4.すき焼き
明るい口調に見合わない重い話の内容に、理乃は視線を向け直した。そんな理乃の様子を悟って、ネリネはあわてたように続けた。
「あ、でもわたしにはカラテアがいるし、お父様もとっても優しいの。みんなわたしの言うことだったらなんでも聞いてくれるのよ! ……リーキはちょっと違ったけど」
「そうですか。いいお友達がいるんですね」
理乃が穏やかに微笑むと、ネリネも満足げにうなずいた。
その後もなごやかに会話を続け、すき焼き鍋が出来上がる。食事ができる準備を整え、理乃が湯気の立つすき焼きをテーブル上に出してやると、康太は無言で箸を伸ばした。てんこ盛りの肉をご飯に乗せて、溶き卵ごとかき込んでいる。
火加減を見る理乃の隣へちょこんと座った令嬢が、その無作法に眉をひそめた。
「……野蛮ですわね」
「うるせえ」
康太は一言のもとに返すと、一気に中身が消えた茶碗を前にいた理乃へ突き出した。慣れたしぐさで受け取る理乃に、さらにネリネがあきれ顔をする。
「あなた本当に王女様? していることがメイド以下よ。殿下も殿下よ、そのふるまいじゃ一国の王太子に程遠くてよ。これじゃ、まるで下町に住む靴屋とおかみさんみたい」
「……その下町の靴屋の稼ぎで俺達みんな暮らしてんだぞ。まわりに迷惑かけてないで、そろそろ立場をわきまえろ」
ぶっきらぼうに告げた康太にネリネが唇をとがらせた。
「だってまだわたしは──」
「ガキなのは重々承知の上だ。でも、いつ何があるかわからないだろ? ……お前は頭は悪くない。心構えがあるだけで違う、言ってることはわかるはずだ」
そっけないながらも真摯な響きにネリネの減らず口が止まる。その場の雰囲気をやわらげるべく、理乃は明るい声を出した。
「えーと、今度も山盛りですか?」
「ああ。それと、もうちょっと醤油を足していいか? なんか今一つ味が薄い」
いつもの口調にもどった康太に、理乃は笑ってうなずいた。
当初、ネリネは目の前のすき焼きにひどくしり込みをしていた。鍋から直接食べ物を分け合う食事スタイルが怖かったらしい。しかし細かな理乃の給仕と康太の旺盛な食欲につられ、甘辛い肉を口へと運ぶ回数が多くなって行く。よく味のしみたこんにゃくも令嬢のお気に召したらしい。
「熱い食べ物をそのままいただくのも、悪いものではありませんね」
最後は理乃を笑顔で見上げ、なごやかな食事を満喫していた。
理乃が食事の片づけを終え、くつろぐ二人の元へもどると、ラグに座ってテレビを見ていた康太が理乃に目くばせした。ベッドの上でクマにもたれたネリネの様子をうかがうと、まぶたが半分閉じている。リボンのカチューシャをゆらゆらさせて舟をこいでいる令嬢に、理乃は微笑んで声をかけた。
「眠くなりましたか? そこで休んでいいですよ」
「べ、別に! 眠くなんか……!」
はっとしたように背筋を伸ばし、ネリネが姿勢を保とうとする。だがすぐ斜めになる体へ、理乃は優しく言葉を続けた。
「わかりました。でも、いつ和斗さんが来るかわからないし、とりあえず横になったらどうです? 何かあったら起こしますから」
理乃の穏やかな声かけについにネリネもうなずいた。どこか安心した様子を見せて、ベッドの中にもぐり込む。すぐさま寝息を立て始め、天使のような寝顔を見せた令嬢に理乃は微笑んだ。
「結局ここに泊まらせるのか」
黙って様子を見ていた康太があきらめ顔でそうぼやく。理乃は小さな頭をなでると、前髪を直してやりながら答えた。
「だって今から無理やり起こして連れて行くなんてかわいそうです。一緒に寝るくらいいいじゃないですか。それともやっぱりそういう趣味が……」
「俺の性癖はノーマルだ!」
彼女が向けた疑いの目に康太が声を上ずらせる。しーっと理乃にとがめられ、情けなさそうに肩をすくめた。
「あ、そうだ。──康太さん、『リーキ』って名前の男の子、知ってます? 貴族の子だと思うんですけど」
ふと思いつき、口を開く。康太はわずかに眉を寄せた。
「多分、シキミア家の子供だな」
思案顔をして続ける。
「ゴットんとこの隣の領地だ。次男だったか三男だったか、跡継ぎは見たことあるけどな。さすがにその下の顔までは……それがなんだ?」
不審そうな目で見られ、理乃はあわてて手を振った。
「いえ、いいんです。ちょっと気になって」
康太は改めてネリネを眺めた。腕組みをして口を開く。
「こいつの母親はゴットの後妻だ。まだ若いうちにこいつを生んで、割合すぐに死んだんだ。母親が違う姉の二人はもう嫁いでていないしな、父親のゴットも忙しいから、不憫がって甘やかして……あっちじゃ評判のわがまま娘だけど、お前は全然気にしないな」
苦笑交じりに告げられて、理乃は唇をほころばせた。
