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ミケのオンラインリハビリテーション  作者: 白ネコ扇子
第6章・チェック
85/87

83・元傭兵の成れの果て

「んっくう〜……っ」


 王城を舞台とした死闘から一夜明け、私は遅めの朝を迎えた。


 私達のクランホームでこっそりと開かれた祝勝会は、外で侵攻クエストが終了する前に解散となった。

 シェルティやジノはまだ子供だし、早めに就寝させた方がいいだろうからね。あ、私は大人だから。


 それに、私はパーティー中ずっと浮かれている訳にもいかなかったのもある。


 リアルでは職を失うかという瀬戸際なのだ。

 妙な圧力によって懲戒処分にされそうになっているという事。それが私の相棒であるリシアの抱えたしがらみによるものであるらしい事。

 どうやら全てリシアに迫る魔の手の影響であり、リシアは悪くない。……いや、アイツのやらかしが私のせいにされてるっていうのが表向きの懲戒理由らしいから、ちょっとは反省してくれ。


 そんな悩みを抱えてるせいで、怪我はよくなってきてるはずなのに、体を起こす腕は昨日よりずっしりと重く感じた。


 昨日リシアと、それから上司のルガートのやり取りから、リシアは今まで見せた事のない深刻な顔で去っていった。

 あんな思い詰めたリシアは初めてだった。


 いつもと違うリシアに、私はその背中を引き止める事ができなかった。

 リシアが抱えた闇がどれ程深いのか。

 あの時、無理にでも引き止めるべきだったのだろうか。


 リシアは詳しい事は何も言わず、行ってしまった。

 それはきっと私を巻き込まない為だ。

 今の私は自分の世話すらまともにできない。

 そんな状態の私をこれ以上危険な目にあわせない様に気を回したんだ。

 以前だったら自分勝手に人を振り回してたくせに。


 そう。中学校への潜入捜査に私を生徒に紛れさせて勝手に送り込んだり、酒場で聞き込みをしていたはずが何故かリシアと酒飲み勝負をする事になって潰されたり……。


 ……思い出したらなんか腹が立ってきたな。


 とはいえ、アレで20歳そこそこの若さにも関わらず、私の指導役として異例のコンビを組む事になる程の逸材でもあるんだよな。

 相棒として体を使う私と頭を使うリシアでいくつものヤマを解決してきたものだ。


 あんな奴だけど、いろんな所で慕われているのも知ってるし、私もなんだかんだでまだ一緒にいる。

 あんな台風みたいな奴でもいなくなると少し、日常が静か過ぎる気がする。


 ……いや、別に寂しい訳じゃないよ?

 いないとちょっと物足りないというか、つまらないというか。

 いろいろあってもやっぱり楽しい奴なのは確かだ。


 ……なんで私がこんな言い訳しなくちゃいけないんだ。

 なんかまた腹が立ってきた。

 やっぱりしばらく顔を見なくていいかも。


 でも、いつまで……と考えると、答えが見えないのがもどかしい。

 もしかしたら、もう帰って来ないのではないだろうか。あの背中を思い出すと、そんなありえない可能性だってゼロじゃないと思えた。

 そう思うと、どんどんその可能性とやらが胸の奥で膨らんでくる。

 まさか、本当にいなくなったりしないよね?


 何となくそうなった後を考えてみる。

 考えてみると、私は痛くなる程に左手で胸をギュッと握っていた。


 アイツのせいで頭の中がゴチャゴチャしてまとまらない。どこほつき歩いてるんだリシアの奴!

 あーもー! とにかくなんでもいいから 早く顔を見せろ!


「リシア」



「おはようシェリル。起きるのが遅いから先に朝ごはんいただいてるわよ」



 いた。


 私がポロリとその名前を口にしたら、不意に真横から声が聞こえてきた。

 ベッドの横で簡素なイスに腰かけながら、勝手に持ち込んだピザを頬張りチーズがとろりと糸の橋をかけている。

 朝っぱらからピザ。重くないかそれ?


 恐らく「ハトが豆鉄砲を食らった様な顔」というのは今の私みたいな顔をいうんだろう。

 通りでいつもよりお腹が空いたな……と思ったら、いい匂いが部屋に漂ってたからか。

 それで気づけない自分の間抜けさにも呆れる。


 そこにあったのは紛れもなく、見慣れた赤い髪の相棒――リシアのとぼけた面だった。


「なんか起きたと思ったらいろいろ百面相してるから声かけそびれちゃったわ」


 ペロリと舌を出して笑うリシア。

 私は迂闊な自分にヤカンみたいに顔が沸騰しそうになっていた。いたならいたって言えよ。

 今は、リシアに顔を見られたくない。

 リシアは慌てる私を見て満足そうにニヤニヤしていた。ホラそうやってすぐ心を読むー!

