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◎10

 二階に上がると、レティはシャノンの部屋についてきて、扉を閉めるなり口を開いた。

「どういうことか説明して」

 険しい口調でそう言って、彼女は胸の前で腕を組んだ。シャノンは素知らぬ顔でカポートのリボンをほどくと、そのままそれをベッドの上に置いた。レティの問いにどう答えるべきかと考えながら、アーデンが選んだデイドレスのボタンを落ち着かない手付きで外していく。嘘をつき慣れないシャノンにとって、今この状況で平静を装うのは一苦労だった。

「何の話?」

 クリノリンを必要としない最新のデイドレスを脱いで、クローゼットから取り出した野暮ったいデイドレスに腕を通していると、いつもそうしているように、レティが着替えを手伝いはじめた。ベルト代わりの絹サテンのリボンを腰の後ろで結びながら、張り詰めた口調で彼女は言った。

「あなたの話よ、シャノン。いつもどおり贈り物のお返事を書き終えて、お昼過ぎにあなたの部屋に会いに来たら、いつのまにかあなたはいなくなっていたわ。伯母様に訊いたら、()()アーデンと出掛けたって言うじゃない。それだけでもぞっとしたのに、こんな時間まで帰ってこないし、ようやく帰ってきたと思ったら、見慣れないドレスを着ているんだもの」

 綺麗な蝶結びを作り終え、スカートの襞を整えると、レティはシャノンの正面に回り込み、両肩に手を置いて、鮮やかな菫色の瞳をすっと細めた。

「シャノン、まさかあなた、まだあの男と結婚しなければいけないだなんて考えていないわよね?」

 レティの問いは、シャノンの予想どおりのものだった。聡い彼女はすでに気付いているのだ。昨夜の事件の責任を、シャノンがひとりで引き受けようとしていることに。

「レティ、そのことだけど」シャノンは口調を落ち着かせて言った。「彼ときちんと話をしたの。あなたが思っているほど、彼は悪いひとではないと思うわ」

「なに馬鹿なこと言ってるの!」

 途端にレティが声を荒げたので、シャノンはびくっとした。

「シャノン、あなた、たった一晩で忘れてしまったの? あの男は他人の名を騙って人気(ひとけ)のないところへ女性を誘い出し、有無を言わさず襲いかかるような卑劣漢なのよ!?」

 シャノンの肩を掴むレティの指先に、ぐっとちからが込められる。

 レティの言うとおりだ、とシャノンは思った。結婚を決めた今になって考えても、昨夜のアーデンは最低だった。

「確かに昨夜の彼は擁護できないけど、でも、彼は真摯に謝ってくれたわ。彼との結婚を決めたのも、私なりの考えがあってのことなのよ」

 レティの気を逆立てないように、シャノンはできるだけ穏やかに、のんびりとした口調で言った。けれど、レティの興奮は治らなかった。

「ちょっと待って。あなた今、なんて言ったの? 結婚を決めたですって? いったい誰と?」

「わかってるでしょう、レティ。アーデン卿よ」

「嘘でしょう!? シャノン、悪い冗談はやめて! 何と言って脅迫されたの? まさか、また辱めを受けたわけじゃないわよね? あなたにそんなことをしたのだとしたら、今すぐあの男を殺してやるわ!」

 レティが憤慨して捲し立てた。シャノンがこんなに殺気立ったレティを見たのはこれが初めてのことだった。いつもは凛として美しい双子の姉の新たな一面を知って、シャノンは思った。このまま私がアーデンと結婚して、レティとアーデンが親類になったとしても、ふたりきりになんて絶対にできないわね。

 シャノンが考えているあいだにも、レティの説教は続いていた。

「シャノン、冷静になって聞いてちょうだい。あなたがあの男の言いなりになる必要はないのよ。あの男には正式に公の場で謝罪させて、私たちはほとぼりが冷めるまで、社交を控えて待てばいいだけだわ」

「でも、それでは今シーズンのあいだにあなたの結婚相手を見つけることができないわ。爵位のある素敵な旦那様をみつけることが、子供の頃からのあなたの夢だったでしょう?」

「確かに、裕福で素敵な男性と幸せな結婚をして、お父様を喜ばせることが私の夢よ。でもねシャノン、それはあなたを犠牲にしてまで叶えたい夢ではないの」

 それからレティはシャノンの茶褐色の瞳を覗き込み、小さな子供に言い聞かせるように、慎重に言った。

「だから、あなたは好きでもない相手と結婚する必要なんてないのよ」

 どう説明すれば、レティにアーデンとの結婚を認めてもらえるのだろう。彼女の足枷になりたくないだなんて、言えるわけがない。そんな考えを知られてしまったら、レティはきっと夢を諦めてしまう。

 シャノンは必死に考えた。けれども結局、できることはひとつしか思いつかなかった。アーデンがシャノンに約束してくれたすべてのことを、正直にレティに打ち明けるのだ。

「レティ、お願いだから聞いて。私に求婚したとき、彼は約束してくれたわ。後継ぎを産む責任を押し付けたりしない。愛人をつくっても構わない。必要なら家を買って、そこで暮らしても良い。決して私に不自由な思いはさせないって」

