72・玉座の死闘
「ジノ、シェルティ。2人共気をつけて」
「……ま、ボクはミケと一緒だから大丈夫だけど。あとはこっちも何とかやってみるから、手筈通りミケは気にせず全力でやっちゃって」
「わ、私だってがんばりますよ! ハービィも一緒ですし平気です!」
両腕を抱えて緊張を隠そうとしているジノ。
その流し見た視線の先ではシェルティが両拳を胸の前で握り、眉に慣れない力を入れていた。
私達は激しく轟く戦闘音を背景に、3人額を寄せ合いながらの作戦会議を終了した。
「じゃあ、また後で」
「オラオラどしたぁ! 守ってばかりじゃ戦いになんねぇぞ!」
瞬く間に繰り出される無数の乱打。
それを繰り出しているのは赤い髪をした獣人族の男だ。
荒々しく逆立つ短髪に、側頭部から前方へ突き出た黒く鋭い角。
獣人族であるものの、刃を思わせる鋭く硬質な耳と角。既知の動物には見覚えのない風貌であるが、今はそれを気にしている余裕はない。
拳足から風を切る音と共に放たれる鋭い打撃。
その要となっている黒と深紅のボディスーツによって引き締められた肉体は、まるで弾力のある鉄線で縒り合わされた鋼鉄の鞭を思わせた。
さらに、その手足に装備した獣の爪を模した赤い手甲と具足。この世界にある中でも高水準の魔法金属で鍛え上げられたであろうそれらが、強力な打撃をさらなる高みへと押し上げている。
その相乗された威力は、大きな壁程もあるビスレの盾を土塊みたいに抉っていく。
その凄まじい打撃の応酬からにじみ出る苛烈さこそが、この男の人間性そのものなのだろう。
人間性。
否、人間性などと。
むしろ、その牙を剥き出した獰猛な笑みは、獲物を前にした獣そのものだった。
「くっぬぅ……!」
上下左右、直進から曲射など様々な軌道を描く拳。それを何とか盾で受け止め、防ぐビスレ。
しかし、防戦一方。ギリギリ盾をネジ込んでいるビスレに対し、敵は笑みを浮かべながらの余裕を感じさせる。
いや、敵はわざと防がれる様に拳の射線を操作しているのだ。
ただ抵抗できない相手を狩るでなく、それなりに抵抗させて戦いを演出、戦っているかの様に見せているだけ。
現に相手の防御を誘導し、作り出した隙を縫って的確にビスレに攻撃を当て続けている。
ビスレの職業は防御力に特化したヘヴィウォール。
既にヘヴィウォールの防御スキルであるオートシールドは薄紙のごとく引き剥がされ、見る影もない。
遊んでいる。
まるで獲物を嬲るネコの様に、この男はビスレを丁寧に延命しているのだ。
獣の様な獰猛さだけでなく、同時に時計の様な精密さまで併せ持っている。
それが可能とした力を、この男はこのショーを作り上げる事で証明してみせているのだ。
「ヒール・ヒュージ!」
後衛に控えていたヒューイが回復魔法を唱え、傷ついたビスレの体を癒やしていく。
ただ、それももう幾度となく繰り返されたやり取りだった。
「オイオイ、それでいいのかぁ!?」
ビスレが側面から抉る様な一撃をかろうじて盾で防いだ瞬間。
ビスレの後方で鈍い音が響いた。
「!?」
ビスレの盾をすり抜け、ヒューイの側頭部に突き刺さる蹴り。
一瞬の空白。
ビスレの視界を盾が遮ったそのわずかな瞬間、ヒューイの頭が真っ逆さまに硬い床へ叩きつけられた。
胴を軸に宙に振り上げられたヒューイの脚が、舞い散る破片を弾きながら床に倒れ落ちる。
「ヒューイッ!?」
「お前らじゃもの足りねぇな。そろそろ終いにしようやッ!」
とっさにビスレは背後のヒューイを振り返った。
しかし、その視界に飛び込んできたのは、既に自らの喉元に触れる寸前の足刀。
視界の端にはピクリとも動かないヒューイ。
蹴りがこちらに迫っているのはわかっている。それが既にどう足掻いても自分の実力では回避できない事も。
意識だけがその行き先を見据え、盾を持つ左腕が鉛みたいに重くついて来ようとしないのをビスレは苦々しく思った。
そうして、ビスレは最後に一度、瞬きをした。
