75・不落の城塞
「……くっくっ。なかなかいないよ? 私に一太刀入れられる奴なんて」
ネストが繰り出した捨て身の一撃。
その刃はラゼの胸に突き刺さり、背中へと貫いていた。
「レベル差のおかげで命拾いしちゃったかな。これをあともう10回はしないと死んでやれないんだから、ゴメンね」
だが、それを気に留める事なく軽く片目をつむり、苦笑を漏らすラゼ。
本来なら致命傷。即死もありえた傷のはずなのだ。
しかし、ネストの攻撃力はそれに遠く及んでいなかった。
レベル60のネストと90台のラゼ。その差は30以上。本来ならば戦いにすらならない隔絶した差だった。
あまりに大きな差。
この結果はただその現実が見える形に現れただけ。
元々ネストの攻撃力では一撃でラゼのHPを削り切る事は不可能だったのだ。
ラゼは胸を貫く刃を片手で掴むと無造作に、ゆっくりと引き抜き始めた。
全力で握っているはずのネストに構わず、だ。
既にラゼにとって戦いは終わったものとなっていた。
元々戦力差は歴然。
この目の前の憐れな子羊をどう料理するか。ラゼはそれだけに頭を巡らせ、唇を舐めた。
しかし。
「っんなこたぁわかってんだよ!」
刃を握る手を離し、覆い被さる様にラゼの頭にしがみついたネスト。
「うわっ!? ちょっ! どこ触ってんのエッチ!」
「ミケちゃん直伝! いくらレベル差があろうが、首をへし折られたら生きてはいられまい……ってなぁッ!!」
ラゼにとってここからネストに反撃されるのは予想外だった。
揉み合いになりながらも、ラゼは背後からネストに羽交い締めにされる事を許した。
しがみついた首に全力で力を注ぎ込むネスト。
首でも四肢でも、極め技でへし折られたらその部位は残存HP量に関係なく即死する。
決闘狂・ベリオンとの戦いを間近で見ていたネストだったから、とっさに思いついたとも言える。
決闘狂がその事を知っていたかネストに知る術はなかったが、筋力を魔力へと変換した事でレベル差があった2人に対等な勝負が可能となったのは間違いなかった。
そして、その時確かに圧倒的なレベル差を覆し、強者は倒れたのだった。
全身全霊を注ぎ込んだネストの両腕に、ラゼの首が軋んで音を立てる。それがネストの腕に伝わってきた。
「ぐ……くくっ。すごいね。キミ。ホント……ここまでやったのはキミが初めてだ……」
だが、それ以上はびくともしない。
レベル差は魔法職と前衛職という役割すら飛び越えて、ネストの前に再び立ち塞がっていた。
魔法職のか弱い体といえど、筋力はラゼが上回る。
だが、胸を貫く刃に邪魔されているからか、ラゼは十分に抵抗できていないようだった。
それが今この瞬間、ネストとラゼの力を拮抗させた。
何かきっかけがあればすぐにでもこの均衡は崩れる。
2人の間に固い糸が張りつめた。
その均衡を先に崩したのはラゼだった。
顔を引きつらせつつも、ネストの脇腹に手を当てるラゼ。
ネストを引き剥がす事はできなくとも、ラゼの方は両腕を動かせた。
そして、一撃掠りさえすればネストのHPはロウソクの炎の様にかき消える。
紫色の雷を迸らせ、ラゼは掌に魔力を流そうとした。
「くそったれぇええええッ!!」
固く目を閉じ絶叫したネスト。
木霊する無情な叫び。
追い詰められていたのは間違いなかった。
遥か格下の相手に手傷を負わされ、あと一歩の所まで来てしまうとは、ラゼにとって完全に予想外の事だった。
背筋を走った冷たいものが、果たして何だったのか。
追い求めていた生と死の狭間で湧き上がった感情は何だったか。
だが、それでも勝ちを拾った。
いつも通り。結果はいつも通りの勝利だ。
少し。ほんの少し慣れない感情に動揺しただけ。
掴んだ結果に、ラゼは頬が緩むのを感じた。
次の瞬間。
勝ち誇るラゼの顔を暗い影が覆った。
突然、湧き上がる様に目の前に立ち塞がった影。
その影は細身の体を支える様に、埃で汚れた2本の脚で立っていた。
風になびく金色の髪は所々煤けて輝きを曇らせ、身にまとっていた白いローブも失われている。
露になった肩や腕も赤く輝く傷痕だらけの無残な有り様。
