3.事情
「なに勝手に盛り上がってんだ。大体、『泥棒猫』って今時ドラマでも使わないような言葉をどこで……あーもう、後はあいつらに任せて俺達は帰ってメシ食うぞ。腹減ってるから余計イラつく」
こちらを見ている従者の方へ康太は投げやりに視線を送り、放置されていたスーパーのビニール袋を取り上げた。
「えーそんなあ。こんな所に、あんな人達と残して行っちゃうんですか? この子がかわいそうじゃないですか!」
「あんな人達って……失礼な奴だな。仕方ないだろ、乳母も来られないし。他に面倒見るやつは──」
そこまで告げた康太のダウンを、ネリネが遠慮がちに引っ張った。
「……あ、あの。あの、で……」
「なんだ、今度は!」
勢いあまって叫んだ康太にネリネがびくっと肩を縮める。
「ちょっと康太さん、道場じゃないんだからそんな大きな声出さないで。この子がびっくりするじゃない……なあに? どうしたの?」
理乃が穏やかに尋ねると、うつむいたネリネの両頬が見る見るうちに可憐に染まった。
「あの………………おしっこ」
小さなつぶやきに康太がのけぞる。あわてて理乃は彼女の手を取り、公園の周囲を見回した。
「た、大変! 公衆トイレ──あああ、汚い! 早く帰らなきゃ‼」
理乃は反対側の手でベンチのクマを抱えると、その場に康太を放置したまま彼のアパートへ駆け出した。
*
非常事態を何とか乗り越え、結局異世界から来た迷子は康太のアパートに落ち着いた。ベッドの上に座り込み、テレビに映ったアニメ番組を興味深そうな顔で見ている。
ぬいぐるみのクマと鎮座しているネリネの愛らしい姿に、合流した和斗と帰った康太は複雑そうな顔をした。理乃がミニテーブルの上へ二人分のコーヒーを並べると、和斗は苦笑いをして告げた。
「大変ご迷惑をおかけしました。──殿下からお聞き及びとは思いますが、彼女はソリダゴの書記長でもあるゴット侯の第三女、ネリネ・ゴット嬢といいます。乳母と遊びに出た際に出先で迷子になりまして……姫には厚くお礼を申し上げます」
深々と和斗に頭を下げられ、理乃はあわてて手を振った。
「それは全然かまわないんですが。結局、行く所がないんですか?」
トレイを抱え直して聞くと、和斗は渋い顔をした。
「場所はありますが、人がいなくて。菜月は乳母の付き添いで一緒に病院へ行ってるし、こっちまで手が回りません。僕が面倒を見てもいいんですが、少々問題がありまして……なまじ侯爵令嬢なだけに、僕だと色々角が立つんですよ。こっちじゃしかるべき相手がいなくて本当に困っているんです」
「緊急事態なんだからいいだろ。こんなガキ相手に身分も性別もへったくれもあるか」
和斗の横であぐらをかいた康太が不機嫌そうに告げた。持って来たコンビニのビニール袋から、二つ目の肉まんを取り出している。イラつく原因の一つでもある空腹を押さえ込むために、近所のコンビニで買ったらしい。
理乃が相槌を打ちながらネリネにココアを渡してやると、ネリネは小さな眉の間にくっきりとしたしわを寄せた。
「あなた、やっぱり王女じゃなくて殿下付きの侍女じゃない。コルダータ、本物の王女はどこよ?」
和斗の祖国での名を呼んで、主人然として三人を見下ろす。和斗がやんわりとした口ぶりで少女の態度をたしなめた。
「ネリネ。この方はまぎれもなく、殿下の婚約者であらせられるところのリューココリーネ姫ですよ。少し立場をわきまえなさい。姫があなたを見つけなかったら一体どうなっていたことか……。それに、カラテアがあなたのことを大変心配していましたよ。後できちんと謝りなさい」
静かな声音を響かせながら和斗が言って聞かせると、口元をへの字に曲げたネリネがぷいと真横へ顔を向ける。高飛車に見えるその振る舞いにもどこか強がりが透けていて、理乃はくすくすと笑いをこぼした。
「もういいですよ、和斗さん。ネリネちゃんも心細かったでしょ? とにかく無事に見つかって良かった」
「理乃、こいつを甘やかすな。こいつのせいで周りにどれだけ迷惑かかったと思ってんだ」
炭酸飲料のボトルを持った康太がぼそっと口を挟む。
「まったく、今日はすき焼き食いながらビール飲もうと思ってたのに……なんでこんな」
ぶつくさ嘆き続ける康太に、今度は和斗が矛先を変えた。
