あなたもあいしてる
オフ会の話題が持ち上がった月末の金曜の夜。
渋谷にある人気レストランをオフ会の一次会場として、集まることになった。
いよいよ当日。
普段の倍のスピードで雑務を熟す姿に、黒崎が「デートか?」とからかってきたが、適当にあしらって夕方にはなんとか仕事を切り上げられた。
会社を出る前に手洗いで軽く身なりを整える。
今日の為に、大急ぎでスーツも新調したのだ。
いつもは二着で三万程度の安いものだが、初めて会う人、特にサクラへの印象を良いモノにしたい。
細身で流行りだというグレーの三つ揃いスーツと濃いブラウンのプレーントゥの革靴。
ヨシ。
「ちょっとはイケてんじゃないでしょーかねえ?!」
ドーンとボーナス払いにしたんだ。五割増し、いや三割増しを期待したい!
そんな今更な淡い期待に頬をゆるめながら、鼻息荒く会社を飛び出した。
渋谷まで電車で二十分。駅に着くと早足で人混みをかき分けて店へ急ぐ。
レストランに着くと、金曜日ということもあって、予約以外の客が外まで行列を成している。
ヨーロッパ調の洒落た店だ。
フロアの端まで並んだカップルを尻目に横切っていくのは少しだけ優越感があるな。
入り口で予め幹事から聞かされた予約名を告げ、店内に入ったころには、殆どのメンバーが集まっていたようだ。
私が幹事ですという解りやすいタスキをかけた人物に自分の名前を名乗る。
幹事からネームプレートを渡され、決められた席に案内してくれた。
腰を落ち着ける間もなく、先に集まっていたメンバーたちから声をかけられる。
想像と違うだとか、声低いんだね、若い、と各々の印象を語る。
僕自身も、それぞれの名前を聞いて想像との違いに驚いた。
男だと思っていたのに実際は女の人だったり、その逆だったりだ。
サクラは来ているのか、どこに居るのだろうと席を見回していると、ふいに後ろから肩をたたかれた。
「ジュンでしょ? 初めまして!」
ハッとして振り返って見ると、そこに居たのはサクラ……ではなく、和やかに笑う長身の男性だった。
僕の背は百七十五センチで、平均的だが彼を少し見上げなければならない。
切れ長の涼しげな目元が印象的で、まるでモデルのようなスタイルの良さ。
一目で高級だとわかるスーツをお洒落に着こなしている。
僕とは縁遠い、所謂「イケメン」だ。
僕の一張羅も霞んでしまう。
「えっと……どなたでしょう?」
「ああ、そっか、ごめん。名前言わないとわからないよね。カ・ズ・ミ、だよ」
胸元のネームプレートを指さして、イタズラっぽく笑う。
その名前を聞いてすぐに思い至った。
グループに入った当初、カズミという名前にてっきり女の子だと勘違いしていた人である。
「わああ! 初めまして。カズミ、本当に男だったんだなあ!」
「カズミって名前、実は本名なんだ。よく女性と間違われるよ。会えるの楽しみにしてたんだ」
僕らは肩をたたき合って笑い、固い握手を交わした。
その時ふと視線を感じ、視線の先を辿る。
最奥の席に座る女性が、じっと此方を見ていたのに気がついた。
誰だろうと視線を合わせようとすると、その女性は素早く顔の向きを変えてしまった。
ネームプレートもグラスで隠れて見えない。
後で挨拶にいって、名前を聞けばいいかと思い、カズミのほうへ視線を戻した。
カズミの隣に席を移動し、グループのみんなとも会話や食事を楽しんだ。
数十分経つと、それぞれ特に仲の良い者同士で輪を作り出した。
僕はカズミと旧友のようにすっかり打ち解けて話し込んだ。
カズミもIT企業に勤めており、携わっている仕事が似ていたのも親交を深めるきっかけとなった。
仕事の話でも盛り上がり、一次会の終わりまでずっと話し続けていた。
「そろそろ一次会終了でーす! 二次会行く人は会計後に店の前で待っててください」