弓を構える要となっていた左腕は、肩を貫かれて今は力なく垂れ下がっていた。
だが、その逆側の右腕。
高く掲げられた右手。
そこに握られている銀色のナイフが、ラゼをまっすぐに見下ろしていた。
完全に意識の外、注意を怠っていた所を突かれた。
普段のラゼではあり得ない油断。
ネストに背後を許す事も、アスタルテの接近を見落とす事もラゼにとって考えられない失態だった。
無傷の戦歴。その経験上、ラゼは傷を負う事に不慣れだった。
少し。ほんの少しの動揺のはずだったのだ。
けれど、その経験上動揺から立ち直る術を知らなかった。
自分がそんなに脆いなんて、ラゼは知らなかった。
アスタルテのナイフに手を貫かれた時から、ラゼの精神の均衡は崩されていた。
この遥か格下と見下していた2人によって、その事にラゼは今ここに至って初めて気がついたのだ。
「――――!?」
振り下ろされ、ラゼの頭蓋を突き破ったナイフ。
額に受けた一瞬の衝撃と頭の内部へ侵入される不快感に、ラゼは首へ向けた意識をわずかに途絶えさせてしまった。
その一瞬と、ネストの絞り出した今一番の力が合致した。
楔を打った様にその隙間へ力が流れ込み、生木を裂く様な音が響いた。
ラゼが息を飲んだ時には、既に決着はついていた。
「あなたは私達を舐め過ぎた。それが、あなたの敗因です」
ほどける様にナイフから手が離れ、崩れ落ちる相手を見下ろしながらアスタルテはそうこぼした。
折り畳まれる様に前のめりに倒れ込む黒いコート。
もうどこを見てもいないその首が地面に着く前に、ラゼは光の粒となって消えていった。
「この小娘、意外と厄介だ……っぜェッ!」
視界を横断するのは、宙を不自然に浮遊している紫色の筆跡。
大鎌が描く乱雑なラクガキに邪魔されながら、その向こう側から繰り出される重い衝撃に歯を鳴らす。
遥か格下の雑魚に妨害され、絶対強者の王の剣がそれを突き抜けてくる。
盾に食い込む黄金の剣を睨みながら、ガーチは視界を飛び交う羽虫に舌打ちした。
圧倒的な圧力でのしかかる剣を押し返し、しかしそのタイミングでまた新たな紫色が視界を埋める。
「はぁ、はぁ! もう……1回っ!」
高速で通り過ぎる地面を飛び交い、靴底を削りながら着地したのはシェルティだった。
影すら残さぬ速度で駆け抜け、紫色の塗料を塗った大鎌で空中を斬りまくる。
シェルティが大鎌を振るう度に紫色の塗料が空中を塗り潰していたのは、ソディスの作った特殊なアイテムの効果だ。
視界を埋めてただ妨害する。
その作業だけにシェルティは全力を注いでいた。
レベルが100を超えるゼフォンとガーチの2人を相手に、30しかないレベルのシェルティができるのはそれだけだ。
その超絶した2人と、さらにその2人を同時に相手取ってなお圧倒している我らが王。
シェルティはその3人の攻撃の隙間を縫って斬撃を挟んでいた。
ひとかすりでもしたら即死に繋がる綱渡りの中、シェルティはその役割を確かに全うしているのだ。
それがどれ程のものであるか、ガーチは内心歯噛みすると同時に深く驚嘆していた。
初めは無視しても構わない程度の影響しかなかった。
だが、決定的なタイミングを制され、攻撃のチャンスを逸してしまう事が何度もあった。
それがこうも立て続けだと、無視できない。
予想以上に厄介な存在だと、ガーチは認識を改めずには置けなかった。
「ガーチ。あの大鎌使いを始末する。お前はここで足止めを続けろ」
そんな時。ガーチが王の放った光魔法を盾で凌いでいる傍らで、そう伝える声が聞こえてきた。
ゼフォンだ。
王の魔法を帯びた剣と自身の黒い剣で打ち合いながら、紫色の軌跡を振るうシェルティにも斬りつけている。
しかし、舞い落ちる木の葉を相手取る様に、その紫色の斬撃はするりと剣の射程から逃れてしまう。
ゼフォンもまた、シェルティの脅威を無視できないものと認識したようだ。
「おうよ。オレならあらゆる武器、魔法、どんなやべぇスキルだろうが対処してやれる。……未知の部分含めてなァ」
ガーチは王を睨みながら牙の並んだ口元をニヤリと引き上げた。
ガーチの職業は全職業随一の防御力を誇るヘヴィウォール。
