3.婚約 ※
康太の口から次々と飛び出す、戦慄さえも覚える言葉。
理乃はフリーズした頭を振ると、結構きわどい姿のままで王女としての外交を試みた。
「で、でんか……お戯れを! 伝統あるソリダゴの王太子ともある方が、なぜこのようなご無体を……! どうか次期国王として、そのお立場にふさわしい振る舞いを」
「あー、やっぱめんどくさい。多分こうなるだろうと思ったから、とっととやっちまいたかったのに。──もうソリダゴはゴールデンスティックの王女と俺の婚約について、水面下でそっちと交渉してる。教育係だって知ってたろ? でなきゃ、未婚の姫君を男の部屋になんか行かせねえよ。つまり、実質的にはとっくにそっちの許可は下りてんだ」
そこまで告げて、再度右頬に康太の唇が落ちて来た。びくっと背中を震わせながら、理乃は部屋の天井を見上げた。もう開いた口がふさがらない。
康太がふっと笑みをこぼして拘束された腕に触れた。
「それじゃ、次の段階に移ろうか。……抵抗しないならこれ、外してやる。自分で脱いでベッドに行くなら、なめこ柄のパンツも見ないでいてやる」
「え……て、抵抗したら……?」
理乃が恐る恐る尋ねると、康太は触れていた理乃の右腕をぐっと力を入れて握った。「にっこり」と完璧な、だがどこか凄みのある笑顔を見せる。
「このままスカートまくり上げて、じっくりパンツを観察してやる」
「ぬぬぬ、ぬぎます! 全部脱ぎます‼」
理乃が冷汗をにじませながらきっぱりはっきり答えると、康太が深く息をついた。
「よし、わかった。ほどいてやる。──あーここまでが長かった……! まさか今正体をバラされて、こんな寸止めをくらうとはな」
しみじみとした口ぶりで心の声をダダ漏れにしながら、康太は拘束を解いてくれた。理乃は安堵のため息を吐いて、乱れたスカートをとりあえず直した。そのままゆっくり上体を起こす。
「あのー、一つ聞いていいですか」
「なんだよ?」
すでに自身のパーカーを脱ぎかけている康太が答える。きっちり縛られたはずなのに、さして跡も残っていない手首をなでながら理乃は尋ねた。
「妙に縛り方がお上手ですが、王太子殿下にはそういう趣味が?」
一瞬絶句した後で、康太の顔が赤く染まった。
「違う‼ 賊の対応やら何やらで、護身のために覚えただけだ! 今だってお前があおるからで──特にそういう趣味はない‼」
くるりと背を向け、ベッドを指さす。
「見ないでやるからとっとと脱いで、早くベッドの上に行け! ぐずぐずしてると今度は足もおっぴろげて縛りつけてやる」
怒ったような口調で言われ、理乃はあわてて服に手をかけた。康太は深くため息を落とし、小さく苦笑して続けた。
「ちょうどいいから、誤解がないように先にお前に言っておく。……初めからお前が王女と知ってて、お前に近づいたんじゃない。部員の勧誘をしてた時、可愛いなと思って声かけたんだ。世間知らずだとは思ってたけど、まさかお前が同じ世界の人間だったとは思わなかった。先に気がついたのは従者の方で──」
そこまで言って、がりがりと頭をかく。
「ああくそ、つまり、好きになったのはお前が王女だって知る前だ。何だかんだ言いはしたけど、俺は損得とか関係なく、そのままのお前が欲しかったんだ。なのにこの期におよんでお前は国の話を持ち出すし、あっちの世界で他に男がいたようなことまで言い出しやがるから」
恥ずかしそうにそっぽを向く。
理乃は口を半開きにして、康太の言葉を聞いていた。目元から耳まで赤く染まった彼の横顔を凝視する。そして、改めて彼から受けた不器用な告白を思い出す。
理乃はおずおずと彼に近づき、広い背中に手を触れた。康太が肩越しに振り向いて、間近に寄った理乃を見る。
理乃は彼の目を見つめたままで花が開くように微笑んだ。
「先輩。私、幸せです。──まさか自分が好きな殿方に輿入れできるとは思いませんでした」
そして、そのまま彼の頬へとそっと唇を押しつけた。
瞳を閉じると康太の息が軽く唇に触れて来た。柔らかいものが重なって、さらに深くまで口づけられる。
康太が強いまなざしで理乃を見つめてささやいた。
「──まだ怖いか?」
理乃は再び微笑むと、自分から彼の首に腕を絡めた。
*
「え? だから、剣道部の三年次はほとんどソリダゴの従者だぞ。俺だけこっちに来るわけないだろ」
ラグに並んで腰かけている康太がしれっとした顔で答えた。伸びたその手は遠慮なく理乃の腰へと回されている。
やや強引な形ながらも二人で過ごした夜の後、改めて彼から王子としてのくわしい情報を知らされて、理乃はあんぐり口を開いた。