みんながデザートまで食べ終わったころ、幹事の声があがり会費の集金が始まった。
鞄から財布を出そうとしていると、カズミが小さく耳打ちしてきた。
「ジュン、二次会行く? 実は明日休日出勤だから迷ってるんだよね」
「二次会行かないよ。僕も今日のために仕事残して来ちゃっててさ」
「そうか。俺も二次会行くのやめよ。ジュン、日を改めて二人で飲みに行こう!」
「イイネ! 休みの日、予定連絡するよ」
そう告げて会計を済ませて、出口で待っていた彼と並んで店を出た。
カズミは車で来たんだと、レストランの斜向かいにあるコインパーキングへと向かう。
車も高そうな外車で、左の窓を開けて「またな!」と手を振る姿に、男ながら惚れ惚れして手を振って見送った。
ぶらぶらと駅へと歩いていて、サクラのことをすっかり忘れていたことにはたと気づいた。慌ててスマートフォンのLINEを開く。
『ジュン君。サクラ、一番奥の席に居るよ? わかる?』
『さっき握手してた人、誰? すごく仲良さそうだね。サクラよりも仲良さそう』
『サクラよりもその人の方が好き?』
『サクラよりその人の方が大事なんだね……なんか寂しいな』
『ジュン君私の事好き?』
サイレントにしていたので気づかなかった。
何件もサクラからLINEがきていた。
急いで返事をしようと文字を打ちこんでいると、真後ろからスーツの袖をくいっと引かれた。
「あの……。ジュン……さん……ですか?」
蚊の泣くような小さな声だが、酒焼けしたかのようなハスキーな響きが耳に残る。
腰まで伸びた黒髪に、黒いコート。赤い毛糸のマフラーを巻いた女性が立っていた。
俯いているので、赤い口紅の口元しか見えないが、三〇代半ばくらいだろうか。身長は僕より頭一つ分位低い。
緊張しているような声でまた僕の名前を呼んだ。
「はい、ジュンです……が。あなたは?」
「あのう……これ……」
返答に答えず、いきなり白い紙袋を胸に押しつけられた。
これは何かと聞いたが、受け取ってくださいの一点張りだ。
不審に思いつつ、もう一度名前を聞いたが、何も言わず逃げるように走って行ってしまった。
「なんだあれ。ちょっと怖いな……」
呆然と女性が去った方向を眺めていると、手に持っていたスマートフォンが振動して思わず身体が硬直した。LINEの通知であった。
『ジュン君! 恥ずかしくて名前言えなかった。今日のために用意したの。プレゼントよ。絶対使ってね!』
――サクラだった。
え、あれが……?? 何かがガラガラと崩れていくようだった。
想像はただの理想でしかなかったのだ。
苦虫を食んだ気分でいると、またスマートフォンが振動した。
『袋の中身見てみてねー! サクラの、手・作・り!』
そう……そうですか。
まあ、せっかく貰ったものだし、家に帰ってからゆっくり開けてみるかと袋を手に歩き出す。
と、またスマートフォンから通知が。
『もう! 家に帰ってからじゃなくていま開けて! 開けて!』
タイミングが良すぎるLINEに少し驚いた。
どこかで見てるのか?!
無意識に背筋が強張る。
仕方なくその場で開けて中身を見ると、赤いマフラーが入っていた。
さっき紙袋を渡してきた女性も、赤いマフラーをしてなかったか……?
『やっと開けたね! どうかなあ? 私とお揃いだよ』
またもタイミングが良いLINEがきたので、反射的に周りを見渡す。
数メートル先の電柱の横から赤い何かを目の端に捉える。
そちらへ目を凝らすと、電柱に隠れている赤いマフラーの女が見えた。
見てはいけないものを見たような感覚に、全身の肌が粟立っていった。
隠れている女を確認する勇気はなかった。
電車で帰る気にもなれない。
大股で数歩進んで角を曲がり、大通りに出て客待ちしていたタクシーをつかまえて飛び乗り、家路についた。
その間、通知が何件もきていたが見るのが嫌で電源を切った。