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1.困惑

 ソリダゴ王国の王太子、ミナヅキこと康太は浮かれていた。

 面倒なゼミのレポート提出がやっと終わったこともあるし、しばらくの間は祖国への定期報告の予定もない。そして何よりいつの間にやら顔がにやけている訳は、アパートに帰れば可愛い彼女が自分を待っているからだ。


 今週は剣道部の練習がなかったし、レポート提出の都合もあってろくに彼女に会えなかった。学部も年次も違う彼女とは偶然会えるチャンスは少ない。昼食の時間に付設のカフェで時たま顔を合わせるくらいで、後は大抵それぞれの友人達と過ごしている。

 康太としてはそれが少々不満のタネでもあるのだが──つきあい始めなんだから、しばらく彼女と一日中イチャイチャしてたっていいじゃないか──天然ボケの彼女には全くわからないらしい。「昨日一緒に来たじゃないですか」などとあきれた顔をされる。


 だが、今日は金曜日だ。彼女は先に家にもどってアパートで待ってくれている。部屋に帰れば護衛はいないし(ひそかに見張っていることくらい康太にだってわかっているが、それは仕方のないことだ)、明日までゆっくり二人きりでいられる。


──時間もあるし、色々できるな。


 彼女が聞いたら裸足で逃げ出す考えを頭に浮かべていたら、脇から嫌そうな声が聞こえた。


「殿下、顔が二ヤついてます。また何か悪いこと考えてるでしょう」


 背後から追いついて来たらしい高岡(たかおか)和斗に指摘され、はっと表情を引き締める。次の講義を受けるために、教室棟への近道である中庭を移動中だった。


「おまえ、ここで『殿下』は止めろよ。なんかディスられてるみたいだろ。殿下、殿下って何の罰ゲームだ」


 自身の気まずさを押し隠すのに少々とがった声を出す。近くに人の気配はないが、誰かに聞かれたら困る。事情を知らない者が聞いたら失笑ものの呼び方だ。祖国の呼び名が周囲にバレて、本当に「殿下(笑)」があだ名になったら冗談じゃない。


 和斗──護衛兼友人でもあるヘリコニア家の末っ子は、いつものように横に並んだ。同じゼミの受講者である和斗はとうに提出を済ませ、今日がレポートの評価日だった。昼食を早めに済ませた後で担当教員の元へ行き、評価を尋ねてもどって来たのだ。

 優等生の彼は祖国でもミナヅキの頼れる右腕で、背格好も似ているために時々代役を務めてくれる。彼のおかげで王子ミナヅキは窮屈な宮廷を抜け出して、下町の空気に触れることもできた。

 そんな有能な部下が珍しく、眉をひそめて康太を見た。いつも穏やかな笑みを浮かべる和斗にしては不穏な態度だ。


「誰もいないし、聞いちゃいませんよ。そんなことより先ほど僕が耳にした話なんですが──どうやら姫の教育係が近々こちらにやってきます。向こうにすれば、未婚の王女を傷物にされたとでも思ってるんでしょう。あののんきな国にしては珍しいほどえげつないですが、輿入れの際の持参金の減額を匂わせているようです」


 聞き捨てならない情報に、康太は眉間にしわを寄せた。


「……随分ふざけた話だな。俺があいつの持参金目当てで手籠めにしたとでも思ってんのか。だったら『そんなもんいらねえ』って言っとけ。代わりに、輿入れに使う街道の整備をとっとと済ませとけって。──もう古い道だし、幅も狭い。縁組すれば交流も段違いに深くなる、そっちの方がよっぽど有益だ。ついでに通行税も下げろって言え」


 和斗は生真面目な表情で、康太の答えにうなずいた。


「承知しました。すぐに伝えます。しかし殿下、その教育係が結構曲者らしいんです。持参金の話も陰でそいつが糸を引いているらしく、姫の国ではなかなかの実力者のようですね。これは噂なのですが」


 そこで一旦言葉を切って、少々面白そうに笑う。話を止めて自分をうかがう底意地の悪いその素振りに、康太は口元を引き下げた。

 普段は真面目なふりをしているが、こいつも結構曲者だ。必要とあれば、臣下の分際でヘッドロックさえかけて来るやつだ。

 和斗は再び前を向き、飄々と話の続きを継いだ。


「彼は表向きは教育係ですが、実際は王女の結婚相手に選ばれた中の一人でした。まあ、そりゃそうでしょうね。枯れた爺さんでもない限り、異性が王女の守役として立つこと自体が珍しい。……オクラレウカ家と言えば、ゴールデンスティック建国の際から代々続く家柄ですし、うちとの外交の仕事のために爵位の継承は遅れたものの、本人も大変優秀な人物です。いずれは王女の婚約者に──と本人も周囲も思っていたら、横からうちにかっさらわれたわけです。そりゃ、腹も立ちますよ」