笑みを浮かべる敵の顔が瞼の裏に消え、直後に来る運命をしかと待ち構えながら、ビスレは再び目を開けた。
そして、高速で迫る蹴りを覚悟し――
「な……にぃ……ッ!?」
――しかし、それは訪れなかった。
ビスレの視界に映ったのは、蹴りを放った態勢のまま――真っ逆さまに頭から床へ突き刺さった敵の姿だった。
「遅くなってごめん」
私は敵の足刀とビスレの間に割って入り、間一髪敵を投げ倒してビスレを助け出す事に成功した。
ビスレを背に庇い、一瞥する。どうやらかろうじて無事のようだ。
ヒューイの方も意識は混濁しているものの、命に別状はなさそうだ。じきに復帰できるだろう。
それだけ確認すると、私は目の前の敵に意識を向けた。
「あんた……。た、助かったよ」
ビスレが地面に倒れたヒューイを助け起こしながら、私の背中を見上げている。
まるで正義のヒーローでも見る子供の様な目だ。
ヒーローには少し力不足かも知れないが、今この瞬間はヒーローにも負けないくらいの気概は持ってきたつもりだ。
私は私の出来る限りの事をしよう。
そんな視線を背中に感じつつ、私は全身に力を充実させていた。意識を集中し、感覚を研ぎ澄ませる。
数瞬の後に待ち受けるその瞬間に向けて。
そして、目の前の敵が起きるのを待った。
「テメ……。何しやがった……?」
顔に付いた埃を拭いながら立ち上がった敵。
痛みか困惑か、首を押さえ顔をしかめている。
先程まで優勢に戦いを進めていた所で、突如身に降りかかった出来事に頭がついてきていないようだ。
「もう一度、やってあげようか?」
そんな相手を誘う様に見据え、構えを取る私。
敵もそれを待たず、床を踏み砕き矢のごとく前へ飛び出した。
考えるより先に体が戦いへと反応する。
敵も、私も既に戦意は満ちている。
心の器に満ちた、力と技、経験と覚悟、そして敵意が混ざった熱いもの。
言わずとも、わかる。
相対すればその赤く滾った中身をぶちまけ合わずにはいられない性分だと、私達はわかっていた。
だから目が合った瞬間、それが合図となった。
「おうッ! 見せてみやがれッ!」
突き出された拳が私の視界を覆った。
風が前髪を揺らすより早く、その腕を取り足を払う。突進してくる相手の勢いを乗せ、その下に潜り込み背負い投げた。
「同じ手が通じるかッ!」
投げられ様に床を蹴って勢いを上乗せ。投げのタイミングより早く体を回転させた敵。
そして、床に叩きつけられる前に両足で床に着地。空いた手による手刀を私の頭部に振り下ろしてきた。
体を翻して手刀を避け、相手の胴を蹴って私は距離を取った。
手刀の描いた殺気が頬をヒリつかせる。
この一瞬のやりとりで相手の実力が垣間見えた。
あの速度。一度見ただけであの投げに対応し、反撃までしてきた。
私も一連の流れは予測していたが、反撃に至るはずだった所をそうさせてもらえなかった。
徒手空拳の対人戦、それも相手は格上。
しかも、レベルだけじゃない。腕前も確かだ。勝ち目は薄い。
だけど、やってやれない事はない。
これまでの人生、リアルでは自分より強い敵と戦う事なんて日常茶飯事だったんだ。
ならば、全力でぶつかって乗り越え、叩き潰すだけだ。
頭は冷静。調子もいい。今日の私は昨日より強い。
自然と笑みが浮かんだ。
「面白ぇ! ステゴロで俺と渡り合えたのはお前で2人目だ! ハッハハハッ! やっと楽しくなってきやがったぁッ!」
獣じみた脚力に再度床が爆ぜ、敵の姿が視界から消えた。
舞い上がった埃の匂いにツンと鼻の奥が痛む。
地面を蹴り、後ろに跳んだ。
私が蹴り上げた足が、地を舐める程低い姿勢でこちらに駆けていた敵の額を掠める。
後ろに退く私の鼻先に顔を寄せ、踏み込む敵。
内からネジり込まれる拳を、私は相手の左側面へ回り込んで距離を取った。
「それにその速さ! てめぇも何かやってやがるな!?」
互いに相手の視界をギリギリ掠める程度の速さで駆け回っている。
