだったらしくクロトンは即座にうなずいた。
「かしこまりました。早急に手筈を整えさせていただきます。──殿下の心よきお言葉をたまわり、恐悦至極に存じます。また我が主、並びに姫がどれほどお喜びになりましょう」
そこで、やっと狭い部屋の中にゆるやかな安堵の空気が流れた。康太は軽く首を回すと、凝っていた肩を楽にした。横から大きく両目を見張って自分を見ている理乃に気づく。
「なんだよ?」
そう康太が尋ねると、理乃ははっと気づいたように口に手を当ててつぶやいた。
「え……いえ。──先輩って、本当に王子だったんですねー……」
つくづく感心したように言われ、康太は思わず唖然とした。
「なんだそれ。もしかして、俺が詐欺師だとでも思ってたのか」
大きな瞳を丸くしている彼女の驚いた表情に、今まで一体どういう視線で見られていたかを思い知る。確かに自分が王子であると言葉を尽くした覚えはないが、まさか疑いを持たれていたとは全く思ってもみなかった。
先ほどよりも深いため息を落とした王太子の姿に、今度はクロトンの方が苦笑した。
「姫。そのお言葉はあまりにも殿下に対して失礼です。ミナヅキ殿下はソリダゴ王族の中でも特に優秀な方で、お若いながらも国内外の情報に通じた事情通。いずれソリダゴを確実に栄達へと導かれることでしょう。殿下と少しお話をすれば、そういったことはすぐにわかるかと。……王族総覧、読んでないんですか? 暗記するように言ったでしょう」
──人の評価を上げたり下げたり、ずいぶん忙しい奴だ。
そう内心で毒づきながらも、康太は尊敬の色に染まった彼女の視線にふんぞり返った。てんこ盛りの美辞麗句で飾った見え見えすぎるお世辞だが、持ち上げられて悪い気はしない。
「まあ、確かに疑われても仕方ない点もあるけどな。俺だってまさか隣の王女がこっちにいるとは思わなかったし。──けどお前、王族総覧のうちの項目くらい覚えろよ? あと今年度の王国年鑑」
守役に加えて婚約者にまで勉強不足を指摘され、理乃がその頬をふくらませる。そんな二人の様子を見ながらクロトンは再度苦笑した。
「姫のこちらへの留学については、国においても私を含めたごく一部の者しか知りません。何しろ大事な姫君ですので」
どこか含みのある声に、康太ではなくむくれ顔をした王女の方が突っ込んだ。
「大事じゃないでしょ、手駒でしょ」
「訂正します、大事な手駒です。あさましき算段ではありますが、何しろ未婚の姫君は国の大事な資産ですから」
王女本人を前にして、毒のある言葉をぬけぬけと吐き出す。