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ミケのオンラインリハビリテーション  作者: 白ネコ扇子
第6章・チェック
75/87

73・魔王軍最強の格闘者

「ハッハハハ! 意外とやるじゃねぇか!」


 歯を剥き出しながら拳を打ち出す赤い髪の男。

 リゴウの突風の様な乱打を、私は前後左右へ体を揺らして避けていく。

 その最中を切れ間なく繰り出された前蹴り。

 私は唸りを上げてドテっ腹に迫るその蹴りを、フェザーシューズの加速で後ろへ退がり距離を取った。


「!」


 しかし、リゴウも獣神憑依の加速で足を踏み込み、一気に拳を私の顔面へ寄せていた。


「どうした!? 逃げてばかりか!?」


 拳が掠めた髪から漂う、焦げた匂い。

 まともに食らったら即死。擦っただけでも致命傷は免れない。たとえ腕や脚で防御したとしても、受けた箇所は即この世から消えて無くなってしまうだろう。

 つまり、私とリゴウのレベル差なら触れただけでも私は死ぬ。

 圧倒的に不利。それどころか真正面からやり合うなんてもっての他。

 戦うという選択肢自体が自殺行為に他ならないのだ。


 私の肩口に振り下ろされた手刀とリゴウのアゴ先に蹴り上げた踵が交差した。


「本当にスゲェぜ! 妙なナリしてやがるが、この俺とここまでやり合えるたぁよ!」


 互いに攻撃が空振りに終わり、私達の間に距離が開いた。

 両拳を打ち鳴らし、腹の底から笑うリゴウ。グローブの拳に装着された金属突起から赤い火花が散った。

 地に落ちて尚跳ね回る火花が、まるで踊る様に楽しげに見えた。


 それはそうと、格好については言及しないでほしい。やっと少し可愛いと思えてきた所なんだ。


「ふう……」


 荒々しい言動とは裏腹に、この男の技は極めて正確で緻密。2手先、3手先を読んでこちらの攻撃はことごとく防御、回避され、防御と一体化した流れで繰り出される反撃も全てが一撃必殺。

 まるで隙が無い。

 レベル差の時点でこちらの攻撃は当たったとしてもダメージは無いが、それ以上に防御技術が卓越しているのだ。

 戦闘技術と、そして攻略難易度は先に戦ったガディン以上か。

 直撃どころか、かすらせるだけでも容易ではないとは。こちらはひとかすりしただけでも終わりだというのに。


「ふふっ」


 まったく。面白い。


 私は真正面から戦う事しか知らない。

 絶体絶命の状況だが、そんな中に飛び込む自分がどこかおかしかった。

 私は知りたい。

 絶対的な力を前に、私がどこまで戦えるのか。


「!」


 その時、リゴウの拳が消えた。


 とっさに伏せた頭上を通り抜けていった、砲声と闘気の激流。

 常に警戒していなかったら避けられなかっただろう。


 逃げるより逆に前へ飛び込み、リゴウとの距離を詰めた。

 光が瞬くと同時に降り注いだ衝撃が、私が通り過ぎた後の床を次々と穴だらけにしていく。

 戦闘機の機関砲にも匹敵する破壊力が私を追い、石床を消し飛ばした。

 繰り出されているのは高速で連射されているリゴウの拳だった。


 私は地面に転がりながら、首筋に迫る拳撃をかわしてリゴウの背後まで飛び出した。


「初見でこの必殺コンボをかわしやがるヤツぁ初めてだ! だが、ここからが最強の格闘職『ドレッドノート』の本領発揮だぜッ!」


 私は床に爪を立て、顔を上げた。

 その先に見えたのは、腰溜めに構えた拳に再び輝きを灯すリゴウの姿。


 ドレッドノート。

 格闘職「マーシャルアーティスト」の上位職。

 下位職の時点から既に装備に依存する必殺技以外にも、武器を用いない蹴り技や気功など多彩な攻撃スキルを持っている。

 その上で、上位職のドレッドノートはさらに格闘スキルやナックルやグローブなど拳に装着する武器の必殺技に限り、ソードブレイカー同様技後の隙をキャンセルして連続で技を繰り出す事が可能となる。