獣身覚醒並みの速力を宿す相手に生身の体でついていく為、私もカードを切っていた。
ちら、と目配せした先に見えたのは、扇を握って固唾を飲んでいるジノの姿。
ジノには私に速度を上げる付与魔法「フェザーシューズ」をかけてもらっている。
私も獣身覚醒を使う手もあるが、持続力に難がある上、長期戦が想定される今はまだ使う時でないと判断した。
それと、レベルが20を超えた辺りから戦闘中にスタミナ値が尽きる心配もなくなってきた。以前の様に戦闘が多少長引いても動きが鈍っていく事は、最早ない。
「俺はリゴウ。魔王軍最強の格闘者・リゴウだ! 覚えとけッ!」
おかげで、今現在の私の地力を存分にぶつける事ができる。
「ミケ」
渦巻く闘気の中心で、ぶつかり合う剣戟が鳴り響く。
それは最早武器同士が叩き合うというより、山程もある大岩が地形を抉り合う様を思わせる程の激しい衝突。
その刃が激突する度に、迸る衝撃波が地面を切り裂いていく。
「大地を洗う光の雫よ! 眼前の敵を踏み均せ。巨神の踵!!」
交えた剣を弾きながら上段に振り上げ、王が聖言を吠えた。
途端、ゼフォン達を一飲みにする巨大な光の滝が頭上から降り注いだ。
天を覆う光の大瀑布。眩い光がわずかに残っていた天井を吹き飛ばし、圧倒的な暴力となって押し潰しにかかる。
光を浴びた石片が瞬間、粉々に碾き潰された。
「ギガルオ・ガ・シルディーオ!」
大地を揺るがす超重量の光の束を、しかしそれに匹敵する光の盾が押し留めた。
バチバチと光の粒子が軋みを上げ、その鍔迫り合いの余波だけですら周囲の壁や床を貫き破壊していく。
「ウルレイテ! そのまま支えとけェ!」
ガーチが声だけ後ろを振り返った。
その呼んだ先にいたのは、青いドレスと髪のエルフ族の女。
ゼフォン達の後ろで状況を俯瞰的に見ていた後衛のディバインオーダーだ。
「どうぞご随意に。こちらはお気になさらず、死の気配はわたくしめが全て払い除けましょう」
涼風の様な声が淑やかにそう返した。
石をも粉砕する圧力に対して、天に掲げられた手。大樹をいくつも束ねた程もある光の奔流に比して、圧倒的にか細い身でそれを支えていた。
その実力は疑い様もない。獣神憑依の影響で加速した中で、王とガーチ達の応酬に難なくついて行っているのだ。
支援職として高い実力を持ち、それだけでない戦闘力も兼ね備えている事は想像に難くない。
ウルレイテ。
そう呼ばれたこの青い装束を身にまとったエルフ族の女こそが、数多くの精鋭の中からこの場に至った魔王軍陣営最高のディバインオーダーなのだ。
ウルレイテが光の大瀑布を支えるその真下で、2つの影が武器を振り上げた。
降り注ぐ光を避ける素振りも見せず、前に出るゼフォンとガーチ。
刃を振り下ろし、目の前の獲物に食らいつく。
身を焦がす程の暴威を振るう王に、その圧力を跳ね返し刃を届かせる為に。
「槍よ! ディミティス!」
しかし、その切っ先を難なく弾いた光の槍。
王の背後を侍る様に、空中に収束した光の粒が無数の槍を形作っていく。
その長大な刃が散弾のごとく一斉に射出された。
片手斧も黒い刃もその切っ先を届かせる事なく、遠く距離を開けていく。
横殴りの雨を想起させる槍の群れを黒い剣が斬り払い、盾が突き立つ槍に抉られながらも受け止めた。
槍の雨はその暴力的な数で敵を押し返し、さらに床や壁をも囓り取っていく。突き刺さった槍が後続の槍に叩かれ、さらに続く槍に砕かれても尚新たな槍が降り注ぐ。
攻撃は一瞬だったにも関わらず、受けた者にとって一瞬を何分、何時間にも感じさせる程の攻撃密度。
焼けた石材の焦げ臭さが通り過ぎ、鈴を掻き鳴らした様な金属質の騒音が止んだ時。
残された惨状は正に地獄にあるという針山と化していた。
魔王軍の中で間違いなく最精鋭を誇る3人を相手に、それでも圧倒的な力で君臨する王。