 ぐぬぬ。


「食べる?」


 顔を上げられないでいる私に、うず高く積まれたピザの箱を親指で差したリシア。


「……食べる」


 病院食の灰色な味に飽き飽きしていた私のお腹は正直だ。

 私はリシアの開けた箱から一切れ手に取り、ビヨンとチーズを伸ばしながらピザを齧ったのだった。


 リシアははにかむと、すぐに切り替えて真面目な顔になった。


「……さぁて、っと。結局なんでシェリルが懲戒処分されるのか、ホントの所はわからずじまい。ルガートに頼んで上と話し合いの場を設けてもらったけど、無駄だったわ。上はお決まりの定型文を垂れ流す以外、口を濁してハッキリしなかったし。やっぱりどこかから圧力がかかってるわね」


「…………」


 私が頷くとリシアも頷いた。

 それにしても、ルガートに頭を下げてまで調べてくれたのか。

 一応婚約者らしいけど、リシアはルガートの事はなるべく避けていた様に感じる。

 たぶん、家が決めた事なんだろうから、リシア自身好意を持ってる訳じゃなさそうだけど。

 さらっと話したけど、リシアにとっては結構な葛藤があったんじゃないだろうか。


「で、黒幕はアタシの実家のバレンタイン家だろうって事と、恐らくアタシに用があるんだろうって事。証拠はないけど、まぁまず間違いないわ」


 そして、その家が今回敵に回ってるから、信用できるか難しいのもあったはずだ。

 それを加味してもルガートに頼らざるを得なかったという事。

 きっと他にもいろいろ手を尽くしてくれたに違いない。

 努めて明るく振る舞っているリシアだけど、その目の下のクマとヨレヨレになったスーツがその苦労を物語っていた。


 私は相槌を打った。

 そこまでは昨日話した事だった。


「わっかんないのは、こんな回りくどい事してまで今さらアタシに何の用だっつー話よ。こんな放蕩娘、なんの役に立つってのさ。もー」


 リシアはガシガシと両手で頭を掻くと、眉間に深く皺を寄せてベッドに顔をうずめた。


 何故、私やリシアにこんな仕打ちをしてきたのか。

 リシアも昨日1日調べてきたからか、珍しくぐったりしてるようだし。

 それでも進展がなかった程に、この件は困難を極めているという事だ。


 私の足元で唸るリシアを眺めながら、私も考えに耽った。


 リシアの実家「バレンタイン家」について私はあまりよく知らない。

 だけど、かなり大きな家である事。

 いや、実はそんな話に収まらない。

 幅広い商売をしていて、多くの企業を傘下に収める巨大グループのトップに君臨しているという事だけは知っている。


 別にリシアが実家について詳しく話してくれたという訳ではない。

 誰もが知っている有名な――いや、日常にありふれた存在という程に浸透している大企業なのだ。

 それこそ、食卓のバターから宇宙船の部品に至るまでといったくらいに。


 だからこそわからない。

 そんな大きな家なのだから、優秀な親戚一族は他にもいるだろうに。

 リシアは直系の一人娘だそうだけど、血の繋がりだけで会社の運営、未来を決められる訳じゃない。


 何故、リシアなんかにどんな用事があって、私を巻き込んでこんな事をしでかしてくれたんだ?