防御性能に特化したヘヴィウォールの利点はあらゆる状況への対処に長けている事だ。
かつて当時最強を誇っていた王国陣営のパーティから魔王を守り抜いた事をきっかけに、その堅固な守備能力からガーチは「城塞」の異名で呼ばれるまでに至った。
そして、以来魔王軍陣営最強最堅の守りとして君臨し続けてきたのだ。
ありとあらゆる状況、どんな強敵と対峙しても切り抜けてきたガーチ。
ガーチ自身、その戦歴と経験による自負があった。
「いっそオレ1人で倒しちまってもいいんだぜェ? どっちが先か勝負といこうや」
「任せる」
それだけ告げられると、ゼフォンの姿は既にそこになかった。
「ハッ。可愛いげのねェ野郎だぜェ。さて……とォ」
わずかに外した視線を正面に直した瞬間、構えた盾に山が落ちてきた様な強烈な斬撃がぶつかった。
王。
プレイヤー、それもレベルが百に至るガーチはヒトを遠く超えた性能を有する。
だが、光輝く黄金の剣がそれをも遥かに凌駕する力で、ガーチの盾を押し潰しにかかっているのだ。
分厚い金庫扉程もある大きな盾が、風に軋む薄いトタン屋根の様に悲鳴を上げる。
それでも、この王を前にしても揺るぎなく「対処可能」と言わしめる程に積み上げられてきた自信。
自身がイメージする強固な自分が、ガーチの足を強く支えていた。
「おう。テメェの相手はこのオレ様だァ。可愛がってやる覚悟しなァ!」
踏み締める足下が砕ける。
隕石の激突を思わせる凄まじい一撃だったにも関わらず、ガーチはそれを跳ね除け前に出た。
「おお! 一騎討ちを望むか! 敵ながら見上げた武人よ! ならばその心意気に応えるのが道理! ゆくぞッ!」
返された剣をすぐさま翻し、嬉々として王は剣を高く掲げた。
ガーチもまた怯む事なく王の気迫を突き破り、前に出る。
そして、互いに振り上げた剣と斧を、渾身の力をもって目の前に迫る敵へ叩きつけた。
「黒王『奈落』解除」
端的な呟きを伴い、剣の柄が握り直された。
途端にそれまで刀身を覆っていた黒い霧状の闘気が宙へと消えた。
「はぁ……っ! はぁ……っ!」
決して見逃さない様ゼフォンの姿を視界に収めながら、シェルティは駆け続けていた。
「ラセレイト・オクタレイズ」
ゼフォンの手から切り上げられた剣閃。
同時に見えない刃がシェルティめがけて飛びかかった。
見えず、気配もない斬撃を飛ばす遠距離攻撃「ラセレイト」。
それが8つもの刃となって縦横無尽に空間を八つ裂きにしていく。
「ふぬぅ~!!」
しかし、地面に大鎌を突き刺し、シェルティは駆け回る勢いを殺した。
急に止まった爪先の前を、斬撃が爆炎を噴き上げ粉々に斬り飛ばしていく。
顔を叩く破片に片目をつむり、再び地を蹴って容赦なく撃ち込まれる追撃を逃れた。
手にした大鎌で紫色の軌跡を空中に描きながら、自身の姿を覆い隠す。それを何度も繰り返し逃げ回る。
顔を強ばらせながらもシェルティは必死に食らいついていた。
レベルで遥かに劣るシェルティ。
狙いはゼフォンとガーチの分断。
この時点でこちら側の目論見はほぼ成功していた。
後は王が1人残されたガーチを始末するまでゼフォンを引きつけ時間を稼ぐ。
2人相手に被弾を許さなかったのだから、1人なら少しは負担が軽くなると思っていた部分もあった。
だけど、現実はそう上手くはいかないようだ。
ゼフォンはずっとずっと格下のシェルティを相手にも欠片程の油断や容赦を見せない。
一瞬でも気を抜けばすぐに決着はついて、ゼフォンは王との戦いに舞い戻るだろう。
さっき王と戦っていた時よりゼフォンの攻撃が苛烈さを増していると、シェルティは気づいた。
いつの間にか敵は獣神憑依の影響が消え失せ、速力でシェルティに追いつく事はなくなった。
しかし、王との戦いでは使わなかった魔法剣による遠距離攻撃でシェルティを追い詰めていく。
ゼフォンの握る黒い剣――「黒王」。
『奈落』とは、刀身が触れた相手の魔法剣を消失させる効果がある固有スキルのようだった。
それにより、絶大な攻撃力を誇る王の攻撃と競り合う事ができたのだ。
