77・災厄との対峙
「『ライフドライブ……速力転化』ぁ!」
体の周囲を漂う小精霊が燃え上がり、全身から薄紫色の闘気が迸る。
飛び交う見えない刃に床を裂かれ、走るシェルティの背中を弾けた礫が打ちつけた。
「い、痛っ! ……くない! 全然っ! ちっとも!」
シェルティは踵を返し、見えない刃の発射点――黒い剣を構えるゼフォンの懐に飛び込んだ。
切れる息を飲み込み、一心不乱に大鎌を振る。
空間に紫色の幕を二重三重に描き続けているのは、刃に塗られた不思議な塗料のおかげだ。
「もう一回……ひぅいっ!?」
返す刃で大鎌を構え直したシェルティだったが、漆黒の剣が紫色の幕ごと頬を掠めて突き抜けた。
視界のすぐ横、黒い剣に自分の顔が映っているのが見える。
剣に刈り取られた自身の髪がハラハラと落ちる様子を見て、シェルティは慌てて飛び跳ねた。
「……だ……っいじょうぶっ!!」
剣が捻られ、横薙ぎに払われる。
とっさにしゃがんで頭上へやり過ごすと、シェルティは大鎌を振りながら地面を転がった。
すぐに床を蹴って立ち上がり、距離を取る。
ゼフォンがその床へ剣を突き刺したのを尻目に、シェルティはしかし再びゼフォンとの距離を詰めた。
「全然平気っ!」
自分を鼓舞しながら足を動かす。
逃げようと思えばシェルティは逃げられた。
敵の速力を上昇させていたスキル「獣神憑依」の効果が消え、ゼフォンの速力は低下していた。
HPを転化し続け速力を倍化している今のシェルティが本当に逃げたなら、ゼフォンは追わないだろう。
それでも、シェルティはここに残っている。
恐怖に飲まれても、こぼれそうな涙を堪えてでも、震える足に鞭打って目の前の悪鬼へ走るシェルティ。
その服の裾を迫りくる無数の魔法のナイフが齧り取った。
滝の様に繰り出される魔法剣を避けながら、シェルティはゼフォンの間合いで大鎌を振り続けた。
シェルティも逃げてばかりではない。
こっちこそがゼフォンに食らいつき、逃さないつもりで戦っているのだ。
ならば自ら至近距離まで近づいて、内側から立ち向かう事をシェルティは選んだ。
斬り上げられた剣が振り切られる前に、ゼフォンの脇を通り過ぎ攻撃をかわすシェルティ。
その選択が、今なおシェルティの命を繋いでいた。
「いい勘をしている」
突然、ゼフォンの目が、シェルティを貫いた。
これまでずっと無言だったゼフォンが、初めて口を開いた。
氷の様に冷たい声がシェルティの背中に差し込まれる。
「変わった動きをする。もう少し見ていたかったが、頃合いだ」
突然、振り下ろされた剣先が消え、真横――シェルティの耳元から斬り上げられた。
フェイントだった。ただかなり高度な。
「!?」
回避が間に合わず、左腕が半ばから大きく裂かれた。大きな赤い傷痕が刻まれ、動かなくなった左腕。
横に跳び加速するシェルティ。
だが、その進路を阻む黒い剣。
シェルティの挙動を読む様に、その剣撃はことごとく先回りしていく。
回避に専念し、あわよくば首を取ろうという欲もない。それがシェルティに足りない経験を補って、その回避を為していた。
にもかかわらず、一切の容赦なく繰り出されていた攻撃――そうシェルティが思っていたのも、動きを見極める為にシェルティがギリギリかわせる程度にしていてくれたに過ぎなかった。
ゼフォンの言葉通り先程までは様子見だったのだ。
シェルティを襲う技の数々がこれまで以上の圧力を伴っている。
進路上に突き出された鋭い剣。
シェルティは床に刺した大鎌で急制動させ、それを避けた。
軌道を真横に返した斬り払いも飛び退いてかわす。
そのシェルティの太ももを、かわしたはずの黒い剣が貫いていた。
「くう……っ、ハービィ!」
だが、シェルティは前を見た。
シェルティの影から飛び出した眩い炎と赤い翼。
その温かい光は、炎を操るサラマンダー。
頼れる相棒のハービィだった。
「クアアッ!」
至近距離から放たれた火球は寸分違わずゼフォンの眉間で炸裂音を立てて炎上した。