「ねぇ、実家なら電話して訊いてみればいいじゃん」


 私はごく当たり前の事を言ってみた。


 だけど、リシアは布団にうずめた顔をチラリとこちらに向け、渋い声を絞り出した。


「『直接会ってお話しするとのお達しです』って取り次がないのよ。あの執事のクソジジイ。あああもう、あのクソデカ家ぇ……。行きたくないぃ……」


「私のクビがかかってる」


「それでホイホイ出向いて最悪監禁されてあげる程、シェリルの為に自分を犠牲にはしたくないし」


 そこまで望んでないけど、それ本人の目の前で言うか。

 ただ、監禁されるという可能性がある様な家だという事に、私は少し寒い物を感じた。


「単純に、会いたくなったから……とか?」


「正気? 家出した娘に会いたいからって、娘の同僚の生活ぶち壊して気を引きたがってるっての?」


 私が呟くと、リシアは布団から顔を上げて、まるでエイリアンでも見る様な顔で私を見上げた。


「むう……」


 さすがに私もそれはないと思いたい。


「ああ……でも、ただ会いたいって訳じゃないだろうけど、アタシの事を知ってれば捕まえる為に脅してでも……ってのはあるかも」


 はた迷惑な。健全なコミュニケーションとは言い難い。


「そもそも、要求を伝えてくる前にシェリルにこんな事してきたのだって、アタシに対する脅しって事でしょ」


 執事の言い方から関わっているのはほぼ確信できていた。

 まさかリシアを自分の所へ出向かせる為だけに、これだけの事をしたというのか。


 以前なら違っただろうが、今の私なら人質にちょうどいいという訳だ。

 なんだか悔しいな。


「……確かに、マフィアからの追い込みだって、かわしながらおちょくる余裕あったしね……。逃げに徹したリシアを捕まえるのは、全世界の警察が束になっても無理かも」


 そんな風にマフィアの捜査をしていた時、リシア自ら囮となって一網打尽にした事もあったっけ。

 もの凄く性格の悪い挑発を繰り返し、逆にマフィアが可哀想に思えた程だったのを思い出した。

 裏社会のドンとかいう人、最後むせび泣いてたもん。


 だからこそ、向こうもペースをリシアに握らせない様手段を講じたのだろう。

 だけど、健全なコミュニケーションが取れない関係が、リシアにとってずっと普通の事だったのだと思うと少し胸が痛くなった。


「はぁ……。アタシが今回の件を調べ始めてから、ずっと監視されてたのよね。馴染みの情報屋もみんな口を噤んでるし。まったく、結局ここに逃げ帰ってくるので精一杯。ちょっとお手上げだわ」