 長物を用いないドレッドノートの格闘能力は、ソードブレイカーをも超えるその怒涛の攻撃速度に集約されていると言っても過言ではない。


 拳に収束していく光の奔流。

 そのリゴウの拳が今まさに私に向けられた、その時だった。


「……っぬぉおあ~ッ!」


 突然、リゴウの死角から襲いかかった鋭い一撃。

 現れたのはビスレだった。

 咆哮と共に突き出されたのは必殺技の光をまとった槍と、手にした大きな盾にも隠れ切れない巨体の突撃。


「今いい所なんだからよッ! ジャマすんなァッ!!」


 しかし、その一閃は口角を引き上げたリゴウの片手一本に掴まれていた。振り向きもせずにだ。

 そのまま掴んだ槍の柄を力任せに引いたリゴウは、前へバランスを崩したビスレのこめかみに肘を突き立てた。


「ぐへっ!?」


 槍を引くと同時にビスレの間合いに潜ったリゴウ。その時体を翻した足運びによる遠心力と、踏んだ地の重さを乗せた肘打ち。

 その強烈な一撃はビスレの意識を刈り取り、地響きを伴わせながらその大柄な体格を深く地に沈めた。


「ホーリーランス!」


 間髪入れず、倒れたビスレの影から放たれた白い魔法の刃。

 そこには杖を前にかざし、魔法で光の槍を形成するヒゲ面の男がいた。

 回復支援が主のディバインオーダーのヒューイ。

 その数少ない攻撃魔法でもってのビスレとの時間差攻撃だった。


「んあ!?」


 しかし、その攻撃はあらぬ方向に飛んでいくに終わった。

 発射される直前、ヒューイの胸を深く穿った何かによって放り出されてしまったのだ。

 そのヒューイ自身も、弾ける様に縦に斜めにとキリキリ回転しながら後ろへ飛んでいった。


 リゴウがヒューイへ向けた掌を握り直した。

 その握られた拳から光の残滓(ざんし)が散り、消えていく。

 ヒューイを撃ったのはリゴウの放った攻撃スキル、気功波によるものだ。マーシャルアーティスト系列のクラスが持つ強力な遠距離攻撃スキル。

 このやり取りの間、リゴウは一度とて私から視線を外す事はなかった。

 この男の空間と状況の把握能力は圧倒的に飛び抜けている。あの決闘狂・ベリオンでもなかなかこうはいかないだろう。それ程だった。


「これでもうジャマは入らねぇ」


 足下に横たわるビスレの頭を踏みつけながら、リゴウは顔に笑みを浮かべた。

 こちらを見下したまま口角をさらに引き上げるリゴウ。

 それは明らかに私の怒りを誘う挑発だった。


「その足を退けろ」


「退けてみろ」


 リゴウがビスレを踏みつけた足を捻ろうとした――その瞬間にもう私は飛び出していた。

 安い挑発だが、乗らない選択肢など早々に切り捨てた。


「テメェの打撃が軽いのはもうバレてんだよ!」


 わざとらしく私の目線まで身を屈め、リゴウは繰り出された拳を顔面で受け止めた。

 肉のぶつかる鈍い音。それでいて、手に伝わってくるのは人の骨とは思えない程硬く重い岩山の様な質量。

 今の私に出せる渾身の一撃だった。

 それでもリゴウの足を1ミリも動かす事ができない。


「テメェの全力は精々俺の指一本とどっこいってトコだろうよ」


 それが、私とリゴウのレベル差だった。遅かれバレる事もわかっていた。


 笑みを浮かべて足を前に踏み出し、リゴウは顔に受けたまま私の拳を押し返しにかかった。

 同時に私の腕に被せられるリゴウのカウンター。


 最早決着は絶対的に決定していた。

 元々戦力差は明らか。

 放った攻撃は最適のタイミングで、速度と角度、そして威力も申し分ない。

 リゴウの頭の中では戦いは既に終わったものとして処理され、次の場面に移ろうとしていたのだろう。

 リゴウの剥き出した歯は、勝利を噛み締めている様に見えた。

 そのリゴウの突きが私の頭に触れる、その瞬間。


 音が消え、風が凪いだ。



「ミ、ミケさんか……?」


 静まり返った空気の中で、ビスレの呻き声が大きく響いた。


 つい一瞬前、確かにあった怒涛の喧騒が嘘かと思えるくらい、荒れ狂う嵐から飛び出した様な――そんな空白。

 そんなふと訪れた静寂の中、今ここには確かに穏やかな時間が流れていた。


「大丈夫?」


 私は倒れたビスレに寄り添い、しゃがみ込んだ。


「ミケさん……。もう一度、隙を作ってほしい。次は必ず……やっつけてやるから」


 ビスレがまだ痺れが残る体を懸命に起こし、呻いた。

 体は深く傷ついているが、気力はまだまだ十分のようだ。


「わかった」


 私はそれだけ返し、頷いた。


 元々シェルティがゼフォン達の分断を。私とジノが私と相性の良さそうなリゴウの足止めを。ネストとアスタルテももう1人の魔法使いの相手をしているはずだ。

 そうして、レベルと攻撃力のある王様とギネットさんに敵を倒してもらう作戦だったのだ。


 当然、ギネットさんに次いでレベルが高いビスレも頼りにしている。


「な……に?」


 ふと、私の背後から聞こえた石片の崩れるかすかな音と、呻き声。

 ビスレの無事を確かめた私が振り返ると、地面にまっ逆さまに突き刺さっているリゴウの姿が目に入った。


「バカな……。投げは十分警戒してたはずだ!」


 床を叩き、逆さになった視界を戻そうと起き上がるリゴウ。

 その動作にさっきまでの勢いは無い。驚きと困惑にワナワナと震え、思考がついて来ていないようだ。


 私は立ち上がるとリゴウの方に向き直り、構えた。


「クソッ! こんな偶然が何度も続くと思うなよゴルァッ!」


 リゴウが地面を殴り、足を踏み込んだ。

 同時に地を滑り、突風のごとき速度で繰り出された突き。


 混乱しているであろう精神状態とは思えない、これまで以上に鋭い一撃。

 幾度も繰り返し修練した経験の賜物だろう。数多の敵と戦い、長い時間をかけて強くなろうと努力を積み重ねてきた。

 この一撃からそれが伝わってくる。

 この男の技と強さには素直に敬服し、尊敬しよう。


 それでも、私は勝つ。


 突きの軌道を読み、その速度が最高速に達する前に間合いに潜り込む。

 その腕を掴み、捌くのでも止めるのでもなく、私は加速させた。


「!?」


 私が足した予想外の加速と、目標を失った拳の勢いで前のめりに態勢を崩すリゴウ。

 その無防備な腹の下に入った私は、剥き出しになったリゴウの喉笛を掴んだ。

