8.ラブホテル ※
理乃はぽかんと口を開いた。多分今度は自分自身がハニワそのものに見えただろう。あまりに意外な彼の答えに開いた口がふさがらない。
「……運命ですか……」
おうむ返しにつぶやくと、康太がこめかみに青筋を立てた。どうやら怒っているらしい。ゆでタコのような彼を見ながら、理乃はつくづく感心してしまった。
「運命」なんてゲロ甘(失礼)な言葉が、その雑な口から聞けるとは。体育会系ドSの彼がまさかロマンチストだと思わなかった。
「もういい。とにかくそういうことだ。別にあせってたわけじゃない」
低くうなるように言った後、康太は不意にうつむいた。
「いや……でも、確かに俺もあせってたかもしれない。頼むから帰らないでくれ」
がしがしと頭をかいて、正座を崩してあぐらをかく。思ってもいなかった言葉をかけられ、理乃は再び呆気に取られた。
康太は悄然とした顔つきになった。
「婚約は解消しないにしても、距離を置くって話だろ? あっちに帰って戴冠式が済むまでの間、会えないとか。もうそんなこと考えられない。……『がっつきすぎ』って周り中に言われた。『相手のことも考えろ』って。確かに強引な所もあったし、無理やりお前を呼び出したりとか都合よく使ってたと思う」
力なくそう告げながら、かいたあぐらに目を落とす。よくわからない話の流れに理乃はとりあえずうなずいた。
「はあ、まあ……都合の良い女扱いされてる、とは確かにちょっと思いましたが……」
これはクロトンの苦言だろうか? でも、別に嫌じゃなかったし、とお人好し過ぎる考えで理乃が本音をこぼす前に、悲壮なくらいのまなざしが真正面から自分を見すえた。
「だから。もう掃除なんて頼まない。メシも……できたらメシは食いたいけど、とにかくそばにいて欲しい。こっちにいてくれるだけでいいんだ。子供欲しいとか、無理は言わない」
理乃は大きく首を傾けた。
「──えーと。先輩が色々急いでたのは、私がとにかく都合が良くて、立場的にも便利だったから、ではなく?」
思わずこぼしたつぶやきに、康太が開き直って答える。
「だから! もうそれは俺の頭がお花畑で結構だ‼ 運命だって浮かれてたんだよ、別に急いでたわけじゃない‼」
言葉使いは鬼のようだが内容は純粋すぎる答えに、理乃は唇をほころばせた。
──なんだ。やっぱり初めから思ってた通りの人じゃない。
笑顔を浮かべた理乃の表情に、康太が再びそっぽを向く。怒ったようなその顔は耳まで真っ赤になっていた。それは今まで思いを寄せて来た愛すべき部長そのもので、理乃は改めて安堵し、なごんだ。
周囲の言葉に惑わされ、悩んだ自分が馬鹿みたいだ。彼の正体にこだわって、考えすぎていたのは自分の方だったのだ。
「わかりました。それなら出会いは『運命』だったってことにしましょう。その方が確かに通りがいいし、将来子供にも説明しやすいです」
「お前、俺を子々孫々まではずかしめる気か」
ぼやく康太に理乃は笑った。いたずらっぽく彼に告げる。
「先輩。この後アパートに行っていいですか?」
きっと一時間前までは思ってもいなかっただろう言葉に、康太はたれ目を見開いた。だがすぐにうなだれて首を振る。
「だめだ、今部屋はちょっと見せられない状態になってて……。片付けてるうちに夜が明ける」
案の定のあきれた答えに理乃は思わず苦笑した。それを片付けるのが誰だと言えば、自分以外にいないだろう。康太に手伝わせるにしても、いると邪魔なくらいに使えないのだ。一度だけ肩をすくめるとにっこり笑って口を開く。
「──わかりました。それならどっかでご飯を食べた後、ホテル行きましょう。ラブホテル」
「ラブホテル!?」
大胆すぎる彼女の提案に今度は康太の方がのけぞる。だが理乃はむしろ目を輝かせ、身を乗り出して康太に続けた。