それが都合のいい期待でしかない事はわかっている。
寸前でシェルティの太ももから抜かれた剣に、火球は容易く切り払われていた。
シェルティは唯一動く片足で地面を蹴り、跳んだ。
「たぁあー!!」
右腕で大鎌を振り、紫色の防壁で視界を遮る。
だが、紫色の軌跡を突き破り、黒い剣がシェルティの足首をほんの少し切った。
途端に足の感覚が消失し、シェルティは跳んだ勢いのまま地面に転がり落ちた。
「う……ぐ」
何度も顔や頭を打ち、ややあって舞い上がった埃がシェルティに降り積もる。
それでも、シェルティは埃に汚れた顔を懸命に上げた。
「キュウア!」
その首筋にとどめを突き立てようとしている黒い剣。
ゼフォンの背後から、ハービィが呼ぶ様に吠えた。
全身を赤く燃え上がらせ、自身を巨大な炎の弾丸へと変えたハービィ。
炎はまとったハービィを中心により大きく、眩しく膨れ上がっていく。
その様は晴天に輝く太陽。
振り返りもしないゼフォンに、ハービィはわき目も振らず突撃した。
ハービィの全身全霊を込めた最大の一撃。
「ハービィ、バーストレッド!!」
シェルティは見上げた。
最大の一撃を繰り出したハービィが、黒い剣で真っ二つに斬り捨てられるのを。
「ミラージュファイア!」
だが、真っ二つになったハービィの姿が揺らいで白い炎と化し、消えた。
炎で作り出した分身。
本物のハービィは――
「クアッ!!」
突然、夕日が輝きを増した。
否、それは夕日の中から生じる炎の煌めき。
太陽に身を隠し、分身の作り出した隙を突いた渾身の不意打ちだ。
眩しい太陽光に射られ、ゼフォンはその鉄仮面の様な顔をわずかにしかめた。
「もう一度、バーストレッドーッ!!」
再度繰り出されたハービィ最大最強の攻撃。
それによってどういう結果が待っているか。シェルティにはわかっていた。
「黒王『奈落』起動。光を喰らい尽くせ」
やがて、赤い輝きが止んだ。
シェルティは大鎌を握ったままの右腕で這いずり、地面に転がる赤い布袋の様になってしまったそれへと近寄った。
「ハービィ……。すごいぞ、私達。こんなすごい敵相手にここまでがんばれたんだもん」
翼を切り裂かれ、地面に打ってすり傷だらけになったハービィにシェルティは語りかけた。
だが、シェルティはハービィを抱き抱えるでもなく、握った大鎌を杖にして体を起こした。
目の前に立つ悪魔の化身と対峙する為に。
ゼフォンが剣のスキルを起動した直後、再びその刀身を覆い尽くした黒い霧。
それはまるで獲物を奪い合うヘビのごとく群がり、ハービィの体を包む炎に触れた途端貪り始めた。
そして、あっという間に炎の眩い光をかき消し、露になったハービィの翼を切り落としたのだった。
一体どれだけ戦っていたのだろう。
数え切れない程の斬撃をかわし、走り続け、地面を転がってきた。
何時間も戦い続けてきた様な気もする。
だが、上昇したままの速力がまだ1分も経っていない事を教えてくれていた。
やがて小精霊の光も燃え尽き、速力も戻った。
「クゥウ……」
翼を失ったハービィがボロボロの体を引きずり立ちはだかった。
弱々しい声で脚を奮い立たせ、小さな体で脅威からシェルティを隠そうとしているのか。
シェルティも座り込んだままの姿勢で、いつでも振れる様に大鎌を構えた。
「ミケさんだったら、諦めない」
目の前の悪魔は何も言わない。
ただ、両手で握った剣を突き下ろした。
シェルティは振ろうとした大鎌が手から落ちるのを感じた。
最早満足に振る事もできない。
首元に迫る切っ先を見据えながら、ただ向かい続けるシェルティ。
音を立てて大鎌が床に落ちた。
「シェルティ。お待たせ」
突然かけられた声。
シェルティは目を瞬かせ、その声の方を見上げた。
なんとなくわかったのは、黒い剣はシェルティに届かなかったらしいという事。
今この瞬間まで自分に迫っていた運命と向かい合っていたはず。
そうならなかった展開に、まだ理解が追いついていないシェルティはただぼうっとしていた。
