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ミケのオンラインリハビリテーション  作者: 白ネコ扇子
第6章・チェック
81/87

79・魔神

 鳴り響く重く、低い鐘の音。


 迸る黄金の輝き。

 激しく渦巻く光をまとった剣。

 ぶつかり合う2本の剣が、わんわんと響き渡る鐘の音の様に夕空に木霊していた。

 

 刀身に凝縮した魔力と闘気で軌道上の全てを両断する斬撃が、王の持つ最強最後の技だ。

 あらゆるスキルを打ち消す奈落の技であっても食らい切れない、文字通り究極の攻撃のはずだった。


「……ば、ばかな……ッ!!」


 食い縛った王の歯から、動揺に震えた声が漏れた。

 それは、王の目に映ったもののせいだった。

 火花を散らしながら止められている、黄金に輝く自らの剣と――


 ――それを押し留める、長大な刃渡りの白い剣。


 ゼフォンの剣「黒王」は今さっき確かに半ばから折れたはずだ。

 それはこの場の誰もが目撃した。


 だが、何が起きてるのか、誰にもわからなかった。

 ゼフォンの手にあるそれは、折れた事などなかったかの様に切先を光らせている。

 ウインドウを開いてアイテムボックスから新たな剣を取り出した様子はない。

 その形状は確かに黒王。その色が骨のごとく白い事を除けば、その剣は間違いなくゼフォンの剣、黒王だった。


 ただ、私達が真に目を奪われたのは、「それ」ではなかった。


「な、何だよ……ありゃあ……ッ!?」


 ネストが構えた剣の向け先を忘れながら、抜けた声を出した。


 その視線の先。

 全員の目が指し示した先の光景に、私達は凍りついていたのだ。


 突然、ゼフォンの体を内側から突き破った、無数の鋭い何か。

 それは白い硬質の触手の様なものだった。

 まとったコートを引き裂き、次々とゼフォンの体を覆い隠していくそれら。

 そして、幾重にも折り重なっていく度に、その体はより大きく膨れ上がっていく。


 やがてそれらは鎧の様な形を取った。

 いや、その隙間は赤黒い肉が蠢き、想起するのはむしろ外骨格に身を包んだ甲殻類。


 元々大柄だったゼフォンの体躯はさらに二回りも大きくなり、その腕は膝下まで届く程に長大なリーチを獲得するまでに伸長している。

 白い外骨格に覆われたその腕は、剣を握る事だけがヒトであった名残を残すのみ。

 その姿は、意識して思い出さなければ最早それがゼフォンという人間だった事すら忘れそうになる程だった。


 そして、何よりその姿を異形と決定づけているものがある。

 その背中から空にそびえる様にして現れた、真っ白な翼。


 だが、その形状は翼と呼ぶにはあまりに異質。

 その翼は剥き出しになった動物の脊椎に、白い筋肉と血管が這う様にして絡みつくという意匠で完成されているのだ。


 鳥ともコウモリともまた違う。全く別の次元で、全く違う神に創造された、完全に別種の翼。

 そして、何より。

 それには翼にあるはずの羽毛が、存在しない。


 代わりに並んでいるのは人間1人の胴程もある大きな白い「口」だった。


 無理矢理例えるならば、腹まで大きく裂けた口を持つ巨大な白いヘビか。

 それが羽の代わりに、胴を串刺しにされた形で何本も並んでいるのだ。

 胴体の中央まで縦にひび割れた口が、牙を打ち鳴らしよだれを垂らしながら笑った。


 それを見た者は皆例外なく、「ある感情」が喉の奥から湧いてくるだろう。

 心臓を食い破る様に、喉を掻き毟って這い出ようとするその感情。

 吐き気を堪えるように、皆が歯を食い縛りながら感じていた。


 「おぞましい」と。


 そんな姿は、私達のいずれもが想像した事のあるどんな悪魔の姿より、遥かに常軌を逸していたのは間違いない。

 白い髪が伸びる頭部は牙を模した白い仮面で隠され、唯一覗く口元だけがゼフォンという人間だった事実を物語っていた。


 そしてその口が、ゼフォンの声を発した。


『作戦プランをCに移行。これより本作戦の最終段階に入る』


 瞬間、王の体が遥か後ろへ跳ね飛ばされた。


「う……そだろッ!?」


 ネストが頭上を見上げ、宙を舞う王の姿を追った。


 一度目の激突で王はゼフォンを圧倒し、黒王を損傷させるまでに至った。

 傷ついてなお、その究極絶技の威力はゼフォンを持ってしても凌ぐ事はできなかったはずだ。


 しかし、その王が力で負けた。


 それが意味する事を、これから私達全員は思い知る。


『ラセレイト・オクタレイズ』


 声がした直後、私の背後で悲鳴が上がった。


 私達が混乱から立ち直るより先だった。

 後ろへ視線を向けると、ヒューイだったものが細切れに崩れ去っていく光景が目に飛び込んできた。


「一体……ッ! どこまで化物なんだい! お前さんはッ!!」


 正面に視線を戻すと、いち早く正気を取り戻したギネットさんがその化物に上空から大槌を振り下ろす所だった。

 化物の長大な白い腕。それが握る白い新たな剣が大槌と激突し、激しい音を鳴り響かせた。


 黒王だった白い剣。

 黒王はヒトが片手で扱える長さの、ありふれた形状の剣だった。

 だが、ゼフォンが変貌を遂げたのと同様、その剣もまた形を変え始めていた。


 鋭く薄い刃はより長大で肉厚な形状へと大きさを増し、巨大化したゼフォンの体格をも超える大剣に変わっていく。

 生き物が成長しているかのようなその変化。

 いや、この剣はまさしく成長したのだ。


「これまで吸収した技を食らって進化したのかい! そして、破壊されて初めて発動する。それがその剣の本当の能力だったって訳だね……!!」


 ギネットさんの青ざめた額を、頬を幾筋もの大粒の汗が流れた。


 剣を壊せば終わる。


 そう思ってここまで戦ってきた。そう皆を鼓舞していたのもギネットさんだ。

 その目論見が崩れた今、一番心が折れそうなのはギネットさんのはずだ。

 それでも、諦めず戦っている。

 それは、その小さな背中の後ろにまだ私達がいるからだろう。


 その手が握る大槌の頭。

 鍔迫り合いで身動ぐ度に走る亀裂がミシミシと軋みを上げる。

 白い大剣へ叩きつけたその先端は、その刃が半ばまで食い込んでいた。


『そうだ。これが黒王のもう1つのスキル、魔神覚醒(まじんかくせい)だ』


「!!」


 仮面の奥からそうくぐもった声が聞こえた途端、ゼフォンの白い長大な腕がギネットさんを撥ね飛ばした。

 交通事故もかくや、ギネットさんの小さな体が石柱に激突し、それをへし折って中に沈んだ。


「がは……っ」


 崩れ落ちる瓦礫に埋もれながら、呻く小さな影。


「ネスト!」


「わかってる! 合わせろアスタルテッ!」


 瞬時に反応したのはアスタルテとネストの2人だった。

 アスタルテが矢を放ち、ネストが剣を振りかぶり突撃する。


 巨大化した手がゆらりと持ち上がり、飛んできた矢を掴み取る。


 大型類人猿程もある大きな掌に、分厚い外骨格の鎧をまとった異形の手。

 にも関わらず、その手は機械のごとく正確に矢を止めた。


 外見はヒトから大きくかけ離れてはいる。

 だが、その中身は確かに人間。化物の力をもって、冷静な判断力と鍛え上げた技を駆使する、人間なのだ。

 「真に恐ろしいのは人間だ」と誰かが言ったが、まさかこんな意味でそれを実感するとは。この場の誰も思わなかっただろう。


「アスタルテッ!」


 一瞬、フィルムのコマ落ちの様にアスタルテの眼前、鼻先に現れた巨大な体が地響きを伴って石床を踏み砕いていた。


 掴んだ矢を放り投げたゼフォンは続々と迫りくる矢の猛攻を気に留める事なく、突然その射手との距離をゼロにしたのだ。

 ネストが背後を振り返り声を上げたのは、反応すらできずに後衛のアスタルテへと接近を許した後だったからだ。


「!」


 予測の外からの状況に、アスタルテの判断が遅れた。

 それを見下ろす巨大な影が、空を裂きながら剣を振り上げる。

 鉄を殴った様な重い響きを巻き上げながら、ゼフォンは弓矢を構えたアスタルテにそれを振り下ろした。


 稲妻の様な速度で、視界から消失する白い大剣。

 大柱程もあるにも関わらず、それを虫の翅のごとく軽く振るう剛腕。


 誰しもがこのか細い花が摘まれると思った。


「私を舐めないでいただきたい」


 しかし、ただ1人その花自身を除いて。


 振り下ろされた剣が突然爆発し、その軌道がわずかに逸れた。

 唸りを上げた剣はアスタルテを避け、エルフ族の長い耳を掠めて石床に突き刺さっていた。


 大地を断つ程の剣が肌を掠めても身動ぎ1つせず、アスタルテは弓を構えた。

 ほとんど真上に構え、山の様に大きなゼフォンを見上げたまま煙を上げる弓に次の矢を番える。


 「グレネードアロー」。矢を爆発させる弓矢の必殺技が、再び火を吹いた。

 轟音を響かせ、爆炎がゼフォンの上半身を包み込む。


 炎を斬り裂き、大剣が屈んだアスタルテの頭上を通り抜けた。

 身を屈めたままアスタルテは真横に走り抜け、跳ね上がってきた刃を潜りながら続々と矢を射ち放っていく。

 その矢が尽く斬り払われても、アスタルテはさらに矢を番えた。


「そう容易く獲れる程、私の命は安くありません。あなたが我々の戦いを観察していた様に、私もあなたとミケの戦いを見ていました。どちらが狩人か、私がその身に教えてあげます」


