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5.口論

 彼女の「お願い」に屈した康太が渋々手配した先は、理乃が今いる世界では最大規模のテーマパークだった。

 もちろん混雑していたものの、それは予想の範囲内だ。準備してもらったチケットでスムーズに中に入れたし、和斗がツアーや食事の予約も色々と気遣ってくれ、子連れの初心者である理乃にも十分楽しむことができた。

 が、必然的にネリネのクマ持ち要員となってしまった彼氏は、あからさまに機嫌を損ねていた。芝居っ気たっぷりのガイドのもてなしにご満悦だった令嬢と比べ、つき合わされた王太子殿下は死んだ魚のような目だった。キャラクターと触れ合いながらのレストランでの昼食の後、今度は人気のアトラクションで場所取り要員として駆り出される。家族サービスで疲労困憊のお父さんのような様相に、さすがの理乃も後で機嫌を取らなくてはと考えた。


──続けてすき焼きって訳にもいかないし、今夜は焼肉でも食べに行こう。ビールが飲めれば陽気になるし。


 康太が場所を確保していた明るいテラスのオープンカフェで、ファストフードのポテトをかじりつつそんな思いを巡らせる。キャラクターの形を模したブレッドサンドを頬張りながら、ネリネがご機嫌の笑みを浮かべた。大学芋とすき焼きで庶民の食事に慣れたらしい。


「うちの猟場にも、ここと全く同じものがあれば素敵なのに! お父様にお願いしてみようかしら」

「お前一人のためにか。無茶言うな」


 けっと吐き捨てるような声音で康太が脇から口を出す。


「いいえ、わたしと、……リューココリーネ姫のために」


 ネリネは少し照れた様子で、横にいる理乃をもじもじと見上げた。


「今日はとっても楽しかった。またわたしと遊んでくださる?」


 幼いながらも素直な好意を現在の推しメンに示されて、理乃は思わず舞い上がった。感動してネリネの小さな手を取る。


「ええ、それはもうもちろんです! 輿入れした後ソリダゴでまたあなたとお会いできることを、心から楽しみにしています!」


 感極まって答えると、ネリネが可愛く小首をかしげた。


「ああ……そうね。あなたは殿下と結婚しないとソリダゴに来られないのよね。だけど、わたしもこの方と結婚しなくちゃいけないし……嫌でも家を盛り立てるためには」

「随分な言われようだな、おい」


 蚊帳の外の殿下がぼやく。ブレッドサンドを食べ終わった後、ネリネは生真面目な顔でジュースのストローを口にくわえた。急に静かになった令嬢に、理乃は康太と目を見合わせた。この沈黙が妙に怖い。


「そうよ、いいことを思いついたわ!」


 ジュースのストローを離したネリネがぱっと表情を輝かせた。


「わたしが殿下と結婚して、あなたはわたしのお父様と結婚すればいいじゃない! あなたがお母さまになってくれれば、いつでもあなたに会えるもの!」

「……えっ?」


 理乃はぱちくりとまばたきした。ネリネはぱちんとその手を叩き、自身が思いついた妙案に満面の笑みを浮かべて続けた。


「そうよ、これで完璧だわ。これであなたはわたしと会えるし、わたしも家を盛り立てられる。一族の未来は安泰よ! ね、とってもいい考えでしょ? お父様結構イケメンよ。ちょっとお年は召してらっしゃるけど」


──まあ、それはあなたを見れば何となく想像つきますけど。


 ぼけっと思った理乃の隣で、康太が露骨に頬を引きつらせた。


「おい……ふざけんな、黙って聞いてりゃ勝手なことを──」


 本気で激高しているらしい大人げのない婚約者の姿に、理乃はまあまあとその肩を押さえた。


「康太さん、子供の言うことだから──」

「子供、子供って、お前も昨日っからそればっかり言って甘やかしやがって! いくら何でも甘すぎるだろ!」

「あーはいはい。ほら、周りの人がびっくりするから、静かに。ね? 康太さん」


 声を落として小さく続ける。


「ネリネちゃんを無事見送った後、焼肉を食べに行きましょう! もちろん二人っきりで! その後は」


──その後のことはまた考えよう。


 ネリネの方へ向き直り、引きつり笑いを浮かべてごまかす。


「え……えーっと、その、大変光栄ですが、お父様の方の御都合もあるでしょうし……」


 つっかえながら伝えた言葉に、ネリネがにっこりと微笑む。


「大丈夫よ! お父様、ああ見えてとっても寂しがり屋なの。わたしが嫁いでしまったら、きっとものすごく寂しがるわ。その時、あなたがいてくださればうちの屋敷はにぎやかになるし、弟ができればもっといいもの。ねえ、真面目に考えてくださらない?」