シェルティの視界の端、少し離れた場所で空を切っている剣。そこは確か今の今までシェルティがいた場所だった。
シェルティは予想と違う現状にますます混乱し、それと同時にようやく自分が誰かに抱き抱えられている事に気づいた。
「ミケさん?」
「うん。ジノもソディスもいる。もちろん、ハービィも大丈夫」
何度も目を瞬かせているシェルティに、私は小さく笑った。
私の言葉を聞いて、シェルティは視線を自分のお腹の上へと向けた。
抱きかかえられた自分のお腹の上で、シェルティはまるで揺りかごに眠る赤子の様に寝息を立てているハービィを見つけた。
「ハービィ……」
私が2人をそっと床に下ろすと、シェルティは眠っているハービィを静かに撫でた。
「シェルティのおかげで敵はもうあいつ1人になった。ここからは、私達に任せて」
そう私が話したと同時に、大槌を肩に担いだ小さな影が現れた。
「シェルティちゃん。よくがんばったね。あの男相手に1人で大したもんだ。ミケちゃんも、あいつらの1人を倒したってんだから驚いたよ」
それは金色の髪を小さく結び、焦げ茶色の作業服に身を包んだ女の子。
「ギネットさん!」
私がその名を呼ぶと、ギネットさんはこちらを振り向いてニッと歯を見せた。
「お〜い! そっちも倒せたか! こっちも余裕だったぜ!」
「ミケなら確実に敵を打倒すると確信していました」
また別の一角から現れたのはネストとアスタルテの2人だった。
満身創痍ながら笑顔で手を振っているネストと、同じく羽織っていたローブを失い、肌にいくつも赤い傷痕を刻んだアスタルテが駆け寄ってきた。
2人の全身に刻まれたおびただしい数の傷が、どれだけの激戦だったのかを物語っている。
「2人も。勝つって信じてた」
「そうでなくては、ここにいる意味がありませんから」
私が振り返ると、アスタルテは少し微笑んで返した。
そんなやり取りをしていると、敵と私達の間に黄金の輝きが落下してきた。
けたたましい激突音を上げ、足下の石床が砕け散る。
「我らが勇者達に祝福あれ! 皆健在で何よりだ」
現れたのは我らが王。
その右腕には首だけになった黒いワニが齧りついたままぶら下がっていた。
悔しさと満足感の入り混じった様な表情で、それは光となって消えようとしている。
王はそれを振り落とす事もなく、消えるまで何かをかみ締める様にただじっと見送っていた。
やがてそれが空へ消えて無くなると、片腕で握った黄金の剣を高く掲げた。
それから、眼前に立ち塞がるゼフォンへ突きつける様に振り下ろしたのだった。
その王が剣を握っているのは右手のみ。左腕は肩から先を赤い傷痕で埋め、脚も含めた左半身の多くが赤く染まっていた。
それでも、負傷を感じさせない気迫で王は右腕で剣をまっすぐに構えた。
私達を守る様に。
この人は何があろうと、どこまでいっても王様なのだ。
民の為、自ら先陣に立って盾となる。それがこの人の理想とする王の姿であり、傷を一身に受けながらも歩み続ける道なのだろう。
その背中は、なんとなくお父さんを思い出させた。
頭を過ぎった懐かしい気持ちを振り払い、私は唯一残った最後の敵に向かい合った。
王の言う通り強敵との戦いに打ち勝ち、私達は全員一人も欠ける事なくここに集った。
「さぁて、残るはあんた1人だ。ちょうど今逃げたら見逃してやる特別キャンペーン実施中だ。この機会に1つ乗っておく事をオススメするぜ?」
ネストが顎を上げて指先をゼフォンへと向けた。
大きな態度で挑発的な口調だが、「ホントできれば帰って下さいお願いします!」と情けない呟きが口の中で消えていったのがかすかに聞こえた。
ちょっぴり情けないと肩を落としたとはいえ、皆もちょっぴりだが気持ちはわかる為何も言わない。
だが、指を差したその相手から一向に反応は返ってこない。
「全滅か……」
ゼフォンはネストの呼びかけに応じるでもなく周囲を取り囲む私達を軽く見回し、わずかにそれだけ呟いた。
戦局は今、大きく私達に傾いた。
あれだけの猛者達を全員退け、残るはゼフォン1人となるまで盛り返したのだ。