 距離は明らかに弓と剣では剣に有利な間合い。

 にも関わらず、剣が当たらない。

 それどころか、剣の間合いのさらに内側でアスタルテは弓矢を放った。


 矢の射線に剣を挟み、強烈な振動と炎がゼフォンの視界に広がる。

 ゼフォンはアスタルテの動きに、その言動がハッタリでないと瞬時に判断したようだ。


 その剣技がアスタルテの動きに合わせて、また一段ギアを上げた。


「くっくっ。やっぱそうこなくっちゃな。アスタルテ! ついてくぜ! 最後までなッ!!」


 炎の横から振り切られた黒鉄の剣が、白い大剣と交差した。

 ネストだ。

 アスタルテの前に立ち、後ろを一瞥しながら汗の飛ぶ頬に笑みを浮かべた。


「これだけの力を持つ変身だ。獣身覚醒と同じくきっと時間制限があるはずだ! それまでに――」


「ええ」


「――ぶっ倒すぞ!」


 死地。

 で、あるはずなのに、2人は喜々として前に出た。



 それを眺めながら、私は歯噛みしていた。

 負傷はほとんど右腕にダメージが流れたおかげで、即死は首の皮一枚免れた。

 しかし、回復が遅い。

 予定外の急激なレベルアップに回復アイテムや魔法が追いついてないせいで、未だ立てずにいる。

 今程回復速度の遅い龍人族であるこの身をもどかしく思った事はない。


「じっとしてな。ミケちゃん」


 そんな私に、ふと背後から声をかけられた。


「ギネットさん」


 振り返った私の目に映ったのは瓦礫を押し退け、大槌を杖にしてヨロヨロと立ち上がった小さな影だった。


「……こいつで看板かい」


 回復ポーションのアンプルを折り、それが光となって消えていくのを眺めながらギネットさんは笑った。


「もうあたし達にあいつを倒す方法はない。あの坊やはああ言ってるが、奴の変身が解けるまであたし達でなんとか時間を稼ぐ」


 ギネットさんは私の横に並ぶと、ちらりと後ろへ視線を向けた。

 そこには力無く(うずくま)る王様の姿があった。


 元々既に動く力などなかったはずだ。

 それでも、その体に鞭打ってゼフォンの剣に致命的なダメージを与えるに至った。


 しかし、最早その様な奇跡を期待する事はできない。

 今も剣を握ろうと、震える手を地面に這わせている王の姿に……そんな姿になってまで私達を守ろうとしている王に、私は声を詰まらせた。



 今もなお白い大剣を振り、その余波でさえ城の一角を両断しているゼフォン。

 ネストの剣が半ばから折れ、離れているアスタルテの側で床が魔法剣の炎で煮えたぎる赤い沼へと変貌する。


 熱気と衝撃波で小石の様にアスタルテが飛ばされ、階下まで溶け落ちていく床に飲まれる寸前でネストが引っ張り上げた。

 そんな2人が息をつく隙も与えず、ゼフォンの次の魔法剣が刃の雨となって一帯を包み込んだ。

 その威力はゼフォンが人の姿をしていた時とは比べ物にならなかった。

 刃の雨粒が硬い石床を突き破り、城を安いパンの様に齧り取っていく。

 その中で、アスタルテを庇うネストの手足を魔法剣から放たれる刃は容赦なく貫いていった。


 そんな光景を遠くに眺めながら、私はふと頭に疑問が浮かんだ。


「ギネットさん。待って。ゼフォンの行動がおかしい」


 私は飛び出そうとしていたギネットさんを、寸前で呼び止めた。

 ギネットさんの決死の行動が無駄死にになる確信が、何故かあったから。


「……聞かせてごらん」


 一瞬驚いた顔をしたギネットさんだったが、私の顔を見てすぐ地に這う私の目線へしゃがみ込んだ。


 獣身覚醒ができる私にはゼフォンの今の行動が不可解に映ったのだ。

 変身には時間制限がある。


「私なら、真っ先に王様を狙う。なのに、ゼフォンはアスタルテを狙ってる」


 合理的ではない。

 時間切れがあるなら最速で勝利を目指すはずだ。

 しかし、ゼフォンにはその焦りが見えない。

 それに、何故初手でアスタルテを襲い、今も優先的に攻撃しているのか。


「時間制限が……ない? そんなはず……」


 私の発言に顎に手を当てて表情を曇らせるギネットさん。


 だけど、ありえない。

 これはゲームだ。あまりに強すぎる力は必ずバランスを取る為の調整を伴う。

 獣身覚醒やシェルティのHP転化。魔人族の筋力、魔力転化。鳥人族の飛行能力もそうだ。

 そして、そのどれもが時間制限に縛られているのだ。


「奴だけ時間制限が無いはずない。何かカラクリが――」


 そこまで口に出して、私は1つ思い出した。


 ユニークスキル。

 私が城門前で戦った時、無尽蔵とも思える矢をばら撒いていた鳥人族がいた。

 その矢を補充していた、ドワーフ族のクレアトゥールだ。


「ギネットさん。灰色のフクロウを倒した後、何人敵を倒した?」


 私はそれだけ訊ねた。

 そして、そこでギネットさんはハッと気づいた。


 私がログアウトした後、襲来した敵の人数は15人とシェルティとジノから聞いた。


 私が戻り、ソディスやアスタルテ達と合流。城門前で戦闘を始めた。

 そして、力を合わせて何とか敵を退けていったのだ。

 そして、倒した敵は――


 ドワーフ族のクレアトゥール。

 弩使いの鳥人族。

 飛竜乗りのサモナー。

 透明の魔法使い。

 青兜の剣士。


 黒衣の魔法使い。

 ガディン。


 ここ、玉座の間で――


 ジョロネロ。

 と、一緒に壁から出てきたもう1人。


 リゴウ。

 ラゼ。

 ガーチ。

 ウルレイテ。


 そして、ゼフォン。



「1人……足りない!」



 ギネットさんは突然頭を上げると、急いで辺りを仰ぎ見た。


 崩れた壁。倒れた柱。無くなった天井と、その向こうに広がる赤い空。虫食いだらけの足場の少なくなった床。

 目を動かし、頭を振る。視界の隅々まで探り、焼き切る程に視線を集中させる。

 そうして、辺りを見回していた最中だった。


「ギネットさん! いたっ!」


 視界の端、見る影もなく崩れ去った玉座の間で、唯一形を保っていた一角。

 その物陰で、小さな影が動いたのを私は見逃さなかった。


「こいつがカラクリの正体かい!」


 ギネットさんも私が指差した方向に振り向くと、その目に敵の姿を捉えたようだった。


「……見つかってしもうたかい。仕方ないのぉ。ゲッヒャッヒャッ!」


 視線の先。

 物陰から浮かび上がった姿は、透明な翅の生えた妖精族の小柄な老人。

 老人も落ち窪んだ目を煌々と輝かせ、こちらに気づいたようだ。

 禿げ上がった頭と長く黒い髭を蓄えたその老人は、そのシワだらけの顔にニマリと笑みを浮かべた。


 とっさに足下から石片をもぎ取ったギネットさん。


「……っの野郎ッ!!」


 それを老人に思い切り投げつけた。


「おお、怖い怖い」


 石片が柱の残骸に弾かれ、硬い音が響く。

 そこに老人の姿は既になく、ぶうと不快な羽音を鳴らして宙を舞っていた。


「ちっ! 速度はないが奴ら妖精族の浮遊能力は鳥人族より遥かに持続時間が長い。完全に出遅れちまったね」


 下卑た笑い声を上げる老人がおちょくる様にユラユラと宙を踊っていた。

 舌打ちするギネットさん。


「気づいとるじゃろうが、ワシのユニークスキル『バイタルコンバーション』は自身のMPをスタミナ値に変換し、自分や他者に分け与える能力じゃ。そして、MPポーションはまだまだごまんとある。MPはポーションで容易に回復できるからのう」


 空高く舞い上がり、私達の手が届かない位置から声を投げ落とす老人。


 通常、スタミナ値は時間経過で少量ずつ取り戻す他に回復手段がない。

 故に、獣身覚醒などスタミナ値を一気に消費するスキルでは短期決着が前提となる。


 ゼフォンが魔神覚醒を使用した場合の保険が、その前提を覆すスキルを持つこの老人という訳だ。

 恐らくアイテムボックスの中身は全てMPポーションで埋まっていると考えた方がいい。

 この老人が存在している限り、あの悪魔はその力で破壊の限りを尽くすだろう。


 しかも、上空で完全に逃げの一手を続けられたら地を這う私達に手出しできる手段はない。


「だから、弓矢で遠距離攻撃が可能なアスタルテ嬢ちゃんを奴は優先的に狙ってたって訳かい」


「……それだけじゃ、ない」


 私はまだ力の入らない脚を殴りつけ、体を立ち上がらせた。


「アイツは待ってるんだ。……私を」


 そうだ。

 勝利だけを目指すならば、やはり王を最優先で倒すのが一番早い。

 だけど、そうしないのはより長くこの戦いを続けたい――目先の勝利よりも優先させたいものがあるから。


 ゼフォンは、本当の意味で私に勝ちたいんだ。


 未だ過去の私に囚われている。

 それに応えられるのは、私しかいない。

 今度こそ応えねばならない。

 ゼフォンにとってだけじゃなく、私にとっても。


「そうとわかればやる事は決まった。ミケちゃん。今はまだ動くんじゃない。この先、ミケちゃんだけにしかできない事がきっとある。だからあたし達に何があってもここぞという瞬間までじっと待つんだよ。お前さんの出番はその時だ。いいね?」