「……なんだと?」


 康太は表情を険しくした。

 彼女の教育係のことは、康太も気にはなっていた。つきあう際に妙に彼女が気にしていた事もあるし、やっと押し倒せたと思ったら最後までヤツに邪魔された。

 一度祖国にいた時に顔を眺めたことがあり、何だかスカした雰囲気の、いけ好かない野郎だと思っていた。そいつが彼女の元婚約者(未確認)で、自分の恋敵だとしたら、今伝えられた情報は面白くないことこの上ない。


 一応康太も筋を立て、部屋で彼女を押し倒す前に裏から結婚を迫ってもみたのだ。祖国が送った使者への返事は決して悪くはなかったが、「時間が欲しい」と伝えられ、結局うやむやにされてしまった。この分だと、話に横やりを入れたのが彼であることは明白だ。

 康太が深く腕組みをして思案を巡らせていると、不意に和斗が口を開いた。


「あ、そうだ。言い忘れてたけど、佐々木先生から伝言。『レポートの資料が不十分。もう一度文献を見直して、次回のゼミの時までに耳を揃えて提出しろ』だって」


 いきなり大学の話を振られ、頭の中がミナヅキだった康太は思わず面食らった。小道の前の方を見やると、スマホを手にした少々派手な女子の二人組が歩いて来る。

 ぱちぱちとまばたきを繰り返し、やっと大学生である康太自身を取りもどす。思わずうめき声を上げた康太に、自分に忠実であるはずの部下はあっけらかんととどめを刺した。


「菜月は今日から休暇だし、僕は手伝わないからね」


 和斗と同じく自分の護衛で、和斗の彼女でもある菜月の名を上げられて憮然とする。彼らは祖国でも婚約者同士で、主君の留学が済んだ暁には華燭の典を挙げる予定だ。彼らのためにもミナヅキは後一年半無事に過ごして、何事もなく祖国へと帰らなければならないのだ。

 苦労の多そうな先行きに、康太は小さくため息をついた。吹いた秋風の冷たさに羽織るものが欲しくなったのは、どうやら今の自分自身の心持ちもあるようだった。


     *


 ゴールデンスティック王国の第一王女、理乃は困惑していた。

 今日は金曜日だったので、授業を終えると買い物を済ませ、彼氏のアパートを訪れた。いつもと同じく散らかった1DKを片付けて──ここに来るのをためらう理由は、汚い部屋にも多少ある──二人分の食事を作る。


 こっちになじみまくった彼には「世間知らず」だとよく言われるが、家事においては理乃の方が上だ。多分、これは教育係の少々偏った教育のせいだ。「あちらの者は、身の回りのことを全て自身で行います」と、広い王宮の一角に1DKのセットまで組まれ、料理から何から召使い並みに家事全般を仕込まれた。しかし同様の立場のはずのミナヅキはコンビニの常連だった。

 大体用が済んだので、のんびりラグに腰を下ろして夕方のニュースを見ていたら、時間通りに康太が帰って来た。狭い玄関から理乃の姿をちらりと見やって靴を脱ぐ。


「──ただいま」


 何だか沈んだ声色に、理乃は思わず首をかしげた。普段の彼なら飼い犬並みにそばへすり寄って来るはずなのに、どこか張りつめた顔つきで床へどさっと荷物を置く。いつもだったら「片付けてください」と即座に告げるところだが、どうにも不穏な気配を感じて理乃はその場から立ち上がった。


「どうしたんですか? 何かありました?」


 後輩気分が抜けない口調で自分の彼氏に話しかける。

 康太はわずかに首を振った。


「いや、ちょっとな。それより腹が減ったんだけど、今なんか食えるものあるか?」


 言われるままに、準備しておいた夕食を仕上げて出してやる。彼の好物のナポリタンにサラダを添えて並べると、ミニテーブルに山盛りになったそれらをがつがつ食べ始めた。行儀のかけらもない勢いで(彼はこちらになじみすぎていて、時々王子にもどった時に困るんじゃないかと心配になる)全て平らげ、息をつく。

 とりあえず落ち着いたらしい康太に、理乃は自身も食事をしながら再び問いかけてみた。


「何か嫌なことでもあったんですか? レポートがうまく行かなかったとか」

「……まあな」


 康太は生返事で視線を落とし、水のグラスを手に持った。げぷっと息を吐いた後、グラスの水を一気飲みする。やはり普段と違う様子に理乃は大きく眉を寄せた。


──一体何があったんだろう?


 明るく前向きな彼にしては珍しく深刻そうな空気だ。理乃は思わずフォークを置いて康太へきちんと向き直った。


「一体何があったのか私に話していただけませんか? 頼りにならないかもしれませんが、私も一応彼女です。少しでも力になれるよう、私も私なりに考えますが」


 理乃の真剣なまなざしに、康太がちらりと理乃を見やる。熱心に彼を見つめる自分にその口元を引きしめた。思い切ったように唇を開く。


「あのな。……子供、作らないか?」


 告げられた言葉の内容に、理乃は両目を丸くした。

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