 そして、その力の向きを真下にねじ曲げる。

 その先に待つのは、硬い石床。


「ぐ……っはぁッ!?」


 背中から地面に叩きつけられた衝撃で、体の中身をぶちまけたい衝動と吐き出せない息がリゴウの中でせめぎ合う。

 自身の全力の勢いと私が加えた力をもって石の硬い床に叩きつけられたのだ。リアルだったら背中側の骨が全て粉々になっていてもおかしくない。


「……ふっぐゥゥウウ……ッ!!」


 しかし、リゴウは背中の筋力だけで勢いよく起き上がり、すぐさま第二撃を繰り出してきた。

 執念。自身が口にした「最強の格闘者」である自負とプライドが倒れる事を許さなかったのだろう。


 その拳が発射されるより早く、まだ踏み込まれる直前の軸足を私は蹴り払った。

 完全に意識が行き渡る前の無防備な足は、その絶大な筋力が発揮される事なくいとも容易く刈り取られた。

 発射台である足を取られた拳はただ宙に浮くだけ。

 次の瞬間には拳だけでなく体全体が宙を回転し、リゴウは再び地面に叩きつけられていた。


「こ、こんなバカな事があってたまるかッ!? 俺は魔王軍最強の格闘者、赤龍リゴウだぞ!? その俺が……俺が何もさせ――」


 吠えるリゴウだったが、その上下の感覚がまたも狂い、地面に、積み重なる瓦礫にとなす術なく激突していく。


 ここまでの戦いでわかった事がある。

 このリゴウという男は生粋のストライカー(打撃専門)だ。


 この世界エクステンドオンラインでは剣に魔法にと、様々な戦闘手段に溢れている。

 その中をリゴウは拳で勝ち上がってきたのだろう。

 格闘技術で対武器、対魔法、恐らく弓矢や罠すら打ち破り、その力を極めてきたに違いない。

 リゴウ程この世界で最も恐れを知らぬ者(ドレッドノート)の呼び名に相応しい男は他にいまい。


 だが逆に、その豊富過ぎる戦いの手段故に、無手で戦おうという者は絶対的に少ない。

 ましてや間合いを重視する武器、魔法相手に取っ組み合いを仕掛ける危険を犯す者など皆無だろう。

 リゴウの様な格闘者の頂点に君臨する者でも高威力の必殺技や、気功波などの「打撃に特化」した戦闘スキルを用いるのが定石であり、確実に強くなれる戦い方だった。


 結果、リゴウは投げや組み技と相対する機会に恵まれなかった。


 それらに対応するポテンシャルや才能はあるものの、経験が圧倒的に足りないリゴウの対応は力任せで大雑把。無駄が多い。


 打撃だけでなく投げ、絞め、極め、組み。リアルで長い年月をかけて格闘経験を積んできた私にとって、リゴウの対応など赤子の寝返りとそう変わらないのだ。

 そして、私にそれらを叩き込んでくれた相手の、その本気は私だってまだ拝むに至っていないくらい遠い。

 それがどういう意味か。

 どれ程の境地であるのか。


 だから、リゴウにはそのほんの片鱗を披露しようと思った。


 瓦礫の壁に叩きつけ、足を地に着けるヒマも与えず反動で戻った体を地面に転がす。

 どんなに鍛練を積んだ人間であろうと、人間である以上攻撃の瞬間わずかに重心は動くもの。

 それを読み、逆うつもりで踏ん張ろうとした足を邪魔し、代わりにそこへ頭から逆さに落下させた。

 宙であらぬ向きを泳ぐ足を掴み、何度も上下を入れ替え瓦礫の山に投げつける。

 時折放たれる苦し紛れの反撃は、届かせる事なく倍にして返した。


 リゴウにとっては触れられない煙を薙ぎながら、全身を無数の毒虫に襲われている気分だろう。


龍撃砲(りゅうげきほう)ッ!!」


 空と地をメチャクチャに往復していたリゴウだったが、その手から放たれた光の砲撃が突然私の頬を掠めて飛び出した。


 リゴウの掌に集まり出した光の弾に見覚えがあったおかげで、とっさに飛び退く事ができた。

 拳雄カンナ戦の経験が役に立った。

 気功波による砲弾。もっとも、その威力は桁違いに凄まじいが。

 あれだけ視界をかき混ぜられていただろうに、正確に私の頭を狙った当て勘は大したものだ。


 それは床と瓦礫を巻き込み、赤い絨毯の敷かれた階段を抉りながら玉座を掠めた。

 そして、玉座背後の壁に風穴を開けていった。


 穴は開いた側から崩れ、瓦礫の破片が外の空へと落ちていく。

 音もなく消えた破片は遥か下方の庭園へと落ち続けているものの、その遠すぎる高さのせいか空中の一点で静止している様な錯覚を覚える程。

 古い建築様式のアルテロンド王城だが、その巨大さは現代の高層ビルにも劣らない。無意識に本能的な恐れを掻き立てる程の高さ。


 今度こそ青空の下、解放感溢れるテラスとして完成させられた玉座の間。

 大きく抉られ、かろうじて残った床の上で木の葉の様に風に揺れる玉座。


 その玉座に深く腰を沈め、何故かソディスがくつろいでいた。

 まぁ、その玉座も今や宙ぶらりんに傾いてるから――いつもの澄まし顔……いや凍りついてるだけだな――カタカタ震えてるんだけどさ。

 ケガはないみたいなので、まぁいいか。


「ハァ……ハァ……。テメェが強え事ァよくわかった……」


 だが、それによって私とリゴウは離れ、攻撃が途切れた。


「だが、テメェは俺達に勝てねぇ」


 負け惜しみ……ではないのだろう。

 膝に手を添えヨロヨロと力なく立ち上がるリゴウだったが、見た目程ダメージは無いはずだ。


「これから来る奴らの中にはなぁ、俺と互角に渡り合える男がいるんだぜ」

 

 長期戦は必至。

 現状、戦力はこちらが遥かに劣る。綱渡りもいい所だ。

 ここで敵の増援に来られたら、ギリギリを保っていた戦況は一気に崩れるだろう。


 私の顔色が変わったのに気づいたリゴウが興奮気味に口角を引き上げた。


「ハッハハッ! 理解したみてぇだな! ずっと城の中で隠れてたお前らが知らねぇのは無理もねぇ。今は外で近寄るザコ共の足止めを任せちゃいるが、そろそろ片付け終えた頃だろうよ!」


 ふと、私の眉がピクリと跳ねた。


牙王(がおう)ガディン! 奴ァこの俺様が認めた唯一の男だ! 奴がここに来たら――」



「ガディンなら私が倒した」



 リゴウが発言しようとした、その一番大事な箇所。

 私はそれを遮り、訂正した。


 リゴウの言葉の内容に違和感――食い違っていた箇所があったのに気づいた私は、安堵に少し肩の力が抜けた。


 何せ、リゴウが頼りにしている増援は来ない。

 城に隠れていた?