 それだけ言って、ギネットさんは駆け出した。

 風のごとく走り去り、同時に武器の大槌を投げ捨てた。


「アスタルテの嬢ちゃん! 交代だ! 上のハエを叩き落としとくれ! 奴がこいつの急所だ! お前さんにしか討てない!」




 床に倒れた自分を庇って敵の攻撃に晒さるネストを見上げていたアスタルテ。

 その耳に、遠くから声が届いた。


「アスタルテ、無事か……? 悪い。またお前に置いてかれちまいそ――ぐえっ!?」


 背後に庇ったアスタルテを振り返ったネスト。

 その手足は焼け焦げ、浅くない傷がいくつも装備ごと体を抉っている。

 故に弱々しく笑い、死を覚悟していたネストだったが、急に後ろ襟をむんずと掴まれ引っ張り倒された。


「ゲホッ。せっかくちょっぴり格好がついたと思ったのに、台無しじゃねーか……っ!」


「まだ元気ですね。ネスト、私は他にやる事ができました。ここは任せます」


 アスタルテが引き倒したネストの頭上を見えない刃が通り過ぎていった。

 同じ目線となったアスタルテの目を、ネストはじっと見つめ返した。


「……既に有名だったお前をパーティに誘ってから、ずっと頼りっきりだったからな。やっとちったぁ俺も頼りにされる様にはなったかな?」


 そこに浮かんでいたものを、ネストは確かに受け取った。


「また、後で」


「おう」


 2人は互いに背中合わせに立ち上がり、それぞれの方向へと走り出した。



「動けるかい? 悪いがもうポーションは切らしてるんだ」


「よう、ギネットさん。右腕と左脚はピンピンしてる。余裕だぜ」


 横に並んだギネットに、ニッと笑みを浮かべながら軽口を叩くネスト。


「じゃあ遠慮はいらないね。地獄までのラストスパート、一緒に付き合ってもらうよ」


 ギネットも小さな口から歯を見せ、浮かべたウインドウに指を走らせた。

 そして、現れた新たな大槌を握り、ギネットとネストは振り上げられた大剣に向かい合った。


「さぁ、もう出し惜しみは無しだ。かかってきなッ!!」




「ゲッヒャッヒャッ。お主がワシの相手か? うむうむ、このくらい肉づきのあった方がワシ好みじゃわい。ワシも見てるばかりは飽きたとこじゃ。ゼフォンの遊び心に感謝せねばのう!」