 自分でも不思議に思うけれど、シャノンはアーデンの言葉を信用していた。ラーズクリフ伯爵が言っていた、アーデンは本来誠実な男なのだという言葉を信じていた。けれど、レティはそうではなかったようだ。彼女は首を振り、絶望に染まりきった声で嘆いた。

「シャノン、あなたどうかしてるわ。彼があなたに約束したことは好条件のように聞こえるけれど、要は、便宜上の結婚だからお互いに干渉しないと言うだけのことよ。あなたに干渉しない代わりに、彼の行動にも口を出すなと言っているのよ」

 じんわりと涙で瞳を潤ませて、彼女は続けた。

「きっと彼は結婚しても愛人をつくり、夜毎遊び回るつもりだわ。そうなったらあなたはどうなるの? 結婚前の体裁は繕うことができても、結婚後は夫に飽きられた哀れな女として扱われてしまうのよ」

 それからレティは、「そんなことになったら耐えられないわ」とつぶやいた。


 しばらくのあいだ、ふたりは黙って向かい合っていた。沈黙に満たされた室内に、時計の秒針が時を刻む音だけが静かに響いていた。シャノンは大きく息を吸い込んで、それからもう一度、宥めるようにレティに言った。

「ねえ、レティ、考えてみて? たとえ名家のご令嬢でも、地位も名誉も財産もある見目麗しい容姿の男性と愛し合って幸せな結婚をするだなんて、そんな話はそうそうないわ。何かを得るために別の何かを諦めるのは、至って普通のことなのよ」

 そこまで言うと、シャノンはレティの細い肩にそっと触れ、菫色の瞳を覗き込んだ。

「私にとって大切なものは、レティ、あなたの幸せなの。そのために愛のある結婚を諦めなければならないのなら、それでいいのよ。アーデン卿は嘘吐きなろくでなしかもしれないけれど、地位も名誉も財産も確かなものだし、見た目だってとても素敵だわ。愛さえ求めなければ、これ以上ないほどの結婚相手だと思わない?」

 シャノンは同意を促したけれど、レティは涙目で首を振るだけだった。

「いいえ、思わないわ」

 そう言って小さく溜め息をついて、彼女は顔をあげた。菫色の瞳からは憤りや哀しみは消えていて、ただ何かを悟ったように、諦めに似た感情が残っていた。

「変わらないのね、シャノン。あなたって、いつもはお人形のようにおとなしくて従順なくせに、ときどきすごく頑固なのよ。まるで、お父様がシャツにこぼしたワインの染みみたいに」

 レティの喩えがおかしくて、シャノンが笑うと、レティの顔にも微笑みが浮かんだ。

「ごめんなさい。でも、頑固なおかげで良いこともあるのよ。来週オグバーン氏が主催する夜会にアーデン卿が招待されているの。それで、あなたと伯母様も一緒にどうかって、彼が誘ってくれたのよ」

 レティの手をしっかりと握って、シャノンは続けた。

「アーデン卿が招待される夜会だもの。きっとラーズクリフ伯爵もいらっしゃるわ。改めて彼と話をする絶好のチャンスよ」

 昨夜の誘いはアーデンの罠だったけれど、あのとき庭園に現れたふたりの様子から、ラーズクリフ伯爵はレティを好ましく思っているのではないかとシャノンは考えていた。もう一度、落ち着いた状況で話すことができれば、レティならきっと上手くやれるはずだ。願ってもないチャンスだと、シャノンは思っていた。けれど、レティの反応はシャノンが予想していたものとは違っていた。レティは困ったように眉尻を下げて口を開いた。

「そのことだけど、シャノン、私、彼とは——」

 そのとき唐突に扉がノックされて、ふたりははっと息を飲んだ。シャノンが急いで扉を開けると、部屋の前に黒い巻き毛のメイドが立っていた。

「ミセス・ドノヴァンが、おふたりとも夕食に降りてくるように、と仰っておりました」

 事務的な態度でそう告げると、メイドは深々と頭を下げて、元来た廊下を歩いていった。

 ふたりは顔を見合わせて、それからくすくす笑いだした。たくさんおしゃべりしたせいか、喉が渇いてからからで、お腹もすっかりぺこぺこだった。ふたりは手を取り合うように連れ立って、薄暗い廊下を歩き出した。



***



 数日後、メイウッド家のテラスハウスにシャノン宛てのたくさんの贈り物が届けられた。

 大小様々な箱の中には、上等な扇子や手袋、ストッキングにシュミーズと、流行の最先端をいくデザインのデイドレスが五着入っていた。そのなかには、あの日シャノンが手に取った小花柄のプリント地のデイドレスもあった。店頭に置かれていたものとは違い、襟元が可愛らしいレースで縁取られて、スカートのひだ飾りもほんの少し増えていたけれど、試しに着てみると、驚くほどシャノンに良く似合っていた。

 土曜日には、タイムズ誌にアーデン卿とミス・シャノン・メイウッドの婚約を発表する記事が掲載された。新聞を読んだ父から伯母の元に喜び勇んだ手紙が届いたことは言うまでもない。

 その日の午後、アーデン卿はふたたびメイウッド家のテラスハウスを訪れて、婚礼衣装の仮縫いのために、シャノンを街へと連れ出したのだった。


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