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1.出会い ※

 薄桃色の花びらが舞う中、彼女がくすくすと笑っている。その屈託のない笑顔を認め、胸の鼓動がどくんと鳴った。


──「かわいい」ってこういうことか。


 優美な線を描く面立ちに、愛らしく笑うピンクの唇。感情豊かな丸い瞳が優しく細められている。視線が勝手に吸い寄せられて、彼女のもとから離れない。


『これで全部だと思いますけど』


 明るい声でチラシの束を自分の前に差し出され、康太はあわててうなずいた。


『あっ、ああ。……ありがとう』


 康太が落とした勧誘のチラシを集めてくれた新入生。お人好しにも最後まで自分の手伝いをしてくれた。どこか楽しげな様子さえ見せ、一緒にチラシの束をそろえる。

 ふわりと甘い匂いと共に、茶色い頭が肩へ近づく。狭まる距離にどきっとしたが、康太は息を詰めてこらえた。動揺を見透かされそうで寄りたい気持ちをぐっと抑える。


『それじゃ、すみません。失礼します』


 再び明るい声の後、彼女の気配が肩から離れた。ゆるくパーマがかかった髪を軽く揺らして頭を下げ、キャンパス内へ消えていく。淡い水色のワンピースを着た清涼感のある後ろ姿だ。

 康太はそれをぼけっと見送り、その後、はっと手の中にある彼女に渡されたチラシを見た。


──あれだけ豪快にぶちまけたのに、肝心の彼女へ渡すのを忘れた。


 康太は横の長テーブルにあわててチラシの束を載せ、手に一枚だけ持ったチラシを彼女に渡すべく追いかけた。


     *


 どこか優しい、波音にも似た規則的な響きが聞こえて来る。

 しばらくはその穏やかな音を安心感と共に聞き、康太はふっとまぶたを開いた。横向きで寝ていた自分の前にゆるく流れる髪が見える。

 波音のように感じたものは、静かな寝息の音だった。茶色い頭が康太の腕を枕にしながら眠っている。

 体にぴったりくっついた心地よい重みとぬくもりに、康太は自身が彼女と一緒にベッドにいることに気がついた。


──ああ、夢か。


 康太は口元をゆるませて、彼女の髪に頬をうずめた。あの時覚えた甘い匂いを今改めて確認する。

 

「……ん」


 ぴくっと彼女の体が動き、いたずら心をそそられる。形の良い耳にキスをすると小さな肩が縮まった。幸福感の中で一瞬、見ていた夢を思い出す。

 それは四月に新入生の勧誘をしていた時のことだ。部長の自分がまけたチラシを彼女が一緒に拾ってくれて、それがきっかけで剣道部へ誘った。世間知らずだが礼儀正しい彼女の笑顔を見るたびに、胸に花開いた彼女への思いはひたすら募るばかりだった。

 しかし特殊な事情もあって、純情すぎるこの恋は伝えることも許されない。ただため息をつく主君の姿に見かねた和斗が調べてくれて、数ある康太の特殊な事情は全て解決できることがわかった。あの時感じた喜びは、今でも忘れることが出来ない。彼女のド天然な性格や、やや強引に迫ったせいで紆余曲折はあったものの、こうして今は彼女を抱いて同じベッドで眠ることができる。

 望んだものが腕の中にある。そんな柔らかな喜びを胸に、康太は再び目を閉じた。


     *


「──女抱いて寝るって、いいもんだな。寝起きに朝立ちで一発やれるし」


 ミニテーブルに頬杖をついて康太が漏らしたつぶやきに、前の和斗があきれ声を出した。


「まっ昼間っから何言ってんですか。さかってないでそれ片付けてください」


 印刷されたレポートを片手に眉間にしわを寄せている。


「もう書記官が来てるんですよ、叱られるのは殿下でしょう。『帰って来い‼』って怒鳴られますよ」


 フローリングに敷かれたラグは、すでに仕分けられた書類のたぐいで足の踏み場もない状態だった。部屋の三分の一を占めているダブルベッドの上にまで、いくつかの数にまとめられた領収書の束が乗っている。

 休みの日なのに康太の部屋で書類にまみれている彼は、声を低めてつぶやいた。


「『主に二国間の問題は地経学の戦略によって──』って、前回僕が送ったものとまるっきり同じじゃないですか! 殿下もちゃんと考えてくださいよ」

「思ったことが同じなんだから、別に内容も同じでいいだろ。年がら年中報告書を出させるゴットの方が悪いんだ」


 祖国の書記長を務めている堅物の文官をののしると、康太は自分の前にある書類の山にサインした。本日数十回目のサインに心の底からため息をつく。クーリングオフに引っ掛かる契約書の書類じゃあるまいし、どうして全ての提出物に自分のサインが必要なのか。