 下卑た笑い声を上げながら、老人は自身の下に現れたアスタルテを絡みつく様な目で舐め回した。


「ハエ叩きとは、確かに。その通りですね」


 その老人を見上げ、アスタルテはギリリと弓矢の弦を引き絞った。


「ほ〜うほう! 怒った顔をもそそるのう! じゃが、みくびるでないぞ! この『雹雨(ひょうう)のベロムート』、鴉羽や城塞に劣るものではないわ!」


 ベロムートと名乗った老人が両腕を広げると、その周囲に無数の氷柱が出現した。


 そして、ベロムートがベロリと黒い舌で髭を舐めたのを合図に、全ての氷柱が一斉にアスタルテ目掛けて降り注いだ。

 一切の隙間なく埋め尽くす氷柱の墓標。

 逃げ場のない面攻撃による絨毯爆撃が、まさに雹雨のごとくアスタルテの周囲一帯をハリネズミにしていく。


 次々と石床を抉る氷柱によって舞い上がった氷片と霧の中、アスタルテの姿は覆い隠されて見えなくなった。

 その白く染め上げられ、降り積もる霜の嵐から逃れる術はない。


 だが、突如ベロムートの正面真下の氷柱が爆発し、周囲の氷柱ごと巻き込んで蒸発した。


「いいえ。あなたはラゼに遠く及びません」


 この程度、アスタルテに逃げ場など必要なかった。


 そして、スポットライトで照らされた様に空いた円の中で、ベロムートの目に入ったその姿。


「ラゼなら今の一合で私を5回は殺していました」


 無傷で立ち、次の矢を放ったアスタルテの姿がそこにあった。

 自分に届く範囲の氷柱だけをグレネードアローで正確に消し飛ばし、間髪入れず次の矢をベロムートへ射つ。


 その矢は、魔法を放ち油断していたベロムートの股間をわずかに掠めていった。


「な、なんて事をしやがるんじゃ! いや、だ、誰が誰に及ばぬじゃと!?」


「負け惜しみは魔都(ベルクゼリオン)ですればいい」


 顔を青ざめさせたり、禿げた頭に青筋を浮き上がらせたりと顔を百面相させるベロムート。

 そのベロムートを遮り、アスタルテは告げた。


「あなたを始末します」


 ベロムートの眉間へ、アスタルテは引き絞った矢を放った。




「ぐあぁあああ……ッ!!」


 ネストの胴を鷲掴みにした巨大な手により、頑丈な鎧の金具がバキバキと音を立ててひしゃげ、弾けていく。

 技も何もない、ただの強力な握力だけでネストの体が枯れ木のごとく潰されようとしていた。


「ネスト坊!」


 振り上げた大槌をギネットは自身目掛けて振り下ろされた大剣に叩きつけた。


「セブントリガーズッ!!」


 瞬間、大槌の先端が爆裂し、轟音が鳴り響いた。

 爆炎に弾かれ、大剣を持ったゼフォンの巨体が後ろへたたらを踏む。


 ギネットはその手に握る新たな大槌に備えられた取手を握ると、ライフル銃を再装填させる様に固く引き戻した。

 大槌の先端が剥がれ落ち、その後ろに並んだ次の先端が装着される。

 激突と同時に爆発を起こし、その勢いで威力を底上げする機械式の大槌。


「回数制限ありの使い捨て! こいつは生産職のクレアトゥールの攻撃力を補うつもりで作った試作品だ!」


 用済みとなった先端部が、煙を上げながら地面に落ちる直前――


「がは……ッ!?」


 ――視界を覆う炎を突き破り、鋭い蹴りがギネットの腹に抉り込んだ。

 そのまま足はギネットが吹き飛ぶ事も許さず、その小さな体に全重量を込めて地面へと踏みつけた。

 押し退けようとする手を無視して、メリメリと軋みを上げながらギネットの胴体が潰されていく。


「……この、やろ……う……ッ!」


 鎧が砕け、その破片をこぼれさせながら、鷲掴みにされたままのネストがその腕に剣を振り下ろした。


 だが、その斬撃が届くより先にネストの視界が飛んだ。次いで感じた加速と衝撃。

 ネストは潰れたカエルの様に壁の残骸からずり落ちた所で、自分が投げつけられたと気づいた。


「……あ……ぐ……」


 まさかここまで歯が立たないとは。

 体内で何かが砕けるのを感じ、ギネットはHPの表示が瞬く間に減少していく様を眺めながら歯噛みした。

 呼吸ができないせいで声も出せない。交渉も悪態も無理だった。


 それでも、ギネットは笑った。


「……かか……った……」


 同時に、ギネットの――それを踏みつけるゼフォンの周囲にいくつもの赤い光が浮かび上がった。

 それは罠魔道具の発動サイン。


 ゼフォンを取り囲む様に上下前後左右の空間で立体的に配置された妖しく輝く魔法陣。

 その数、27基。

 その魔法陣から一斉に飛び出した金属の牙が、ゼフォンを貫く。


 だが、正面から襲い来るその牙は、射出直前に薙ぎ払われた剣に両断されて落ちた。

 真下からの牙は直後に蹴り折られ、頭上からの攻撃も切り返した刃が叩き折っていく。

 さらに、背後から射出された牙はゼフォンの翼の口が噛み砕き咀嚼した。


 次々と迫る牙を、ゼフォンは(ことごと)く撃墜していく。

 同時多発的に射出された魔法金属の牙を紙一重で避け、さらにひとつひとつ丁寧に破壊していったのだった。


 次々と撃破されていく金属の牙だったが、突然その硬質な牙がぐにゃりとヘビの様にしなった。

 鞭の様に曲がり、その先端部が口の様に開いてゼフォンに噛みつこうと飛びかかったのだ。


「かはっ! げほっ……鍛冶師ギネット一番の罠魔道具『龍帝の牙牢ドラゴニックインプリズン』。これがダメだったら、あたしに罠魔道具の才能は無かったとキッパリ引退するよ!」