「一度行ってみたかったんです。菜月先輩に勧められて。ベッドが結構広くって、よく眠れるから気持ちいいよって……こっちの世界のベッドって、閉じ込められてるみたいに狭いでしょ? その上先輩と一緒だと息苦しくて眠れなくって」
面食らっていた康太の顔がどこかあきれたようになる。視線を泳がせ、ぼそぼそと小さな声でつぶやいた。
「家に帰ったら、すぐにベッドを一番でかい物に買い替えてやる」
「じゃ、そういうわけで。ご飯は先輩のおごりでお願いします」
言いながら立ち上がろうとして、理乃は正座した自分の足が完全にマヒしていることに気がついた。つんのめった身体を康太があわてて抱き止めてくれる。
視線が間近で絡み合い、康太の瞳が切なそうに歪んだ。そのまま体を引き寄せられて、そっと唇が唇で覆われる。
背中に力強い腕が回され、広い胸に抱き締められる。久しぶりに感じる汗の匂いがむしろ安心感を与えた。言葉はなくても十分に彼の愛情が伝わって来て、深く思われる幸せを噛みしめる。
「──だめだ。神聖な道場で……」
唇を離し、康太がつぶやく。理乃はその場に座り込み、彼の言葉と足のしびれに泣き笑いのような表情を浮かべた。
*
大学のそばのファミレスで二人はそそくさと食事を済ませ──こっちに来たばかりの頃は、ランチにさえ一時間以上をかけて友人に迷惑をかけていた理乃も、どうにか早く食べられるようになった──菜月に教えられたホテルへ行く。人と会わないシステムもきちんと聞いていたために、特に問題なく部屋へ行けた。むしろ康太が困惑していて、理乃はちょっとだけ彼がかわいくなった。つまり康太は本当にこういう場所に来たことがないのだ。
「確かにベッドはでかいよな。部屋も思ったより悪くないし」
首筋をかいて康太が言う。シンプルな部屋の内装といい、落ち着いた雰囲気の照明といい、その居心地は悪くなかった。目当ての大きなベッドを見つけ、理乃は単純に喜んだ。普通に乗って笑顔を浮かべる。
「手足を伸ばしてこのまま寝れます! すっごい寝心地良さそうです‼」
目的が完全に間違っている彼女の明るい表情に、康太が視線を天井に上げた。
「──あのなあ。彼氏と一緒にここまで来といて、その感想はないんじゃないか?」
振り向いた理乃を眺めやり、ベッドにゆっくりとその手を着く。にやっと笑って言葉を続けた。
「ひと月近く人をほっといて、ゆっくり眠れると思ってんのか。俺は全然寝る気はないぞ」
非情な彼の宣言にベッドで理乃は固まった。肉食獣の目をした彼に、再び道場で味わった草食動物の気分を思い出す。しかし今の方が確実に切実だ。
──講義も部活もあったのに、なんでそんなに元気なの!?
一度や二度は覚悟していたが、朝までとなると話は別だ。近づく彼と距離を取り、最後の抵抗を試みる。
「あ……じゃあ、そのー、せめてシャワーを……」
そう康太に伝えながら、ジャージのままの自分を見下ろす。「お風呂もアパートよりは広いよ」と菜月に教えられていて、それも楽しみの一つだった。
康太は剣呑な笑いを見せた。
「だめだって。お前、風呂に入ると一時間は出て来ないだろ。終わった後でゆっくり浴びろ」
「ええー、そしたら朝じゃないですか」
「朝も浴びるんだから一度で済むだろ。人んちの水を無駄に使うな」
理乃に負けないセコさの屁理屈で、康太が距離を詰めて来る。
「ひ、人んちって……! ここは使い放題のホテルです! 大体、私には早くしろって着替える暇もくれなかったくせに、先輩はシャワー室行って‼」
ちゃっかり新しいTシャツに着替えた康太の姿に抗議する。康太は理乃の足首をつかんだ。
「『先輩』じゃなくて康太だろ? ……お前はいいんだよ、匂いがなくなる」
「うわあっ、へんたい‼」
言い返したが、そばに迫った彼のまなざしに口をつぐんだ。使う言葉とは裏腹のやるせなさそうな双眸だ。
「もう無理だ。これ以上焦らすな」




