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ミケのオンラインリハビリテーション  作者: 白ネコ扇子
第6章・チェック
82/87

80・最終決戦奥義 序ノ段

 足下から薙ぎ払われた白い大剣を黄金の閃光が弾き返し、空に翻る。

 そして、首元に振り下ろした閃光が振り戻された大剣に激突した。

 王が両手に力を込め、鍔迫り合いの交差を押し込んでいく。


 人族の王が白い悪魔を押していた。

 王国陣営の手練に囲まれてなお圧倒していた怪物が、今初めて互角の戦いを繰り広げているのだ。


「馬鹿な! 馬鹿な馬鹿な馬鹿なッ!! あり得ん! 何故王が動けるんじゃ!? 城塞め……王は回復不能ではなかったのか!?」


 遥か上空で小さな体をさらに縮こまらせて、ベロムートは必死に唾を飛ばしていた。


 巨山の様な攻撃がゼフォンの剣にのしかかる。

 その力強さは最早負傷時の重苦しさなど微塵も感じさせない。

 王は完全に回復したのだ。


 剣同士の激突による衝撃に、ベロムートは自身が遠くにいる事も忘れて悲鳴を漏らした。

 それ程までの驚きだったのだ。

 不可能と聞いていた王の回復が。


「不可能などない」


 そのベロムートの思考に差し込まれた反論。

 ベロムートは垂れ流していた脂汗を飛ばし、その声の主に視線を向けた。


「我輩は薬師だ。玉座の間にしかない素材であれば何らかの助けになると推測し、すぐ製作に取りかかっていたのだ。そうして完成したのが『ジュエルディーヴァ(宝玉の歌姫)』。世界で唯一王を回復可能なポーションである」


 視線を向けられたソディスはいつもの澄まし顔をちょっぴり誇らしげにさせた。


「魔王が回復不能と知っていた城塞が何年も極秘に開発を続けさせていたにも関わらず、一切の回復手段が無いと断言したのじゃぞ!? それをこの短時間で……ありえん! 不可能じゃッ!!」


「それを可能にしたのが、我輩だ」


 そう言い放ったソディスに、ベロムートは禿げた頭に青筋を立てながら口を噤むしかなかった。

 ソディスに向けた指先をブルブルと震えさせたまま、所在なく宙に留めていたベロムート。


 そのベロムートの掌を周囲の氷塊ごと粉々に破壊しながら、1本の矢が貫いた。


「どう望もうとも、それをあなたが知る機会はありません」


「んぐうううぅっ!? き、貴……っ様ぁ……!」


 心は折れかけていた。

 脆く風化した塩の柱の様に、その脚は崩れかけていた。

 それを恥じる気持ちも今は飲み込み、アスタルテは矢を放った。


 ネストの、ギネットの稼いだ時間は無駄ではなかった。

 確かに繋がったのだ。

 繋がった先に希望があるなら。その希望を見せてくれた2人と、そしてソディスが繋げた可能性に向かって死力を尽くす。


「我輩にできるのはここまでだ」


 澄ました顔で佇むソディスに黙して感謝し、その向こうに待つ醜悪な黒い点を見据える。


 アスタルテは今一度、その脚で立ち上がった。


「あなたの相手は私です」




 アスタルテが戦闘を再開したのと同時に、一方でも戦闘により生じた凄まじい衝撃がソディスを襲った。


「おおおおおおッ!!」


 剣がぶつかり合い、突風が吹き荒ぶ。

 およそ剣の衝突とは信じ難い、森の木々すらなぎ倒す嵐の様な攻防が繰り広げられていた。

 石でできた広い床が紙の様に捻じれ、倒れた大柱が息を吹きかけた爪楊枝のごとく飛んでいく。

 それが城の一角を突き破り、天を裂く稲光と共に空へ爆発四散する。

 およそ人知を超えた戦いの激しさが城の外壁まで爆ぜさせ、次々迸る炎が夕闇に浮かぶ白亜の塔を赤く染め上げた。


「そなたと再びこうして全力で剣を交えられるとは! 嬉しく思うぞ!」


 ゼフォンが叩き下ろした剣を力任せに跳ね上げた王。

 さらに、態勢の崩れたゼフォンに最短距離で刃を振り下ろした。

 しかし、態勢を崩してなお、ゼフォンの返した大剣が黄金の剣を受け止めた。

 その一合で周囲の大気が弾け、瓦礫の山が吹き飛ぶ。

 2人は剣を交差させたまま、ギリギリと一歩も譲らず互いを押し続けた。


 剣の柄を両手で握り締め、王はその端正な顔の口元を引き上げた。


 回復を経た事で王は全力で剣を振るう事ができる様になった。

 それだけではない。

 これまで剣と盾、力と魔法を駆使した戦法を繰り広げていた王。

 やがて盾も失い、負傷し左手が使えなくなってからも、王は右腕だけで剣を扱っていた。


 だが今、王は両手で剣を握った。

 余計なものの一切を省き、王はその全力を剣にのみ集中させたのだ。

 それは剣に込められる力が単純に増えるだけではない。

 左手で剣を支え、両手を駆使する事で片手では扱えないより精巧な技をも繰り出せる様になる。


 今から見る事になるのは、王の本気の剣技だ。


「ふっ。だが、今のこやつに長くは持つまい。弓士アスタルテよ! 頼んだぞッ!」


 剣を突き飛ばし王、ゼフォン両者共に次の刃を振るう。

 剣を構え直し、笑った王。

 その肩が裂け、傷から赤い光が弾けた。


 横薙ぎに剣を振ったゼフォンが、受けた黄金の剣ごと王を弾き飛ばした。




 アスタルテはそれを一瞥し、自分の獲物へと視線を引き絞った。


 その先に見据えたのは、浮遊する無数の氷群を従え、3枚の分厚い氷の壁に守られた小さな黒い点。

 空を陣取り、無限に氷柱の爆撃を繰り返す空中要塞、雹雨のベロムート。


 撃ち抜かれた右手を庇いながらのベロムートだが、その攻撃は休まる事を知らない。


「おのれぇえ!! 小娘がッ! この程度で調子に乗るでないわぁッ!!」


 頭上に一斉展開された氷柱の群れが空を覆い尽くす。

 やがてそれは氷柱でできた雨雲を形作り、暗くなり始めたばかりの夕空が一気に闇に閉ざされていった。

 そして、形成された側からそれは無数の弾幕となって地上に降り注いだ。


 弓を担ぎ、アスタルテは走った。

 足下で氷片が爆ぜ、氷柱が肌を裂いていく。無数の衝突音が雨音の様に鳴り続ける中、アスタルテは走り続けた。

 今やもう残り少ない矢を無駄にはできない。

 スタミナ値を消費してでもチャンスを見出してみせる。


「鴉羽ごときにこのワシが劣ると抜かしたなぁ! じゃが、今すぐそれが間違いだったと思い知らせてくれようぞ!」


 ベロムートが左手をかざすと、新たに巨大な氷塊が空に出現した。


 冷気で周囲を白く染めながら、それは音を立てて形を変えていく。

 塊だった氷塊が薄く潰れていき、鋭い流線型へと生まれ変わる。

 さらに左右に新たな氷の膜を広げた。

 それは翼。


 ベロムートが魔法で作り出したのは、空を翔ける巨大な氷の鳥だった。


 だが、アスタルテが目を止めたのはそこではない。


 「氷柱の弾幕」、「3枚の氷壁の盾」。既に2種類の魔法が行使されている。

 にも関わらず、第3の魔法が行使されたのだ。


「これが、ワシのもう1つのユニークスキル『トリプルキャスト』! 高々2つしか同時に魔法を使えぬ鴉羽よりワシが優れている何よりの証拠じゃ!」


 3種同時魔法。

 ラゼの使用したユニークスキル、2撃同時魔法「デュアルキャスター」の上位互換。


「『バイタルコンバーション』でのスタミナ値の補充。それによる超長時間飛行と、『トリプルキャスト』の多方位爆撃! 相手から手の届かない高さからの一方的な攻撃が……この絶対的優位こそがワシの必勝戦術! 誰もワシに勝つ事はできん! 鴉羽も、ゼフォンであってもじゃ! ゲッヒャッヒャッ!」


