70・白亜の宮殿 アルテロンド王城
「お城の中なんて王様との初顔合わせ以来だから、どこ行ったらいいのか全然わかんねーな」
広いエントランスホールにネストの声が響いた。
私達はガディンによって粉々に壊された城門を乗り越え、王城のエントランスホールに侵入した。
真っ先に出迎えてくれたのは大理石の大きな階段だった。
大勢で並んでも十分な余裕がある広さに、手すりには贅を尽くした細工が施されている。
その中央には赤い絨毯が階下から3階ものフロアを吹き抜けにした上階へと来客を誘っていた。
「私も……城郭の1階にあるカフェなら何度か足を運んだ事はあるのですが……」
アスタルテも腕を抱えながら、3階まである吹き抜けを見上げた。
アルテロンドの王城は王の居城である本殿を取り囲む様に城郭がまず立ち塞がっている。
城郭といっても多くの部屋が並んだ別棟の様なものであり、いくつかの区画は店舗としても解放されている。
それ以外にも礼拝堂や美術館、豪華絢爛な回廊など、様々な見所を誇る観光スポットとしても有名なのだ。全3階の全てを回るとなると、軽く1日を費やす程の広さを有している。
それらを越えた先にようやく本殿がある。
だが、その先に進む事はできない。
「それも仕方あるまい。本殿の扉には24時間門衛が番を務めており、侵入はできん。仮に門衛をかわしたとて、扉にはシステム的な保護がかかっている為開ける事はおろか破壊も不可能だ」
ソディスが説明した。ちょっと自慢気だ。さては試したな、コイツ。
「つまり、中の事は誰も知らない……と」
「魔王軍陣営の者にしか開けられない仕様なのだろう。それに、裏を返せば中を知らぬ敵も踏破に手間取るはずだ。追いかければ間に合うやも知れん」
階段の上に視線を向けるネストとソディス。
「お~い! ソディスの旦那ァ!」
ふと、外から誰かが手を振りながら瓦礫を乗り越えてきた。
「索敵終わったが、やはりもう外にゾンビ以外の敵はいねぇみてぇだ」
「早速進むんで?」
「準備はできておりますよ!」
3人の男達だ。
彼らはさっきの戦闘でアスタルテに助け出された味方の生き残りだった。
たった3人にまで減ってしまったが、いずれも死線を潜り抜けた猛者達だ。
人族のソードブレイカー、長剣使いのドルガン。レベルは89と3人の中で最も高い。
角刈りに日焼けした肌の威勢のいいおじさんだ。
同じく人族のヘヴィウォール、大盾と短槍使いのビスレ。
レベルは83で丸っこい体型の大男だ。
手にした大きな盾でもその体は収まりそうにない。
見た目通りどっしりと落ち着いた人物のようだ。
それから、ディバインオーダーのヒューイ。同じく人族でレベルは75。
黒いカソックをまとった濃~いひげ面の男だ。
物腰の柔らかい紳士なのだが、目が合う度にむわっとした濃い笑みを浮かべてくる。とりあえず、悪い人ではないようだ。
「うむ。行こう」
ソディスは3人を一通り見回すと頷いた。
「おねーちゃん。さっきは加勢してくれてありがとよ! おかげで助かったぜ」
ドルガンを筆頭に、それぞれアスタルテへ感謝を伝えていく3人。
「こちらこそ。頼りにしています」
アスタルテはそれだけ応えた。
その瞳は鋭く、既にこれからの戦いに意識を向けているようだった。
往々にして強者は戦闘に対してストイックにならざるを得ない場合が多い。
その冷たく映る態度は甚だ周りとの距離を開けてしまう事もある。
「なぁ、ところで。外の大槍は回収しなくていいのかい?」
ドルガンが外に親指を向けた。
「構いません。ヴェイパートレイルが正常に機能するのは一度きりですので」
回収は後回しにする事にした。
あの絶大な攻撃力の武器。
巨大馬上槍・ヴェイパートレイル。