 踏みつける圧力が弱まった。

 ゼフォンがヘビの頭部を切り落としても次々と新たな頭部が再生し、ゼフォンに襲いかかる。

 そして、ついにゼフォンの腕を、肩、脚を捉えた。

 噛みついた箇所が再び硬質化し、その表面全体から鋭い棘を突き出した。

 それがゼフォンの鎧に楔の様に突き刺さる。

 あのゼフォンの動きを封じたのだ。


 その隙を突き、ギネットは地面を這ってゼフォンの足を抜け出した。


「唯一の欠点があたし自身も無差別に巻き込まれるって事なんだが、何とか離れられ――」


 すぐに転がりながらゼフォンから離れ、大槌の柄を杖に立ち上がったギネット。

 元いた方を眺めながら、ギネットは自分の鼻先を齧ろうと伸びてきた銀色のヘビを眺めていた。


 そんな時だ。


「ギネットさん! 避けろッ!!」


 後ろからネストの声がした。

 それが聞こえた時、捕えたはずのゼフォンの姿が罠の中から消えていた。


 とっさに上げたギネットの左腕が折れた。

 ギネットは体が後ろへ跳ね飛ばされた事により、ようやくそれに気づいた。

 宙を舞い、風を切るギネットの体。


 あわや鋭く尖った柱の残骸にぶつかる直前、誰かに受け止められた。


「……っつう〜! 無事か!?」


 ギネットは自身を受け止めたネストと諸共転がりながら、状況に目を白黒させた。


「ネスト坊、生きてたかい。何が、何をされたか見えなかった……」


「ああ。俺も何で生きてるかわかんねーが、運良く死んでねぇ。さっきもああやって一瞬でアスタルテは距離を詰められたんだ」


 互いにボロボロだが、何とか体を起こし、目の前の巨体を見上げた。

 一瞬前までは確かに金属のヘビに絡め取られ、身動きを封じられていたはず。


 だが、目の前にあるのはそんな事など無かったかの様に悠然と立つ白い悪魔の姿だった。


「……あの翼か! どうやらあれで瞬間的に獣身覚醒以上の速度を出せるみたいだな。空を飛ばないのを見ると、使えるのはほんの一瞬だけなんだろうが」


 ギチギチと耳障りな声を上げて笑う、白い翼。

 過熱した蒸気機関に似た息を吐きながら、ゼフォンの背でその翼は空を仰いでいた。

 その牙の並んだ口がひとしきり笑い飽きた様に、息を吸い顎を閉じていく。

 寡黙なゼフォンと対称的なその様子が、2人の恐怖を掻き立てた。


 そんな2人の心情など気にする事もなく、ゼフォンは体にまとわりついていた金属のヘビを引き剥がし、床に放った。


「まったく、何やってんだろうな……俺。ホントは今日、侵攻クエストを休んでアスタルテと甘いモンに舌鼓を打ってる予定だったってのに」


「あたしも、孫と遊ぶからってソディスの呼び出しなんか放っときゃよかったよ」


「……アンタ一体いくつだよ」


「レディに歳を訊くもんじゃないよ。ほら、前見てな!」


 2人共軽口を叩きながらも前を見据えていた。

 その2人に、剣を振り抜く悪魔が迫った。


「セブントリガーズ!!」


 その剣に合わせてギネットは大槌を叩きつけようとした。


「ぐあっ!」


 だが、空中でその切っ先は翻り、大槌を掻い潜ってギネットの太腿を刺し貫いた。


「ギネットさん!」


 片手片足が既に動かず、残った手足も満足に動いてくれないネストは、それを目で追うしかできなかった。


 この悪魔はただ力が強いだけの怪物ではない。

 その力に一流の技を身につけた人間なのだ。

 ゼフォンは一合で新しい大槌の威力を学習し、器用にその対処を実践してきた。


「来るんじゃない! ……こういうのは年寄りが先って決まってるんだ」


 ギネットが歯を食いしばり、大槌を振り上げる。


 だが、それより早く既に払われた大剣が迫っていた。

 最早ギネットの足に避ける余力はない。


 これまで幾度も武器を交えてきたからこそわかる。

 多勢で戦っていたからこそゼフォンの剣を折り、渡り合う事ができていた。

 それが味方は次々と倒れ、ゼフォンはさらなる進化を果たした今。抗う事すらできていない現状、いつギネット自身その順番が回って来てもおかしくないとわかっていた。


「く……っ!」


 歯を食い縛り、全身を強張らせるギネット。

 いつ刃が自分の命を刈り取るのか、その覚悟をした瞬間。


 しかし、死神の鎌は折れたボロボロの剣によって止められていた。


「悪いな、ギネットさん。その順番、俺に譲ってもらうぜ」


 目を見開き、飛び込んできた光景にギネットは声を失った。


 何故ならば、右腕と左脚しか動かない体でなお剣を振るい、そんな体でゼフォンの大剣を止めたネストの偉業を信じられなかったから。


 衝撃を打ち殺す為とはいえ、体に自分の剣を食い込ませながらもネストは不敵な笑みを浮かべていた。


「俺だってただアスタルテの金魚のフンやってた訳じゃねぇ。これまでも、ずっとアイツの隣で戦ってきた。鴉羽との戦いも、このもっとヤベェヤツとの戦いも!」


 自分の体から刃を引き剥がしながら、剣の柄に近い箇所――最も力を加えられる一点でゼフォンの大剣を弾き返すネスト。


 ダラリと垂れ下がった左腕を庇う素振りも見せず、ネストは笑って折れた剣を構えた。


「だからさ。今、なんか、何とかできそうな気がするんだ……」


「ネスト坊……」


 目に煌々と火を灯すネスト。

 力のほとんど入っていない体で、しかし寒気のする程に集中している自身に笑いが漏れた。


「俺一人でやらせてくれないか」


「ヤケを起こすんじゃないよ。この状況で戦力の分散なんて愚策中の愚策だ。2人がかりでもいつ殺されてもおかしくないんだからね」


「なら、一人ずつでも大して変わらねぇって。頼む。必ず時間を稼いでみせる。俺達2人でアスタルテに道を作るんだ!」


 力量差を考えれば無謀でしかない提案だ。

 しかし、ネストの決死の表情と気迫に、言葉を飲み込みギネットは頷いた。


「わかったよ。ただし、絶対死ぬんじゃないよ!」


「無茶言ってくれるなよ。……じゃ、行ってくるぜ!」


 言い終わるが早いか、ネストの喉元を最短距離で刺し貫こうと白い大剣が突き出されていた。


 その軌道を掲げた剣で滑らせる様に防いだネスト。

 早くても遅くても防御は失敗し、ネストは光の粒となっていただろう。

 その刹那の一瞬を見切ったネストの技量は目を見張るものがあった。


 明らかにこれまでと違う。

 アスタルテの戦い様を見、さらに鴉羽との対峙が、これまでの経験全てが今この瞬間の集中力を生んだのだ。


「へへっ。アンタ、あの鴉羽みたいな事をリアルでやってたんだって? 鴉羽も大概だったが、マジでいるんだな。そんなヤツ」


 ネストの問いかけに返ってきたのは横薙ぎの刃。

 腹を輪切りにする太刀筋を間に挟んだ剣で受け流すネスト。

 それでも、その剛力に自身の剣が体に食い込む。

 そんな自分の肉体を削る様な戦い方で、ネストは続く打ち下ろしをまたも防いでみせた。


「ぐ……ッ! だけどよ。怖えのが半分、嬉しいのが半分ッ! アンタみたいなすげぇ剣士が俺の相手をしてくれる! 同じ剣士として誇りに思うぜ……!」


 剣同士がぶつかり合う度にネストの剣と肉体は削がれ、こぼれていく。

 それでも、あのゼフォンを前に一歩も退かず、渡り合える剣士がこの世界にどれだけいようか。