 眉間のシワを揉むリシアの言葉に私は驚いた。

 まさか向こうがあのリシアがろくに動けない程の妨害をしてくるとは。その力の入れようは尋常ではない。

 調査が進まなかったのは手がかりが見つからなかったからではない。

 手がかりそのものが真正面から殴りかかってきたのだ。


 それは、警察相手にそれができる程、敵が強大だという事を嫌でもわからせるに十分だった。

 全てリシアを家に出向かせるという為だけに、だ。


 リシアの疲労と、私の驚きによる少しの間の後。


「リシアは……なんで家から出たの?」


 私は踏み込んだ。


「…………」


 私が訊ねると、リシアは少し声を詰まらせた。

 リシアは目を反らし、無意識か手をギュッと握って考え込んでいた。

 やはり言いにくいのだろうか。それでも、私は待つ。お互いの関係の為にも、私もリシアの事が知りたい。


 今まで知ろうとしてこなかったリシアの過去。

 いつも飄々としているリシアの、その抱えている何かを。


 きっとそれがこの件の解決の糸口となる。


 しばし沈黙した後、リシアは意を決した様に口を開いた。


「それは――」


「おはようございますシェリルちゃ……ああ、いい匂い……ってなんじゃこりゃあ!?」


 そのタイミングで病室のドアがノックされ、返事を待たずに看護師のお姉さんがやってきた。

 それと同時に、部屋の空気に満ち満ちたピザの香りにうっとり――すぐ我に返っておっさんみたいな雄叫びを上げた。


「あっ。やべっ」


 そうだった。病室に勝手に大量のピザを持ち込んでたんだった。

 散らかったピザの空き箱を見回して、看護師さんの顔がみるみる間に鬼の形相へと変貌していく。


「あちゃ〜。アタシとした事が、根回しするの忘れてたわ。という訳で、ちょっと借りてくわね!」


 と言うやいなや、リシアはひょいと私を車椅子に乗せ、エンジンでも積んでるみたいな速さで病室から走り去った。


「か、看護師さん。ごめん」


「待てやゴルァッ!! オゥルァア!!」


 マフィアも真っ青な顔で吼える看護師さん。

 ホラー映画の主人公にでもなった気分で、私達は閉まるエレベーターの扉から追いかけてくるそれを見届けたのだった。




「ふう……。撒いたみたいね。ちょっと飲み物買ってくるわ。シェリルは何がいい?」


「甘いのならなんでもいい」


「オーケー」


 私達は無事に病院を脱出し、病院の隣の公園で一休みしていた。

 あれだけ走り回ったのに息ひとつ切らしていないリシア。やっぱり逃げ足だけは大したもんだと改めて思った。


 ピザの空き箱で散らかしっ放しのベッドを思い出し、私は後でどう看護師さんに謝るか考えて眉間を指で押さえた。


 結局リシアが何で家を出たのか聞けずじまいだったけど、再び訊ねる事はできずその背中を見送ってしまった。


 まだ少し早い時間帯。休日なのに公園の外にはまばらに行き交う人々が見える。

 息を吸うと、朝露に濡れた草木や土の匂いを感じた。

 少し肌寒い空気に身を捩りながら、左手で膝のタオルケットを体に引き寄せた。


 成り行きで飛び出してきたけれど、リシアがタオルケットをとっさに持ち出してくれたのだ。

 普段ちゃらんぽらんなクセに、ホントこういう所は気が利くんだから。

 私は心の中で感謝しながら、まだ白さを帯びた朝の空を見上げた。


 そんな時だった。


「こんな所で何をしている?」


 不意に黒い影が朝日を遮り、私の前に立っていた。


 顔は逆光で暗く、よく見えない。

 だが、黒いズボンに黒いTシャツをまとったその体は、内側からはち切れんばかりの体格から非常に鍛えられている事が見て取れた。

 全身黒ずくめの格好と、空を遮る巨大な山脈を彷彿とさせる大きな体格。浅黒い肌の顔に、短い髪だけが山頂に戴いた雪冠の様に白く輝いている。


 神話から出てきたかの様な英雄を思わせる威容をまとった男は、猛獣の様な低い声でそう私に訊ねてきたのだった。


「昨日ぶり」


 男の問いに、私は軽く返した。


 私の前に立っていたのは角こそないものの、昨日死闘を繰り広げた相手と寸分違わない姿の男。


「ゼフォン」


 かつて、とある戦場で「死なない生き餌」と呼ばれていた、傭兵の成れの果てだった。


 私は刃の様に鋭くまっすぐ向けられた視線を見返した。

 それから左手で体を支え、背を伸ばす。

 大きく息を吸い、崩れそうな体を支え直してもう一度左腕を伸ばした。

 そうしてようやく態勢を整え終え、止めていた息を少し吐いた。


 少し時間がかかったが、動かない他の四肢にも可能な限り力を込め、私は目の前の男と対峙する様子を見せた。


 今の私に可能な事はこれが精一杯。

 傍から見れば身動ぎした程度の動作で息が切れる。

 思い通りにならない体がもどかしく、なんとも情けなく感じた。


 とてもゼフォンの望みを叶えてやる事はできそうにないのが酷く悲しい。

 私は軋む体に走る痛みに耐えながら、目の前の男を見上げた。


「…………」


 重苦しい沈黙が辺りを包んだ。

 互いに言葉を発しない。

 ゼフォンも最初に訊ねた以降刃の様な視線で私を見下ろしているばかり。

 そうやってしばらくヘビとカエルの睨み合いが続き、身動ぎひとつしない目の前のヘビに「食われるならいっそ飛び込んでやろうか」と思い始めた頃。


「ガディンを覚えているか?」


 唐突に沈黙を破ったのはゼフォンの方だった。


「ガ……ディン? あ、うん」


 不意を突いて出された質問へ、私はとっさに流されるまま頷いた。


 ガディンって、確か私がアルテロンド城門前で倒したライオン男だよな。どうしてその名前が出てくるんだ?


「さっき奴の見舞いに病院を訪ねた所だ。奴とは貴様の行方を探す途中知り合った。貴様に負けた者同士でな」


「そう……なんだ。……って、え? お見舞い? ……入院してるの?」


 私がしゃべらないから先に話してくれたのかな? 

 でも、意外なその内容に私は素っ頓狂な声を上げていた。

 私が戸惑っていると、ゼフォンは獣の様に低い声で質問に答えた。


「奴は初めて貴様に負けて以降ずっと病院暮らしだったらしい。知り合ったのは奴が退院した後だが。俺を向こう(ゲーム)の世界に誘ったのも奴だ。しばらく前にようやく立ち直ったばかりにもかかわらず昨日、貴様に再び負けたせいで急遽出戻ったのだがな」


 えっ? そこまで大怪我させたっけな……?

 記憶を引っ張り出してみたけど、そこまで痛めつけた相手はいなかったと思う。

 というか、今度はゲームで負けて入院? どういう事だろう?


