6.回顧
──あの人、ほんっとに横暴なんだから!
心の奥で毒づきながら理乃は人波の中を歩いた。腹立ちまぎれにずんずんと混雑の間を進んで行く。理乃に引きずられる形になったネリネがあわてたように尋ねた。
「あ、あの、殿下はいいんですか?」
「いいのよ! あんな自分勝手で俺様気質でドSな人。あの人いっつもそうなんだから、自分のことは棚に上げて。あっちこそ反省すればいいのに‼」
理乃の返事にも振り返り、周囲の人壁を仰ぎ見る。
「ど、どえす……? だけど、従者達からも離れてしまって……コルダータも『一緒に』って言ってたし、本当に大丈夫なのかしら」
不安げな声でネリネは続けた。康太の背後にひそかに控えたSPのことまで気にしている。
昨日従者と離れたことを彼女なりに反省しているらしい。そういった細かい配慮には気づいていない彼の様子に、理乃は唇を噛みしめた。
昨日は「結構真面目に見てる」と彼のことを見直してしまったが、やはりそうではないようだ。昨夜ほめてしまった言葉は全て前言撤回だ。今頃周囲の観客はおろか、三人を見ていたSP達にも「あーあ」といった目であきれられているに違いない。
──自分勝手でオラオラ系で……王子様ってああいうの!?
しかし、理乃の兄である自国の王太子の場合、何かを臣下に命じる際も「命令」よりは「お願い」といった印象の穏やかなものだった。周囲の環境もあるのだろうが、とかくボンヤリしたお坊っちゃまの兄と世俗慣れした婚約者では、比べる対象が違いすぎる。
どうにも落ち着かない思いを胸に、理乃は腕の中のクマをかかえた。しょんぼりしながらついて来る横のネリネがいじらしかった。大体、すぐまたどうせスマホで呼び出されるに決まっているのだ。
ふっとそこまで考えて、理乃はその場に立ち止まった。何だか嫌な予感を覚え、しまい込んでいた自身のスマホをバッグの中から引っ張り出す。そう言えば昨日あの人の家で充電するのを忘れていた──と思ったら、案の定スマホの充電が切れ、画面が真っ暗になっていた。
その事実を理解した途端、理乃は急に心細くなった。何だかえらく単純なようだが、やはり連絡しないのと連絡できないのでは違う。二人に人手をさかずに済むと和斗が言っていたくらいだから、今の自分達二人には見張りはついていないだろう。
「どうかした?」
不意に立ち止まってしまった理乃に、ネリネが見上げて問いかけて来た。
「いいえ。……少し休みましょう」
とりあえず理乃は落ち着くために目についたベンチへ腰を下ろした。抱いていたクマも一緒に座らせ、ネリネと黙って前を見る。午後の穏やかな光の中で、人気のアトラクションに並んだ家族連れが笑い声を上げている。二人は黙って腰かけたまま、通りかかる人達の楽しげな様子をぼんやりと眺めていた。
どこか既視感を覚える景色になぜか理乃の胸の奥がうずいた。自分を顧みることのない、誰も自分を知らない光景。
──そうだ。あれは初めて一人で大学に行った時のことだ。
ふと理乃は思い出した。
それは、四月に新入生として大学を訪れた時のことだ。広い敷地のキャンパス内で右往左往しているうちに、説明会が行われる予定の講堂がどこだかわからなくなった。資料を見ながら心細い思いで周囲の様子を眺めていると、背後から男の声がした。
『──どうしたんだ?』
振り返ってみるとそこには、新入生の勧誘をしていた道着姿の先輩がいた。
それは先ほどロータリーで配布していたチラシをぶちまけてしまい、理乃が拾うのを手伝ってやった剣道部の人だった。ちょうど使い始めたネットで時代劇にハマっていた時期だったので、理乃は目の前に現れたサムライにすがる思いで道を尋ねた。
『あのう、この「説明会会場」って大学の中にあるんですよね?』
今考えればズレた質問に、彼は吹き出しそうになりながら会場へ案内してくれた。頭を下げると彼は笑って、持っていたチラシを差し出した。
『もしよかったら、遊びに来てくれ。部員もマネージャーも足りなくて』
優しく言った彼の言葉が一人ぼっちの身にありがたく、説明会が終わった足で道場へお礼を言いに行った。その後はなし崩し的に彼から熱心な勧誘を受け、そのままマネージャーとして入部したのだ。
──あの時の部長はいい人だった。
理乃はわき上がる不愉快に、胸の底でそれを押しつぶした。たった半年ほど前のことなのに今の彼とは大違いだ。
ため息をつきつつ顔を上げる。ちょうど前を通り過ぎて行く楽しげな家族連れが目についた。両親と両方の手をつなぎ、うれしそうに二人を見上げる同じ年くらいの男の子に、ネリネがぽつりとつぶやいた。
「……わたしが男の子だったらよかったのに」
理乃は思わずまなじりを見開き、横のネリネを凝視した。
頭を落としてうつむくと、ネリネは小さく言葉を続けた。