 降り注ぐ氷柱を左右に跳んで避け、走りながらアスタルテは上空を見据えた。


 「絶対的優位」。

 とは言いつつ、ベロムートの高度はまだかろうじて矢が届く範囲に留まっている。

 その矛盾の答え。

 それは恐らくゼフォンにスタミナ値を補充できる射程距離から出られない為だろう。

 それならばまだつけ入る隙は必ずある。


「……!」


 だが突然、ベロムートを観察し、手段の考察をしていたアスタルテに巨大な影が飛びかかってきた。


 とっさに思考を破り捨て、横へ跳んだアスタルテの腹部を赤い3本の線が走った。


「く……っ! 氷の鳥……!」


 まだ掠っただけ。被弾した腹を手で庇いながら、アスタルテは目の前で氷の青い翼を広げる巨鳥を見上げた。


「ゆけ! 『フロストガルーダ』! そやつの手足を奪い、動けなくなるまで追い続けよ!」


 他の属性より攻撃力では劣るものの、作り出した氷に様々な効果を付与できるのが冷気属性魔法の特徴だ。


 固体の氷を浮遊させたり、ぶつける事で魔法に打撃や斬撃などの物理属性を持たせる事もできる。

 さらに、凍りつかせて敵を妨害するのはもちろん、発生させた霧に映像を投影させる事など、工夫次第で様々な手段を創造できるのがその強みだ。


 そして、究極的な境地にたどり着いた魔法は、生物を形作った氷に意思を与える事も可能となる。


 フロストガルーダは氷の刃でできた体を翻し、一直線にアスタルテへと飛びかかった。

 体を捩り、通り過ぎるフロストガルーダから逃れたアスタルテ。

 しかし、避け切れずその肩にいくつもの赤い線が刻まれた。


 その避けたアスタルテの背へと、氷の鉤爪が襲いかかる。

 初撃を避けた時に崩した態勢がまだ戻せていない。


「逃げても無駄じゃ! 上級魔法の攻撃力でフロストガルーダはどこまでも獲物を追い続ける。どこまでもなぁ! ゲッヒャッヒャッ!」


 アスタルテの無防備な背中を3本の赤い爪跡が抉った。

 さらに無数に降り注ぐ氷柱がアスタルテに追い打ちをかける。


 ボロ布の様にその場で翻弄されるアスタルテを見下ろしながら、ベロムートは上機嫌に笑い声を上げていた。


 足首を抉られ、右膝から崩れ落ちるアスタルテ。

 砂埃だらけの石床に顔を擦りつけ、なんとか片手を支えに汚れた顔を上げていた。

 最早逃げ場も、逃げる手段も失った。

 残ったのは絶望と、これから訪れる凄惨な未来。

 ありとあらゆる辛酸を舐めさせ、抵抗もできないままに苦痛に喘ぐ事しかできなくなる。


 ベロムートはそう思っていた。


「……ようやく、勝ち筋が見えました」


 突如体を翻し、床を背負ったアスタルテが、嘴を大きく開けたフロストガルーダを見上げてそう言い放った。


「なんと!?」


 次の光景を目の当たりにしたベロムートが目を見開き、唾を飛ばした。


 アスタルテは使えない右脚を蹴り出し、フロストガルーダの顔に叩きつけた。

 氷の刃でできたその顔を蹴飛ばしたせいで、ズタズタに切り裂かれた右脚。


 しかし、フロストガルーダもその軌道を大きく乱され、狙いを外してアスタルテを通り過ぎていった。


 右脚を振り、反動で体を翻して立ち上がったアスタルテ。

 その手は既に矢を握っていた。


「ワイヤーアロー」


 アスタルテを逃したまま、まだ蹴られたダメージから立て直せていないフロストガルーダ。

 その脚を光の矢が貫いた。


 暴れて上空へ逃げ出そうとしたフロストガルーダだったが、その体がガクンと高度を落とす。

 なおも暴れて飛び立とうとするフロストガルーダの、その脚に絡みついた1本のワイヤーが地面へと引き寄せていたからだ。

 そのワイヤーは、脚を貫いた矢から延びていた。


「くうぅ……ッ!!」


 ワイヤーを握り締め、アスタルテはフロストガルーダを引き寄せた。

 地面に転がり、体を床に削られながらもフロストガルーダの動きを封じる。

 降り注ぐ氷柱の群れに全身を抉られつつ、しかしついにアスタルテが待ち望んだ瞬間は訪れた。


「な……ッにィ!? 馬鹿なッ!?」


 フロストガルーダは空へと舞い戻った。


 その背にアスタルテを乗せて。


 暴れ狂うフロストガルーダの首にワイヤーを巻きつけ、アスタルテはそれを手綱に動きを制した。

 それでも、フロストガルーダはアスタルテを振り落とそうとジグザグに旋回し、抵抗の手を緩めない。


「ふふっ。キャンディーと初めて会った時を思い出しますね」


 天地が逆さになったまま地面に急降下する中で、アスタルテの顔からふと笑みがこぼれた。


「何をしておる! フロストガルーダ!! 自身諸共地面に叩きつけてそやつを殺せッ!」


 体を捩ってアスタルテの手から逃れようとするフロストガルーダだったが、ベロムートの命令を受けて忠実にそれを実行に移した。

 地面へと迫る速度が跳ね上がる。

 風を切り、砂埃を巻き上げた時、すぐ目の前はもう地面。


 その地面が突如、大空へと切り替わった。


「良い子。キャンディーよりまだまだ大人しい。けれど、このやんちゃぶりは躾のしがいがありそうです」


 アスタルテが手綱を引くと、フロストガルーダの軌道がV字を描いて再び上空へ飛び上がったのだ。


「そ、そんな!? ワシの魔法、ワシのフロストガルーダじゃぞ!? 一体何が起き――!?」


 目を見開き、喚くベロムート。

 しかし、言い終える前に、その眼前を青い影が上空へと通り過ぎていった。


 自身の高度よりさらに上へと飛び立ったそれを、ベロムートは反射的に目で追った。


「残りは矢が1本。ナイフが2本。十分です」


 抵抗し、未だ暴れ続けるフロストガルーダ。

 しかし、アスタルテが少し手の角度を変え、手綱を引くだけで自身の思惑と違う方向へ進んでしまう。

 それは、数々の従魔を育て上げ、有数のサモナーとして戦場を駆け抜けてきたアスタルテだからこそ可能な芸当に他ならない。


 ベロムートは弓使いとしてのアスタルテの技量は十二分に警戒していた。

 だが、サモナーとしてのアスタルテの技量を完全に侮っていた。


 そのアスタルテが見詰める先は、驚愕に目と顎を壊れる程開いたベロムートの顔。


「『クローバーウォール』! ワシを守れ! 『アイスランス』! フロストガルーダ諸共何が何でもあやつを刺し殺すんじゃあああッ!」