「何言ってんですか、そもそも殿下が早く報告書を出さないからでしょう。もともとは僕が直接あっちに持って行ってたんですよ。殿下がいつも遅らせるから、侯がしびれを切らし始めて。結局自分の所の書記官を派遣するようになったんでしょう? そこから一気に物見遊山でついて来る人間が増えて来て──」
「なんだとお? いらん仕事にくっついて来て、こっちで遊んでやがるのか!」
忠臣に厳しくとがめられ、王太子の不機嫌がついに爆発する。
「今後こっちで仕事とは関係ない奴を見つけたら、その場で左遷に処するからな。ゴットにもそう伝えとけ‼」
日頃たれ目な彼のまなじりが理不尽な怒りにつり上がる。
凶悪ささえ帯びた言葉に空腹ゆえの短気を理解し、理乃はあわてて立ち上がった。
「あーもうわかりました、すぐご飯にしますから。もうちょっとだけ待っててください、お肉いっぱい出しますから!」
食い気で釣ってとりなすと、寵姫になだめられた康太は苦虫を噛みつぶしたような顔で黙った。が、自分を見ているネリネに気づいて再びその口を開いた。
「何だ? お前も腹減ってんのか。一個食うか?」
持っていたビニール袋の中から三個目の肉まんを取り出す。そんな庶民的な彼の姿に、ネリネは年に似合わない深々としたため息を吐いた。
「……薄々気づいてはいましたけど、殿下って品がありませんのね。ここまで来ておいてなんですが、百年の恋も冷めてしまいました」
そう淡々とネリネに告げられ、肉まんを手にした王太子はそのままの姿勢で固まった。理乃と和斗が吹き出すと、ネリネは鷹揚に理乃を見やった。肩をすくめて投げやりに続ける。
「殿下はあなたにお任せします。こう見ると結構お似合いですわ」
「こっちこそお前なんか願い下げだ。俺の性癖はノーマルだ‼」
我に返った康太が怒鳴ると、和斗がしみじみとあいづちを打った。
「そうですよねえ、殿下の好みってほんっとノーマルでわかりやすいです。部活で後輩のマネージャーとくっつくとか、高校球児かってレベルで」
どうやら図星を刺されたようで、王太子の頬に朱が走る。
康太はやけを起こしたように炭酸飲料を飲み干した。
*
「とりあえず、ネリネをしばらくの間、ここで預かってもらっていいですか? 菜月の様子も見に行きたいし、書記官達も慣れない場所であわあわしてるみたいだし」
和斗が言い残して部屋を出ると、理乃はふて腐れた康太のために食事の支度に取りかかった。すでに自分の城である狭いキッチンで作業を始める。
鍋で割り下の味を見ながらこんにゃくを下茹でしていると、背後からネリネの声がした。
「……カラテアは大丈夫なのかしら?」
ぼそぼそ告げた少女の言葉に、振り返った理乃は微笑んだ。やはり強がってはいるものの、彼女も彼女なりに慕っている乳母のことが心配なのだろう。
「心配しなくても大丈夫ですよ。和斗さん達がついてますから」
いたずらっぽく笑って続ける。
「昔、私についていた乳母も、お作法の先生から逃げた私を追いかけてぎっくり腰になりました。まわりにはすごく叱られましたが、乳母は許してくれました。またすぐ元気になってくれて、いつものように逃げ回る私を追いかけて来てくれましたよ。──あなたの乳母もきっとそうです」
理乃が穏やかに言葉を返すと、ネリネの表情がわずかにゆるんだ。
「そ……そうよね。カラテアのことだもん、すぐに元気になるわよね! この前だって……」
その後は不機嫌そのものの自国の王太子から離れ、すき焼きの準備をしている理乃にまとわりついて話をして来る。
「だって、リーキが意地悪言うんだもの。あんなに仲良くしてたのに、『ネリネは殿下のお妃になるから、僕はもう会えないんだ』って。だから、わたしは絶対リーキを見返してやろうって決心したのよ。歌とダンスのお稽古と、お行儀と刺繍と、あと……字の練習」
わずかにうつむいてつぶやく。
「──リーキに手紙を出せるように。もし会えなくなったって、手紙くらいなら出せるでしょ?」
ネリネの周囲の話を聞くたび、理乃は自身の子供時代を思い出して顔がほころんだ。祖国の話が懐かしく、彼女の微笑ましいエピソードにただひたすら心がなごむ。
「あ、あなた……」
ネリネは小さくつぶやくと、照れくさそうにそっぽを向いた。
「あなた、少しだけお母様に似てるわ。いつも楽しそうにしてるところ」
「あら、光栄です。お母さまってどんな方?」
鍋から視線を移して言うと、ネリネは満面に笑みを浮かべた。
「すっごく優しくて、大好きだった。ずいぶん前に亡くなったからあんまり覚えていないけど」