『奈落』の影響は逆に「自身も魔法剣が使用不能になる」という短所も併存しているのだろう。
それを解除したという事は、これまで抑えてきたゼフォンの攻撃性能が全開になる事を意味する。
それを察知し、シェルティは息を飲んだ。
確実に自分を狙っている見えない刃がシェルティの鼻先を、服の端を掠め、背中に冷や汗がにじんだ。
その度に溢れそうになる悲鳴を懸命に飲み込む。
ふと急制動をかけた時だった。
シェルティとゼフォンの視線が交差した。
シェルティよりずっと歳上の壮年の男。その力強く筋張った表情が外見年齢以上の貫禄を醸していた。
白いコートに分厚い筋肉を押し込み、見上げる程大柄な体格に似合わず稲妻の様な速度で剣を走らせる技量。
そして、何よりシェルティの背筋を凍らせたのは、浅黒い顔に浮かぶ感情の見えぬ暗い瞳。
それが、シェルティの目を射抜く様に見据えていた。
ぞくりと背筋が凍り、息が苦しくなる。
その視線は執拗に、むしろ機械的にシェルティを捉え、確実に殺すという目標達成だけの為に動いている。
その殺気は獣ともまた違う。
機械より冷徹。
動く事に感情を見せず、呼吸と変わらない、ただ当たり前の様にそれを行う。
いつか見た、カマキリに捕らえられたチョウの姿が頭を過った。
ふと、目の前を過ったチョウに反応して鎌で捕らえ、そのまま意識を介入させる間もなく胴体から咀嚼していく。
自分でも何を捕らえ、何故咀嚼しているのかも気づいていない様な、それ程自動化された作業的な行いだった。
きっとこの目の前の男は、昆虫と同じなのだ。
シェルティは心臓を鷲掴みにされた感覚に陥っても、膝を叩いて足を動かした。
今屈する訳にはいかない。
相手がどんなに強大で、感情のない悪魔であろうとだ。
シェルティは歯を食い縛り、目の前の男と対峙し続けた。
とっさに横へ跳んだ所へ刃が通り過ぎ、伏せた頭上を返す刃が掠めていく。
避けた刃に切り飛ばされた石片が肩を、背中を打ちつける。噴き上がった土埃に汚れ、躓いて転がりながらもシェルティは尚も迫る見えない刃から逃れ続けていた。
未だに被弾していないのは奇跡としか思えなかった。自分でも何故避けられているのかわかっていないくらいだ。
だが、ゼフォンとの戦闘経験の差はシェルティ自身もとっくに痛感している。
1対1では間もなく捕まり屠られてしまうだろう。
ゼフォンがそんなシェルティの意識の隙間を捉え、剣を動かした時だった。
「クア!」
ゼフォンの死角から炎の塊が衝突した。
とっさに差し込まれた剣によって直撃は叶わなかったものの、視線が外れたわずかな間にシェルティはその場を離れた。
視界の端に映ったオレンジ色の小さな竜による火球の攻撃だった。
ゼフォンを挟んで対峙するシェルティの反対側。
そこには火の粉を振りまく小さな竜が、温かな光を灯しながら宙に舞っていた。
1人ならものの数秒も保たなかっただろう。
だが、この小竜――相棒のハービィがいる。
高らかに上がる鳴き声はシェルティの尻を叩いてるみたいに聞こえた。
頼りになる自慢の従魔に、シェルティは誇らしげに鼻息を吹いた。
どこからともなく自信が湧いてくる。
戦いは苦手で、いくつものパーティをクビにされてきた。
だけど、ひとりぼっちになった時もずっとハービィだけは一緒にいてくれた。
ハービィが隣にいるなら、いくらだって戦える気になれる。がんばれる。
それに、今はもうハービィだけじゃない。
こんな自分を頼りにしてくれている仲間がいる 。
ひとりと一匹、トボトボと街をさまよっていた時に声をかけてくれたソディス。
憎まれ口を叩きながらも、いつも世話を焼いてくれるジノ。
そして、小さな体なのに誰より強くて一番頼りになる――
戦いは怖い。
だけど、この最悪な強敵との戦いを任せてもらえている事が何故か嬉しかった。
その気持ちがシェルティを奮い立たせていた。
もう昔の弱虫のシェルティじゃないんだ。
強く生まれ変わったシェルティをみんなに褒めてもらいたい。
期待に応えたい。
だから、戦う。
シェルティはハービィを一瞥すると、大鎌をゼフォンの恐ろしい悪魔的な顔に突きつけて言い放った。