 ベロムートの周囲を旋回していた3枚の氷の壁が、包み隠す様にその前面に折り重なる。

 そして、その前方に形成されたいくつもの氷の槍がアスタルテ目掛けて撃ち放たれていった。


 しかし、突如姿勢を傾けたフロストガルーダにより、氷の槍は空を切ってアスタルテを逃していく。

 手綱を引き、動く左足だけで込める体重を操り、姿勢を切り替えフロストガルーダの一挙一動を支配したアスタルテの技量。


 つい今しがたまで心が折れかけ、肉体も大きく傷つき満足に動く事もできなくなっているはず。

 それが、何故今ここまで肉薄されているのか。

 ベロムートがそれを理解する機会すら許さぬ速度で、状況は移り変わっていく。


「グレネードアロー!」


 アスタルテは手綱を捨てると弓矢を引き、折り重なった氷の壁に矢を放った。

 必殺技の光をまとった矢が爆裂し、氷の壁に亀裂が走る。

 ひび割れた氷の向こうに迫るアスタルテに、ベロムートの喉から恐怖に震えた息が漏れた。


 迫る影は止まらない。

 直後、フロストガルーダごとアスタルテは氷の壁に激突し、それを突き破った。


「及び腰の飛び道具など恐るるに足りない。ラゼなら自ら刃をもって迎え撃って出ていました。そんなだから、あなたはラゼに及ばない」


 砕け散るフロストガルーダと氷の壁。

 氷の破片でズタズタにされながら、それでも腰から抜き放った銀色のナイフを高く掲げた影。

 その勢いは壁をぶち抜いても止まらない。


「ひぃいいいいいぃ……ッ!」


 影は緑色の瞳でベロムートを見据えたまま、その胸を一直線に貫いた。




 地鳴りが床を割り、砕けた石材が重さを忘れたかの様に空へと昇っていく。

 その空に雲を突き破り、天高くそびえる光の塔。

 それは剣から延びる光の闘気。


 その光の塔が次の瞬間、覆い被さる様に水平に落下した。


 一振りで城を丸ごと輪切りにする威力の、王だけが行使できる魔法剣。

 それが巨山の様な重さでゼフォンに襲いかかった。


 ぶつかり合う剣と剣。

 剣とは思えぬ凄まじい圧力を、両足で大地を踏み、大剣を握る2本の腕で受け止めた。

 硬い石床が悲鳴を上げ、あまりの重さに亀裂が広がりゼフォンの足が沈む。


 その一合だけで何人もの人間が手を繋いで一周する程巨大な石柱が、小枝の様に転がっていく。

 まるで両者を避ける様に重い石材が吹き飛ばされ、まるで2人だけの舞台を作り上げているようだった。


「今は王としてではなく、1人の剣士としてこの戦いに全てを注ごう!」


『剣士……。貴様が剣士を名乗るにはあまりに技量が足りない。所詮はNPCか』


 もし、他に剣士を名乗る者がこの戦いを見ていたとしたら、王の剣が決して人間の達人に劣るものではないと知るだろう。

 速度。力。フェイントを織り交ぜた駆け引きをこなし、緩急をつけて太刀筋を絞らせない技術。

 常に全力で動き続けられる持久力と、幾度も打ち合いながらも狙いを外さず正確さと集中力を維持可能な精神力。


 大勢での連携をもってして初めて攻略可能な、人間の限界を超えた存在として君臨――設定されていたはずなのだ。

 それをたった1人で上回るゼフォンの出現は、設定した者ですら想定していなかったに違いない。


 一瞬の虚を突いてゼフォンの剣を掻い潜り、首を狙う王。

 その刃を剣の鍔で受け止め、凌いでみせたゼフォン。

 ゼフォンがそれを受け流そうとするのを許さず、王は剣を押し込んでその機先を制し、潰した。


 この立ち回りのレベルを見たなら、王の剣技が決して侮れるものではないと理解できるはずだ。


 その王の鳩尾に、丸太の様な腕がめり込んだ。


「が……はッ!」


 目を見開き体をくの字に折る王に、剣に込めた圧力が緩む。

 刹那、大剣がそれを払い除けて王を襲った。

 腹を横薙ぎにするその太刀筋に、人間離れした剣速で刃をぶつけた王。


 その顔面が、岩の様な拳で後ろに吹き飛ばされた。

 戦鎚ででも殴られたのかの様に遥か彼方まで王の体は飛んでいった。


 ゼフォンが繰り出したのはボクシングで言う所の、ただのジャブだ。

 威力は劣るが、速度に勝るパンチ。


 だが、甲殻に覆われ巨木の幹程に大型化した腕から繰り出されたその威力は、大砲に匹敵する。


 部屋の端から遠く飛ばされ、階段に激突しながら重力と逆方向に登らされる王の体。

 王はもたれかかったのが玉座の残骸だと気づかぬまま、体を起こした。


『やはり、貴様では足りない』


 顔を上げた王の眼前には、翼を広げた悪魔が立っていた。

 剣を握り直し、それに向けて振り上げる王。

 衝突した刃が鳴り響き、再び先程の続きが繰り返される。


「そう言ってくれるな。余も今だけは王である事を忘れ、剣を振るうのを楽しんでいる」


 袈裟懸けに襲う剣を弾きながら、反撃を繰り出す王。

 それをゼフォンの大剣が打ち払いつつ次の狙いを定め、軌道を変えながら王を襲う。


 剣を持つ右腕、左肩、脇腹に右脚から赤い光が散る。

 額や頬を裂かれてなお、王はまるで子供の様に笑った。


「王とは、時に自らの愛する民を手駒として死地に送らねばならぬ。それが国を治める王の責務だからだ」


 水平に掲げた剣がゼフォンの大剣を受け止め、その凄まじい圧力に膝を着く王。


「ならばこそ、今。手の届く距離にいる者達だけは余自らの手で守らねばならぬ」


 最速、最短距離で繰り出せた突きが、ゼフォンに迫った。


 その内側を、地を滑る様に跳ね上がった腕が王の顎を叩き飛ばした。


 体を仰け反らせ、空を見上げたまま王はヨロヨロと後ろに下がった。

 やがてその足が何かに躓き、王はそれに座る形となった。

 それは、未だこの場に鎮座し続ける玉座の残骸。


 兜、盾は既に失われている。

 黄金に輝いていた鎧もわずかに体に貼りついているだけの無残なもの。

 体中傷つき、力無くもたれかかるその姿に、かつての威厳は微塵もなかった。


「はぁ……はぁ……はぁ……。は……っははっ。そう、思っていた」


 王は顔を上げた。


「皆が英雄の祝福を受け、7日7晩戦い続けられる訳でも、剣の一振りで天地を裂ける訳でもない。多くの民が弱く、余の庇護を受けねば生き抜く事ができない……と。だが、そうではないのだな」