ユニーク武器の中でもかなり特殊な部類にあるんだとか。
あの巨体と重量。あれだけでアイテムボックスの容量をほぼ使い切ってしまうそうだ。
なのでウインドウによる遠隔操作で片付ける事もできるのだが、今はソディスから受け取った回復ポーションなどのアイテムをその空いた容量に収めている。
攻撃には何度もMPを武器に注いで内部に推進力となる風魔法を溜め込む必要があり、使用後もクールタイムが丸1日もあるという。
それに、あの有り様を見るに使用ごとに修理の必要もあるだろう。
その扱い難さと絶大な攻撃力を天秤にかけて、見合ったものになるかどうかは使い手次第。
「しかし、あれはあんたの虎の子だろ? 俺達を助ける為に大事な従魔もほとんどやられちまったんだしよ」
そうドルガンの言った通り、さっきの戦いでアスタルテの従魔はキャンディーを残し全滅していた。
それでも、あれだけの敵を倒して生還できたのは運の要素も大きかったはずだろう。
「構いません。従魔は1時間の経過で自動的に復活します。ああしなければ倒せなかった程の強敵だったのです」
それに対し、アスタルテは抑揚のない声でそう応えた。
「そうか……すまん。ありがとう」
「それに、使いどころは間違っていなかったと信じていますから」
ずっと変わらないアスタルテのポーカーフェイス。
だけど、自らにかけられた感謝の言葉に、その頬は少しだけ綻んでいた様に見えた気がした。
私達は階段を登り、本殿に通じる通路を進んだ。
両隣には扉が並び、奥へと続いている。
「ジノ、シェルティ。城内に入った。無事か?」
『ソディス! こっちは大丈夫。……さっきから戦闘音はしてるけど、どんどん遠く離れていってるみたいだし。そっちは無事?』
「ああ、ミケも健在だ」
『ジノくん。準備オッケーです! ソディスさん、ミケさん! 待ってて下さいね~!』
ジノもシェルティも無事なようだ。
聞こえてきた声から、シェルティもようやく元気を取り戻したみたいだった。
「シェルティも壮健そうで何よりだ。して、2人共今どこにいる?」
『聞いて驚け。調理室だ!』
「ほう。それは僥倖」
『ボクらだってただ隠れてた訳じゃないのさ』
ジノの特技は料理だ。
お手製の料理にはアルケミストであるジノの装填魔法を封じ込める事ができる。
隠れていただけでなく、戦力の強化もできたようだ。
「では今から出てこれるか? すぐに向かう」
『は~いっ! じゃ、私達も今行きますね。……あ』
シェルティは犬が散歩にでも行くみたいに軽やかな返事をした。
嬉しそうに動き出したようだったが、ふとその声が止まった。
『どうしたんだよシェルティ?』
『今、誰かこっちに来る足音が聞こえるんです……けど。扉、開けちゃいまして……えへ』
『えっ!?』
シェルティから漏れた乾いた笑い声が虚しく響いた。
ジノからも凍りついた様な声が上がった。
敵は攻略へ向けた最強の布陣で揃えているはずだ。
それは、あのガディンや他の強敵達以上の脅威に間違いない。
ジノやシェルティでは戦う所か逃げる事さえも極めて厳しいだろうと思う。
私達の首にも冷たい汗が流れた。
「シェルティ、ジノ! 我輩もミケと共に駆けつける。今すぐその場から離れよ!」
ソディスが合図するより早く、私達は駆け出していた。
どうか間に合ってくれ。
『あっ! なんか気づかれたっぽいです! 足音が早くなりました!』
『わっ……わっ……! も、もうダメだ! 一か八かで飛び出すぞ! シェルティ!』
『わあぁああっ! 待って! 待ってくださいよぅ! ジノぐんんんん~!』
既に恐慌状態に入りかけているシェルティとジノ。
私達には祈る事しかできないのがもどかしくて仕方ない。
しかし――
「ソディス! こっちも!」
こんな時に!