元々の戦力差を考えれば奇跡に等しい戦果であり、流れはこちらに来ていると言っても間違いない。
だが、1人となってもゼフォンは戦いをやめるつもりなどないようだ。
ゼフォンは歩幅を確かめ、剣を握り締めながら切先をこちらに向けて顔の横に構え直した。
戦いに備えたのだ。
仲間が倒れた事にも、私達に囲まれ武器を向けられても、たった1人になった事にすら、何の感慨はないように。
「作戦行動をプランBに移行する」
ただ、戦いが次の段階に進んだと、そう告げていた。
「全員余の後ろに下れッ! よいな! 一歩も出るでないぞッ!」
音もなく振り下ろされた黒い影が、王の掲げた剣と激突した。
遅れて衝撃波が肌を叩いて通り過ぎていく。
ほとんどのメンバーが2人が動いた事にすら反応できていなかった。
王とゼフォン。その鍔迫り合いが互角にせめぎ合って止まっている。
「く……っ!」
否。王の半身は最早まともに機能していない。さっきまでは万全であったからこそ互角の戦いが可能だったのだ。
たった1人のガーチという男との戦いで負った負傷。勝利こそ疑う事はなかったものの、無傷で済むとも思えなかったのは確かだった。
本来我々の急所である王を1人にするなどあってはならない事だが、こちらも戦力不足故に任せる外なかった。
今のそんな体では無傷のゼフォンと戦うには荷が重過ぎるのは明白。
刃を返し、王との鍔迫り合いを解いたゼフォンが上段に剣を振り上げる。
「王様こそ退がっときな! お前さんが死んだらみんなの負けなんだ!」
一瞬遅れて、ギネットさんの小柄な体が王の前に飛び出した。
反応に遅れた王へ振り下ろされた剣の軌道を、割り込んだ大槌が押し退けた。
衝突の余波で空気が爆ぜる。
互いに重い一撃だったが、ゼフォンの剣が後ろへと返された。
「ぐう……ッ!」
いや、そうではない。
ゼフォンは衝撃を後ろへ受け流しのだ。
返した剣で即座に王の肩を斜めに切り下ろした。
自身をやり過ごして王への攻撃を許してしまった事実に、ギネットさんは息を飲んだ。
ゼフォンの予測よりわずかに衝突の反動が大きかったらしく、その傷は浅く済んだようだが。
しかし、王やギネットさんの攻撃に正確に合わせてきた。次はその攻撃力にも対応してくるだろう。
「…………!」
王にとどめを刺そうと切先で狙いを定めていたゼフォンだったが、不意に飛来した何かを回避する為にそれを剣で弾き飛ばした。
硬質な音を立てて1つ、2つ飛んで落ちたのは銀色の矢。
ゼフォンはその飛んできた方向に目だけ向けた。
「名工ギネット作の弓矢。やはりあの敵に対して威力は足りませんが、扱いに不足はありません」
「だけどこの距離じゃ遠距離攻撃は効かねえみてぇだ! なんつー野郎だよ……!」
ゼフォンの視線の先。そこには弓矢を構えるアスタルテと剣を握るネストの姿があった。
先の戦いで武器を失った2人だったが、どうやら合流前にギネットさんから装備の補充を得たようだ。
しかし、その攻撃はゼフォンの戦いにほとんど影響を与えられていない。初撃だけ警戒してか迎撃されたが、以降は視線すら向ける事なく避けられていた。
再び王を庇ったギネットさんの大槌と黒い剣が激突した時だった。
「うおぉおおおッ!!」
不意に上がった咆哮。
鍔迫り合いに割って入ったのは、巨体に握られた1本の槍の突撃。
両手で握った槍に全体重を乗せ、重戦車を思わせる勢いで石床を走ってきたのはビスレだった。
ゼフォンの死角から突き出された一刺し。
鍔迫り合いで剣が止まったこの一瞬に、ビスレは賭けたのだ。
「ふっ! ……ぐっ! ぬぅうううッ!?」
だが、完全に死角を突いたはずの槍が、止まった。
剣を使うまでもないというのか。
左手だけでゼフォンはビスレの槍を掴んで止めていた。
ビスレが込めた全ての力。ゼフォンより大きな体と固く握られた槍。
それらがピタリと動く事なく止められてしまっている。
それだけではない。
「おぁああああ!?」
「うわわああ!?」