「なあこれ、せめてサインじゃなくて押印とかじゃダメなのか? どうせサインでもハンコでも俺は中身なんか見てねえし、向こうも確認してねえよ、きっと」


 康太は痛む手首にぼやいた。従者の数×報告書類にサインを書き込む作業をするのは、毎回の恒例行事でありながらいつも時間の無駄を感じる。

 書類仕事が苦手な主君の魂からの訴えに、優秀な臣下は苦笑した。


「さすがに殿下のサインですから……偽造されても困りますし。これでもまだましなんですよ? 羊皮紙に全ての所見を書き込んで、蝋で封して直接侯に提出するよりいいでしょう」


 和斗に言われて口元を曲げる。確かに、あの書記長だったらそんなことくらい言い出しかねない。

 渋る主君の尻を叩き、毎回遅れがちな祖国への報告を形にするのは和斗の仕事だ。今回康太の婚約者である理乃の協力を仰いだため、無事に主君を捕獲した上、片付いた部屋で作業ができた。

 朝から臣下に愛の巣であるアパートの中に踏み込まれ、寵姫とイチャイチャしていた康太は文句たらたらだったのだが、「今日中に終わればまた来るから。夕飯はすき焼きにしてあげるから!」などとなだめられ、仕方なく折れた。これで味を占めた和斗はまた同じ方法を取るだろう。

 次回の対策を考えながら上の空で仕事をしていると、鋭い臣下が目を光らせた。


「その新取登録申請、ちゃんと中身に目を通してからサインを書いてくださいよ。決裁通すの殿下ですからね」


 厳しい口調でやり込められて、心の底からため息をつく。これでは支店で上と下からどつかれている中間管理職だ。


──王太子って、もっと周りからちやほやされてるもんじゃないのか?


 しかし、王宮の豪奢な広間で幾人もの臣下にかしずかれ、華美な装いでダンスや社交を行う生活に眉を寄せる。よく考えたらそれが苦手で自分はここにやって来たのだ。同じ仕事なら慣れないダンスより、和斗や理乃にいなされながらも書類を片付けるほうがいい。


──これが終わればすき焼きだから。


 まるで子供に言い聞かせるように自分自身を慰める。朝の幸福だった時間が嘘のような現状に、取り直したペンは重かった。


     *


「あんたの彼氏、思ってたより束縛系でめんどくさいね」


 同じ学部の友人である早坂(はやさか)ちづるにそう言われ、理乃はタルトから目を上げた。そろえた毛先をさらりと揺らし、ちづるが首をひねっている。

 久しぶりに女友達と開放的な休日を過ごし、理乃の心は晴れやかだった。買いたかった冬物を手に入れ、ずっと訪れて見たかったカフェにも入ることができた。古民家風の落ち着いた雰囲気と新作のタルトに唇がほころぶ。

 康太に告げたら「俺と一緒に行けばいいじゃないか」と返されそうだが、やっぱりこういうおしゃれな店には女友達と入りたい。うきうきしている様子の理乃に、皿に乗せられた木の実のタルトをつっつきながらちづるは続けた。


「なんていうか……初めは彼氏に結構同情してたけど。鈍感すぎるあんた相手に、『不憫だな』とか思ってたわけよ。でも今あんたの話聞いてると、毎日彼氏のアパートに通ってご飯作ってるとか、都合よすぎ。もう完全に同棲してるじゃん、ちゃんと食費とかもらってる?」


 しっかり者の友人にきっぱりはっきり尋ねられ、理乃は思わず眉を寄せた。世間知らずな理乃を見かねて面倒をみてくれたちづるだが、言葉がきついのが玉にキズだ。だが、そういった口調の中にも心配の響きが聞き取れて、理乃はとりあえずうなずいた。


「お金はちゃんと請求してるし、一緒に住んでるわけじゃないけど。でも、あの人以外の人と外に出たのは久しぶり……ってあれ? もしかして本当に束縛系?」

「もしかしなくても束縛系だよ」


 ため息をつきつつ紅茶を飲んで、ちづるはじっと理乃を見すえた。印象的な切れ長の瞳がややきつい色を帯びている。


「大学でもさ、お昼にカフェでばったり会ったりするじゃない? あれ、絶対見張られてるって。全然学部が違うのに、あんなにしょっちゅう会うわけないじゃん。イマドコアプリで探ってるんだよ」


 鋭いちづるのまなざしに、理乃は表情を引きつらせた。自分が彼やその友人に見張られていることは知っているし、自身の特殊すぎる事情からも一応それは了承している。だが世間からすれば、確かにストーカー行為だろう。心配するのもうなずける。


「あー、まあ、確かにそうかも。でもまあ、心配してくれてるんだし……」


 タルトを口に入れながら理乃がもごもご答えると、ちづるがその目を光らせた。


「だからもう、その考えが洗脳されてるんだって。あんた、ほんとに大丈夫なの? 『地元にもどって就職するから、卒業したら嫁に来い』とか、今からそんな勝手なこと言われてるんでしょ。どう考えてもモラハラ男だよ」

「も、モラハラ……」


 理乃は思わず絶句した。自分の立場が友人にどう見られているかを理解する。モラハラ男に迫られて、都合の良い女扱いで同棲させられている世間知らず。確かにダメ女の典型だ。

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