「奴が壊したのは精神の方だ。元々奴は格闘大会のチャンピオンとなってから、その傲り具合は目に余るものだったと聞く。その縋っていたプライドを……子供の姿をした貴様に折られたのが受け入れられなかっただけだ。……俺が言えた事ではないがな」


 私がいくつものクエスチョンマークを頭上に浮かべていると、ゼフォンが説明してくれた。


 ただ、心を病む程だったって聞くと急に罪悪感が湧いてきた。それで立ち直りかけてきた所に追い打ちかけちゃった……と。

 確かに昨日は物理的には敵いそうになかったから、ちょっと、その、やりすぎちゃった部分はあるけどさ。


「以来拳を握れなくなったと言っていたが、奴の現状は戦いにおける覚悟が足りなかった奴自身の落ち度だ。相手を子供と侮った故の当然の末路。貴様が気にする必要などどこにもない」


 淡々とそう述べるゼフォン。

 そう言われても全然心が軽くならないんだけど。


 冷たいというか、ドライというか、そこに何の感情もない。

 いや、戦いに置ける非情は私もわかっている。だから、それは当然ともいえる。


 それでも、見舞いに来るくらいの情があるのは少し意外だったかも。

 昨日は無口だったゼフォンが、こんなに饒舌に説明をしてくれたのも意外だ。


 それに、少しリアルのガディンらしき相手の事を思い出してきた。


「…………」


 昔、私がふらっと訪れた格闘ジムでの話だ。

 やたら威張り散らしていた格闘チャンピオンだという男が、周りのジム生を必要以上に痛めつけていたのをたまたま見た私。見かねて間に入った末の出来事だったっけ。

 それにあの時も私をチビ呼ばわりしたから、同じ様に思いっきりコテンパンにしたんだった。

 思い出したら、私悪くない気がする。


 リゴウが言っていたが、ガディンは徒手格闘の方が強かった、と。

 軽い組み手程度ならできるまでに回復していたみたいだけど、本気の戦いでは頑なに剣を使っていたのはそういう理由だったのか。


 とはいえ、ガディンも私同様ゲームの世界でリハビリしてたんだろうけど、向こうでも倒してしまったせいでまた……というのは申し訳なかったと思う。

 ただ、ゼフォンの言う通り戦いにおける覚悟ができていなかったのはガディン自身の責任だ。


 戦いは弱者に力を振るうものではない。

 王に挑むメンバーに加わらず、城門前で足止めの役割に収まっていたのを見るに、その性根は変わっていなかったのだ。



 ……と、まぁ、ゼフォンがここにいる理由はわかった。


「…………」


 ひとしきり話し終えた後、ゼフォンは鋭い眼光を私に向ける一方、それ以上言葉を続ける事なく再び沈黙が続いた。


 ついにその時が来たかと、私は身構えた。


 昨日いつでも再戦を受けると言った身としては、この体でゼフォンが望んだ戦いができるとは思えないのが悔しい。

 それでも、言い訳はしない。

 戦うのであれば、こんな体でも全力で挑む。


 ただ、私の姿を見て、失望しただろうか。

 かつて自分を打ち負かした相手が、今では他人の手を借りなければ自分の世話すらできない体になっていたならば。もう私にこだわる理由はない。


 だけど、それは私自身が許せない。

 決着をつけるに値しない体なのは承知している。

 人生を賭けてまで私を追ってきてくれた相手に、その道程を無下にする事など私が許せない。

 申し訳ない気持ちもある。

 それより、共に戦いに身を置く者としての誇りが、私にそれを許さなかった。


 わずかに身動ぎしたゼフォンに私は覚悟を決め、その初動を迎え撃とうと気迫だけでも立ち向かった。


 だが――


「……すまない。気を遣わせた」


 ――そんな私の想定とは違い、ゼフォンは戦おうという気配を見せなかった。

 ただ、少し気を緩めた視線を向けてそうこぼしたのだった。


「勘違いするな。今の貴様を弱いと断じたつもりはない。現に……昨日俺は貴様に負けた」


 ゼフォンはわずかに悔しそうに顔をしかめ、私を見下ろした。

 今の私の体を慮って遠慮しているのなら、私にとっては屈辱であった。

 しかし、本当にゼフォンはただただ「今の自分の実力では私に勝てない」と自戒しているのだ。

 自分自身が再戦の場が今は相応しくないと思っている。


 ただ、それだけなのだ。


「散歩」


 ふと、気づいたら私はゼフォンにそう声をかけていた。


「最初の質問の、答え」


 ゼフォンの眉が微かに動いた。

 それから眉間から力が抜け、意外にも少し呆気にとられた様な顔をして私を見下ろしていた。