片手で槍を掴んだままビスレの巨体を持ち上げたゼフォンは、無造作にそれを投げたのだ。
砲丸の様に宙を飛び、後方に控えていたヒューイを薙ぎ倒すビスレの体。
山の様に巨大なビスレが軽々と宙を舞う信じられない光景。
何もできず、ビスレとヒューイの2人は転がった。
全員ここまでの戦いで疲弊していた。
だが、敵のゼフォンは未だほぼ無傷。装備の損耗もほとんど見当たらない。
この状況はゼフォンの想定通りなのだろうか。ここに到るまでどれだけ綱渡りだったかは想像に難くないが、それでもゼフォンは今ここに立っている。
それがこの敵、ゼフォンの恐ろしさを物語っていた。
「ぐ……っおおおッ!!」
王が振り抜いた一閃で、ゼフォンとの距離が開いた。
王の強引な一撃でゼフォンを突き飛ばした様に見えた。
しかし、抉られた右目がゼフォンの攻撃に対する抵抗だったと物語っていた。
その抵抗も失敗に終わった、と。
王。ビスレ。ヒューイ。
次々と倒れていく味方。
残されたのは決定打に欠けるアスタルテとネスト。戦闘力に乏しいソディスとジノ。
傷ついたシェルティとハービィ。
王を庇っているせいで攻め手に回れずにいるギネットさん。
そして、私だ。
「…………」
倒れたみんなの前に立った私。
黒い剣を振りかぶるゼフォンの前に、私は立ち塞がった。
「ギネットさん。みんなをお願い」
ゼフォンは突然現れたレベルの低い小さな相手に、剣を振り下ろす手をわずかに止めた。
王を庇い、後ろへ下がったギネットさんに、私はそれだけ告げた。
「はぁッ!!」
私は一気に指先まで闘気を漲らせ、石床を踏み出した。
間髪入れずゼフォンと私の距離がゼロになる。
まるで私を待っていたかの様に交差する拳と剣。
レベル差は隔絶しているものの、無傷でまともに戦えるのは奇しくも私とゼフォンの2人だけだった。
正面、側面、死角からフェイントを織り交ぜた斬撃が、避けた頬や肩を掠めていく。ゼフォンの攻撃の隙間を縫って体をねじ込み間合いを詰めた。
しかし、入り込んだ先に待ち構えている斬撃にまた押し返され、一進一退を繰り返す。
一筋縄ではいかないのはわかっていたものの、隙もなければ容赦もない。
「黒王。『奈落』解除」
ゼフォンの剣から湧き出ていた黒い靄が消えた。
シェルティからさっき伝え聞いた所によると、あの靄は王の魔法剣だけでなく体に付与する類いのスキル全般を無効化する能力があるようだ。
代わりに自身も魔法剣が使用不能に陥る副作用があり、自らの攻撃力を封じてしまう弱点となっている。
それは王と戦う際、あの強大な光の剣への唯一の対抗手段だったのだろう。
だが、私の様な攻撃力の低い相手に、そんなものは不要と判断したようだ。
ゼフォンは今、その本来の攻撃性能を解き放った。
「サウザンドレイザー」
剣の一振りが無数のカミソリを伴い飛来する。空を覆う鳥の群れが一斉に急降下する様に、光の刃が隙間なく私の頭上へ降り注いだ。
上空を埋め尽くす、刃の群れ。
『フェザーシューズ』
私は脚に全力を注ぎ、逃げ場のない攻撃範囲から強引に逃げ道を切り開いた。
これまで何度も助けられてきたジノの付与魔法。
私は加速した機動力で駆け抜け、髪や服の端を齧る刃を紙一重で避けた。
抉り取られる地面と吹き荒れる破片を飛び越えて、ゼフォンの側面へと抜ける。
私の知っている魔法剣は斬撃の軌道上へその効果を飛ばす性能に限定されていた。
だが、ゼフォンのそれはその範疇を大きく超えている。
斬撃の軌道から大きく広がり、より多くの範囲に死の災厄を撒き散らす。
これが、魔法戦士・ソーサリーブレイドの上位職『カラミティ』の能力か。
だけど、見切れない性能じゃない。
剣を振り抜いたゼフォンの隙を突き、側面から一気に距離を詰める。
魔法剣の上がった性能はその派手な見た目で目が眩む副作用も生じる。
その弱点を見逃す私じゃない。
だが、それでもゼフォンは正確に私へ向けて刃を向けていた。
刃が私に触れる、その直前。
「あたしを忘れてもらっちゃ困る!」