 片手片足が既に動かず、残った手足も満足に動いてくれないネストは、ゼフォンの動きを目で追うしかできなかった。

 だがしかし、目で追う事ができたなら、敵がすぐ目の前で対峙しているのならば。

 自分の剣を届かせる事ができる。


 視界の外からの切り払いを受けたと同時に、ネストの元々動かなかった左腕が食い込んだ刃で外れ落ちた。

 地面を跳ねる腕に見向きもせず、ネストは前に出た。


 差し出されたゼフォンの剣をレールにして、ネストは自分の剣を滑らせその懐に飛び込んだ。


「……ネスト坊ッ!」


 レールにしていた大剣はじっと止まっている事などなく、人外の膂力でネストをその体に食い込んでいた剣ごと持ち上げ、弾き飛ばした。

 ネストの耳にどこかから誰かの声が聞こえた。

 硬い何かに激突し、ネストは自分がどこかに飛ばされた事に遅れて気がついた。

 天地が逆さまになりながらも「ったく、これで何度目だよ」と自嘲し、笑う。


 その朦朧とする眼前に、またも一瞬で距離を詰めてきた巨体がその巨大な剣を振り下ろしてきた。

 ネストの体を上から押し潰す石壁や柱の瓦礫。乱雑に積み重なるそれらがバターの様に縦一線、左右へと開いていく。

 その下にいたネストの生死は最早確かめるまでもない。

 誰が見てもこれまでと思うに違いなかっただろう。


 それでもギネットはまだ、飛び出さなかった。


「ありがとうよ。俺に付き合ってくれて」


 瓦礫の下から聞こえた声。

 瓦礫に埋もれ、逃げ場を封じられた上で正確に斬り分けられたはずのネスト。


 にも関わらず、ネストはもうほとんど刃の残っていない剣でゼフォンの一撃を受け流していた。

 頭上に掲げた剣で正中線を狙った剣筋をわずかばかり右へ反らし、既に使えない右脚を失うだけに済ませたのだ。

 どこまでネストが狙ったものなのか、最早本人すらもわからないのだろう。

 それがどれ程の正確さと胆力。そして、運がもたらしたものなのか。


 それを顧みる間もなく、バネ仕掛けのオモチャの様に飛び出したネスト。


 元々左腕も右脚もHPを全損して動かせなかった状態で、これまでゼフォンの剣を凌いでいた事自体信じられない事だった。

 今やその手足も失い、体も裂け、何故まだ生きていられるのかすら不思議な状態なのだ。


 なのに、ネストは反撃に打って出た。


「うおぉおおおおああッ!!」


 ゼフォンは剣を振り下ろし、動作が一瞬だが止まった。

 どんな剣士であろうと剣を振り切った直後には隙ができる。

 さらに、ゼフォンの剣は斬り砕いた瓦礫の中に埋もれていた。

 おそらく、これまで使っていた長剣と、新たに手にした大剣の感覚がほんのわずかに馴染み切っていなかったのかもしれない。


 これは、ネストにとって千載一遇の好機だった。


 何度もゼフォンの大剣を受け続けたネストの右腕は肉が削げ、赤い跡で埋め尽くされている。

 装備は剥がれ、指もいくつか不格好に折れ曲がっていた。


 それでも剣士として、剣だけは握り締めて放さなかった。

 最早その刃は拳一つ分しか残っていない、ナイフより小さな刃物の欠片だ。

 ネストはそれを残された力いっぱいゼフォンの胸に振り下ろした。

 最後のチャンスに全てを込めた一撃。


「後は頼んだぜ」


 その刃が届く事は、なかった。


 瓦礫ごと持ち上げられた大剣。

 その刃がネストの腰から肩にかけてを斬り上げ、両断していた。

 ゆっくりと落ちていく2つになった体。それらは、地面に着く前に光となって消えていく。 


 対等な戦いではなかった。

 ほとんど防戦一方。一方的に踏み潰された戦いだった。

 それでもほんの数秒間、ネストは確かに人類最高峰の剣士と渡り合った。


 それはネストの胸に誇りとしてしかと刻み込まれたのだった。


「ああ、任されたッ!」


 空に消えていく光を見ながら、ギネットはゼフォンの背後から大槌を振り下ろした。

 ネストが繋いだ数秒を無駄にしない為にも、アスタルテが敵を排除するまで持ちこたえなければならない。

 そして、できる限りダメージを与えてゼフォンの行動を封じる。

 その為だけに、ギネットも自分の持つ手札全てを注ぎ込んだ。


『悪くない戦いだった』


 不意に仮面の奥から声が聞こえた。


 ゼフォンは剣を振り終え、態勢が一瞬止まっていた。

 翼の加速もまだクールタイム中のはずだ。

 これ以上ないタイミングでの背後からの奇襲。

 避ける事は不可能。たとえ武器で防御したとしても、接触と同時にセブントリガーズは起爆する。

 そうすれば、ゼフォンの態勢を崩し続け、さらなる隙を発見できる。


「そう上手くはいかない……か!」


 後ろを見向きもせず、ゼフォンはギネットの大槌を剣で受けていた。

 ただし、大槌の柄の部分を、だ。


 さっき切り裂かれた左脚のせいで踏ん張りが甘かったのもあるだろうが、それよりゼフォンの反応の正確さが異常なのだ。

 そんな事は既に百も承知。


「さぁ来な! 今度はあたしの番だよ!」


 大剣を弾き、握り直した大槌を振り回す。


 そのギネットの右脚を、大剣が貫いた。

 ガクンと沈む体。

 承知していたにも関わらず、実力差の果が見えない。


 それでも、止まる事はありえない。


「……っがぁあああぁッ!!」


 大槌をゼフォンの腕目掛けて振り下ろすギネット。


 その視界が突然ブレて、空を映し出した。

 振り上げられたゼフォンの大剣に、ギネットは脚ごと裂かれながら宙に放り上げられたのだ。

 糸の切れた人形の様に空中で手足を投げ出したままクルクル回る、小さな体。


 空高く舞い上がり、やがて重力に引かれて落下を始める視界に、ゼフォンが上段に剣を構えたのが見えた。


 定まらない視界でそれを眺めながら、しかしギネットは笑った。


「セブントリガーズの利点はね――」


 正確に自身の胴を両断しに振り下ろされる白い剣。

 ギネットは宙に揺られながら大槌の頭を直接掴むと、その位置を細かく調整しつつ剣に当てた。


「――当たりさえすれば振らなくてもいいって事さ」


 途端に大剣の切先が爆発し、ギネットの体ごと煙が包み込む。


 一瞬で視界が封じられ、ギネットの位置を見失ったゼフォン。

 それでも、瞬時にギネットの位置を予測し、返す刃が煙ごとその肉を切り裂いた。


「……セブントリガーズ、残弾5発一斉装填! 集中強襲形態、全開放(フルバースト)……ッ!!」


 煙の中から聞こえた金属とバネの移動する硬い音。


「惜しかったね。まだ、死んでないよッ!!」


 風が吹き、煙が晴れた。

 そこには、左肩を貫かれながらもゼフォン目掛けて大槌を振り下ろすギネットの姿があった。


 残った唯一動く右手に握られた大槌。

 その先端は予備の弾倉も含めた、全ての攻撃力を前面に展開した形状へ変形していた。


 セブントリガーズ。


 高攻撃力の爆発魔石を槌頭に仕込み、打撃時に爆発の威力を上乗せさせる機構を組み込んだ機械式の大槌である。

 レベルが90を超えるギネットの攻撃を十分に補強できる威力の爆発魔石は値段がつけられない程貴重であり、一発のもたらす効果に対して損失があまりにつり合いの取れない代物となっている。