 否、私達は正面玄関から堂々と敵を打ち破って入ってきたのだから。


 それを聞いて、しかしリゴウは表情を崩さなかった。

 当然とも言える。

 自分と互角と評した相手が遥か格下の私なんかに既に負けていたなんて、信じられるはずがないだろう。


「ハッハハハ! 悪ィがテメェもかなりやるたァ思うがよ。結局俺らを倒し切れるだけの力はねぇ」


 口元を大きく引き上げ、笑うリゴウは耳に片手を当ててどこかと通信を始めた。


「ガディン! おい、いつまでザコと遊んでやがる! さっさと上がってきやがれテメェッ!」


 半ば怒鳴り散らす様に話し始めたリゴウ。

 どうやら相手はちゃんと着信に気づいたようだ。


 まだ、ログアウトしてなかったのか。


「おいガディン! テメェどこで何してやがる……ハァ!? 何言ってんだテメェ! わかる様に言えや! ガディン、おい!?」


 会話としてはいささか乱暴だが、言葉が交わされる度にどこかそれが噛み合っていないらしい様子がこちらにも伝わってきた。


「ああ!? 誰がいたって!? アイツって誰だよ!? あの親子? 親子って何だ? ガディン、おいッ! ガディン! ガディンッ!?」


 通信の向こうはどうやらただならぬ様子のようだ。

 それっきり、通信は切れたらしい。

 引き上げられたリゴウの頬は、先程と打って変わって凍りついた様に固まっていた。

 肩を強ばらせ、目を丸くしているリゴウ。


「野郎……。一体どうしちまいやがった……」


 だが、その視線が今も対峙している私と重なった。

 そして、やっと理解したらしい。


「テメェ……。マジか……」


 ふふん。マジだとも。

 私は大きく鼻息を吹いた。


 分かりやすいくらいに目を見開き、驚愕しているリゴウ。

 それ程に衝撃だったのだろう。

 唯一自分が認めた、自分と互角と評した男が、本当の本当に敗れていたのだから。

 これで少しは士気が落ちてくれれば、こちら側のみんなの負担も少しは軽くなるのだろうが。

 固まった様に静かに佇むリゴウ。


 私は動きを見せないリゴウに視線を向け続けた。


 だがその静寂は思っていたよりすぐに打ち破られた。

 床を足で踏み貫いた、地を揺るがす衝撃によって。


「ハッハハハ!! 強え! テメェマジで強えな! ハハハハッ!」


 空を仰ぎ高らかに笑い声を上げ始めたリゴウ。

 半ば呆然としていたリゴウだったが、しかし地響きを伴う程の力を込めて前に足を踏み出したのだ。

 己の淀みかけた心中を奮い立たせる様に。


「出し惜しみは無しだッ!! 獣身……ッ覚醒ッ!!」


 構えたリゴウの全身から赤い闘気が吹き上がる。

 そして、その体が獣の様相に変化し始めた。


 リゴウは獣人族だ。

 ただ、その体の特徴からは既存の何の動物をモデルにしているのかがいまいちわからなかった。

 故に獣人族だという事はわかっていたが、今の今に至るまでその正体は掴めなかった。


 だが、今わかった。

 見慣れない、存在しない架空の動物。

 それでも、私にとってはとても身近な種族。

 それを選んでからそのレベルに至るまで、どれだけの試練を潜り抜けてきたのか。

 私にはわかり過ぎるくらいによくわかっていた。


「獣神憑依と引き換えに翼は失ったが、レベル101の成龍になった龍人族の全力だッ! 塵も残さず消し飛ばしてやらァッ!」


  側頭部から伸びた角が禍々しく形を肥大させ、両腕は赤く鋭い鱗に覆われていく。

 黒い爪はナイフの様に鋭く伸び、金色に光る瞳が私の姿を映していた。


 咆哮を上げたリゴウが、地を蹴った。


「いくぞ」


 私も構えを直した。

 目の前の男の全力に応える為。

 私の持てる全てを今この瞬間に注ぐ。

 心を氷の様に冷やし、感覚は刃の様に研ぎ澄ます。


 刹那、瞬いた光が傾けた首を掠めた。


「コンセクティブレッドッ!」


 予備動作もわずかに放たれた気弾をかわすと、さらに連続した赤い気弾が雨霰のごとく降り注ぐ。

 わずかな隙間を縫い、懐に潜り込んだ私の蹴りとリゴウの蹴り上げた脚が交差した。


「ふっ!」


 それでも、当たったのは私の蹴りだ。

 踵でリゴウのアゴを蹴り上げ、続けて踵を体の中心に打ち込んでいく。


「ビーストエッジ!」


 しかし、リゴウは微動だにしない。


 両腕を空にかざし、十指に灯した気功波が長大な剣となり振り下ろされた。

 石でできた床がまるで角砂糖の様に脆く粉々に飛び散る。八つ裂きになってせり上がる床を背に、私はリゴウの股下を潜り抜けた。