一本道とはいえ、両脇には部屋がズラリと並んでいるのだ。待ち伏せには絶好の場所だった。
私達の目の前で突然開け放たれた扉に、全員総毛立った。
「『わぎゃあああああッ!??』」
「いや~、まさかこんな所に調理室があるなんてなぁ……」
「はいっ! ごちそうさまでした!」
「おい。誰が、いつ、食べていいって言った?」
頭を掻きながら笑いかけるネストに、いい笑顔で返すシェルティ。
それから、そのシェルティを睨みつけるジノ。
「2人共、無事でよかった」
なんやかんやで無事シェルティとジノの2人と合流できた私達。
私達のいる辺りはどうやら城で働くNPCの居住エリアらしい。
2人が逃げ込んだのはレストランの厨房に続く待機所だったそうだ。
屋上に続くオープンテラスのレストランで、外の庭園や本殿を一望できる人気のスポットなんだとか。
ジノはよく食べに来ているそう。
2人が耳にした足音は私達のものだったというオチだ。
ちょうど部屋から飛び出した2人と、駆け足で部屋の前に差しかかった私達が遭遇したのだった。
というか、それなら扉から飛び出ずにレストラン側へ逃げればよかったのに。合流できたから結果オーライだけど。
「いやぁ~、ビビりました。ホント、今度こそもうダメかと……」
「まったく……。そんなに怖かったなら、別にお前1人ログアウトしてもよかったのに……」
「1人泣いてるジノくんを置いて、私だけ逃げるなんてできませんよぅ」
「泣いてたのはお前だろっ!」
シェルティは怖がりなのか勇敢なのか。
まぁ、何にせよ元気そうでよかった。
「よし! これで味方は大体揃ったと思っていいのかな? 自己紹介しようぜ! ホラ、名前知らないと戦闘時に困る事もあるだろ?」
そんなこんなで先へ進もうとしていたら、ネストが手を叩いて皆の視線を集めた。
確かに、初対面の人も多くなってきたし、やっておいた方がいいかも。
私はソディス、ジノ、シェルティと顔を見合わせると、それぞれに頷いていった。
他からも肯定の声が上がり、一同は一旦急ぐ足を緩めた。
「じゃ、言い出しっぺの俺から。俺はネスト。レベル60のソードブレイカーだ。好きな食べ物はクリームあんみつで、趣味は甘味処巡り。よろしく!」
白い歯を光らせたネストから自己紹介が始まった。
趣味とかいるか? とも思ったけど、流れで私も「筋トレと道場破り」と答えてしまった。道場破りは昔ちょっとかじってただけだ。今はしてない。そんな目で見ないでほしい。
一通り自己紹介が済み、最後の1人へと順番が回った。
「アスタルテ。レベル61のサモナーです。どうぞお見知りおき下さい」
淡々とそう述べたのはアスタルテだった。
感情の見えにくい、ポーカーフェイス。丁寧な口調は礼儀正しさよりも、人との距離を突き放す冷たさを孕んでいる様に思えた。
陽気なネストとは対称的だ。
例えるなら機械。冷静で、目的を遂行する事のみを求める人形の様。
その整った顔もまたそんな印象を際立たせていた。
だけど、少しそれは違った。
「噂に聞いていた通り、いえ、それ以上でした」
再び先へ進もうとしていた私に、ふと声がかけられた。
アスタルテだ。
その表情とはうって替わって力強い熱を帯びた瞳。
この感じ。
アスリートや武道家の中でも稀にいる、力や強さを真に極めようとする者。求道者の様だった。
確かに、先程の戦いも傍目に少し見たが、先週の侵攻クエストの時よりさらに覇気を増している様に感じる。
侵攻クエストでは格上だった敵領主、ヴェイングロウに敗北したとの事だったが、それよりさらに格上の敵を見事倒してのけたのだ。
その上達ぶりを疑う余地はないだろう。たった1週間でここまで腕を上げるとは、余程の執念を感じさせる。
これまでも私に対して挑戦状を叩きつけてくる輩はいたし、手合わせでも挑まれるのだろうか。
「決闘狂との戦いも話に聞いています。先程の戦いも、あなたは隔絶したレベル差をものともせず強大な敵を打ち負かした。私はあなたの様に強くなりたいと強く思っています。ミケ」
少し身構えていたのだけれど、その目に灯るものは敵意や挑発的なものとは違う。
鋭い目付きではあるものの、まるで少女の様に輝く瞳。これは尊敬や敬意に似た、そんな所だろうか。
……私の様に、だなんて。そんなストレートに言われると少し照れる。
「ありがと……えっと、アスタルテ」
私は頬を掻きながらそう返事をした。
