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2.幼女

 頭を抱えて黙り込む理乃に、ちづるは小さく息をついた。なごやかなカフェにそぐわない深刻な声で告げて来る。


「つきあい始めだからって、遠慮してるとダメになるよ。ちゃんと言うことは言わないと。好きならなおさら話を聞いて、きちんとした人か確かめないと。もし、それでヤバ系だったら早くやめたほうがいいと思うよ」


──やめるも何も、両国の総意ですでに婚約済みですが。


 親身になってくれる友人を心底ありがたく思いつつ、理乃は世間から引かれる彼の執着っぷりを思い知った。

 特殊な事情を理解している康太の関係者だけならまだしも、今の二人は一応普通の大学生同士のカップルだ。こっちの友達との付き合いもあるし(康太の場合はほとんどが事情を理解している人間だが)、二人の関係を異常に思われ、眉をひそめられるのは得策ではない。ただでさえ入学早々にマネージャーとして囲われて、「こっちの世界で見聞を広める」という目的が果たせなくなっている。これ以上周囲から隔絶されて友達の数を減らしたくない。


──これはきちんとルールを作って節度ある生活を心がけないと。


 理乃は表情を引き締めた。このまま康太にとらわれ続け、彼の卒業と同時に自身も連れ帰られる未来が見える。

 理乃は拳をぐっと握ると、真剣な目で自分を見ているちづるに強く言い切った。


「うん……わかった、ありがとう。もう一度話をしてみるよ」


 いつになくしっかり答えた理乃に、ちづるも深くうなずいた。


     *


 しかしそうは言ったものの、結局買い物を済ませた理乃は康太のアパートへ向かっていた。クリスマス仕様の楽しげな飾りが華やかに街を彩る中、ため息をつきつつ道を歩く。

「終わった‼ 終わったから早くすき焼き‼」と電話口で彼に叫ばれて、肉や野菜をぶら下げながら康太の元へと急ぐ自分はどう考えてもカモネギだ。一緒に食事を済ませた後、自分自身も彼においしくいただかれることは間違いない。


──節度あるお付き合いの仕方って、みんなどうしてるんだろう?


 友人の忠告を思い出し、素朴な疑問を胸に抱く。ちづるは遠距離恋愛中だし、先輩マネージャーである菜月はすでに和斗と同棲していて、何の参考にもならない。ただ、本来の仕事や家事はきっちり二人で分けているため、その辺がすでに成熟した二人の関係を感じさせる。特殊な環境もあるのだろうが、何もできない(やる気もない)康太には少し見習って欲しい。

 ある意味大学生らしい悩みを抱えてとぼとぼ歩いていた理乃は、ふと商店街の先にある小さな和菓子屋に目を止めた。

 そこは理乃もよく行く場所だが、いつも揚げたての大学芋を提供している人気の店だ。香ばしく芋を揚げる匂いが辺り一面に広がって、ついつい寄り道をしたくなる。

 理乃は思わず首をかしげた。ガラスケースに商品を並べた狭い店先の真ん前で、高そうな子供服を着た少女が仁王立ちになっている。その右腕にはでっかいクマのぬいぐるみを抱え込んでいた。


「だから、早くそれをよこしなさい!」

「弱ったなあ……お嬢ちゃん、お母さんかお父さんは?」


 聞くこともなく聞こえた会話で、理乃にも何となく状況が読めた。どうやら人気の大学芋を女の子が注文したものの、お金を持っていなかったらしい。ふんぞり返った拍子に抱えたぬいぐるみが腕からずり落ちそうだ。


「あんまりぐずぐず言ってると、お父様に言いつけるわよ! こうしゃくさまで偉いんだから‼」


 女の子が放った言葉の内容に、見ていた理乃の目が点になった。


──こうしゃくさま? こうしゃくさまって……侯爵、それとも公爵?


 どちらにしても、この年頃の女の子が使うような言葉ではない。とっさに理乃は間へ入り、頭を下げて謝った。


「ごっ、ごめんなさい! 妹なんです、私がお金払います‼」


 あわてて財布を取り出すと大学芋の料金を払う。初老の店主は眉を寄せつつ、だがほっとした声音で言った。


「困るなあ、お姉ちゃん。妹さんをちゃんと見ててもらわないと。ほら、お嬢ちゃん大学芋。今度はお姉ちゃんとはぐれないでくれよ」


 紙のカップに入った芋を、ガラスケース越しに少女へと渡す。きつく口元を結びながらも少女はカップを受け取った。その後理乃を振り返り、眉間にしわを寄せて言い放つ。


「……あなた、どなた? もしかして、こちらのメイド? だったら早く見つけなさいよ。わたしをなんだと──」

「た、立ったままなんてお行儀が悪いからちゃんと座って食べましょう! ほら、早くこっち来て‼」


 あわてて少女の手を取ると、理乃は自分達に集まり始めた周囲の視線から逃げ出した。


     *

 

 商店街の裏にある小さな公園へと向かい、木製のベンチに腰を下ろす。理乃が重いビニール袋をやっとベンチの上へ置くと、女の子もクマを座らせた。ショートコートとフリルのついたかわいいミニスカート姿の少女は、一緒に座った理乃の姿をうさんくさそうなまなざしで見上げた。

 年はまだ、小学校に入るか入らないかくらいだろうか。大きな瞳はぱっちり二重で、リボンのカチューシャに飾られた髪はさらっさらのストレート。十年もすれば注目を集める美少女になること間違いなしだ。しかし、今はフリフリのスカートからくまのパンツがのぞいても、ただひたすら微笑ましいくらいの幼い女の子だった。