「――ッ!」


 こちらを一瞥もせずに正確に私の上半身を消し飛ばそうと薙ぎ払われる、気功波の一斉砲火。

 獣身覚醒によって増した攻撃力が、視界を横切る巨大な瓦礫を一振りで消し飛ばしていく。


 私はそれを放つ腕に飛び乗り、リゴウの顔面に両足での飛び蹴りを見舞った。


「ガディンをやったってのはマジにマジらしいな!」


 だが、弾かれたのは私の方だった。

 振り向き様の横面に思い切り入れた蹴りだったが、70ものレベル差が絶対的に立ち塞がる。


「ガディンの野郎、本当はステゴロの方が強えんだ。なんてったってこの俺と互角にやりやがるんだからな」


 そのまま宙を小石の様にクルクル回って着地する。

 同時に落ちてきた気功波の雨を、姿勢を地面スレスレまで低く伏せながら駆けてやり過ごした。

 気功波の弾丸をばら蒔きながら距離を詰めるリゴウに、私も地を蹴ってそれに応じた。

 互いの拳が交差する。


「スキルなしの模擬戦だがケリは着かなかったくれぇだ。だってのに、何があったか知らねぇが武器なんか使ってやがる。……この俺と互角に戦える男がだぞッ!!」


 咆哮と一緒に喉奥から放たれる気の砲撃。

 私の背後に横たわる天井の成れの果て。それが一瞬浮き上がり、中央からひしゃげてバラバラに吹き飛んだ。

 砕けた石材が空の向こうに消え、無くなった床から遠く下方へと吸い込まれていく。


「要するに奴ァ逃げたのよッ! だがな! この俺とガチでやり合える男がそんな腰抜けだなんて、笑えねぇだろう!? 俺にはそれが我慢ならねぇ! 気に入らねえッ!!」


 後ろに飛び退きながら、リゴウは掌から無数の気弾を射出させた。


「だからッ! 俺はあの野郎をぶっ倒したテメェを倒し、俺が奴より上だって証明してやるッ!!」



「それは、無理」



 気弾を放った腕を取り、技後の虚を突いてリゴウの体を上下に反転させる。


「ごあッ!?」


 後頭部を石床に強かに打ち、呻くリゴウ。

 その鼻に、私は真上から撃ち下ろした拳をめり込ませた。

 石床とサンドイッチされたリゴウの後頭部から鈍い音が響く。

 リゴウが苦し紛れに放った気弾を、私は首を傾げて避けた。


「それはもう見た」


 私は顔にかかった髪をかき上げながら、リゴウの伸び上がった腕を引き上げた。

 そして、その体を反転させて再び顔面から床に叩きつける。


 反撃の初動を挫き、抵抗を抑え込み、反応のことごとくを潰して回る。

 何度もリゴウの動きを封殺し、何度も何度も床にめり込ませる。

 肉体的なダメージは与えられていないだろう。

 それでも、それ以外の何かしら影響を与えていると信じて、攻撃を打ち続ける。

 一分の隙も見逃さず、一片の油断もこぼさず、この瞬間を繋いでいかなければならないのだ。


 ふと地面を背負った状態で、リゴウが両腕を大きく開いた。


「……ビーストエッジィイイッ!!」


 リゴウの両手の指先から伸びた光の爪。

 私が上半身を起こしてのけ反ると、胸の手前を10本の刃が駆け抜けた。

 私の飛び退いた空間を焼き切っていく気功波の爪。焼けた空気から漂うオゾン臭が鼻を突いた。


「……クッソがアァッ!」


 リゴウの形相はままならない現状に対して湧き上がる感情に、酷く歪んでいた。


 私は弾かれる様に横へ跳んだ。

 一拍遅れて私の残像を貫いていく気功波。


「!」


 先回りした次弾が逃げる私の行く手を阻み、瓦礫の山に風穴を開けた。

 一瞬早くブレーキをかけてそれを逃れ、私は穴を開けられた壁の残骸に飛び乗った。

 しかし、すぐに着地した足場をリゴウの気功波が消し飛ばしていく。飛び移った側から逃げ道を塞ぐ様に追いかけてくる気功波の弾幕。


「オオオオオォラァッ!」


 気の弾丸が分厚い石材を一撫でで粉微塵に変えていくのを尻目に、私は逃げ続ける。

 そうして、まだ原型を留めている柱に飛び移ると、一気に駆け上がった。

 大きく傾いた柱。登り始めた直後に、その根本をリゴウの気功波が貫いた。


「バカが! 追い詰めたぜッ!!」


 傾きを増す柱は巨大な質量を支えきれず、音を立ててその根本に亀裂を走らせた。

 さらに私を狙った追撃が巨大な柱を中腹からビスケットの様に2つ、3つと砕き割っていく。


 私はその柱の頂上を踏んだ。

 そして、柱の硬い先端を蹴ると、空高く跳び上がった。

 途端に崩れ落ちる柱がリゴウ目掛けて落下を始めた。