「前回の侵攻クエストの時、私は格上とはいえ敵領主との戦いに敗れました。あれから短期間とはいえ私も鍛練を積んだつもりなのですが、あなたから見た私の実力について助言していただけないでしょうか?」
ポーカーフェイスでずいと詰め寄るアスタルテ。
意外とグイグイ来る人なのね。なまじ顔立ちが整っている分迫力が強いんだけど。
少したじろぎつつも、私は答えた。
「助言……むう。あくまで私の経験値と主観になるけど」
「ほう」
まだそれだけしか言ってないのに、もう私とアスタルテとの距離が半分にまで圧縮された。
答える。答えるから落ち着いてほしい。
「弓の命中精度は申し分ないし、特に仲間のモンスターとの連携はすごい、と思う。だけど――」
それから、拙いながらも私が見た限りでのアスタルテの長所や短所、体の使い方や立ち回りなど伸ばせる所や修正箇所などを述べてみた。
私はまだアスタルテの事をよくは知らない。的外れな事も多々あった様な気もするんだけど、それでもアスタルテは齧りつく様に私の話に聞き入っていた。
「なるほど。大変勉強になりました。私の未熟を深く痛感すると同時に、尊敬の念を禁じ得ません」
そう言って胸に手を置き、深く頭を下げるアスタルテ。
ちょっと反応が大袈裟だけど、どうやら満足してくれたみたいだ。
私も足りない語彙力でがんばった甲斐があったというものだ。ふふん。
これまでの人生、私のナリを見て侮ってくる者や敵対心を抱く者。私と戦い、復讐心に燃える者や恐れを抱く者。
逆に一目置いてくれる人は数多くいた。
けれど、互いに研鑽し合おうという者は初めてだった。ザキだって「むり」って、とても教わろうなんてしてくれなかったし。
こんな風に接してくる相手は今までなかった。
少し戸惑い困惑もしたが、私も……悪い気はしない。
きっと、アスタルテが私に近い才能を秘めているからなのかも知れない。
まだまだ荒削りだけど、この先大きく伸びる可能性を持っている。それこそ、私を超えていく可能性だってあるんだ。もちろん、私だって負けるつもりはない。
そうして互いに切磋琢磨できる関係を築けるかも知れない相手だからこそ、こんなにも嬉しいんだと思う。
そうして、アスタルテはよく見なければ気づかない程に、かすかに顔を綻ばせた。
「いずれ、手ほどきをよろしくお願いします、ミケ」
「わかった。アスタルテ」
私達は外郭を抜け、本殿へと続く渡り廊下へと出た。
いくつもの巨大な橋桁に支えられた白亜の橋梁。3階もの高さにかけられた橋だった。
その手すりから見える足下には、外の庭園にも劣らぬ中庭が本殿を囲む様に広がっている。
馬上槍を模した高い柱に両脇を挟まれ、橋は奥へと続いていた。
「あれがアルテロンド王城、本殿」
遠く、町外れからでもその姿は私達にはよく見慣れた、馴染みのあるものだ。
だけど、間近で見るとこれ程大きく、威厳をもってそびえる宮殿に私達は畏怖すら覚えた。
それは、まるで天を衝き立ち塞がる山脈の様に人を寄せつけぬ、触れてはいけないものの様な厳しさを感じさせた。
だけど、雪化粧した山を思わせるその白い城は、かように美しいものかと心を打った。
「門衛は……やはり」
しかし、その純白のキャンバスに落ちた染みの様な黒。
それを見て、ソディスがわずかに眉間にシワを寄せた。
「こりゃひでぇ……」
ネストも口を押さえて声を漏らした。
本殿の入口に空いた穴。門だったそれは、巨大な削岩機にでも抉られたかの様に跡形も無く破壊されていた。
特に目立つのは縦横無尽に走る深い割れ目。門の……否、本殿の前面外壁までもを横切るいくつもの大きな傷跡。
「信じられませんが、これは刀傷です」
アスタルテが扉のあった箇所に指先を触れると、わずかにその声が強ばった。
どれ程の戦闘が行われたのか。建物ごと門衛はこれにやられたのだろう。これ程の一撃、受けたとしたらひとたまりもない。
「うおっ!?」
私達が門に釘付けになっていたら、突然けたたましい破壊音が耳をつんざいた。
見上げると本殿の遥か上階で壁が吹き飛び、煙が上がった。
降り注ぐ石材の破片を避けながら、私達は遠く豆粒くらいに小さく見えるそれを眺めていた。
「戦ってる……」
きっとギネットさん達だ。
まだ生きて、戦っている。
「行こうぜ! まだ間に合うかも知れない!」
ネストが門に空いた穴を潜っていき、私達もそれを追った。