 ボロボロの顔に、力強く笑みを浮かべて。


「そなたと彼らの戦いを見て、そうではないと知った。守られるばかりではない。信じて、背を預けられると知った」


 未だ剣を握り続ける右腕を掲げ、足を踏ん張る王。

 その背中を見えない手で支えられているかの様に王は立ち上がった。

 否、支えられているだけではない。

 守るだけではない仲間と手を取り、互いに並んで共に同じ景色を見ていた。


 それが今、王の力となると確かに感じていたのだ。


「我が民達は強い。そなたには負けぬぞ」


 言葉を続ける王の顔をゼフォンの足が蹴り飛ばした。


 玉座ごと後ろへ転がる王。

 派手な音を立てながら飛んでいく玉座に目もくれる事なく、ゼフォンは這いつくばったままの王に剣を振り下ろした。


 鉄骨同士がぶつかる様な音を上げながら、王の剣がゼフォンの大剣を受け止めた。


「故に、今はこうして心置きなく剣を振るう事を楽しんでいる!」


 どこにそんな力が残されていたのか。

 無様に転がされてなお、王は笑って剣を振るった。

 大剣を跳ね飛ばし、体格で遥かに上回るゼフォンの目線へと王は飛び上がった。


 跳んだ勢いのまま、上段に剣を構えた王は縦一閃に振り下ろす。

 真正面から繰り出された一撃。その馬鹿正直な攻撃に、ゼフォンはまっすぐ突き出した左拳を合わせて跳ね飛ばした。


 勢いを反転させ、さらに後ろへと飛ばされ柱の残骸に激突した王。

 人間の何倍も大きな柱がビスケットの様にへし折れ、破片が王の体を埋もれさせていく。


 うず高く積み上がった瓦礫の山に向かって、ゼフォンは剣を高く掲げた。


「……『剣に全てを捧げて生きてきた。それが俺という存在の全てだったからだ』……か。ならば、余にも同じ様に意地がある」


 王が口にしたのは、先程ゼフォンが話した半生の一片だった。

 半ば埋もれた瓦礫に体を預けながら、王は剣を握った腕を持ち上げた。

 何度斬られても、何度殴られても、何度倒れようとも未だ右手は剣を放さない。

 瓦礫の山を崩しながら、王は体を起こした。


「剣士として、余はそなたに勝ちたい。そう、今はそれが全てだ。……あの黒竜の戦士も言うておった」


 その右手を眺めながら、王は口元に笑みを浮かべた。


「ケンカしか能のないに自分には、暴力こそが成り上がる手段のこの世界程相応しい場所はない。どこまでいっても、ケンカ好きのロクデナシだとな」


 ガーチ。

 ゼフォンと比べたら大きく劣る力量。技術も大雑把で稚拙、はっきり言って足下にも及ばない程度だった。

 だが、泥臭い戦いが好きな喧嘩屋だった。


 自分より強い相手に無謀に突っ込み、武器を失い何度ボロボロにされても相手を倒す事に食らいつき続けた。

 数少ない手札でも戦況を切り開く為なら躊躇なく切り札を使い潰す。

 そうして強大な敵と渡り合ってきた、生粋の戦闘馬鹿。


 それがNPCであるはずの王の精神にどれだけ影響を与えたのか。


「そなたらはよく似ている。そして、余もだ!!」


 立ち上がり、王は歯を剥き出して笑った。


 そして、ゼフォンもまた気配が変わった。


『貴様の言う事にも、一理ある』


「決着をつけようぞ! 神聖剣究極絶技……ッ!!」


 うず高く積まれた瓦礫が横たわる大柱や残った壁ごと吹き飛んだ。


 黄金の輝きが神剣アルテロンドに凝縮されていく。

 王の全ての魔力と闘気を剣に集中した最強の斬撃。

 余波だけで周囲の瓦礫が一斉に上空へ吸い込まれ、空が割れる。

 闘気の摩擦で生じた稲妻が、暴れ回る龍のごとく石床を叩き壊して飲み込んでいった。


 両手で握った、真の究極絶技。

 既に回復した体力は尽きかけ、治った傷も模様替えしたかの様に再び体中を埋め尽くしている。

 それでも、五体満足で撃てる。

 これが、全力で撃てる最後の一撃だろう。


 剣を両手でしかと握り締め、王は頭上に構えた。


『魔法剣・イグニション』


 ゼフォンの大剣に青い輝きが宿る。

 極天に広がるオーロラを想起させる、仄かに熱を帯びた光。

 この局面で初めて見せた、ゼフォンの手札。

 今、この時に切ったのだ。恐らく王の最強最後の技に対抗できる、ゼフォンの切り札であろう技に違いない。


 ゼフォンは大剣・黒王を真上に構えながら、一気に前へ踏み出した。


 奇しくも構えは両者共に上段。

 何者にも動じぬ気位と鍛え上げた筋力で相手を叩き潰す、最も攻撃に重きを置いた構えだった。

 力と技、速度の全てを一撃にかけた必殺の構え。


 だが、その構えが真に恐れられているのはもう一つ理由がある。

 それが「火の構え」と呼ばれる程の、相手を飲み込み烈火のごとく焼き尽くすその気迫だ。


 決して動じず、両者共に相手を飲み込もうと全開の闘気をぶつけ合う。

 今この瞬間、これ程相応しい構えは他に無い。


「アシュフェル!!!」


 閃光が駆け抜けた。

 巨山の圧力を乗せた剣が稲妻の速度で空間を飛び越える。

 放たれたのは相対する全てを両断する究極の一撃。


 立ち向かうは――


『起爆』


 甲高い砲声。

 発動したのは、巨人と化したゼフォンの身の丈をも超える白い大剣……その後方に立ち上がった青い爆発光。

 剣の初速を跳ね上げ、軌道上の目標までの距離を消し飛ばす。

 強化された速度で青い剣閃が黄金の閃光に追いつく。


 互角の速度でぶつかり合う両者。



『アサルトドライブ・筋力転化』



 激突の瞬間、ゼフォンが行使したのは魔人族固有の「魔力を筋力に変換、上乗せする」スキル。


 魔法剣が尽きる直前。

 そして、「神の瞬き」とも思えるタイミングで伸しかかった力が重なった結果。


 黄金の剣は真っ二つに折れ飛んだ。




 視界が暗い。

 それは瞼が閉じていたから。


 アスタルテが目を開けると、夕日の赤はもうすぐ出番を終え、紫の帳が降り始めようとしている宵の空だった。

 どうやら気を失ってまだあまり時間は経っていないようだった。


「ゲヒュ……ッ! ヒュー……ヒュー……。おのれ、このワシを……。小娘がぁあ……!!」


 ベチャ、と地面を平手で叩く濡れた音と、布を引きずる音。

 それと、たどたどしく聞こえてきた恨み節。


 アスタルテは顔をそちらに向けた。

 錆びた歯車の様にいう事をきかない体に鞭打ち、首を動かす。

 両足の感覚がない。フロストガルーダを駆り氷の壁を突き破った際にHPを全損した事を思い出した。

 左腕もその時の氷の破片が突き刺さり、腹部も氷片が貫いている。

 動くのは右腕だけ。


 その右腕で、アスタルテは腰のベルトから最後のナイフを引き抜いた。


「ゴホ……ッ。仕留め損ね……た。はぁ……ッ」


 ナイフを握り込んだまま拳を床に突き立て、体を起こす。

 そして、アスタルテは呪詛を吐きながら這い寄る敵を見据えた。


「ゲ……ヒャヒャ……! まだまだMPポーションのストックは残っておる……! MPさえあれば体が利かぬでも魔法が使えるのが魔法職の強みじゃ。ワシの……勝ちじゃあ……!」