「ハッハハァッ! 空中でどう逃げるッ!? 翼は失ったが、代わりに得た獣神憑依はスピードを上げるだけのスキルじゃねぇ!」


 上空の私を見上げながら、リゴウは両手をまるで龍の口のごとく重ね合わせた。

 噛み合わせた掌の中で急激に膨れ上がる光の奔流。


「その真価は獣身覚醒と同時使用する事でただでさえ高ぇ成龍の火力をさらに一段階引き上げんだ! その最……ッ大火力で、柱ごと消し飛べやァッ!!」



 私は落下の風を受けながら、両腕を広げて目を閉じた。


 リゴウの攻撃は正確で的確だ。

 相手の行動の2手先、3手先を読んで完璧に対応してくる。


 しかし、戦意はまだ十分だが、リゴウは攻撃も読みも甘くなってきている。

 互角以上の敵との戦闘と、ここまで散々翻弄された経験がないのだろう。

 人間、余裕を失うと自分にとって都合の良い事を信じたくなってしまうもの。

 そんな状態で、相対した敵が4手先、5手先。十重、二十重と深い読みと判断力を持っていたなら。それに応じるという事は――。


 それは最早相手に操られているに等しい。


「これで、俺の勝ちだッ!!」


 地響きを伴い床をめくり上げながら、リゴウの掌に収束した闘気が砲声を轟かせた。

 肌に感じる膨大な熱量。

 震える空気が圧力を増す。

 灼熱の炎が白く焼き飛ばす視界の中、炎の龍が上空の私を目掛けて迫り来るのがかすかに見えた。


「ううん。私達の、勝ち」


 既に柱は足下を離れ、空中で逃げ場は無い。


 ガディンとの戦いを経て、私のレベルは23から31へと大幅に上昇した。

 ただ、それはリゴウとのレベル差では砂粒程の量も埋まってはいないだろう。


 それでも、使える手段は増えたのだ。

 それは、この状況をも打破できるに足る恩恵をもたらしてくれていた。


 私は閉じた目を見開き、両掌を重ねて真横に向けた。


「プッシュウィンド!」


 途端、掌から嵐に匹敵する突風が吹き荒れ、私の体を押し退けた。


 プッシュウィンド。

 掌から発生させた風によって空中で軌道を変える事はもちろん、急斜面を登る味方を押し上げて加速させる事もできる補助魔法だ。


 リゴウの視点からすれば、重力に従い落下を続けていた私の体が突然軌道を大きく外れたのだ。

 吠えた顔のまま、あんぐりと口を開けて呆然としているリゴウの姿が視界を過った。


 降り注ぐ柱の残骸を蒸発させ、食らい尽くした炎の龍。

 しかし、いるはずだった次の獲物を食い損ね、そのまま天高く通り過ぎて消えていった。


「バ――ッ!? しまったッ!」


 最大の攻撃で最大のチャンスを逃したリゴウ。

 目を見開き叫んで明らかに狼狽していた。


「この瞬間を待ってたぞッ!!」


 不意にリゴウの背後から飛んできた声。


 盾を構えた巨体の突進。

 ビスレだった。


 私1人ではリゴウを倒す攻撃力は無い。

 私にできるのは陽動まで。

 リゴウの心を乱し、視野を狭め、わずかでも隙を作る。


 そうしてできた小さなチャンスに、私達全員は賭けたのだ。


「なん――」


 自身の最大攻撃への信頼。故に生じたその発射直後の油断。

 狭まった視野と、その死角から現れた攻撃に、リゴウの反応は明らかに遅れた。


 ビスレ渾身の奇襲。

 盾を構えてその巨体を機関車のごとく一直線にリゴウへ突撃させる。

 焼けつく空気を跳ね退け、吹き荒れる瓦礫の破片で顔を切っても狙った先を視界の中心に据え続ける。

 全身、全精力、賭けられるもの全てををこの瞬間に叩きつけた一撃。


 それは――


「ッガァアアッ!!」


 床を踏み抜きながら繰り出された、リゴウの後ろ回し蹴り。

 ビスレの手にした盾は中央からひしゃげ、まるで紙の本の様に真っ二つに折り畳まれながら弾き飛ばされていった。

 反対の手に持っていた槍も甲高い音を立てて床を転がっていく。


――阻まれた。


 何より蹴りを受けたビスレ自身も背中の腰程の辺りに、大きく真後ろへ折れた首がぶら下がっていた。

 得物を握っていた両腕も滅茶苦茶に捻れ、およそそれが人間のものだったのかと疑いさえ持ちかねない様相を為している。


 作戦は失敗した。


「否ァあ!! つっかまえたぁああ!!」


 その時、絶望的なまでに破壊されていたビスレの体が、突然弾ける様に元に戻った。


リビングラバー(ゴム人間製造薬)。肉体をゴムに変化させる面白グッズだ。パーティーグッズとして作ったものだが、打撃が完全に通じなくなる効果があったのは我輩も予想外だったぞ」