門を潜り、進むとすぐに廊下は左右へと真っ二つに分かれた。
「先程の位置は城のやや右手側でした。進むなら右でしょう」
断続的に聞こえてくる破壊音も右の通路からしているようだった。
弓を担ぎ直したアスタルテが先を窺い、私達を振り返った。
「いや、待つのだ」
だが、右の通路に歩を進めようとしたアスタルテをソディスは止めた。
「アルテロンド王城は戦う為の城塞ではない。居住を目的とした見せる為の宮殿であろう。ならば、内部の造りは恐らくシンメトリーになっているはずだ」
美しさを見せる為の建築物はシンメトリー、つまり左右対称である事を是とする価値観もあるという。
「だとすれば、反対側を行けば先に玉座の間へとたどり着けるかも知れん。ギネット達も引き際を誤る事はないはずだ。そこで合流し、迎撃する」
妙に確信めいたソディスの物言いに、アスタルテやネストからも反対の意見は上がらなかった。
ギネットさんと付き合いの長いソディスだからこそ、わかる事もあるのかも知れない。
それに、ソディスには何か考えがあるようだった。
「うっし。了解だぜ、ソディスさんよ!」
拳で掌を打つネスト。
私達は一様に頷くと、左の道へと進んでいった。
「ミケ。今の内に装備を調えよ」
私達が王城本殿の廊下をひた走っていた時だった。
城内を満遍なく巡る回廊を北へ南へと翻弄されながらも進んでいた。
時折兵士らしきNPCとすれ違う事もあるが、私達に対して反応はほとんどない。敵にしか反応しない設定なのかも知れない。
反応が得られないと分かり次第、すぐに私達は先を急いだ。
探知魔法で罠の有無を調べながら進んでいるが、どうやらその心配はないようだ。
見せる為の造りとはいえ、この馬鹿でかい城を隅々まで招き導こうというコンセプトは今の私達には焦りを生む要素以外の何でもなかった。
「装備? ……あ」
ソディスが私の格好を見てそう言ったのだった。
そういえば、ガディンとの戦闘でコートに大穴を開けられていたんだった。背中が少し涼しい。
思えばこのコートもずいぶん長く着ている。破損しても簡単に修理できる安物だったので、今ではちょっと愛着も湧いていた。
アイゼネルツで買って以降ずっとだから、レベル9の時からだ。
私の装備は籠手とすね当てに装備可能な重量のほとんどを費やしている。
それ故、それ以外の装備品についてはかなり重量を抑えていた。
というか、ほぼ無頓着だったと言ってもいい。
そろそろ、いやとっくに替えてもいい頃でもあった。
「でも、替えの服なんて……げっ」
あった。
もっと強力で有用な装備が。
軽量で頑丈。魔法防御力なら十分過ぎる性能を誇る服が、私のアイテムボックスに眠っていたのを思い出した。
むしろ記憶に蓋をして封印してた。
「……装備・『緑玉の百合』」
私は少し躊躇しながらアイテムボックスを開くと、そのちょっぴり刺激的な服に袖を通した。
まさかまた着る事になるとは……。
それは私の髪色と同じエメラルドグリーンの生地が足元までをゆったりと覆った東国の着物っぽい衣装だ。
広い袖から花の様に咲くピンク色のフリル。
下半身はパンツスタイルのままお腹を黒のコルセットで覆い、その上を赤紫の帯で結んでいる。
そして何より布があるのは左側だけで、右半身は素肌に黒のマイクロビキニ。
素材は極上。左側に防御力を集約させた、ソディス謹製の和装カスタムだ。
性能は申し分ない。
唯一の欠点は外見が羞恥心を掻き立てる事と、脱げない事だ。
今はまぁ、その必要はないが。
「到着したみたいだな!」
「どうやら敵に先んずる事ができたようですね」
警戒しつつ先を進んでいたネストとアスタルテが足を止めた。
その先は分岐となっており、恐らくこの城の終点だと思われる。
正面にまっすぐ進む廊下は恐らく最初の分岐がここで合流したのだろう。
ここまで城を隅々まで巡る様に建物を行ったり来たり、階段を登って上階へ移動してはいたものの、通路の広さにさほど変化はなかった。
だが、今目の前に現れた階段とそれが向かう先にある扉はいかにも大仰な造りで、装飾もカネがかかっていそうだった。
皆図らずも階段の最上部に控える大きな扉を見上げていた。
平時ならその装飾の美しさに見入ってしまっていたかも知れないが、あいにく今はそんな余裕はない。
それより待って。私の格好について何か一言お願い! 逆に気になるから!