構えた剣を正面に構え、追撃を止めて敵の行動を待つという余裕すら見せていた。
「……やァっと目が慣れてきやがったァ! それにそろそろ抑えもきかねェ! 俺ァ仕掛けるぜェ! ゼフォン!」
それでもガーチは、ゼフォンとウルレイテにも一切の揺らぎは無い。
むしろ苛烈に燃えるガーチの瞳は、眼前で叩きつける様な闘気を放つ王に釘付けになっている。
嬉々としてガーチはその力を存分に振るえる相手を求めていた。
金庫扉程もある分厚い盾に突き立つ幾本もの光の槍。それが光の粒となって消えていくと深く黒い穴が口を開けた。
貫通しているものもあり、痛々しい様を晒している盾。
そんな盾を前に掲げ、ガーチは鱗に覆われた口元をひび割れる程に深く引き上げた。
「…………」
ゼフォンも幾度も繰り返した形に再度剣を構えた。
相手に向けた剣。
そして、研ぎ澄まされた視線。
ゼフォンは見ていた。
相手の一挙手一投足を。眼前の敵に集中し、その姿、その動きを、絡みつく様に。
尚且つその視界は王だけでなく、この場に存在する動く者全てをも捉えているらしい。敵も味方も全て意識に収め、脳内で戦況を瞬時に分析している様はまるで機械だ。
そうして爪先を詰め、足を前に出したゼフォン。
そんなゼフォンだったからこそ、その白い髪が不意に感じ取った風に気づいたのだった。
「ふぬ~ッ!」
雄叫びを伴って振り下ろされた三日月形の刃と、燃え上がる炎の塊。
「!」
頭上から襲いくる大鎌と火球に、ゼフォンはとっさに跳んで回避行動を取った。
ぐるりと体を翻しながら着地したのは、薄紫色の髪とローブをまとった1人の少女。
「わ、私達だってやる時はやるんです! ハービィ!」
「クア!」
それと、その傍らを飛ぶ赤い小竜。
ゼフォン達と王の間に割って入ったのは、手にした大鎌を担ぎ上げて場違いな程気弱に震えているシェルティとハービィだった。
連続した剣閃が風切り音を上げていく。
重く速いはずの斬撃だが、その切っ先はただただ何もない空間を虚しく往復するだけ。
そんなネストの攻撃を歯牙にもかけず、積み上げられた瓦礫の山を蹴って飛び去っていく黒い影。
視界を上下左右に駆け回るその影に、ネストは翻弄されていた。
「あっははは! せっかく攻撃しないでサービスしてやってるんだからさ。遠慮しないで当ててみなよ。それとも、こーんな美女相手じゃ本気になれないの?」
「うっせー! 自分で美女とか言うなん……正直確かにちょっとタイプだけど! つーか老若男女美人ブス関係なく叩斬ってやるから、そこで正座して動かないサービスも付けろよ! マジで」
横薙ぎに広範囲を斬り払う剣が虚しく風を起こし、やがて力無く地面に落ちていく。
そうして何度も剣を振り、しかし相手を捉える事なく空振りに終わるのも数え切れなくなってきた。
息を切らし、ネストは頬を伝う汗を拭った。
そのネストを、座り込んだ瓦礫の山からケラケラと笑いながら見下ろしている敵。
浅黒い肌と長い耳をしたダークエルフの女だ。
カラスの濡れ羽色の長い髪を後ろで束ね、顔を半ば隠している前髪からは紫色の瞳がイタズラっぽく覗いている。
髪と同じ色のトレンチコートですっぽり包み込まれた上半身。その肩から羽ばたく様に空へ広がる、翼を模した長い袖。
反対に、丈の短い裾から伸びる脚が所在なくフラフラと遊んでいた。
両手で頬杖を着き、ネストを眺めながら目を細める女。
その顔は楽しんでいるものの、いつ飽きて目の前の獲物を仕留めてしまおうか、そんな些細な悩みに困っている様にも見えた。
ネストは剣を握り直し、睨みつける事でまだ戦意が折れてないとアピールする。
折れてしまったら、すぐにでも相手はこの余興を中断して仕留めにかかってくるだろう。
これまでのやり取りでそれだけの余裕と差をネストは感じていた。
「……テレビか何かで見たパルクールってやつみてぇだ。地形とか高低差とか関係無くちょこまか飛び回りやがって……ホントに魔法職か?」