 遠く、傾いた玉座で笑みを浮かべるソディス。

 肘掛けに頬杖をつきながら、その澄ました顔には自分の発明品への子供っぽい自慢がドヤドヤしてた。

 そして、その性能が伊達ではない事をビスレが証明してくれた。


 元に戻ったビスレの体が今度は人の形を捨て、ロープの様に伸びていく。

 曲がりくねった手足。長く引き伸ばされたビスレの大柄な体が、がんじがらめにリゴウの全身を縛り上げる。


「オオオオオォッ!?」


 四肢を締め上げる太いゴム綱により、リゴウの全身からメリメリと肉と骨の軋む音が鳴る。

 平たくなるまで引き伸ばされたビスレの体は、中心部に向けて相手を押し潰す正に生けるブラックホール。

 ビスレは完全に動きを封じたリゴウを見て勝利を確信していた。


「どうだ! ゴムの強靭さと俺の筋力を合わせた拘束! これでやっと――!?」


 だが、その顔が突然掴まれ、絞り切った雑巾の様に細く握り潰された。


「……こッのザコがァあッ!! こんなもんでこの俺をやれると思ったかゴルァッ!!」


 隙間なく縛り上げられていたはずのリゴウだったが、片腕の腕力だけで掴んだビスレの顔から全身までもを強引に引き剥がしにかかってきた。

 ビスレの体が悲鳴の様に痛々しい音を上げながら裂けようとしていく。

 固く閉じられていたリゴウの四肢が拘束をこじ開け、両足で地に踏ん張った。


「テメェらの小賢しい策なんざなァ! 全員ブッ殺して……」



「エンチャント――」



 未だ上空の私を見上げ、対峙するリゴウ。

 そのちょうど側面から上がったかけ声。


 完全に意識の外側から投げられた一手に、リゴウはその存在に気づかなかった。

 ここまで一切動きを見せず、私との戦いを経てリゴウの意識からその存在と気配が完全に消え去るまで待ちに徹していた彼の事を。


 反射的にリゴウの眼球がそちらに跳ねた。


「ダブルエクステンド!!」


 扇の向けられた先から迸る付与魔法の輝き。

 その効果は「アイテムの効果を倍化させる」というもの。

 現在進行形で作用しているアイテムの効果も高める事ができ、それは――。


「ぐぇアァぁあああぁああッ!?」


 ――剥がれかけたビスレの体が再びリゴウの体を縛りつけ、それどころか全身を潰しにかかる程にまで膨れ上がった。


「ジノ!」


 私がその姿に声を上げると、ジノは軽くウインクして微笑んで見せた。

 だけど、武器の扇は未だリゴウに向けたまま、その切っ先は戦いの中にあった。


「こッのガキィいいいッ!!」


 ギチギチに締め上げていたビスレの体の一部が弾け、リゴウの右腕が拘束を抜け出したのだ。

 そのまま腕一本で地を叩き、恐るべき力でジノ目掛けて飛び上がった。

 そして、一瞬でその距離を食らい尽くし、その爪をジノの首にかけた。


「ドロー・リパルション!」


 しかし、その爪はジノに触れる事なく、空を切った。

 爪が肌に触れる瞬間、そのタイミングに合わせてジノは一歩後ろに下がり回避していた。


 あれは私と練習した基本戦術の「引き撃ち」だ。

 頭に血が昇って攻撃が粗くなったリゴウの攻撃ならば、未熟なジノでもタイミングを測るのは難しい事ではない。

 そして、引いたと同時に放たれた斥力場によって、リゴウはその勢いを反転させて後ろに飛ばされていった。


「気功波・裂光ッ!!」


 しかし、地面に無様に転がりながらも、掌をジノへと向けて気功波を繰り出すリゴウ。


 莫大な熱量の込められた気の閃光。

 それは寸分違わずジノの心臓目掛けて貫いていったはずだった。


「いやはや、間に合ったね」


 しかし、そこにジノの姿はなかった。


「ジノ君。私が来たからにはもう大丈夫だよ」


 リゴウはジノがいた地点から視線を上へと上げた。

 そこには背中から純白の翼を広げた黒いカソックの男が、ジノを後ろから抱えて空に浮かんでいる姿があった。

 ヒューイだった。

 どうやら無事に意識を取り戻していたようだ。


「『天使の義翼エンジェリックプリティ』。自身と、触れた物を10秒だけ宙に浮かべる事ができるとは。君の作戦通りだったね。さすがだよジノ君!」


 ヒューイは胸に抱き締めたジノを見下ろすと、モジャモジャのヒゲ面をしかめてニッコリと微笑んだ。


「……ひっ」


 ジノが顔を引きつらせながら青くなった。

 背中に可愛らしい天使の羽根を生やしたのがヒゲ面の中年というビジュアルは、どうやらジノのお気に召さなかったようだ。

 私もちょっと遠慮したい。


「まだ――」


「させない」


 諦める事を知らないのか、リゴウがジノ達に掌を向けた。


 だが、その腕は突然降ってきた蹴りによって地面に押さえつけられた。

 上空から狙いを定めていた私が、リゴウの腕へと落下して狙いを邪魔したのだ。