「おがぁざ~ん!! おうぢがえりだぁ~い!!」
やっぱり怖いものは怖かった。
「ぬぅおおおッ!!」
「ガアアアッ!!」
黄金の剣と分厚い斧がぶつかり合う。
その衝撃波は雷鳴すら凌駕する地響きを伴い、足下の石床を持ち上げた。
震える大気がビリビリと両者の肌を震わせる。
しかし、それを気に留める事なく、敵と圧し合う2人。
「猛き気迫。その堂々たる剛勇さ。名を聞かせよ!」
「けェッ! NPCごときに聞かせてやる名なんざねェよォッ!」
王とガーチ。2人は互いを盾で殴り飛ばし、鍔競り合いをぶち壊した。
間が空いたのも束の間、瞬きするより早く黄金の剣が横薙ぎにガーチの首めがけて迫った。
それを真上から斧で叩き落とし、肩に構えた大盾で体ごと王にぶつかるガーチ。
とっさに差し出された王の盾と激突し、硬い音が玉座の間に響く。
どちらも一歩も退かず、止まる事なく武器を振り上げ叩きつけた。
「まっこと、賊にしておくには惜しい武士よ。余と渡り合う者などこの世に5人とおるまい」
ガーチに剣を突きつけながら、王は頬に笑みを湛えた。
「けェっ! こっちは倒すつもりだってんだァッ!」
ガーチが斧を振り上げ、吠えた。
猛りながらも的確に防御を潜り抜けてくる斧。
だが、今度は王がそれを力任せに叩き伏せ、返す刃でガーチの胴を鎧ごと切り裂いた。
「だが、賊に獲らせる程この首、安くはないぞ!」
追撃を防ごうと出したガーチの盾を王も盾でもって弾き飛ばし、露出したガーチの脇腹を魔法の矢が貫いた。
「グォオォ……ッ」
怯んだガーチの眉間を黄金の剣が狙い澄ます。
顔面の代わりとしては安くなったが、かわし切れなかったガーチの右耳を削ぎ取った。
「ディミティス!」
それで王は攻撃の手を休める事をせず、上空から閃光の槍をどしゃ降りの雨のごとく撒き散らした。
とっさに盾を頭に乗せてそれを防ごうとしたガーチ。
だが、その雨粒は傘を貫き、盾ごとガーチを踏み潰した。
おびただしい数の槍が肩を、膝を串刺しに貫き、そのいくつかは床まで達してガーチの体を縫いつけている。
ぐらりと傾くガーチの体。
魔法の槍が宙に溶け消えても、ガーチの体は解放されたというより支えを失ったといった方が正しい。糸が切れた人形を思わせる様に、その膝が折れた。
「どうしたァ!? 王の実力ってのはこんなモンかァ? ヌルくてアクビが出るぜェ!」
だが、折れかけた脚を床に突き立て、ガーチは笑い声を響かせた。
明らかに虚勢。
力の差は変わらない。
NPCである王が攻撃の手を緩める訳もない。
もはやガーチにできる事などほとんどないのだ。
「オラ、とっととかかってきや――」
ガーチが言い終える前に、腹の前に現れた巌の様に巨大な破城槌。
「サンクトゥスアリアス!」
踏ん張り耐える足を嘲笑う様に、その光の杭はガーチの胴を突き飛ばした。
鍛え上げた大きな体が小石の様に弾け、転げ飛ぶ。
その容赦ない追い討ちに、ガーチはやがて倒れた柱の残骸にぶつかってずり落ちた。
今の衝撃で斧を取り落とした。その右手で床を押し、体を起こしたガーチ。
だが、立ち上がるより先に、ガーチの眼前で圧倒的な威容を放ち、それは立ち塞がっていた。
虫の様に地を這うガーチ。
それと対極の見下ろす王。
ガーチは並みいるプレイヤーの中でも力も、技術も、装備品に至るまで、最も高い位置にある存在だった。
しかし、それでも浮き彫りとなったのは王とプレイヤーの間を隔てる差だけ。
互角に渡り合っていたのも束の間、崩れ出したら一方的だった。
そして、これまで通り一片の慈悲もなく王の左腕がガーチに向けて掲げられた。
ガーチは瞬時に察した。最早、これでとどめとなる、と。
「穿て。崩天の矛先」
掲げた黄金の盾が変形し、砲の形へ移り始める。
それはこの玉座の間で始まった戦いで、その舞台を半分消し飛ばした大魔法。
一瞬で光を飲み込み、収束したその光が砲の核となった王の左腕から迸る。
一撃で最高レベルのプレイヤーを背景ごと抹殺できる、必殺の手札。
「さらばだ。名もなき賊よ。蒸発天印……!」
その砲口が、触れる距離のガーチの鼻先で砲声を鳴らした。
「アークキャリバーッ!!」