 元々醜悪だった顔から鼻と左目が失われ、長い髭があったはずの顎も皮膚ごと剥がされ赤い痕しか無くなっている。

 緑色に光っていたローブもボロボロに引き裂けており、背中の翅も肉ごと抉れて失われていた。

 左腕と両足もメチャクチャに折れ曲がり、動いていない。

 唯一手首から先が2つに裂けた右腕だけで這い、アスタルテに向かって近づいてきている。


 雹雨のベロムートの成れの果てだった。


 唇と前歯を失った口からナメクジの様に黒い舌が這い出てくる。

 それをアスタルテに突き出しながら、ベロムートは進んでいった。


「抵抗などさせんわい。その残った右腕を潰せばもう何もできまいて。さぁて、どうやってその小生意気な気取った顔を歪めてやろうか。楽しみじゃのう……! ゲヒャヒャヒャヒャッ!」


 全身から赤い光を零しながら、空を仰いで笑うベロムート。


 アスタルテは握力のほとんど入らない右手で、ナイフを向けた。

 体の状態はアスタルテもベロムートもほぼ同じ。ガラスの破片が一掠りしただけでも命の灯火は消えるだろう。


 ギシギシと軋む右手。狙いをつけるどころか、握るだけでも満足にできていない。

 対して、ベロムートは自身の周囲に再び氷柱の群れを形成し始めていた。


 だが、ここで諦める訳にはいかない。

 ネストが、ギネットが、ソディスが繋いでくれたチャンスを、ここで潰えさせる訳にはいかない。


 震える指先を制しながら、アスタルテは黒い舌で剥がれた顔を舐めるベロムートに刃を向けた。


「むおッ!?」


 その時だった。


 突然ベロムートの顔を掠め、金色の何かが側の床に突き立った。

 同時に、アスタルテとベロムートの間を何かが跳ねながら駆け抜けていったのは。


「く……っ。王!?」


 それは傷だらけになり、横たわった王の姿だった。

 最初に共闘した時の、半身が戦闘不能状態だった時より酷い傷。

 ピクリとも動かないが、姿が消えない所を見るとまだ生きている。

 だが、それも時間の問題だ。


 アスタルテは王とは反対を振り向いた。


 石片を踏み砕く音。

 もうもうと立ち込める砂埃。


 その中から現れた、白い絶望。


「おお……! ゼフォン! よくぞ来てくれた……!」


 ベロムートが作る事の叶わない表情で、喜色に満ちた声を上げた。


 現れたのは、無傷の悪魔。

 全力の王でさえ傷一つつける事ができなかったという事実に、アスタルテは戦慄した。


 何より――またも間に合わなかった。

 その無力感がアスタルテの体から体温を奪うのを感じた。


 だが――


「私は……! 私の役目を全うします……ッ!!」


 アスタルテは最後の力を振り絞ってナイフの狙いを定めた。


 ベロムートの左右に裂けた手がアスタルテの服にかろうとした。


「これはツキが回ってきたのう! ゼフォン、回復ポーションをよこせ! ゲッヒャッヒャッ! 若い娘に触れるのはいつ振りじゃろうなぁ! これが生身でないのは少々もの足りんが、久々に若さが滾ってきおったわ……おいゼフォン、何しておる! 早くポーションをよこ――」


 その指先が服の裾をどう捲り上げようかと揺れ迷い、まさに鎌首をもたげて摘もうとした瞬間。


 突如、自身の顔面から吐き出された白い大剣により、声を発する事ができなくなった。


「ゼ……フォ……な……?」


 顔の中を通り抜ける異物のせいで振り向く事ができないベロムート。

 ゼフォンがどんな表情をしているのか、確かめようとしていたのだろうか。

 理由は? そう、味方だったはず。何故なのか。

 グルグルと目だけを動かし、後ろにあるはずの答えを探して。


 だが、ベロムートがそれを知る事は叶わなかった。


『目障りだ』


 それだけ。白い仮面の奥からの返事は。

 大剣が捻られ、ベロムートの小さな頭が砕けながら首をへし折られて落ちた。

 