横から差し込まれた大槌が剣を押し止めた。
ギネットさんが私のすぐ横に立っていた。
私を安心させる様に力強い笑みを浮かべ、それからゼフォンを見据えたギネットさん。
私がゼフォンを押し留めている隙に、王を後ろへ下がらせて加勢に駆けつける事ができたのだ。
今ゼフォンに最もレベルが近いのはギネットさんだ。
その心強い味方に私も自然と笑みがこぼれた。
ただ私の目に、わずかにゼフォンの表情にノイズの様なものが走った気がした。
ずっと敵の動きを観察し、さらにこの戦場全ての様子も把握し続けてきたであろうこのゼフォンという男。
そのゼフォンが、ギネットさんの接近に直前まで気づかなかったのだ。
周囲への警戒が途切れる程私との戦いに集中していたようだった。
ギネットさんが作ってくれた隙に私はゼフォンの腕を取り、足を払う。そうして、ゼフォンを投げ飛ばそうとした。
「!」
しかし、ゼフォンは体をわずかに引き、足を入れ替え重心をずらしてそれをさせてくれなかった。最小限の動作で投げへの完璧な対処をしてみせたのだ。
リゴウとは違う。
ゲーム内のスキルではない、体術の心得がある。リアルで戦闘の経験を積んでいる者の動きだった。
こちらの動きを読んでいたらしく、顔の側面に剣が振られていた。
地面を蹴って飛び退き、切られた眼前の空気に戦慄を覚える。フェザーシューズの効果がなかったら、私の顔は両断されていただろう。
頬を流れる汗を拭う事もできない。
「おい、どこ見てんだい」
私を追うゼフォンの背後から、大槌を振りかぶったギネットさんが飛びかかった。
どうやらやはり、ゼフォンは私を集中せねばならない敵と認識しているらしい。
眼中にないかの様に振る舞うゼフォンは、後ろを向いたまま背後に掲げた剣で大槌を受け止めた。
「ぐあっ!」
大槌を止められた直後、ギネットさんの体が地面に叩きつけられた。
一瞥すらせず、目にも留まらぬ速度で繰り出された上段蹴り。
あのギネットさんが反応すらできず羽虫のごとく叩き落とされたのだ。
明らかに格闘技経験者の動き。それも、極めて高い技量の。
これだけでもわかってしまう。
素の技術だけでもあのリゴウやガディンすら遥かに超える実力者であると同時に、リアルで戦いを常とする者だという事が。
私と同じだという事が。
私が飛び退いた後を追って地面を切り進んでくる魔法剣の燃える刃。爆ぜる石床と焼ける空気を間近で避けながら、私は前に出る隙を窺った。
吹き荒れる嵐の様な膠着状態。私が相手の動きを観察している様に、ゼフォンもこちらの動きを学習している。
互いの読み合いが一瞬の交錯で新しく塗り替えられ、より高度な読み合いへ昇華する。
一度でも間違えたら私の首は飛んでしまう。そんな刃の上を渡る様なギリギリの集中で、この絶対的に不利な膠着状態は保たれていた。
ただ、それだけではない様な気がした。
「シェルティ! よかった。やっと目を覚ました!」
暗くぼんやり霞む目を開け、シェルティは自身をを覗き込む心配そうな顔を見つけた。
「ジノくん……」
ゼフォンとの戦いの後すぐ気力を使い果たし、気を失っていたシェルティ。
そのシェルティを介抱し続けていたジノは、やっと返ってきた返事に思わず飛び上がった。
「一応回復は済ませておいた。スタミナ値が戻れば動ける様になるはずだけど、どうだ? 動けるか?」
今の状況を鑑み、ジノはすぐに感情を押し殺してシェルティに話し続けた。
「ハービィ……」
シェルティはすぐ隣で眠っていたハービィを優しく撫でると、ほっと吐息をもらした。
しかし、撫でようとした手が翼を失ったその背中の傷跡で止まった。
「……欠損ダメージまでは今の状況じゃ治せなかった。ごめん」
珍しくしおらしいジノ。
だけど、そんなジノを気にする様子もなく、シェルティは無理矢理体を起こして口を開いた。
「ジノくん……。私の鎌を……持ってきてくれますか……?」
次回投稿は1月12日午後8時予定です。
次回第78話『死なない生き餌』
お楽しみに!