轟音と共に巨大な光の柱が空の彼方へと延びていく。
地面に這いつくばるガーチは逃げる間もなかった。
ガーチは地面を叩き、膝を押して立ち上がった。
だが、それだけだ。
王の猛攻に回避すらままならず、ましてや最大攻撃力の砲撃に耐えられるはずもない。
そんなガーチを光は容赦なく飲み込んだ。
ガーチを飲み込んだ光は、その背後に横たわった柱をへし折り、奥の壁ごと赤熱させて融かし消した。
さらに、大気を巻き込み床を引き剥がしながら、何もかもを外へ、外へと押し流していく。
膨大な風を巻き起こし、吹き上がる土埃すらも蒸発させて光の奔流へと変換した。
そんなものに飲み込まれたのだ。
必殺の一撃はたった1人の敵相手には過剰すぎる威力をもって、ガーチを塵へと変えた。
ガーチは間違いなく塵へと変わった。
はずだった。
「……待ってたぜェッ!! コイツをよォッ!!」
ガーチを飲み込んだはずの奔流が中央から引き裂かれ、周囲に散っていく。
声はガーチのもの。
生きている。王の最大の魔法が直撃したにも関わらず、ガーチは生存していた。
全てを蒸発させる極熱の奔流とガーチを隔てているのは、穴だらけでボロボロの盾だった。
赤熱し、融解を始めている盾。とても王の最大魔法に耐えられるとは思えないぼろきれの様な盾。
だが、熱で焼け焦げる口元を、ガーチは不敵な笑みで引き上げた。
「これがオレ様のユニークスキル『覇者の鏡だぜェッ!』」
その瞬間、ガーチを襲っていた光の柱が真逆の方向へ跳ね返された。
「おおおッ!」
逆流した光の砲撃が、未だ絶大な威力を放ち続ける砲口と激突した。
炎と光が駆け抜け、大魔法同士の激突は、一面一帯を舐める様にきれいに蒸発させていく。
次の瞬間、大地諸共引き裂く様な爆発音が玉座の間を襲った。
視界は白で埋まり、耳も壊れたラジオの様なキンとした高音だけが鳴り続けている。何もわからないままガーチの体を何かが弾き倒し、殴りつけ、押し流す。
至近距離にいたガーチは光が放つ衝撃波で、激流に飲まれた木の枝の様に翻弄されていた。
ガーチは転がりながら、見えないはずの視覚を研ぎ澄まし爆発の中心を見据えた。
その爆心地にいるはずの王を。
吹き荒れる煙。
それが消え去り現れたのは、笑ってしまう程馬鹿げた広い、ちょっとしたバスケットコートくらいあるすり鉢状の爆発跡。
「ぐ……ッ! 不覚」
その一帯を白く埋め尽くす灰の雨が、夕焼けに赤く染まった大空を塗り潰す中。
よろめく足を引きずり、王は現れた。
いかなる攻撃も通さず、どんな猛攻にも傷ひとつつかなかった黄金の盾。
それは今や欠片のひとつも残さず消え失せ、持っていた王の左手、いや左半身のほとんどが赤い傷痕に覆われている。
力なく垂れ下がった左腕を庇いながら、亀裂の走った鎧で前に出る王。
その姿は勇敢でありながら、しかし先程まであった絶対者としての覇気は最早微塵もなかった。
「どうよ?」
王の上げた端正な顔を、岩の様な拳が殴り飛ばした。
「ッ!!」
頬が歪み、呻き声すら上げる間もなく王は上半身を吹き飛ばされた。
片方しか動かす事のできない足でかろうじて体を支え、その相手を見上げる王。
そこにあったのは、全身に剣の様な鱗が隆起する異形の化物だった。
「1日1回しか使えねェ制約がある上、盾もオシャカにしちまう。引き替えに、魔法を倍にして返すオレ様のとっておきだぜェ」
最早盾も武器の斧も無い。
鎧も無残に壊され、上半身は鱗に覆われた巨躯が露になっている。
だが、その大きな体格はさらに膨れ上がり、四肢も異形の姿へ変貌していた。
爪は鋭い鉤爪になり、腕を覆う鱗は苔色の緑から焼けた鋼を思わせる黒へと染まっていく。
その腕中を縦横に走るマグマのごとき赤い裂け目が、燃える様に熱い蒸気を上げていた。
頭から背中へと続く、一際突き出た鱗の山脈。
背中の鎧を突き破り現れた、黒く長い尾。
額から胸、背中からそして尾までへと浮かび上がる、腕と同様の赤い裂け目。
身体中の鱗が無数の剣の様に大きく逆立ち、それがさらにヒトだった痕跡を忘却の彼方へ追いやっていった。