 同時に、ベロムートの額に刺さったナイフも床に落ちて甲高い音を鳴らした。

 どちらが先かはもうわからない。

 それでも、大剣が貫いたと同時にアスタルテが放った最後のナイフも、その目的を果たしていたのだ。


 アスタルテは消えていくベロムートを無視して、眼前に立つゼフォンを見上げた。

 何故、味方であるはずのベロムートを手にかけたのか。

 何故、すぐ自分にとどめを刺さず、背を向けたのか。

 アスタルテにそれを確かめる術はもうない。


 否、その必要はない。


「……後は頼みました。ミケ」


 動かぬ四肢を投げ出し、アスタルテは大きく息を吐いて静かに目を閉じた。




「ミケ。『フェザーシューズ』はただでさえ制御が難しい付与魔法なんだ。シェルティだって上手くできたのは――」


 ジノがしゃがんだまま魔法を私の靴に込めてくれた。

 青い瞳に憂いを浮かべながら必死に説明して、しかしそれを止めた。


「――いや、ゴチャゴチャ言うのはやめよう。ミケならできる! もうボクにやれるのはこれだけだから」


 緊張したジノの顔をほぐす様に、私は頷いた。


「行ってくる。ジノ」


 涙目で震えるジノ。


 シェルティと同じく戦いが苦手だったにも関わらず、強くなりたいと私に教えを請うてきたジノ。

 今だって怖いのを必死に堪えながら、それでもこの状況を打破する為に自分ができる事を探してくれている。

 そのジノが応援してくれているのだ。

 かっこ悪い所は見せられない。


 そして立ち上がると、私は目の前の悪魔と対峙した。


「待たせた」


『決着をつけよう』


 ゼフォンはそれだけ言うと、剣を高く掲げた。


 ドルガン、ビスレ、ヒューイ。

 シェルティ、ネスト、ギネットさん。

 ソディス、アスタルテ、王様、ジノ。


 全員が繋いでくれたこの瞬間。

 今こそが、決着の時。


 最早私達2人以外戦える者はいない。


「獣身覚醒!」


 私の体から赤い闘気が溢れ出す。

 側頭部の角が音を立てて大きくなり、緑色の鱗が覆っていく手には指先から黒く鋭い鉤爪が伸びていた。

 腰と背中からは鱗に覆われた小さな尾と翼が空へと解き放たれる。

 極短時間だけ力と速度を数倍に引き上げ燃やし尽くす、龍人族の最大戦闘形態。


 そして、金色の瞳で見つめながら、私はその瞳に映した敵へ全力で飛び出した。


「はあぁあッ!!」


 シェルティの戦いを見て思いついた。

 自身のスキルとジノの付与魔法による二重加速。

 残像すら残さない超々高速移動でゼフォンを翻弄。初めてその額に傷を与えるに至ったのだ。


 その加速で、私は一直線にゼフォンへ突き進んだ。

 小細工込みの一点突破。

 一瞬で飛び消える私の姿。出発点の床だけが遅れて弾け飛ぶ。


 音を置き去りにしながら、ゼフォンとの距離が一気に縮まった。

 これが、先の戦闘でシェルティが体感した世界。景色が引き延ばされ、空気が肌に突き刺さる。

 その視界の奥で、私に照準を定めた大剣が振り下ろされようとしていた。


 やはり既にこの速度に対応してきた。

 一度見た速さだ。そこまでは予想していた。

 だから――


「ドロー・フェザーシューズ!」


 青く輝く靴から、さらにそれを突き破る様に白い輝きが迸った。

 背中を押される様に、私の体が前に飛び出る。

 付与魔法と別にもう一つ、重ねがけしてあった装填魔法を起動。

 限界を超えた過負荷の三重加速で、前人未到の速度に突入した。


 本来、加速をもたらすスキルはたったの一重でも制御には困難を要する。

 初めてフェザーシューズを使用した場合、多くの者がその場で転倒し、歩行すら覚束なくなる程に。

 獣身覚醒の加速も同様、実用可能になるまである程度の修練は必須となるものの、ほとんどの者が問題なく使用できるようになる。


 しかし、それが二重となると話が違ってくる。

 体の慣れだけで修得できた一重と異なり、常人離れした動体視力、反射神経、判断力が絶対的に必要なのだ。

 それを制御できるのは、トップアスリートや達人と呼ばれる武道家の中でもさらに一握りに限られるだろう。

 故に、加速スキルの重ねがけはほとんど使われる事はない。


 まして、三重となると人間の領域ではない。


『イグニションッ!!』


 それに対応してくるゼフォンはあまりにも規格外なのだ。


 弾丸より速い加速に視線を向け、視認している。そして、加速した私に合わせて剣速を可変させまでする。

 一振りの剣だけで長く銃弾の飛び交う戦場を生き抜いてきたゼフォンだからこそ可能な技術。

 人も、獣も、兵器すら超えたこの剣技。

 この技を神業と呼ばず何と呼ぼう。


 魔法剣で加速された刃は私の頭蓋に正確に切り進んできた。


「プッシュウインドッ!!!」


 大剣が私の髪を切り始めた瞬間、私は風魔法を背中で発動させた。

 覚えたばかりの中級魔法。

 その効果は風で他者や自分を押して、急激な方向転換や加速を可能にするというもの。

 たった今塗り替えられた前人未到をさらにぶっちぎる、四重加速。


 そんなやぶれかぶれの四重加速が、ついに神業と拮抗した。



 今なら、届くかも知れない。

 記憶の彼方。何もない黒い空間に立つ、小さな背中。


 私はその背中に手を伸ばした。


 肩まで伸びた、外側に跳ねる癖のついた黒い髪。

 体格は子供と見紛う小柄で、一見とても華奢に見える。

 相棒のリシアとお揃いの黒いスーツに身を包んだその後ろ姿に、私は手を伸ばした。


 未だ私には全盛期程の力は戻っていない。

 それでも今、戦っているのは今のこの私なのだ。

 今の私でゼフォンに勝つ。

 その為には何が何でもその力に届かねばならない。

 今、この一瞬だけでも――


「――届けッ!!」


 暗闇で小さな背中に手が触れたのと、振り下ろされたゼフォンの剣の内側に入り込んだのは同時だった。


「最終決戦奥義・序ノ段」


 残像も、音をも置き去りにした加速で、さらに拳を前に押し出す。

 文字通り私の全てを乗せて、私はゼフォンを捉えた。



「『閃華白蓮(せんかびゃくれん)』」



 その名の由来は、あまりの速度で繰り出される一瞬の一撃が、白い閃光の花に見えたという事による。

 私が知ってる一番強い人。

 お父さん。

 その強いお父さんが編み出した、一番強い技なんだ。

 絶対に負ける訳がない。


 全身の全ての力を「前方へ進む力」に凝縮させた歩法が、この奥義の本質である。

 私の体は弱い。

 今の私ではこの技を扱うにはまだまだ足りない。

 故に、獣身覚醒、付与魔法、さらに装填魔法による重ねがけと、風魔法のダメ押し。

 それと、なけなしの意地がほんの一瞬、たった一撃だけだけど――



 ――かつての私に届いた。



『くっ!』


 白い仮面の奥からわずかに呻きが漏れた。


 限界を超えた速度で、拳がゼフォンの腹部にめり込んだ。

 ダメージはないのだろう。それだけのレベル差があるのは変わらない。

 態勢も崩れない。良い体幹をしている。

 私の全ての力を受けてなお、びくともしない。


 だがしかし、その両足がわずかだが地面から放れ、浮いた。


 受けた衝撃を流すには意識が間に合わなかったのだ。

 両足が浮いたならば、足を踏ん張り体を制御する事はできない。


 私はゼフォンが失ったその地面に、足を突き立て拳を固めた。


 ベロムートを失い、ゼフォンはスタミナ値の補給を絶たれた。

 そのゼフォンの魔神覚醒、私の獣身覚醒が解除されるまでの時間。

 およそ1分。

 それまで私がすべき事は、ゼフォンの攻撃を全て凌ぐ……事ではない。

 そんな生温い方法を許す相手ではない。

