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4話 雫石

惣籬そうがまきを保つ扇屋は絢爛豪華そのものである。

文明開化が叫ばれ、明治に時代が変わって久しい今もなお、その美しさに変わりはない。また、廓町にあって、恐ろしく広い敷地を有しており、内装に見合うだけの美しい庭が広がっていた。

庭木はよく手入れがなされており、どの木々も今を盛りと茂っている。

中央には、これまた大きな池があり、春には桜、秋には紅葉が水面に映り込んで、幻想的な光景が人々の目を楽しませた。

花魁たちの座敷のある棟からは桜がよく見える。

雫石も姉女郎たちと桜の花を眺めるのが好きだった。三月前までは、こんな気持ちで庭の桜の木を眺めることになるとは思ってもいなかったが。

姉女郎の朝霧が亡くなって、雫石は朝霧の跡を継いでお職となった夕顔花魁のもとに、初音は唐琴花魁という扇屋では四番目に馴染み客の多い花魁のもとに預けられた。


雫石は昼見世に客のついていない夕顔の座敷から庭を眺めて、物思いに耽っていた。

朝霧の死はとても悲しく、辛い出来事だった。

しかし、雫石はまだ良いほうなのだろう。

夕顔花魁は気位が高く滅多に軽口などたたかないが、彼女がまだ新造だった頃、朝霧のところで一緒に過ごしたことがあるからだ。気心が知れている。


 二年前に、その頃全盛を誇っていた、日暮花魁が急な病で亡くなり、日暮のもとにいた新造の夕顔は、独り立ちするまでの半年を朝霧のもとで過ごした。

朝霧のもとで水揚げをして花魁となった夕顔は、凛とした佇まいから、評判を呼び、あっという間に他の姉女郎たちを抜いて、扇屋の二枚目花魁になった。そして朝霧が亡くなってからは、お職を張っている。

無口ではあるがとても優しい姉さんだ。今でも雫石、初音を気遣ってくれている事がよく伝わる。


比べて、雫石は初音が不憫でならない。

もうじき水揚げを控える初音は美しいのだが、控えめで、あまり目立たない。その為か、朝霧が亡くなったあとは、あまり評判の良くない唐琴のもとに預けられたのだ。

唐琴は、何かというと古参の三枚目花魁、東雲しののめのあとに続き、雫石や初音に意地悪をする嫌な姉女郎だ。

特に初音のことを嫌っているふしがあり、先日も、客への酒の注ぎ方が悪いだの、色目をつかっただのと大声で罵っているところに出くわしたばかりだ。

その時は、一緒にいた夕顔が唐琴をぴしゃりとやり込めたが、その後何を言われているかは雫石には分からない。

「姉女郎を亡くしたばかりの新造に悋気とは、あさましい。唐琴さんは新造にあたる前にご自身をお諌めなさいまし。あまり、他者のことばかり気にしていますと、お馴染み様に逃げられますよ。」

夕顔の冷ややかな、蔑むような眼差しに、唐琴はわなわなと震えていた。

雫石は夕顔が初音を助けてくれたことが嬉しく、そして唐琴がわなわな震える様を見て、胸がすっとした。


あまり人を悪くいうことを好まぬ雫石だが、東雲、唐琴は別格、どうしても好きになれない。

朝霧が亡くなったときにも、まだ数日も立っていないというのに、朝霧の上客に文をあて、自らのお馴染みに鞍替えするよう根回しをしていたし、何より、姉女郎を亡くしたばかりの初音に筆が得意だからと代筆を命じたときには、雫石は怒りで震えが止まらなかったことを覚えている。

夕顔の言葉ではないが、何ともあさましい女たちだ。

楼主が皆を呼び、朝霧の訃報を告げたときには、しおらしく涙を流していたが、そこはあの女狐と女狸、内心では何を考えていたか知れたものではない。

 

それにしても、今年の春に朝霧や初音と楽しく眺めた桜の木が、どうして、こうも考えていることが違うだけで淋しく見えるのだろう。花から葉桜にかわった事はあるにしても、まるで水面に浮かぶ苔のした墓石のようである。

ただ、ぼうっと庭を眺めているだけだが、虚しさがじわじわと湧いてくる。

ふと目尻に浮かんだ涙を拭ったとき、洋装をした男の姿が目に入った。

あれは確か、教兄さまの友人の秋山某あきやまなにがしというお方だ。

朝霧姉さんが亡くなったときには、おいおいと男泣きしていた御仁が、何故扇屋の庭にいるだろう。

よく見れば秋山の後ろに二枚目花魁の三雲が続いている。

まさか三雲を買っているのだろうか。

雫石は怒りで顔が紅潮していくのが分かった。

男とはこんなものなのか。姉さんが亡くなったときには、おいおいむせび泣いていた者が、三月足らずで他の花魁の座敷にあがるものなのか。

雫石は、立ち上がると遣り手のお辰さんのもとへと走った。




「そうだよ、秋山様は三雲のところに通っているよ。三雲も大したものだねぇ。秋山様といえば、子爵様のご子息だし、これは上客を捕まえたもんさね。」

嬉しそうに応える、お辰さんの言葉を聞いて手が震える。

朝霧姉さんがかわいそうだ。

確かに秋山は、朝霧の客ではなかった。しかし、近くで見ていて、彼が朝霧を慕っていたのは明らかだった。それに教兄さまだって不愉快に違いない。


やってはいけないことだと分かっていても、雫石は秋山に一言くれてやらねば、気がおさまらない。

秋山が手水場ちょうずばへ向かうところを捕まえて、文句を言ってやろうと心に決めたのだ。

秋山と三雲が庭の散策を終えて座敷に戻るのを確認すると、手水場へ向かい、秋山がやってくるのを待った。

 少しすると秋山は、のこのこと手水場へ向かって歩いてきた。


「そこの馬面。あんた、朝霧姉さんが亡くなって、まだ日も浅いのに何で同じ見世の女郎なんて買っているのよ。この恥知らずが。」

顔を真っ赤にして詰め寄る雫石に、秋山は虚をつかれたように一瞬驚き、頭をかきながら口を開いた。

「おやおや、これは雫石殿。どうなされましたか。」

あまりの無邪気な返答に、怒りを通り越し、少し呆れたが、教兄さまの為である。

ここで引き下がれない。

「馬面。あんた、教兄さまのご友人でしょ。朝霧姉さんが亡くなって間もないのに、同じ見世の女郎のところに通うなんて、無神経にもほどがあるわ。だから、恥を知れと言っているの。」

少し間を置いて、頭をかいていた秋山が真面目な顔になった。

「そう言うことですか。…ご心配には及びません。これは教純の為にしていることです。」

あまりに突飛な回答に雫石は固まった。

「えっ。どういうこと。」

教兄さまの為とはどういうことなのだろう。

秋山は、少し考えるふうにしてから、こう続けた。

「実はあなたにも話を伺いたいと思っていたのです。これは、ここだけの話ですが、私たちは藤江さんの死を病死だとは思っていません。もちろん事故死でもありません。誰かに殺められたのです。」


朝霧姉さんが殺された。


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