そして、長く強靭に延び、発達した顎と、並んだ鋭い牙の列。
そのナイフの様に伸びた牙を揃えた口元が、ヒビ割れた鱗を割りながら引き上げられた。
現れたのは獣身覚醒によって変貌した、巨大な黒いワニの怪物。
残されたのは己の体のみ。
否、ガーチにとって己の肉体こそが最後に頼れる最大の武器なのだ。
ガーチは牙を剥き出して、握った両手の指をバキバキと鳴らした。
「く……っ。よもや……これ程とは……!」」
王にとってずっと見下ろしてきた相手。
力で圧倒し、技でねじ伏せてきた敵に、今は見下ろされている。
高く拳を振り上げながら、鱗だらけの顔に不敵な笑みを浮かべる敵。
その敵は王をついに同じ土俵へと引きずり下ろしたのだった。
「オラァあァッ!」
振り下ろした右拳が防御の追いつかない王の左肩にめり込む。
追う前蹴りが王の鳩尾に突き刺さり、それまでびくともしなかった王の体がくの字に折れた。
「ぐ……おおおッ!!」
下がった顔をカチ上げようと突き上げたガーチの左拳。
その中央を黄金の刃が一線に食い込み、殴り抜けたガーチの指がバラバラと散らばった。
「ガッハハハァ!!」
だが、それを気に留める事もなく、負傷した左手でガーチは王の顔面を吹き飛ばした。
「やっと喧嘩らしくなってきやがったじゃねェかァッ!」
高笑いしながらよろめく王を何度も殴打するガーチ。
体のあちこちが引き裂け、千切れそうな程のダメージを負っていたはず。現に耳も指も無くし、顔は焼けただれ、体には風穴まで開いている。
まるで子供が遊び半分でぐちゃぐちゃに崩したケーキ。それがヒトの形をして動いている。生きている者が動いている姿とは思えない程。
痛みを感じないゲームの世界。それでも、その姿は見る者の視界から痛覚を呼び覚ますに十分過ぎた。
だが、湧き上がる狂喜はそれを塗り潰す程に、ガーチの鼓動を熱く熱く昂らせていた。
通常、シナリオクエストボスは複数のパーティ合同のレイドで攻略するのが定石だ。
複数の盾役が敵の攻撃を引き受け、隙を突いて攻撃役がダメージを稼ぎ、後衛が援護を行いそれを支える。
それでも犠牲を出しながら何とか勝利を掴み取るのがボス攻略の常なのだ。
そして、この眼前に立ちはだかる王はその頂点に立つ存在。
一振りで何人もの盾役を使い捨てる事になるだろう攻撃。ダメージを与える度に攻撃役も反撃で次々と失われていくに違いない。
後衛も広範囲の魔法に巻き込まれれば支援どころではなくなり、レイド全体を立て直す事すら覚束ないはずだ。
本来ならば1人で戦える相手ではない。
ガーチ自身、ここまで武器を交えてその脅威を肌で感じていた。
手にしていた盾が偶然、現状世界最強の盾だったおかげで今立っていられただけだ。そうでなかったならば、最初にやられたジョロネロ同様一撃で真っ二つにされていたに違いない。
光の槍で広範囲を串刺しにする魔法や一撃で地形を変える威力を持つ砲撃。
そして、ジョロネロごと玉座の間まで輪切りにした剣閃。
その王の剣が、今まさにジョロネロを両断した剣閃を振り払った。
反射的に体を反らした瞬間、熱がガーチの肩を掠めてわずかに残っていた鎧の残骸を焼き削いだ。
揺らいだ空気がガーチの頬を焼き、床には蒸発した跡が一文字に遠く玉座の間の入口だった風穴まで走っていく。
カランと間の抜けた音を立てて、切られた鎧の破片が石床に転がった。
はっきり言って「恐怖」そのものだった。
並のプレイヤーだったらとっくに逃げ出していたに違いない。
半身を負傷の赤に染めてなおこの威容。
現にガーチも逃げ出したかった。それ程までに恐ろしい。
ゼフォンや他の仲間の手前強がって見せたものの、やっぱりこっちをゼフォンに任せた方がよかったと少し後悔した。
これがただのゲームだとわかっていても足が竦んだ。
間もなく死ぬ。間違いなく死ぬ。
ずっとそう思いながら刃を交えていた。
だが、恥と恐怖を飲み込み、ガーチは死の剣閃を前に足を踏み出した。
「ハッハァ!! このッくらい、いつもの事なんだよォッ!!」
剣を握る王の手に指のない拳をぶつけ、剣が振り抜かれるのを邪魔する。