「みんな、周りはそう思ってる。わたしが男の子だったらよかったのにって。お父様も口には出さないけれど、多分同じように思ってる。やっぱり跡継ぎがいればよかったって」
「ネリネちゃん……」
理乃は呼びかけ、だが口ごもった。彼女のわがままの正体が、幼いながらも感じる孤独ややるせなさから来るものだと悟る。ネリネは年に見合わない大人びたしぐさで肩をすくめた。
「もしわたしが男の子だったら、みんなわたしのことを好きになってくれるかしら。わたしが命令しなくても、わたしのそばにいてくれるかしら」
「あなたが男の子じゃなくたって、私はあなたのことが好きです! きっとあなたの周りの人もそう思っているはずです」
理乃が力強く言い切ると、ネリネはびっくりしたように理乃の表情を見上げた。理乃はぐっと唇を結んで座っていたベンチから立ち上がった。幼い彼女にそんな風に考えさせた彼が許せなかった。
いらだちを腹の底に押し隠し、空いているアトラクションを探して一度二人だけで乗る。だが、やはり会話は弾まなかった。
周囲が次第に暗くなり、アトラクションに灯る照明や光るおもちゃのライトが目立つ。パレードが始まる時間も近い。しかし今それを二人で眺める気分には到底なれそうもなかった。
理乃はあえて明るい口調で、うつむくネリネに呼びかけた。
「もう家へ帰りましょうか。このまま康太さんの家に行けば、そのうち帰って来るでしょうから」
──そうしたら、もう一回あの人に文句を言ってやるんだから!
ケンカを吹っ掛ける気満々でネリネにそこまで告げた後、辺りをきょろきょろ見回す彼女の不審な様子にやっと気づく。
「あの、わたしのクマは……」
「えっ?」
困惑しているネリネに問われ、互いに顔を見合わせる。どうやら先ほどのアトラクションにぬいぐるみを置いて来てしまったらしい。混雑している人の流れに互いの荷物が見えなくて、相手がお互いに持ったものだと勘違いをしてしまったのだ。
急いでアトラクションへもどったが、すでにその場所には何もなかった。係の人に親切に遺失物の受付場所を教えられ、園内用のマップを片手にあわててその場所へと急ぐ。
口ごもりながら理乃は告げた。
「ごめんなさい。もしなかったら、私があなたに同じものを──」
「だめなの、あれじゃなきゃ絶対に!」
切羽詰まったネリネの声に理乃はびっくりして彼女を見た。ネリネは瞳に涙を浮かべ、しゃくり上げながら言葉を続けた。
「あ、あれはお母さまが、私に残してくださったもので……わ、わたしが足を引っ張って取れちゃって。でもカラテアが元の通りに、ちゃんときれいに直してくれたの。だから、絶対にあれじゃなきゃだめなの!」
大きな目から涙をこぼし、母親と乳母の思い出が詰まった大切な品であることを告白する。言葉を返せず、理乃は立ちすくんだ。
人の波が道の端に寄った。騒がしくパレードの音が近づく。楽しそうな音楽に切ない思いがなおさら高まり、理乃は何だか自分も泣き出したくなった。
その時。
「──どうしたんだ」
ぶっきらぼうな男の声に、理乃は思わず振り向いた。集まった人混みの間から、見慣れた姿の自分の彼氏がクマを抱えて手招いている。
「そんなとこに立ってたら邪魔だろうが。早くこっちの道に来い」
いつもと同じ雑な口調で、パレードとは反対側の道に理乃とネリネを引き寄せる。持っていたクマのぬいぐるみをぽいとネリネに渡して言った。
「ほらこれ。さっき座ったベンチに置きっ放しになってたぞ」
理乃は涙に濡れたネリネと互いの顔を見合わせた。どうやらアトラクションに乗る前に、すでに忘れていたらしい。
「自分が持ってるものくらい、ちゃんと自分で管理しろ。気に入ったものは手から離すな」
柔らかな響きでそう告げられて、ネリネは再び泣き出しながらぎゅっとぬいぐるみを抱きしめた。理乃は康太を見上げると、自分の居場所がわからないはずの彼氏に思わず問いかけた。
「え……だって、充電切れてて、なのに、なんで康太さん──」
「あのなあ。お前を見張ってるツールがスマホだけだと思ってたのか。……ってか、充電切れてたのかよ? 電源切ったんだと思ってた」
あきれたような声音で言われ、全身の血が少し冷える。
──他には一体何で見張られてるんだろう?
「ほら、もう帰るぞ。出口まで迎えが来てる」
康太はそれだけ言い置いて、器用に混雑を避けながら人波の中を先に歩いた。理乃はネリネと手をつなぎ、康太の広い背中を追った。
気遣っていないようにも見えるが、時おり二人を振り返りながら進む速度を合わせてくれる。導く背中が頼もしく、それはあの時助けてくれた剣道部部長と同じものだった。
人の流れの波に乗り、そのまま中央の出口へと進もうとした理乃を康太が止めた。
「何してんだ。こっちだ」