 あまりに私の台詞が間抜けに聞こえたのか、ゼフォンはしばし目を丸くしたまま二の句を継げずにいるようだった。


 言った私が言うのもなんだけど、気まずい。

 私も二の句が継げない。

 相手も私も互いにおしゃべりが得意な方じゃないから、話が続かないんだよ。


 そうやってしばらく気まずい沈黙が続いたが、それを打ち破ったのはまたもゼフォンの方だった。


「……貴様に挑もうとしている人間は俺以外にも大勢いる。中には卑劣な手を使う者もいるだろう。気をつけろ。……いや、余計だったか」


 ゼフォンは踵を返し、背を向けた。


「散歩の邪魔をした。また、向こうの世界で会おう」


 そうして歩みを進めるその背中に、私は最後に声をかけた。


「名前。シェリル・キア。そっちは?」


 その問いに、ゼフォンはわずかにこちらを一瞥し、すぐに前を向いた。


「……ゼフォンでいい」


 それだけ言い残し、ゼフォンの姿はその気配ごと影の様にその場からいなくなっていた。


「あれ? シェリル。今ここに誰かいた?」


 ゼフォンと入れ替わる様に、リシアが赤い髪を揺らしながら戻ってきた。

 右手に持ったミルクティーの缶をこちらに放りながら、リシアはキョロキョロと辺りを見回している。


「ん……」


 私は曖昧に返事をしながら、左手でキャッチした缶のプルタブを親指で開けた。

 リシアも気配のない誰かを探すのを早々に取りやめ、車椅子の隣のベンチで缶コーヒーを開けていた。


 私は缶を口元に運び、甘い味が舌に広がるのを感じながらゼフォンが最後に残した言葉を思い返していた。


 私に挑もうとしている人間……か。


 数えれば切りがない。

 純粋に挑戦者として挑んでこようという者や、代理人として雇われた者。恨んでいる者だっているかもしれない。


 そいつらはいずれ必ず私の前に現れる。

 私が踏み越えてきた相手の数だけ、その人生を背負って。

 そして、それは私の人生の責任であり、私が立ち向かうべき宿命なのだ。


 だが、今の私にとって、それは私だけの問題ではなくなっている。

 そんな者達が、今の状態の私を見たらどうするだろうか。

 私はもっと警戒し、慎重であるべきなのだろう。

 心のどこかでそれを認めたくなかったから、こうして呑気に外を出歩いている。

 周りの人達をも危険にさらしている自覚もなく。


 だから、今私はリシアの弱点にされているのに、リシアには世話になってばかりいる。

 口の中に感じる甘さを、安い苦味が塗り潰していく。

 もしかしたら、今もどこかから私を狙っている者が近くに潜んでいるかもしれないのだから。

 さっきも、ゼフォンに戦う意思があったなら、私は今生きていないだろう。


 こうして太陽の下、今無事でいられるのも、運良くただバレンタイン家が私に恨みを持ってる訳ではなかったからだけなのだ。


 だからって、自分一人隠れて何もせずにいるのか?

 できる事はない?

 否、考えを止める事は許されない。

 今ある手札をよく見直せ。

 そこから活路を見出さねばならないのだ。

 

 ならば、私にできる事は――


「どーしたん? 難しい顔して。口に合わなかったったって、もう交換してやんないからね」


 既に飲み干したブラックコーヒーの缶を逆さに振りながら、リシアはおどけた顔でゴミ箱にそれを放り投げた。


 ふざけた調子で誤魔化してるけど、その顔には心配の二文字が薄っすら見えていた。

 お調子者のリシアだけど、その実誰より他者をよく見て、よく理解しようとしてくれている。

 このミルクティーだって、いつだったかリシアが飲んでいたのを「私もそれにすればよかったな」とほんの少し眺めていたのを覚えていたんだろう。


 みんなのピンチに駆けつけてくれる些細なヒーロー。それがリシアだ。

 今だって寝ずに私に付き添ってくれた。

 いざとなったら誰より頼りになる私の相棒だ。

 だから、みんな――私もリシアの事が気に入っているんだ。


 ……それと、普段あまりしないんだけど。


 リシアは私の頼み事をほとんど断らない。


「リシア。頼みがある」


 そして、私の提案にリシアは、ただ快い返事で応えてくれた。

 次回投稿は1月24日午後8時予定です。


 次回第84話『とある少女の帰省』


 お楽しみに!

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