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7話 秋山 是清と言う男2

今日は朝から騒がしかった。


雫石は庭から花魁達の部屋のある棟を見上げて、本日何度目とも分からない、ため息をついた。

今世話になっている姉女郎である夕顔から床の間に飾る紫陽花を摘んできて欲しいと頼まれ、鋏を持って禿(かむろと一緒に庭に出ているのだ。実際は雫石があまりにため息をつくものだから辛気臭くていけないと、夕顔に体良く部屋から追い出されていたというのが本当のところである。

まだ幼い禿は、嬉しそうにどの花が床の間に似合うか紫陽花の品定めを楽しんでいるのだが、雫石は外に出たものの一向に気が晴れず、どんよりとした梅雨空のように暗い表情を続けていた。

見上げた先にある、二枚目花魁の部屋では、表情まで見えないが三雲が窓框に腰を掛け、煙管で黙々と空に煙を浮かべている。


今朝、秋山是清が家人に連れ戻されたのである。

十日以上、三雲の部屋に居続けを決め込み、毎日、賑やかに宴席を開いていた秋山が消えると、三雲の部屋が妙に静かに思えた。

秋山が連れ戻されようがどうでも良かったが、去り際に雫石を見つけ神妙な顔つきで近づいてくると、こっそり朝霧を殺めた下手人を告げられては、雫石もどう解釈して良いものか心がかき乱された。

以降、頭の中で処理しきれない彼の言葉に、雫石はため息を連発しているのである。


「藤江殿を殺めた下手人は、あやつです。ただ、手元に証拠なるものがありません。雫石殿、小生に代わって目を光らせていてください。あやつは必ずまだ何かをします。」


雫石は、ただ飲んだくれていた男の言うことを正直信じることは出来ない。

しかし、気にしないで居られるかというと、それもまた無理な話で、割り切れずにモヤモヤとおりを溜め込んでしまうのだ。

あんな男の話をどうして無視できないのだろう。

見上げていた三雲から視線を下げて、いつ尽きるとも知れない、ため息をまた繰り返したのだ。




 ********************今朝の話**************************


夜が明けて大門が開き、夕顔がお馴染みを送りに傘をさして出かけて行った。

部屋の片づけをして姉女郎の寝間の支度を整え、いつ夕顔が戻ってきても良いように玄関先で待っていると神経質そうな洋装の男が扇屋を訪ねてきたのである。

年の頃は三十代前半、長身で細面ほそおもてに切れ長の目、目元には二つ並んだ泣き黒子がある。

黒の背広に同色の帽子をかぶり、その顔には見るからに気難しそうな表情を貼り付けていた。

男は、雫石を一瞥した後ふんと鼻を鳴らし、向き直っては番頭にも愛想なく、秋山の家のものだが楼主に取り次いで欲しいと告げる。


「それと、秋山是清に帰り支度をするように申し伝えてください。沖田が来たと。もし、ごねるようなら私が向かいます。」

更にこう続け、靴を脱いで框に腰を掛けた。


少し時をおいて愛想よく現れた楼主にも、冷たい視線のまま鞄を差し出し、抑揚のない話し方で文にあった支払だと告げる。

扇屋のような大見世だ。十日以上も居続けをしていたら、請求は相当な額になるだろう。

それを現金で護衛もつけずに持ち込むのだから肝の据わった男である。

「文にあった額に、小額ですが紙幣を足しております。迷惑料だと思って納めていただきたい。ただ、これで今後秋山是清が来たとしても二度と登楼を許さぬようお願いしたい。」

「あい、分かりましてございます。ただ、沖田様。秋山様は帰りたくないようでございます故、お迎えお願いいたします。」と相槌を打つ楼主は、とても愛想の良い好々こうこうやそのものだ。

だが、一度長身の紳士から向き直り、三雲の部屋へと先導をしようとしたときの顔は、邪魔な客を追い出せ、更には迷惑料までたんとふんだくれたことに、にんまりとする古狸のそれであった。