 だから、私が真にすべきなのは――


 ――これから1分間、ゼフォンに一切何もさせず、完全に封殺する事。


「はあッ!!!」


 突き上げた私の拳がゼフォンの鳩尾にめり込み、ゼフォンをさらに地面から遠ざける。

 反動で踏み締めた石床が陥没、破片が爆ぜ飛んだ。


『おおおッ!!』


 崩れた態勢で剣を振るうゼフォン。

 だが、失われた重力下で振るわれた剣は本来の鋭さの半分にも満たない。


 鈍った剣筋を体を傾けかわし、肩、首、顎へと飛び蹴りを打ち込んだ。

 あれだけ被弾を許さなかったゼフォンに、何度も打撃を与えていく。

 奥義によって態勢を崩している今、このまたとない好機を絶対逃す訳にはいかない。


 だが、ゼフォンもこの状況を甘んじているつもりはなかった。


『翼よ! 吠えろッ!』


 翼の瞬間加速がゼフォンをこの場から遠ざけさせる。

 広げた翼が笑い声を上げ、風を生み出す。

 数十秒に一度だけ一方向に瞬間移動可能な魔神の固有スキル。


 まるでジェット機の様に空気を爆縮させ、噴出させる事でゼフォンは一瞬で別の場所へと戦場を切り替えさせた。

 どんな手を使ってでも戦いに活路を見出す。その執念でゼフォンは私と戦っている。

 人間、魔神問わず、己の持った手札全てを使って、勝利を得んが為に。


 翼による瞬間移動で場を仕切り直し、ゼフォンは振り返ろうとした。


「逃さ……ないッ!」


 振り返ろうとしたゼフォン。


 その頭に生えた角に、私は捕まって共に翔んでいた。

 ゼフォンの翼が開いた瞬間、とっさにゼフォンの体を駆け登り掴んだのが魔人族の側頭部に生えている2本の角だった。


 戦場を観察していたのはゼフォンだけじゃない。

 私も、みんなとゼフォンの戦いを見ていたのだ。

 その時間を糧に力へ換える。


 私はゼフォンのあまりに広く肥大化した肩に飛び降り、そこを地面として足を踏ん張った。

 その両足から腰へ。腰から胴、腕、そして伝えた力を拳に込める。

 そして、溜めた全ての力をゼフォンの側頭部に叩き込んだ。


「鎧通し!!」


 打ち込んだ衝撃がゼフォンの仮面を、頭蓋を突き抜け、防御力の乏しい内側から頭を揺さぶった。


『ぐう……ッ!?』


 途端に空中でも芯を保っていた体幹が崩れ、ゼフォンの背骨がぐにゃりと曲がる。

 姿勢を保とうとする意識が外れ、体の制御が崩れていく。

 それでも、私を狙った剣が耳元を掠めるのだ。その技量、いや執念に驚嘆した。


 空中で体を回して剣を避けた私は、その剣の腹を蹴ってゼフォンの眼前に飛び込んだ。


「まだまだ……終わらない!!」


 ゼフォンの角を掴み、それを鉄棒の様にして宙に弧を描いた。

 そして、その回転力を込めた膝でゼフォンの延髄を撃ち抜いた。


『ぐおおぉッ!!』


 立て続けに脳を揺さぶられ、肩から地面に落下したゼフォン。

 仰向けのゼフォンの顎を蹴り上げ、空いた喉元を私は踵で踏み抜いた。


 赤い光が飛び散る。

 ゼフォンの大剣が私の左腕を切り裂いたのだ。


「はあぁああッ!!」


『おおおおおぉおッ!!』


 仰向けの無防備な状態からの反撃で当ててくるとは。左腕の肘から先の感覚が消失した。

 私は感心しながら、それでも攻撃の手は緩めない。

 仰向けの状態から立ち上がらせまいと、顔面に拳を打ち下ろす。


 鈍い肉の潰れた感触が腕を這い上がってきた。


「くっ!」


 頑丈な金属製の籠手が割れ、右手の人差し指と中指が折れた。

 強引に起こされたゼフォンの上半身。打ち下ろした私の拳に額を合わせられたのだ。


 脆い陶器の様に砕かれた手だが、残った指で無理矢理拳を握る。


「シルバーバレットッ!」


 銀色の光で拳を包み、真正面からゼフォンの仮面を殴り抜いた。

 最早回復など忘れていた。そんな隙がないのもある。

 いや、ただそれは無粋に感じたのかも知れない。


 同時にゼフォンの大きな手が私の背中を掴み損ね、通り過ぎていた。

 打撃で打ちのめすより、魔法の輝きでゼフォンの視界を奪うのが目的だ。


『そうでなくては! これこそ俺が追い求めてきた強さだ! 俺が乗り越えねばならない敵だッ!!』


 だが、視界を奪われてなお、ゼフォンの背丈を超える長大な大剣が足下を根こそぎ薙ぎ払っていった。

 円を描きながら床ごと抉り取るそれを跳んで避けた私。


 床に拳を刺して体を持ち上げたゼフォン。そして、翻した脚から唸りを上げて蹴りが飛んできていた。


 滝を落ちる丸太の様な大きな脚を、既に使い物にならない左腕で受けた。

 バリバリと音を立てて腕が折れ、肩も外れた。貨物列車にでも撥ねられた様な衝撃が、私の体を木の葉のごとく吹き飛ばす。


 それでも、衝撃を流し、私は宙で体を捻って態勢を立て直した。

 まだ全盛期の感覚は少し残っている。おかげで三重に強化した速度を制御して、ダメージを左腕だけに全て流す事ができた。


 その私を、巨大な影が見下ろしていた。

 既に立ち上がり、大剣を構えたゼフォン。

 即座に私は右に跳んだ。

 斜めに切り下ろされた剣閃が私の左角をへし折り、返す刃がしゃがんだ頭上を通り過ぎていく。


 私とゼフォン。

 両者共に立ち上がり、対峙する。

 私は正確に振り下ろされる斬撃を、前に踏み出して潜り抜けた。


 未だ五感のいくつかを妨害されたままにも関わらず、その剣技は精彩を欠く様子を見せない。

 傍から見たらそう感じるだろうが、わずかだが確かにその剣筋に濁りが生じているのを私は見逃さなかった。

 全員が繋いでくれたからこそ今、あのゼフォンと渡り合えている。


 踏み込み、前へ出るゼフォン。

 大砲の様な突きが唸りを上げて私の残像を貫いていく。


 体を捩り、私は背中を掠めた剣をやり過ごした。

 その剣の腹を擦りながら、私もゼフォンとの距離を詰める。

 間合いの内側からゼフォンの顎を蹴り上げ、体を仰け反らせて横薙ぎの剣を避けた。

 赤い光が散る。

 蹴り出した右足が避け損ね、足首から先のHPが全損した。


「ふっ!!」


 だが、構わず左脚だけで地面を蹴り、私は前に出て拳を出した。


『はははっ! 俺の剣が貴様に届く! 貴様を追い続けたこれまでの道程は無駄ではなかった!!』


 仮面の奥から響き渡る、喜色に満ちた声。

 初めて見せた、ゼフォンの感情を乗せた表情だった。

 長く、敗北を噛み締め、私と再戦する時を待ちわびていたのだ。

 その為だけに人生の全てを捧げてここまで辿り着いた。

 その歓喜が、伝わってくる。


 風を切る拳。

 空を翻る刃。

 互いに一歩も譲らず、最高の一撃を繰り出してはそれを避け、必殺の反撃をまた繰り出す。


「私も。お前に会えてよかった。おかげで私はまた強くなれた」


 跳んで避けた剣に背中の翼をもぎ取られながら、私はゼフォンの膝に飛び乗り、駆け上がった。

 そして、折れた拳でゼフォンの顔を殴った。


 私も笑っていた。


 楽しい。

 何の思想も、しがらみもなく、ただ戦いにのみ没頭しているこの瞬間が。

 感覚の全てを攻撃に費やし、衝動だけで戦い続ける。

 炎に薪を焚べる様に、体も魂も投げ込んでいく。

 この舞台の為に身を捧げていった仲間達や敵の事も、今は全て忘れる程に戦いが楽かった。

 私達の世界には、私とゼフォンだけが存在している。


 だが、楽しい時間も終わりが近づいていた。


 既にゼフォンを封殺するという目標は破綻している。

 左腕は完全に破壊され、右足首も動かない。

 右拳も今の一撃で残った指ごと砕けてしまった。

 攻撃力も機動力も半減か、それ以下。


 対して、ゼフォンは奪われていた感覚を取り戻しつつある。

 状況は絶対的に不利。