ネストの脳裏に、街中の建物や地形などの障害物をアクロバティックに乗り越え、駆け抜けていく映像が浮かんだ。
今ネストの周囲は崩れ落ちてきた天井や柱の残骸が積み重なり、さながら即席のアスレチックコースの様相を為していた。
敵は地形を利用して縦横無尽に駆け抜け、人の背丈より遥かに高い瓦礫をも軽々と飛び越え足掛かりにしていく。
そうした立体的な機動を捉える事は、地を這う人間にとって空を飛ぶ鳥を掴むに等しい。
「意外に粘ってくれてるし、せっかくだから名乗っておこっか。私はラゼ。周りからは『鴉羽』って呼ばれてる、魔王軍最っ強の魔法使いよ」
ケラケラと陽気に笑うラゼと名乗った女。
まるでカラスが飛び立つ様に長い袖を振り乱し、ラゼはクルクルと羽の様に宙返りして地面に降り立った。
それから両腕を広げたまま、長い袖を垂らして無防備にネストに歩み寄ってくる。
笑みを浮かべ、余裕をもって、踊る様にゆっくりと。ゆっくりと。
丈の短い裾から伸びる脚が一歩近づく度に、ネストの剣を握る手が強張っていく。
「くそ……。どうする。打つ手がねぇ……」
まともに会話を返す余裕もない。
一か八かソードブレイカー十八番の必殺技の連撃を叩き込むか?
否。そんな正直な攻撃が通じるとは思えない。必殺技は強力だが、欠点は単純な軌道と攻撃前後に生じる大きな隙だ。それをこの敵が見切れないはずはない。
それに、空振り後のあからさまな隙なんて見せたら呆れられて即殺されるに違いない。
相手の想像しない予想外の攻撃……剣を投げつけて遠距離攻撃を仕掛けてみるか?
否。たとえ直撃したってレベルが上の相手を一撃で倒せる訳がない。
そもそも剣士が剣を捨ててどうする。あと、遠距離攻撃は苦手だったとネストは思い返した。
逃げる。
無理。
絶対追いつかれるし、逃げ場なんて無い。見逃してもらえるとも思えない。
魔王軍最強の魔法使い。
尊大に自称するだけの力は持っている。
外で戦ったダークルーラーもそれなりの強さはあった。
しかし、この鴉羽・ラゼは性能、技量共に比較にならない程遥かに高い次元にある。
刃を交えてみて、そう実感を伴っていた。
「こういう素早く飛んだり跳ねたりする相手は空を飛べるアスタルテに全部任せてたから得意じゃないんだよ……。こんな事ならアスタルテに特訓してもらうんだったかなぁ……」
ため息を吐きながら、ネストはそうこぼした。
「あれ? 諦めちゃったの? じゃあ終わらせる?」
「いえ全然! まだまだやれますよぉ! 今から本気出す! ネスト流剣法、極意その1をすぐ披露してやるぜ!」
急に指針を変えた相手に、懸命に全身を使って自己アピールを勤しみ始めるネスト。
もちろんその1なんて無い。
だけどそれによってその2、その3もある様に思わせて相手を飽きさせない作戦だ。
「もういい。飽きた」
なんて事だ。作戦は破綻した。
「気が早えぇよ! せめて極意その1を思いつくまで待ってくれよなぁっ!」
ラゼがくすりと笑って返した。
追い詰められてうっかり作戦の根幹を自白してしまってるネスト。
気づいて冷や汗を流すが、それでも口は止めない。
「俺はなぁ! 空飛ぶ相手は苦手だし、遠距離攻撃も得意じゃねぇ。つーかできない。対人戦での必殺技運用だってサボってて下手っぴ。剣士としてはイマイチ。良くて1.5流。悪けりゃ1.8流くらいか? とにかくお前相手に勝てる気は全ぁ~ったくしない! ホント、見逃して?」
その嘆きは呆れを通り越して憐れみすら感じさせる程。いっそ笑ってやるべきか、という義務感さえ生まれ出てくるくらいに滑稽だ。言っててネストにもその自覚はあった。
「じゅ~う。きゅ~う……。は~ち……!」
ネストが喋ってる間にも、針の様な尖った視線でチクチクとネストを弄びつつ秒読みを始めるラゼ。
数え終わった時に何が待ち受けているか、想像したくない。