「とってもかわいい、いい子じゃないですか。いいなあ、ずっと一緒にいたい。──ソリダゴに行けばまた会えますか?」
「まあ、そりゃ会えるだろ。輿入れした後、お前が言えば。むしろ貴族の娘と社交って、お前の仕事の一環だろ」
康太の答えにうれしくなって、眠ったネリネに身を寄せる。そんな理乃の様子を見ていた康太のまなざしが優しさを帯びた。声をやわらげて理乃に言う。
「お前がそんなに子供が好きだと思わなかった」
「そうですか? ……実は私も康太さんのこと、ちょっとだけ見直しました」
理乃がくすりと笑いをこぼすと、康太は大きく眉尻を上げた。
「さっきこの子にちゃんと話をしてたから。『面倒くさい』って色々言ってたけど、結構真面目に見てるんですね」
そう理乃が続けると、にやっと口元に笑みを乗せる。
「惚れ直したか?」
「ええ、まあ」
理乃の素直な返答に、康太はまなじりを細くした。
「そうか。だったらよかった。──お前がそれだけ子供好きなら、安心して子作りができそうだな。とりあえず、五人は欲しい」
「何言ってんですか、康太さ……あ」
いつの間にやら近づいていた彼氏の顔がそばに寄る。穏やかな表情が間近に見えて、理乃は大人しく目を閉じた。いつものように唇がそっと唇に触れて来る。
だが、すぐその柔らかい感触が離れた。ため息のような呼吸が漏れ、理乃の口元をくすぐった。
「……くそ。今日はここまでか。さすがに子供の目の前じゃな」
情けなさそうにつぶやく彼氏に、理乃は小さく苦笑いした。
*
結局、理乃はネリネと一緒にダブルベッドで横になり、家主はフローリングの床で毛布をかぶって一晩過ごした。
「こんなところで野営の訓練か」とぶつくさボヤいていたものの、高貴な生まれらしからぬ頑丈そうなその体は、くしゃみの一つもしなかった。すでに食欲全開で、三人で囲んだ朝食の席でもトーストを三枚平らげている。
「なんてこと! こんな東屋で、一晩過ごしてしまったなんて! お父様が知ったら大変です‼」
むしろベッドでぐっすり眠った令嬢の方がうなだれていて、一番割りを食った王子はふてくされた様子で告げた。
「……こんな東屋で悪かったな。俺は帰ると落ち着かなくて、それこそ東屋で寝たくなるぞ」
「その上、男の人と一緒の部屋で休んでしまうなんて──どうしましょう、こんなことが世間に知られたら、わたし──」
「はあ? そんなこと言ったらこいつなんか」
あっけらかんと康太に示され、理乃はあわててその手を押さえた。
「だっ、大丈夫です! あなたはこちらの殿下のお屋敷に私と一緒に招待されて、別室で休んだことにすればいいんです。和斗さんと口裏を合わせて……お父様にはそう伝えましょう!」
「お前、何だかどんどん腹黒くなってるぞ」
脇で四枚目のトーストを取りつつ、康太がぼそぼそとつぶやく。騒々しい朝食を終えた頃、昨夜帰った和斗がネリネの着替えを持って現れた。深々と頭を下げて告げる。
「どうもご迷惑をおかけしました。何とか片がつきまして、あっちから迎えが来られそうです」
「で、結局今日の予定は?」
定位置のラグにあぐらをかいた康太が和斗に問いかける。和斗は改めて腰を下ろすと、康太へ膝を向けて答えた。
「迎えが来るのは夕方なので、今日は一日子守です」
あっさり臣下に返されてしまい、康太が渋い顔をする。しかしそれとは正反対に、ネリネの着替えを手伝い終わった理乃が瞳を輝かせた。
「でしたら、せっかくだから一緒にネリネちゃんと出かけましょう! ネリネちゃん、どこ行きたいですか?」
脇の彼氏には目もくれず、前の少女へ問いかける。いきなり理乃に話を振られ、ネリネは面食らったような顔をしていた。だが恥ずかしそうにうつむくと、かすかに小さな唇を動かす。
「ええと……ディズニーランド」
それを聞いた理乃は勢いよく康太の前に膝を着き、両手を組んで懇願した。
「康太さん、何とかしてください! 康太さんだったらできるでしょ? 今こそ職権乱用です‼ できないんだったら私がやります、すぐクロトンに電話して──」
「お前……性格変わってるぞ」
初めて聞いた寵姫のおねだりに康太があきれ顔をする。
「俺が『行くか?』って聞いた時には、興味なさそうな顔してたくせに。人混みがどうとか疲れるとかって、散々文句言ってたのに」
「この子がいるなら話は別です! この子が喜ぶのならいいんです‼」
いきり立つ理乃の反論に、康太がやれやれと首を振る。苦笑しながら様子を見ていた和斗がスマホを取り出した。
「別に問題ないですよ。どうせ殿下には見張りがついて行きますから。三人で一緒にいてくれるなら、余計な人手をさかずに済みます。すぐに車を手配しますから、後はそちらで楽しんでください」
手を取り合って喜ぶ二人についに観念したらしい。康太は準備をするために、ゆっくりその場から立ち上がった。