「またテメェかァッ!」


 吠えるリゴウ。


「ミケさん、離れて!」


 取っ組み合いをする私に、上空からヒューイの声が降ってきた。

 反射的に上げた私の視界に飛び込んできた「あるもの」。


 風通しのよくなった壁の向こう。

 青空の中、雲とは違う白く大きな何かがシャボン玉の様にフワフワと浮かんでいるのが目に映った。

 しかし、明らかにそれはシャボン玉とは比較にならない絶大な質量を持っているはずのもの。

 よく見ると、それにはロープがくくりつけられており、その行き先はリゴウに巻きついているビスレの体へと繋がっていた。


 それは、城の柱の残骸だった。


「もう10秒経つ!」


 王城の石造りの天井を支える巨大な支柱。

 堅牢にして壮大。その1本だけでも私が5人手を繋いで一周する程の直径と、ちょっとした家をも超えた高さの白い石柱だ。

 それがどれだけの重さを有しているのか、想像もつかない。


 次の瞬間、そこに浮かんでいたのが嘘の様に、その巨体が視界からかき消えた。


「ぐ――ッえ」


 かすかな呻き声を残し、リゴウは空の向こうに飛んでいった。


 私の服を掴んだまま。


「ミケ!!」


 遠くでジノの声が聞こえた気がした。

 滑る様に地面が外の青空に向けてすっ飛んでいく。

 私を掴んでいるのはプレス機を思わせる程の力が込められた右手。


「こんな……ッ! こんなバカな手で、この俺がやられてたまるかッ!!」


 道連れにする気か、リゴウに離す気はないようだった。


 だけど、私だってこんな所で死んでやる気は毛頭ない。

 だけど。


「俺の事はいい!」


 私と共にリゴウに連れられているビスレが、私を一瞥して叫んだ。


 高速で視界を飛ぶ床が、肌を削っていく。

 そんな中で私は両脚をリゴウの腕に絡めがっしりと固定すると、その親指を両手でしかと握った。


「わかった」


「俺が最強なんだッ!! 俺は誰にも負けねぇッ!!」


 最強。

 今日、何度も聞いたその肩書き。

 ジミーも、外で戦った幾人かも、このリゴウも、皆それで自分を指していた。


 だが、私は知っている。

 私の人生で多くの技と経験を叩き込んできてくれた達人達は、それを名乗る事なんてしなかった。

 その道は生涯決して終わる事はない。誰もが目指し、夢に見て、尚届かぬ頂き。

 お父さんだってそれに至る為にまだまだ研鑽を続けていたのだから。


 手に届く事はないものに、それを軽々しく名乗っている彼らは――滑稽なくらい薄っぺらかった。


「そんなもの、この世にない」


 私は全身の力を込め、思い切り握った両手を引き倒した。


 固く貝の様に閉じられた拳。

 びくともしないが、それでも込める力を緩める事は絶対にしない。

 魂を込め歯を食い縛り、全神経を注いでたったの指1本と全身全霊、生死を賭けた相撲を取る。

 動かない。でも、崩せないとは――思わない。


 迫り来る外の景色に一瞬、リゴウの視線が向いた。

 握った私の両手が砕けそうになる寸前。リゴウの指にほんの小さな、カミソリ程の隙間が生まれた。

 根比べの果てに、リゴウに生じた刹那の隙。

 近づく死の足音に、リゴウは死神の姿を見てしまったのだ。

 その隙間に、私は残った力の全てを注ぎ込んだ。


 さっき、リゴウは自分の指1本が私の全力と同じくらいだって言ってたけど、どうやら指一本より私の方が強かったようだ。

 かすかに聞こえたマッチ棒の折れる様な音。


 その直後、リゴウの手が私の服から外れた。


「――ッ!!」


 すがる物を失ったリゴウは声にならない叫び声を上げながら、床の縁を越えてついに外の奈落へと消えていった。


 その床の縁から脚を半ば差し出した所で私は止まった。

 けれども、私は体を入れ替え身を乗り出してリゴウの消えていった外を覗き込んだ。


「ビスレ……!」


 リゴウにしがみついたまま、一緒に落ちていったビスレ。

 しかし、その姿はもう見えない程遠く離れてしまっていた。


 戦いの結果犠牲は出る。

 それは仕方ない事だとわかっていても、それを前提とした戦い方なんてするつもりはなかった。

 だけど、ビスレの犠牲なくしてリゴウ程の強敵を倒す事が不可能だったのは間違いない。


「ビスレ……」


 それでも、棘の様に刺さる罪悪感が私の胸を苛んだ。


 澄んだ青空は慰める様に私達を見下ろしていた。

次回投稿は26日午後8時予定です。


 仲間と力を合わせ強敵と戦う展開は大好きです。

 そして、次回の戦いはそれをさらに上回ります!


 次回第74話『キス魔の鴉羽』


 お楽しみに!

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