 それ故、製作者のギネット自身もこれを「遊び心で作った無駄使い」と評していた。


 その爆発魔石の威力は、一発ですらあの王の最終絶技を受け止めたゼフォンを少しだが押し返した程だ。

 セブントリガーズはその名の通り、そんな爆発魔石を7発も装填した恐ろしく贅沢な兵器としてひとまず完成した。


 そして、その攻撃力を全て一斉に開放したならば、どんな化物でも抗い切れるものではない。


「届……けぇえええッ!!」




「ハァ……ハァ……ハァ……ッ!」


 切れる息を飲み込み、構えた弓を支える左肩には鋭い氷の刃が突き立っている。

 アスタルテは弓に矢を番えながら、空の彼方を睨みつけていた。


「ゲッヒャッヒャッ! 威勢がよかったのは最初だけじゃったのう」


 夕空の彼方、赤く焼けた空に浮かぶ小さな黒い点。

 粘着(ねばつ)く様な下卑た笑い声はそこから聞こえてきた。


 (いびつ)な模様の透明な翅がぶうぶうと耳障りな音を掻き鳴らす。

 黒い髭に禿げた頭。ハエの妖精族の老人だ。

 仄かに緑色に光る黒く(ふと)った体と、不潔な油を舐め取る様に蠢く舌。

 魔王軍最後の刺客、「雹雨のベロムート」。


 だが、アスタルテが気に留めていたのは、そんな肌が粟立つ様な不快な外見などではない。


 宙に浮いたまま、雨雲のごとく展開している無数の氷柱。

 さらに、ベロムートの真下をヘリコプターのローターの様に旋回している3枚の巨大な氷の板だ。


 それらが矢を阻み、アスタルテの攻撃を無力化するのだ。

 しかも、氷柱も盾も破壊されてもすぐに新たな代わりを生成してくる。

 それは正に空を支配する空中要塞のごとき堅牢さだった。


「連戦に次ぐ連戦でもうスタミナ値も矢の残りも少ないんじゃろう? 動けなくなるまで嬲って、その後じっくりと楽しもうかの。ゲッヒャッヒャッ!」


 MPをスタミナ値に変換するスキルを持つベロムートが手の届く高さに降りてくる事は、ない。

 実際残りの矢もスタミナ値も少ない。

 そのせいで動きが鈍り、アスタルテは被弾を許していた。

 使える手札は使う前に腐り落ちる寸前。


 しかし突然、その思考は断ち切られた。


 城全体を揺るがす轟音が響き渡り、凄まじい衝撃波がアスタルテの全身を殴りつけた。


「く……っ! ネスト! ギネット……!」


 周囲一帯に積み重なる瓦礫諸共吹き飛ばそうとする突風を足を踏ん張り耐える。

 顔を覆う手の隙間から見えたのは遥か空高く、雲すら貫き立ち上る巨大な白い炎だった。


「そんな……まさか」


 空を見上げていたアスタルテの視線がにわかに地上へ戻された。


「おっとぉ、楽しむ時間がなくなったかのう?」


 わざとおどける声が上空からアスタルテの耳に届いた。

 飛来する石片を阻む氷の壁の向こうで、アスタルテを舐める様に眺めるベロムート。


 だが、そんな事を気にする余裕などアスタルテにはなかった。

 高層ビルもかくやというこのアルテロンド城をも上回る高さの炎。


 その中から平然と歩いて出てきたゼフォンの姿を捉えたからだ。


 あの炎は恐らくギネットの所持していた大槌のものだろう。

 その大きさからして、威力はあのラゼの双撃極大魔法すら比較にならない程。

 これ程の炎は見た事がない。


 いや、唯一比較できるものがあった。

 初手で玉座の間を半分消し飛ばした、王のアークキャリバー(極大魔法)ならこれに比肩できるかも知れない。


 それがどうして、そんなものの中から歩み出て、平然とアスタルテに視線を向けられるのか。

 その背に背負う巨大な炎に一切の興味を示さず、ゼフォンは次の獲物に対して構えた剣の切先を向けていた。


 大型獣を思わせる常人離れした巨躯。

 白い外骨格に覆われた上半身と、背中でいくつもの口が笑う異形の翼。

 そして、その巨躯を超える刃渡りを誇る純白の大剣。


 全てが変わらず、無傷のままゼフォンはそこにいた。


 アスタルテは肌が粟立つのを感じた。

 強い敵に恐怖を感じる事などよくある事だ。だからこそ、それに打ち勝ち自分の糧とする。

 どんなに強い敵であっても、時に敗北したとしても。

 そうしてきた。


 だが、ここは違う。


 アスタルテは頭上のベロムートに引き絞った弓矢を放った。


 今、この瞬間まで自分が生存できているのは仲間が命をかけてあの悪魔と対峙してくれたおかげだ。

 繋いでくれたこの今を、アスタルテは1秒でも無駄にしないと決めた。


 氷群の隙間を縫い、奇跡の様なタイミングと軌道でベロムートの心臓に迫る矢。


 しかし突然、空高く駆け昇っていた矢が真っ二つに折れた。

 死んだ鳥の様に力無く落下を始める矢。

 剣を振り抜いた姿勢のゼフォンから、それが魔法剣の見えない刃に斬られたとわかった。


