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ミケのオンラインリハビリテーション  作者: 白ネコ扇子
第6章・チェック
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65・不死身のジミーVS鍛冶師ギネット

「……ねぇねぇジノくん。行っちゃいました? ねえ~?」


「おい、揺するな! 静かにしろこのバカ!」


「あーっ! バカって言った方がバカなんですぅ! 大体ジノくんの方が声大きいですしぃ~!」


 灰色にぼやけた暗がりの中で、あまり控えてるとは言い難い囁き声が反響した。

 円筒形の塔の内部からもうもうと立ち込めていた煙が消え去った頃。

 壁沿いに続く螺旋階段の上から顔を覗かせる2つの影。

 恐る恐る片目を出して階下を盗み見ると、2人はホッと胸を撫で下ろした。


「……ジノ、助かった」


 私も風に揺れる半開きの扉を眺めながら、潜めていた息をようやく吐いた。


 さっき煙幕を焚いた直後、とっさに大声で外へ逃げると見せかけて私達は上階へと隠れたのだ。

 広い屋外で空を飛べる鳥人族相手に鬼ごっこをするのはとても不利だ。見つからず逃げおおせるのは至難の業だろう。

 とりあえず羽音が遠ざかっていくのが聞こえたので、上手く騙せたようだ。しばらくは時間を稼げたと思いたい。

 まだ鼓動が落ち着かない心臓が少し痛む。再会は遠慮したいものだ。


 とは言え、いずれ気づいて戻ってくる可能性は十分ある。

 なるべく早く移動した方が良いだろう。


「はあ~……。何だったんでしょうね。さっきの人」


 緊張感から解放され、シェルティは声を抑えるのをやめた。


「多分、魔王軍のアサシンだよ」


「アサシン? 暗殺者?」


 刺客という意味もあるだろうが、どうやらジノが言うには別の意味もあるようだ。

 私はジノを促した。


「って言うか、職業の事。スカウトの特殊型上位職さ。裏方技能に特化したスカウトと違って、単独での近接戦闘ができるくらい強くなってるんだ。バッドステータスでの妨害や撹乱、隠密などあらゆる手練手管にも長けていて、さながら『前衛型のダークルーラー』なんて呼ばれてたりもする恐ろしい奴らさ」