「それで? ホテルは決まったの? つまんないとこだったら承知しないから!」


 つんつんしながら言いつつも、視線は小さな手に持った大学芋のカップに向かっている。お腹を空かせているらしい彼女のわかりやすすぎる強がりに、理乃は笑って口を開いた。


「とりあえず、温かいうちに召し上がれ。今何か飲み物を買ってきます」


 理乃の言葉に、カップに盛られた大学芋と理乃を見比べる。芋にはようじが刺さっているものの、どうやら食べ方がわからないらしい。彼女の戸惑いを理解して、理乃は大きくうなずいた。


──テーブルに置かれてるわけじゃないし、ナイフもフォークもないもんね。


「ほら、こうやって持てばいいんです。そのまま口に運んでください」


 理乃がようじで芋を刺し、その口元まで持って行ってやると、少女は困った顔ながらぱくりと芋をほおばった。大きな瞳をさらに見開き、こぼれ落ちそうな笑顔を見せる。


──かっ、かわいい‼


 その愛らしい表情に、理乃は思わずときめいた。少女の一挙手一投足になんだか胸がキュンキュンする。大小二つのなめこのぬいぐるみを見つけた時以来のときめきだ。

 近くの自販機で温かいお茶のペットボトルを買ってやり、ふたを取ってボトルを渡す。こちらの世界に慣れない少女はやはり不思議そうにボトルを見た。芋と交換に一口含み、驚愕にまた瞳を見開く。


「……おいしい」


──あああ、かわいい‼


 理乃は再び頬をゆるめた。ぱちぱち動く長いまつげにがしっと心をわしづかみにされる。

 久しぶりに萌えを堪能していた理乃のトートバッグから、無粋なスマホの着信音が響いた。


『すぐ近くまで来て何してるんだ?』


 理乃がスマホを耳に当てると、不機嫌そうな声が届いた。


『帰って来るのが遅いと思ったら、そんなところで止まってて……。もう暗くなるぞ、早く来い』


 やはり康太は自分をアプリで逐一監視しているらしい。心が弾む萌えのときめきから生活感あるリアルにもどされ、理乃は小さくため息をついた。


「康太さん。私、迷子を拾っちゃったんですけど。──こうしゃく令嬢に心当たりあります?」

『はあっ!?』


 スマホの向こうで束縛気質の彼氏の声がひっくり返った。


     *


 冬の日が落ちるのは早い。

 夕暮れはあっさり過ぎ去って、近所の彼氏がSP付きで理乃を公園まで迎えに来た時、すでにベンチの脇の街灯は周囲を明るく照らしていた。


「……ゴットんとこの末娘だ。書記官が書類を取りに来てて、一緒に乳母とついて来たとかで。そのまま迷子になったらしい。追いかけた乳母はぎっくり腰でしばらく身動き取れなくて……今、和斗が面倒見る相手を菜月と一緒に探してる」


 額を押さえて告げた彼氏に、理乃はようやく胸をなで下ろした。


「ああ、やっぱり。私には心当たりがなくて……。従兄弟達にも子供なんていないし、クロトンに聞いたら特例以外、子供の渡航を禁じてるとかで」

「お前、また人んちの醜聞を面倒なヤツにバラしやがって」


 隣国の天敵の名を出され、ソリダゴの王太子は天を仰いだ。

 狭い公園の出入り口では康太付きの従者が二人、SPよろしく周囲を見張っていた。一人は自分もよく知っている大学の剣道部員だが、サラリーマン風の男性は理乃も初めて見る顔だ。どうやら康太の報告書類を取りに来た中の一人らしい。

 クマとベンチに腰かけている少女へちらりと目を向けて、康太はため息交じりに続けた。


「とにかく、お前がこいつのことを見つけてくれて助かった。事情を知らない人間に捕まる前で良かったよ。──時々お忍びであっちのやつらが遊びに来てたのは知ってたが、こうなると出入りを考えないとな」


 肩をすくめる康太の姿に、少女はぱっと顔を上げた。


「こいつですって? ミナヅキ殿下、よくもそんなことが言えましたわね! わたしを捨てて逃げた上、留学先で他国の女にたぶらかされて婚約だなんて! 思い直してもらうために、やっとここまでやって来たのに」


 愛らしい少女が叩きつけた罵倒に、理乃は両目を丸くした。色恋沙汰+ロリコンの疑いを投げかけられた彼氏は、強くこめかみを押さえて答えた。


「ネリネ。お前が婚約者候補として打診されてたことは知ってる。だけどきっぱり断ったはずだし、そもそも俺はロリコンじゃねえ。人聞きの悪いこと言うな」


「ネリネ」と呼ばれた愛くるしい少女は座っていたベンチから下りた。理乃をびしっと指でさし、丸い瞳をつり上げる。


「この泥棒猫! あなた、殿下から離れなさい! 殿下にふさわしい女性になろうとわたしは努力してたのよ! ダンスの先生にほめられたんだから、『始められたばかりなのにお上手です』って」

「わー、偉いなあ。私なんていまだに先生の足踏んじゃうのに」


 少女のかわいいエピソードにけなげな努力を読み取って、理乃はにこにこと彼女をほめた。少女が偉そうにふんぞり返る。


「そうでしょう? あなたもわかったらとっとと殿下を返しなさい。帰ったらすぐ結婚よ‼」

「あらー、私も見たいかも。あなたの可愛いドレス姿」

「……おいおい」


 少女に合わせて腰をかがめて楽しく会話をする理乃に、康太があきれ顔をした。

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