「ゲッヒャッヒャッ! 無駄じゃ無駄無駄ァ! お主の仲間が何人か時間稼ぎをしておったようじゃが、徒労に終わったのう!」


 アスタルテを品定めしながら黒い舌で口の周りを舐めるベロムート。


 最早戦いとすら思っていないのだ。

 まるで切り分けられるのを待つケーキを見る様に、その柔らかい表面にどんな角度でナイフを入れようか悩む程度の事、と。


 ゼフォンはこれまで相対してきた何者とも違う。

 だから、唯一の可能性としてベロムートを倒す事に賭けたのだ。

 それは、アスタルテにとって「逃げ」だったのだろうか。

 倒せない――と、ゼフォンから逃げ、仲間の為と弱そうな相手に逃げ……。

 だから、そんな選択をした時点でアスタルテの心は折れてしまっていたのだろうか。


「最早手遅れよ! ワシらの前には何者もがひれ伏すしかないのじゃ! 全てが無駄! 無駄! 無駄に終わる!」


 逡巡し、自問し、アスタルテは矢を向ける先を迷ってしまった。


「私は……間に合わなかったのですか……?」



「否。間に合ってくれた」



 砕けそうなアスタルテの背を、突然かけられた声が押した。


 不意にかけられた声に、アスタルテの脚は支えを取り戻し踏ん張りを効かせて立ち上がる事ができた。


「あな……たは……」


 その声の主はアスタルテの横を通り過ぎ、ゼフォンとの間に立ち塞がる様に前へと進み出た。


 カラスのごとく黒く長い髪をなびかせ、戦場には不似合いな足運びで泰然と歩いていく。

 緊迫した空気など物ともせず、歩んだ道を自身の色に染め上げる様にその男はただ進んでいく。


 戦場に不似合いな、上品に仕立てられた黒いスーツに白衣の様なコートを羽織った長身の男。

 男はゼフォンの前に立った。


「ソディス……!」


「誰じゃ?」


 アスタルテがそう名前を呼んだ、不意に現れた珍客にベロムートが上空から身を乗り出して首を捻った。


「胸を張るがいい。アスタルテよ。おかげで我輩も間に合わせる事ができた」


 ソディスはわずかに後ろを振り返ると、澄ました顔で薄く笑った。

 だが、アスタルテはその意味を理解できていなかった。


 確か、戦闘は不得手と聞いていた。レベルもこの場には不釣り合いな程足りなかったはず。

 何故、今この状況で前に出てきたのか。

 目を白黒させ、アスタルテは弓に番えた矢を引き絞る事も忘れていた。


 だが、対峙していた白い巨躯は――ゼフォンだけは猛烈な勢いでソディスへ剣を振り上げた。


「我輩はソディス。クレアトゥールのソディスである」


 その刃が。

 振り下ろされたその刃が、ソディスの脳天直前で――


 ――止まった。


 何故ならば――


「ギネットが鍛冶の腕で傑出した名手であるのと同様、我輩もポーション製作ではこの世界の誰より達者な自負がある」


 ふと、アスタルテはソディスの向こう、最後にソディスがいたと記憶にあった場所に見慣れない何かがあるのに気づいた。

 確か、そこにあったのは玉座だったはず。

 しかし、そこにあったのは木片と金属棒でできた、無残にも宝石や装飾の剥ぎ取られた見る影もない残骸。


「あの玉座には2つとない希少な素材ばかりが使われていたが、何とか1本だけ完成させる事ができた」


 ――何故ならば、白い大剣と黄金に輝く光の剣が、互いに闘気の火花を弾かせながら交差していたから。


 その黄金の剣を持つのは――


「そなたのおかげでまたこうして立ち上がれた。今一度名を聞かせてくれ」


 その剣の使い手は一切傷痕の無い両手でしかと剣を握り、訊ねた。

 その問いに、ソディスはいつもの澄まし顔に薄く笑みを浮かべた。


 そして、大仰に腕をかざしながらそれに応えてみせた。


「我が名はソディス! 稀代のペテン師にして卑怯者。『反則のイカサマ師』ソディスである!」


 ソディスの声が高らかに響き渡る。


 剣の操手は右足を踏ん張り、左足で力一杯全身を前に押し出した。

 その体に一切の傷はない。

 ダメージは回復不可能だったはずと、この場にいた誰もがそう認識していた。


 しかし、左半身を覆っていた赤い痕も、全身に刻まれていたおびただしい傷痕の全てが一切合切治癒している。

 彼は薄く皺の入った細身の顔を、子供の様に破顔させて目の前の敵を見据えた。


 全力の王が、ここに蘇ったのだ。


「ラスボスを回復とは、ゲームにおいてこの上ない反則技であろう」


 ソディスは薄く、しかし満足気にその顔に笑みを浮かべた。

 震えて棒きれの様に力の入らない脚をつねりながら。

 次回投稿は1月16日午後8時予定です。


 次回第80話『最終決戦奥義 序ノ段』


 お楽しみに!

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