光の闘気が額を掠めるだけで顔の表面が融解し、冷や汗を流す事すら許さなかった。
叫びながら、ガーチは笑っていた。
勢いのまま全体重を乗せて王の顔面をブン殴る。
しかし、振り抜いた拳は空を切り、間合いの中に踏み込んだ王が頭でガーチの顔面を殴り返してきた。
「おおおッ!!」
そのままガーチを押し倒して諸とも床を転がっていく。
互いに埃にまみれ、互いに互いの腹を蹴飛ばした事で距離が開くまで殴り合った。
「意外と泥臭いマネできンじゃねェかァ!」
「余が敗れる訳にはいかぬからな!」
2人同時に立ち上がり、再び距離を詰めて右腕を振り上げる。
埃に汚れた王の笑みにはどこか、気品に溢れたこれまでとは異なる、戦いに渇望した狂気が浮かんで見えた。
ガーチも笑い、吠えた。
ガーチの戦いはいつでも綺麗なものではなかった。
双方殴り殴られの泥試合。
刃は折れ、盾は潰れて鎧もひしゃげ、それでも最後に立っていたのはいつもガーチだった。
真正面からぶつかり合った時も、多くの敵に囲まれた時も、卑怯な罠にかけられた時でさえ、最後に立っていたのはいつでもガーチだった。
「ムカつく上司は殴り飛ばし、気が乗らねぇ仕事は半日もたずに行くのをやめたァ」
指のない左手首を切り落とされ、残った右手で王の鼻を殴り潰しながらガーチは吠えた。
「金がなけりゃケンカでブンどり、ありゃあギャンブルでスっての繰り返し。オレァ筋金入りのロクデナシよォ!」
肩に突き立った剣を引き剥がし、王の動かなくなった左腕ごと脇腹を蹴る。
「だが、ケンカしか能のねェオレにとっちゃァ、暴力こそが成り上がる手段のこの世界程相応しい場所はねェ!」
やがて、ガーチの名が知られていくと、似た様な素性の者達がガーチの下に集まってきた。
華などなく、泥臭い。高度な技術はなくとも塵の様な手練手管をかき集め、強者と渡り合う。
そして、絶対に負けず、強い。
そんなガーチはいつしかあぶれ者のケンカ自慢達の受け皿となっていた。
そして、集まったあぶれ者達はクランとなり、規模を拡大していった。
そうして血の気の多い烏合の衆で出来上がったクランに、決まり事など何もない。
好きに戦い好きに組む。来るもの拒まず去るもの追わず、果ては裏切り、下剋上まで自由気ままに。
そうして、あぶれ者の集団は今や魔王軍随一の規模を誇るまでに至った。
ガーチの強さは魔王軍に留まらず広く知れ渡り、多くの敵を撃ち破ってきた。
ついに魔王に迫った勇者の一団を退けた時、「不落の城塞」の伝説は誰もが知る所となった。
「エクステンドオンラインは、この気だるいリアルに見つけた最ッ高の居場所だったぜェッ!」
後ろへ弾かれ、剣を床に刺して勢いを殺した王。
放物線を描きながら、歪んだ黄金の兜が乾いた音を立てて転がった。
「そなたは……この世界に祝福されたのだな」
王の顔に乱れた白金色の髪が落ちた。
その顔は、淡い笑みを湛えていた。
「これで最後だ。余の最大最後の技をもって歓迎しよう。名もなき英雄よ」
そんな王の称賛にも似た決別の言葉に、しかしガーチは地面に唾を吐いて応えた。
「うるせェよ。NPC風情がエラっそうに。こちとら最初っからテメェをブッ倒す事しか頭にねェっつうんだァ」
獣身覚醒を使用した時からわかっていた。
決着までもう長くない、と。
一抹の寂しさを感じつつも、一瞬でそれは消え去った。
ガーチは吼えた。
当初の目的を果たす為に。
王を倒し、魔王軍陣営に勝利の凱旋を果たす為に。
この最高のケンカを締め括る為に。
「ちゃっちゃと終わらすぜェッ!! NPCよォッ!!」
両者、足を踏み出した。
決着はもうそこまで迫っている。
ガーチの頭からしかし当初の目的など消え果てていた。
あったのは「どっちがケンカに強いか」。そんな単純で、子供じみたものだけ。
どこまで行っても、ガーチはケンカ好きのロクデナシだった。
「神聖剣・究極絶技!! ……余は王国の守護者! アルテロンドの剣なりッ!!」
今回で書き溜め分は終了になります。
次回更新は未定ですが、可能な限り早く再開できる様にしますので楽しみに待っていて下さい。
次回第76話「鋼鉄の青薔薇」(仮)
乞うご期待!