しかし、誰もそんな私の心の内を気に留める事はなかった。
「あ。揺れが……近づいてきてません?」
ふと、シェルティが足下に視線を落とした。
「ホントだ……うわっ!?」
ジノがそう呟いた瞬間、全身が跳ね上がる程の揺れが私達を襲った。
城全体が激しく揺れ、とっさに壁に寄り添う者や思わずしゃがみ込む者もいた程だった。
「これが……戦いで起きる振動かよ!?」
ネストが軋む天井を見回しながら剣を抜いた。
私も足を踏ん張り、迫る崩壊音に耳を澄ませていた。
遠くに聞こえる破壊の喧騒。
遥か足下の向こう、いくつもの壁を挟んだどこか。少しして、階下だったそれは同じ階の高さに上がってきた。
ここからいくつか部屋を越えた所まで近づいている。
やがて武器が交わる金属音が、ここと同じ通路に出たと教えてくれた。
そして、それは目の前の曲がり角の先にまで来た。
小さな影が通路の角から転がり出てきた。
「ギネットさん!?」
それは私達がよく知った人だった。
全身にいくつもの赤い傷痕を刻まれ、装備品も見る影もなく破損している。
だが、満身創痍ながらも何とか生きている。武器の大槌を杖に立ち上がろうとしていた。
「姐さん!」
いち早く飛び出したのはドルガンだった。
「来るんじゃないッ!」
ギネットさんが叫んだと同時だった。
突然見えない衝撃が足下から床を突き上げ、天井までもをまとめて吹き飛ばしたのだ。
爆ぜる壁の破片に混じって、ドルガンの右手足が斬り飛ばされたのが見えた。
「ド、ドルガン!」
ビスレが崩れ落ちる仲間の姿に目を見開いた。
「一……撃で、終わってたまるかよッ!」
だが、ドルガンは残った左足を踏ん張り、耐えた。
そして、慣れない手つきの左手で剣を抜き放つと、粉塵が立ち込める向こうを見据えて構えた。
「姐さん! 俺はもうダメだ! 行けッ! 行ってくれ!」
ドルガンの声に、ギネットさんが大槌を引きずりながら駆け出した。
「すまない……!」
「いいって事よ……! 長くは保たない! 後は頼んますぜ!」
ドルガンは振り向かなかったけれど、その背中からわずかに笑った気配がした。
「ギネット。よく無事であった」
「申し訳ないね……。敵を1人も削れなかった上に、こっちは全滅だ。奴ら、本気でバケモンだよ」
ソディスは言うより早く回復ポーションを取り出し、息を切らせて俯くギネットさんに差し出した。
だがそれより、あれ程の強さを誇ったギネットさんのそんな様子に、私達は戦慄していた。
合流し、すぐに玉座の間へと続く階段に飛び込む私達。
その間にも廊下では床が見えない攻撃に抉られ、勢いよく陥没していった。
私達が階段の向こうへ去る直前、最後に見えたのはドルガンの首が飛んでいく光景だった。
次回投稿は3月5日午後8時予定です。
次回第71話『最悪との邂逅』
お楽しみに!