相変わらず、うちの楼主は食えない狸親父だ。

ずっしりとした鞄を受け取り、番頭の武三にそれを渡すと中身を確認するように申し伝え、楼閣内へ歩み出していく。

しばらくすると、二階より男達の怒鳴り声と、女たちの悲鳴が聞こえてきた。


「えぇい、うるさい!うるさい!!俺は未だ帰らぬぞ。」

「ボン、いい加減になさい。散々居続けを決め込み、挙句には揚げ代も支払えずに楼閣からの催促の文が旦那様のもとに届く。何たる体たらくです。」

「お前には関係ないことだろう、沖田。俺はまだ帰るつもりはない。さっさと金を置いて、お前だけで帰れ。どうせ、この程度の金、父上は気になさらない。」

「金の問題ではございません。旦那様が気にされなくとも、この沖田が許しませぬ。ボン、諦めて帰り支度をなさい。」

「ちょいと、アンタ!!若旦那が帰らないと言ってるざます。無粋にもあっちの部屋に入って来るのは、よすでありんす。」

雌豚(めすぶたは黙っておれ。遊びごときが私に話しかけるな。時代が時代なら切り捨ててるとこぞ。」

「沖田!! 三雲になんてことを言うか。それ以上無礼をはたらけば、この是清が父上に成り代わり、お前も許さぬぞ。」

「許さぬなら、どうなさる。ボン、これ以上この沖田を怒らせぬように。」

「うるさい。うるさい。女子おなごを辱める言動は許さん。」

「是清。私は既に忠告していたのですぞ。覚悟はお有りだな。お前が、はなから従っておれば、そこの遊び女も私の言動に傷つかずに済んだものを。」


ガタガタ。ゴーン、ガタガタ。

きゃー。きゃい、花魁たすけてー。禿を含めた女達の悲鳴が上がる。


「てめー、この、沖田!!」

ドンドン。ガタガタ。

お止めください。若旦那ー、大丈夫でありんすか。


「すまん、沖田。もう止めてくれ。」

ガタガタ。

きゃー。

「沖田さん。もう勘弁。あっ、痛い。沖田さん。」

「是清、これくらいでは未だ足りぬだろう。」

ガタガタ。ゴーン。

「分かりました。もう帰ります。だから、沖田様。だからご勘弁を。」

ガタガター。



しばらくすると、何事もなかったように楼主と長身の紳士が階段を下りてくる。

少しあとには、髪を乱し、鼻血を流し、口元を手ぬぐいで押さえた秋山是清が続く。

辛うじて洋装は保っているものの、目の回りには殴られて出来たのか大きな青痣があり、子爵家次男の好青年の面影はない。

比べて沖田と言う長身の紳士は全く乱れておらず、涼しい顔をしている。

使用人が涼しい顔をしてご子息を殴るとは、何とも恐ろしい。

男は、またも雫石を一瞥して興味無さそうに鼻を鳴らし、番頭の武三に、自分と秋山の靴を出せと要求した。

慌てて武三が靴を準備しに土間におりた。


しかし、次の瞬間には入り口には、客を見送りに出ていた夕顔が戻ってきたのだ。

傘を畳み、ふと顔を上げる夕顔が、長身の紳士の行き先を塞ぐかたちで対峙した。

一度長身の紳士を見上げた夕顔は横に歩み、はにかむように視線を下に向けゆったりとした姿で後れ毛を耳に掛けて道をあけた。

しかし沖田は全く動かずこうとせず、ただ夕顔を見つめている。

さすが夕顔である。もうあの男は夕顔に魅了されているのだ。

これがお職の花魁である。

先程まで、三雲を雌豚だとか遊び女を罵っていた気難しい御仁も、我を忘れて花魁に見入っていた。

沖田の後に、ぶつぶつと文句を垂れながら続いていた秋山だが、彼が動かなくなると辺りを見渡し、雫石を見付けた。

もう一度、動きを止めた沖田を確認すると神妙な顔をして、こっそりと雫石のもとに歩み寄ってくる。

一瞬あっけにとられていた雫石だが、秋山は耳元まで近づき、小声で囁きだした。


「雫石殿、黙って訊いて下さい。残念ながら私は今日で廓を後にします。

まだ、藤江殿を手がけた下手人を挙げてはいませんが、目星はついているのです。

留吉には注意を払って下さい。

藤江殿を殺めた下手人は、あやつです。ただ、手元に証拠なるものがありません。雫石殿、小生に代わって目を光らせていてください。あやつは必ずまだ何かをします。」


この男は留吉が下手人だとぬかすのか?

雫石は秋山の言葉にただ、固まってしまった。


言いたいことだけ言い終えると、秋山はそっと沖田の後ろに戻り、

「沖田、惚けるのも程々にしろ。夕顔花魁が中に入れないではないか。早く行くぞ。」と意地の悪い表情で言い放った。


「わ、私は惚けてなどおりません。それでは行きましょう是清様。」

そう言って動き出す長身の紳士は、雫石の位置から見ても分かるほど、耳も顔も首筋まで真っ赤になっていた。


帰っていく、洋装の二人組を流し目で見送る夕顔に、楼主が夕顔は恐ろしい娘だねぇと笑いながら呟いた。

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