 それでも、闘志は燃えている。


 まだ感覚は鋭く研ぎ澄まされている。

 ジノのかけてくれた魔法も生きている。

 戦うには、十分過ぎる。


『これが最後になるな』


「うん」


 私とゼフォンは、最後にそれだけ言葉を交わした。

 同時に、私達は一気に飛び出した。


 間合いを詰め、拳を、剣を振りかぶる。


 攻撃が交差した。


 先に攻撃が届いたのはゼフォン。

 スキルも何も関係ない。ここまで培ってきた技術の全てを、速度に換えて剣に込めた縦一閃。


 ゼフォンにとってこれまでになかった程、純粋な一振りだった。


 その剣技が私の顔面の残像を貫いた。

 一瞬早く首を捻った私の残った右角を、剣が抉り取り髪留めを壊していく。


 私は体を捻り、解けた髪を振り乱しながらゼフォンの体の外側、無防備な右側面に飛び込んだ。

 身長差を埋める為に跳んで耳元を――未だ揺れている脳を狙って。


 剣は振られたまま。


「はあッ!!」


『おおおッ!!』


 しかし刹那、剣の軌道が真横を向いた。


 双方雄叫びを上げて死力を振り絞る。

 私は空中で身動きが取れない。

 ゼフォンもまた必殺だったはずの一撃を強引に押し留め、大剣の軌道を無理矢理捻じ曲げたのだ。

 その横薙ぎの剣は、もう私の腰に触れる距離にあった。

 避けるには絶対に間に合わない距離。


 風切り音。

 そして、雑草でも刈り取る様に切り払われた大剣。

 必殺の剣を同時に二度繰り出した腕は大きく振り抜かれ、ゼフォンの背後やや上方に掲げられていた。


 故に、ゼフォンは今、目の前の信じられない光景をただ見る事しかできなかった。

 そこに広がる光景。


 斬ったはずの相手が消えた。


 そうとしか見えなかったのだろう。

 剣先に感じ取った確かな手応え。

 それは紙の様に吹けば飛ぶ程の小さな重さだったはずだ。

 そして、斬った相手は2つに分かれてはらりと落ちる。


 城を砕き、天を裂く怪物の肉体をもってしても筋繊維が軋む程の力。

 その力で振るわれた必勝の剣技を――


 ――私は右膝と肘に挟み、止めた。


「ふ……ッ!!」


 膝と肘で白刃取りをし、勢いを殺したその状態で今私は振り抜かれたままの剣にぶら下がっていた。

 3重の加速に馴染み始めた今の状態だからこそできた芸当といえる。


 私が――互いが必中必殺の一撃を繰り出した。

 互いが限界を超えてその上を――さらに私はそれをも超えてみせた。

 だからこそ、今度こそゼフォンの予測、意識、神業とも思える剣技を、そして執念をも上回った。


 私はその巨大な剣を足場に、跳んだ。 


 天地を逆さにしたまま、視線が交差する。

 これが最後の対峙となった。

 そして、視界に飛び込んできたのは、剣を薙いだまま腕を大きく広げた――がら空きのゼフォンの真正面。


「っだぁああああぁッ!!!」


 傷だらけの体に残った全ての力を搾り尽くす。

 私は頭を思い切り振り下ろし、ゼフォンの顔面へと頭突きを叩き込んだ。


『く……っお……ッ!』


 針の穴程の隙にねじ込んだ渾身の一撃。

 防御を肉体的、精神的にも丸裸にされた状態での一撃に、ゼフォンは完全に不意を突かれていた。

 杭を打った様にねじ込まれた箇所からひび割れ、こじ開けられた隙間。

 それは遥かに高く、遠く隔てられたレベル差ですらも突き破り、ゼフォンの意思を断ち切った。


 どんな強固な精神の持ち主とて、完全な意識の外側から刈り取られたならば、過去の行動を忘れ、今に至る道程を忘れ、次の対応に迷いが生じてしまう。

 ゼフォンですら、わずかに剣を握る手が緩む程に。


 それでも、ゼフォンは剣が軋む程に握り締め、途切れた意識を一瞬で引き戻した。


 仮面の奥から前を向いた視線を感じる。

 私は緑色の長い髪を後ろへ流し、地面に舞い降りた。

 握る事すらできない右手を突き出した私に、ゼフォンが反撃の狙いを定めたのを眺めながら。


 そして、長く追い求めてきた敵を倒すべく、振り上げられた白い大剣が大きく唸りを上げた。



『……また、俺の負けか』



 剣を振り下ろした刹那、ゼフォンの仮面に亀裂が走った。


 振り下ろされた風圧に負け、王との打ち合いでも刃こぼれ1つしなかった剣が灰の様に崩れ、折れた。

 乾いた音を立てて砕ける仮面。


 時間切れ。

 それは楽しい夢の時間の終わり。

 ゼフォンの魔神覚醒の制限時間が終わったのだ。


 同時に白い外骨格に覆われた全身に亀裂が走り、その全てが土塊のごとく崩れ落ちていく。

 どんな攻撃にもびくともしなかった強固な鎧が、脆く砕け散った。


 割れた仮面の奥から現れた、ゼフォンの素顔。浅黒い肌と白く短い髪の人間の顔。

 そして、鋭い双眸(そうぼう)

 見つめるのは、折れて切先を失った剣と――


 ――その軌道をかい潜って放たれた、砕けた拳。


 拳はゼフォンの頬に当たった。

 滴る雫の様な小さな音を立てて、それは受け止められた。

 薄紙一枚破れない様なか弱い打撃。

 もう、これが今の私の精一杯だ。


 それでも、私は拳の向こうから向けられた視線を睨み返す。


 それで、十分だった。


「ゼフォン」


 膝を着き、力なく地面に置いた手で体を支えるゼフォン。

 私もまた獣身覚醒が解け、限界を迎えていた拳を下ろした。


「魔神覚醒の代償は装備の全損。そして、使用者の死だ」


 そう告げたゼフォンの全身を、外骨格と同様亀裂が走った。

 装備を失い浅黒い肌が(あらわ)になった上半身が白い灰へと変わり、ボロボロと崩れていく。

 覚醒が解け、元の姿に戻ったゼフォンを待ち受けていたのは、静寂に包まれた儚い最期。


 跪いたまま、ゼフォンは呟いた。


「常に死と隣り合わせの人生だった」


 油が切れた歯車の様な軋みを上げるその体。

 支える腕に残った力を入れる度に、灰となった破片がこぼれ落ちていく。


 そのこぼれ落ちていく魂を拾う様に、私はゼフォンの声に耳を傾けた。


「貴様に倒されてから、ずっと貴様を倒す事だけを考え、技を鍛えてきた。戦場で。噂に上る強者とまみえ。果ては機械の中にまで彷徨って。それでも……俺は貴様に勝てないのか」


 「死なない生き餌」と呼ばれた男が敗北から立ち上がり、どれだけ血反吐を吐き泥水をすすってきたか。拳と剣を交えた今はよくわかる。

 この硬く冷たい鋼の様な男が、あれから私と再びまみえる為だけにどれだけ己を捧げてきたのか。

 わからないはずがない。


 魔法やスキルを注ぎ込んだ戦いも、いつしか互いに純粋な技比べへと替わっていた。


 その崩れ行く体を起こしながら、しかしゼフォンはふと笑った。


「だが、おかしなものだ。敗北は即ち死であったはずの人生で、俺は負けた。にもかかわらず命を拾い、そればかりか再び貴様に挑む事ができる未来まであるのだから。……それまでの俺には思いもできなかった事だ」


 ゼフォンは大きくため息を吐く様に1つ笑い声を搾り出し、天を仰いだ。


「そうだな。こうして何度でも立ち上がれるゲームの様な生き方も良いものだと思える様になった」


 醜く崩れていくその体とは対称的に、あの鉄仮面とは思えない活き活きとした楽しそうな笑顔を見せたゼフォン。

 ゼフォンはそんな目を私に向けて――


「また挑みにいく。待っていろ」


 ――崩れかけた剣を私に指し、笑いながら風に溶けて消えていった。


 私は頷き、それを見送った。


「いつでも来い。待ってる」

 次回投稿は1月18日午後8時予定です。


 次回第81話『対立する最大勢力と最強』


 お楽しみに!

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