「だっ……だって──和斗先輩、普通に先輩の頭叩いてましたよ? 結構激しくヘッドロックとか……」
彼の親友だと思っていた、康太と同じ三年次生の剣道部員の名を上げる。もしその話が本当だったら不敬どころか斬首の刑だ。
「あー、あれは俺の乳兄弟で、大伯母が降嫁した家の末っ子だからな。へリコニア家って言えばわかるか? 親父さんが見たら折檻ものだな」
くくっと笑いをこらえる康太に理乃は言葉が出なかった。彼はソリダゴでも康太の親友で、護衛兼お目付け役らしい。どうやら自分と康太の仲をやきもきしながら見ていたようだ。先輩マネージャーである菜月も同様の立場だと聞いて、頼れる彼女を素で慕っていた理乃は顎が外れそうになった。
「大体お前の方だって人のことなんか言えないだろ。お前は知らなかったみたいだけどな、お前のアパートに住んでるやつらはみんなゴールデンスティックのやつだぞ。だから、俺はチャンスがあってもそっちに押しかけなかったんだ。部屋でお前を押し倒してみろ、それこそ現場を押さえられた後問答無用で首はねられて、一気に戦争状態だ」
とどめをさされて絶句しながら、理乃は大きく眉を寄せた。
──王女が他国の領土へ行って、そのまま監禁された挙句に押し倒されても戦争になるんじゃ?
思考を巡らせ、こめかみを押さえる。今この状態で自分のアパートがどうなってるのか考えたくない。
『だから言ったじゃないですか。未婚の王女が従者もなしにそっちの世界へ行くなんて。あれだけ私が反対したのに、あんた達王家が適当だから……!』
「えー、そっちだって知らないうちにアパートを占拠してたって」
『当たり前でしょう、それくらい! やっぱり私もそっちの世界に一緒についていくべきでした。私の面目、丸つぶれですよ。人の華麗な経歴にでっかい傷をこさえてくれて』
──こっちで知った「朝チュン」ってのんきな言葉だと思ってたけど、略されていた内容はこんなにハードだったのか。
延々と続くクロトンからの超遠距離説教を聞きながら、理乃はぼんやり考えた。腰にはいまだに康太の腕がゆるく絡まったままなので、説教を受ける立場としては噴飯ものの状態だ。それでもどうにか通話を切り上げ、「一緒にメシくらい食ってけばいいのに」と引き留める彼を振り切って、理乃は康太に付き添われながらも自分の家に帰ることができた。
明るい朝の光の中で従者に捕まると思っていたが、誰もいなくてほっとする。自身のアパートの中も別段変わったような様子はなくて、康太も首をはねられることなく無事に自宅へ帰って行った。
その後、スマホでため息交じりのクロトンからも教えられ、実は裏から結婚を打診されていたことを知る。そして改めて交際を王子に直接迫られて、今さらだとは思ったものの理乃は一応うなずいた。というか、次に学内で彼と会った時にはもう、なし崩し的に周辺からも婚約者扱いを受けていた。
確かに彼が明かしたように、康太が親しい人物はほとんどがソリダゴの従者であって、知らなかったのは自分だけだ。自分のあまりの間抜けさに、理乃は改めて自分自身のポンコツ具合を悟り、呪った。
「まあ、そういうことだから。俺もしばらくこっちにいるし、卒業までは今の生活をお前と満喫できるわけだ。お前がもどるまでの間は、あっちで準備して待ってるから」
道着を着ているいつもの彼にぽんぽん頭を叩かれて、理乃は複雑な気分になった。
──これじゃ何だか「地元に戻って就職するから、卒業したら嫁に来い」と、この世界の人に言われてるような……。
どうにも彼が王子だと確信できる言動が見えない。
正式に交際が始まって、関係が周知された途端に康太は部内でもべたべたし始めた。何かと一緒にいたがるし、二人っきりの状況になれば盛りがついたように押し倒して来る。
それはこちらの世界で過ごす大学生男子そのもので、彼氏彼女の関係を満喫している今の様子は、どう見ても恋愛初心者だ。世間知らずだった理乃だって康太のことは言えないが、誰がどう見ても康太の方が今の関係に浮かれている。
渡された彼のタオルを抱えてマネージャーの仕事をしていると、様子を見ていたらしい菜月がおごそかな調子でささやいた。
「姫。大変失礼ですが、やはりあなたの行動は少々軽率に思われます。今後は今少しご自身の重い立場を鑑みて、我々の指示に従ってください。でないと、こっちで何が起こるか我々にも見当がつきませんし──私が言うのもなんですが、最悪殿下に孕まされますよ」
親身になって伝えてくれた彼女の心からの忠告に、理乃は深々とうなずいた。