「──お前、反省してないな。この分だとまた同じようなことやらかす気だろ」


 様子をうかがっていた康太が、不意に硬い声を出した。ネリネはつんと鼻を上に向けた。


「当然です。わたしはこれからも自分の好きなようにします。わたしの言うことを全て聞くのが使用人の仕事でしょう?」


 聞く耳を持たない少女の姿に康太が長い息を吐いた。丸めた上体を起こした後、座っていた椅子に深く腰かける。妙に威厳を感じる姿勢で、康太は冴えたまなざしを向けた。


「──わかった。じゃあ、お前の乳母はクビだ」


 感情が見えないその声色に、ネリネが一瞬身を引いた。


「えっ、何を」

「ゴットに命じてお前の乳母は今すぐ職を離れさせる。周りの従者も同罪だ。お前んちにいる使用人は、みんなまとめて総とっかえだ」


 冗談にはとても聞こえない、真面目な面持ちでスマホを取り出す。その鷹揚なしぐさを認め、ネリネの表情がこわばった。


「なんで、どうしてそうなるんです!?」

「どうして? そんなの当然だろ? ……使えている主人の面倒も見られない、無能な従者じゃ意味がない。務めを果たせないならクビだ。今回の話はお前んちだけじゃなく、全く関係のない俺や、他国の姫君にまで迷惑をかけてる。そんな騒ぎは論外だ。──ゴットにもそう伝えておく」


 康太はきっぱり言い切ると、持っていたスマホを操作した。耳に押しつけ、会話を始める。


「……ああ。それでそっちはどうだ? ……だったら予定通りに頼む。お前がゴットに伝えてくれ」


 どうやらあらかじめ和斗達と話を進めていたらしい。反論を許さない苛烈な命に、ネリネの顔が青ざめた。思わず理乃も口を挟む。


「そんな、康太さん!」

「理乃、お前には関係ない。これはこっちの問題だ」


 脇から出された寵姫の声にも取りつくしまなく切り捨てる。真正面からネリネを見すえ、康太は冷ややかな目で告げた。


「わかったか。上に立つ人間が間違うと、周りが被害を受けるんだ。従者がクビになったのは全部お前の責任だ。これはまだ子供だからって大目に見ていい話じゃない」


 ふと皮肉気な笑いを見せる。


「けど、案外クビで喜んでるかもしれないな、お前の周りの人間は。わがまま娘から解放されて、これでお前のご機嫌取りをしないでいられるわけだからな。やつらの次の職については俺が責任を持ってやる。だから安心して反省しろ」


 康太が放った言葉の内容にネリネが大きく瞳を見開く。脇で理乃は肩を震わせた。


「──そこまで言うことないじゃないですか。康太さん、大人げなさすぎます!」


 理乃が放った抗議の声に、康太は面倒そうに答えた。


「だから何度も言わせるな。理乃、お前には関係ない。……もう迎えが来てるらしい、これで子守はおしまいだ」

「こういう時だけのけ者にして。康太さんの自分勝手‼」


 理乃がそう言うと、康太は眉間にしわを寄せた。理乃は構わず声を荒げた。


「あなたがしてることは横暴です! ──この子のことみたいにそうやって、私も言うこと聞かせる気ですか。そっちだって自分勝手じゃない‼」

「……何だと?」


 剣呑な彼女の口ぶりに康太がそのたれ目を細める。目の前で口論を始められ、ネリネがおろおろと二人を見た。

 理乃は声を低めて続けた。


「この際ですから言わせてもらいます。康太さんだってわがままじゃないですか! 私の予定も聞かないで、いつも束縛するみたいに呼びつけて……これじゃ、まるでモラハラです! 心配してくれるのはわかりますけど、束縛されるのは望んでません!」


 康太の口元が不自然にゆがんだ。周囲の視線が露骨に集まる。だが、理乃は勢いあまってため込んでいた不満を叩きつけた。


「私にだって付き合いがあります、はっきり言って窮屈なんです! 部屋の掃除も食事の支度も……少しは自立してください‼」


「おー」と称賛の声が響き、ぱちぱちと拍手の音がした。何だか周りのテーブル席から応援されているようだ。拳に力を入れて続ける。


「お腹すいた、とかわけわかんない理由でごねて迎えに来ないでください! 何の約束もしてない日とか、こっちはすでにすっぴんです‼」

「お前……!」


 康太の顔が赤くなった。「あー、それは言い訳なんだって」と外野から聞こえた気もしたが、一歩も引かない思いを胸に真正面から彼を見る。

 周囲の注視を感じる中で、ふいと康太が視線を外した。


「──わかった。だったらもういい、お前の好きなようにしろ」

「はい、好きなようにします! ネリネちゃん、一緒に行きましょう!」


 理乃はきっぱり言い切ると、その場から勢いよく立ち上がった。呆気に取られた表情のネリネの小さな手を握る。椅子に乗っていたクマを反対側の手で抱え込んだ。

 地蔵のように動かない康太に唇を結んだ後、理乃はネリネを引きずりながら速足でその場所を離れた。

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