「ま、まぁ、落ち着けよ。俺ってばどちらかと言えば得意より苦手の方が多くてさ。俺のモットーはできない事は人に押しつけ、イヤな事も人任せ。苦手なピーマンも仲間に押しつけてるくらいだ」
ジリ、と焼ける様な圧力に気圧されつつも、ネストは唇を舌で湿らせながら続けた。
「好きな言葉は『果報は寝て待て』。嫌いな言葉は1が『努力』で2が『がんばる』。努力したってキライな物はキライだし。がんばっても好きになるとか絶対にムリ。とにかく、ピーマンを喜んで食べてくれる仲間は大事にしろよ」
圧倒的絶体絶命。ヘビに睨まれたカエルもいいとこだ。
最早格好もつかない程無様で、口を開けば開く程醜態ばかり出てくる。
そして、カッコ悪い事言ってるのに何故かキメ顔だ。
「……つまり、だ」
キメ顔ついでに人差し指を立てて神妙に目を伏せるネスト。
「ろ~く、ゼロ!」
突然、 舌舐めずりしながらネストまでの距離を一気に詰めたラゼ。
無情にも途中で打ち切られた秒読み。
ラゼの突き出した掌に紫電に輝く魔法が膨らんでいく。
そんな崩れかけの崖っぷちでネストは――
「アスタルテ! 後は任せたあーッ!」
――カッコ悪く助けを求めた。
そのカッコ悪い叫びに、突如床を蹴り仰向けに空を仰いだラゼ。
そして、突き出していた腕を上空に向けた。
「さっきからコソコソとぉ! バレバレなんだよ!」
その手から細く引き絞った雷が撃ち放たれた。
「スターライトレイン!」
対して上空から降り注いだ光る矢の流星群。
分裂した矢が光線となり、宙で翻ったラゼを掠めて地面を埋め尽くしていく。
「もういっちょうッ!」
雷の矢と流星の矢が交差した背後で、ネストがラゼを一直線に斬りつけた。
宙返りしながら矢も剣も避けて飛び退くラゼ。
双方攻撃は失敗したものの、ちらと見えたラゼの顔には心底楽しそうな笑みが浮かんでいた。
攻撃は当たらない。だが、危機的状況を脱した事で、ネストはようやく忘れていた息を吐いた。
「ネスト」
ネストの頭上とその周囲一帯に影を落とした大きな翼。
空から舞い降りたのは、黒い翼を持つ巨大な翼竜、ワイバーン。
ワイバーンは大きな体をネストとラゼの間に割り込ませたまま、その目はラゼを睨みつけている。
だが、睨みつけるだけで、沈黙を貫いていた。
それは、自身の背に跨がる人物に自らの意思を委ねているからなのだろう。
ワイバーンの背に跨がっているのは白いローブに身を包んだ細身の女性。
金色の長い髪が風に吹かれてなびくのも気にする事なく、緑色の瞳をネストに向けていた。
そこにあったのは、紛れもなくネストの頼りになる相棒の姿だった。
「アスタルテ!」
ワイバーンが広げていた翼を折り畳んで、背に乗る主を促す様に首を下げた。
その背に跨がる主、アスタルテは次の矢を番えながら自分を呼ぶ声に応えた。
「……今度から私の皿に自分のピーマンを移すのは止めてください」
「えっ!? バレてたの!?」
泡を食った様に狼狽えるネストとの気の抜けるやり取り。
しかし、アスタルテは引き絞った弓を目の前の敵に向け続けていた。
「やるじゃん。さっきまでと違って鋭い一撃だったよ。私とやり合ってた時のヘッポコ具合はずっとブラフだったんだね」
少し短くなった髪の先端を指でなぞりなら、ラゼは深く笑った。
「まぁな。これでちょっとは楽ができると思ったら、力が湧いてきたんだ」
舌を出すネスト。
「相変わらずネストは……頼りになります」
小さく嘆息するアスタルテ。
「ふふっ。2人がかりならもう少しは勝負らしくなるかもね」
2対1となり、戦力差は縮まった。
だが、それ以上にネストの表情が変わった。
軽口を叩き合っているだけにも関わらず、その顔は先程までと明らかに違う。
その答えは間もなく始まる第2ラウンドが教えてくれるに違いない。
そんな2人のやり取りを見ていたラゼも、弾む足を大きく前に踏み出したのだった。
次回投稿は19日午後8時予定です。
次回第73話『魔王軍最強の格闘者』
お楽しみに!