 「ソディスからの受け売りだけどね」と、ジノは付け加えた。

 ダークルーラーは格下相手に特に強い性能を持っていた。

 似た性質を持っているなら無事逃げられたのは幸運だったかも知れない。

 少し身が震えた。


「で、とりあえずどうする。この後」


 ジノが切り出した。腕を組み、小さく唸った。


「多分、アイツは仲間と合流しに行ったんだと思う。私達も誰かに連絡してこの状況を伝えないと」


「でも、みんな侵攻クエストに出てっちゃいましたし、誰に言ったらいいんでしょう?」


「クウ……」


 シェルティも不安そうにハービィを胸に抱えたまま、その背中に顔をうずめた。


 そうだ。既に侵攻クエストは開始されている。

 誰かにこの状況を伝えたとして、ポータルが使用不能の状態では救援など望めない。

 よしんば誰か残っていたとしても、対人戦に不慣れな初心者くらいだろう。とてもレベル94の精鋭を相手にできるとは思えない。


「……とにかく、ここを出るにしてもクランホームのある商業区はこの大門を抜けないと行けないし、1つ他にツテがあるからそこでソディスを待とうよ」


 ジノは顔を上げると軽く手を打った。

 どうやらこんな時の為にソディスと打ち合わせてあるようだ。それに、ソディスならこの状況について私達より多少詳しい情報を持っているかも知れない。


「そうと決まれば早速出発しましょう!」


 そう言うと、シェルティは胸に抱えていたハービィを頭に乗せて力強く鼻息を吹いた。指針が決まったからか、シェルティの瞳に活気が戻ってきたみたいだ。


 私が頷くと、それに続いてジノも頷いた。



 私は外の明かりが漏れる扉にそっと手をかけ、引いた。

 軋む音を鳴らしてわずかに開いた隙間から外を(うかが)う。

 誰もいない。外の景色を素早く見回し、私は扉を潜った。

 それに続いて体を滑り出させるジノ。


「で、どこなんですか? そのツテって――」


 私達が外に出て階段に差しかかると、最後に扉から出てきたシェルティが外の眩しさに目を細めた。



 その時だった。



「ホホウ。やっぱりいた」


 真上から聞こえてきた声。

 跳ね上がる心臓。

 私達は反射的にそれを仰いだ。


 扉の縁に立ち、覗き込む様にこちらを見下ろす鳥の仮面。

 その仮面がぐにゃりと嗜虐的に歪んだ気がした。


 しまった。騙されたのは私達の方だった。

 戦闘中無音だった羽音。

 なのにさっきは遠ざかる羽音が聞こえていた。

 あれは囮としてわざと聞かせていたのだ。もっと疑うべきだった。

 そんな事にも気づかないなんて。私は心の内で舌打ちした。


 大きく広げた灰色の翼が、空を鋭く振り扇いだ。


「走って!!」


 私の声と同時に、ジノとシェルティはこみ上げる悲鳴を押さえながら階段を駆け降りた。


「ライトニングボルト!」


 唸りを上げて風を切る翼に向けて、私は雷の矢を撃ち放った。


 しかし、嘲笑う様に身を翻し、雷の矢をすり抜けるジミー。


「こ……っの! エンチャント・ブラックレイン!」


 ジノも振り返って手にした扇を空に向けた。

 重力を増幅して相手を拘束する付与魔法だ。仄暗(ほのぐら)い光を帯びた風の刃が空を舞った。


 しかし、既に空に敵の姿は無い。

 同時にジノの背後から首筋にかかった冷たい吐息。


「さっきお前、邪魔したよな」


 ゾッとする声がジノの耳元でした。

 視界から消え、ジノの背後に立ったジミー。その眼光は正に獲物を捕らえにかかる猛禽類そのもの。

 ジノの首筋にナイフがあてがわれ、その持つ手に力が込められた。


「まずひと――」


「ジノッ!」


 2足の靴底が鳥の仮面を蹴り潰した。

 銀色の刃が引き始められる寸前、私はジノの背後に取りつくジミーに飛び蹴りをぶちかました。

 まるで巨岩でできた彫像でも蹴ったみたいだ。手応えが堅すぎる。


「ぶ……っホ……!」


 だが、靴底を舐めさせられたジミーはわずかに態勢を崩し、ジノは逃れる事ができた。


「このボクに勝手におさわりしようだなんてマナーのなってないヤツだな! お前なんかミケの足で満足してろ! この変態!」


 おい。それじゃ私が変態御用達みたいじゃないか。違うからな。

 ジノは罵りながらジミーの腕をすり抜け、階段を駆け降りた。


 だけど、ジミーを挟んで私、シェルティと分断された。ジノ1人が先行していた。


「ホ……。このガキ……」


 ワナワナと震えながら仮面を押さえる手。

 その奥に光る瞳はジノ1人に狙いを定めていた。


「ジノくん!」


 ジミーはナイフを逆手に持ち替え、背を向けて走るジノに飛びかかった。

 叫んだシェルティの声も届いてないようだ。


 私も飛び出そうとした。


 しかし、かすかに振り返ったジノと目が合った。

 その目を見て、同じく飛び出そうとしていたシェルティの手を掴んで止めた。


「逃げるなこの――」


「ドロー・ブラックレイン!!」


 一直線にジノを追うジミー。

 苛立ちに視野が狭まったその油断を突いて、ジノは振り返った。

 そして、予め武器に装填していた魔法を起動。扇を振り抜いた。


「ホ……ッ!?」


 増幅された重力が、空を飛ぶ翼を地面に引き寄せた。


 あれは「引き撃ち」。

 後退しながら射撃で迎え撃つ、私と特訓した戦い方だ。

 まだまだ覚束ない上、戦い慣れた熟練者相手には不安も大きい。

 しかし、挑発に乗り、相手を侮ったジミーは愚直に飛びかかった。ジノはそれに上手く合わせたのだった。

 よく見ている、と私は感心した。先生としてちょっと鼻が高い。


 無様に階段を転がり落ちるジミー。

 私はシェルティの手を引き、手すりを乗り越えて階下に飛んだ。


 シェルティが「ひょえ!?」とすっとんきょうな悲鳴を上げたけど、今は気にしてられない。


 そんなシェルティのフードを掴んで、ハービィも必死に振り落とされない様にしがみついている。

 ハービィもさっきの一合で相手の強さを感じ取ってか、身を縮めて飛び立とうともしない。でも、今は下手に飛んで目立たない方が狙われる心配をせずに済む。自身の飛行速度ではあの敵からは逃げられないと、わかっているんだろう。


「こっちだ! 早く!」


 階下の石畳に着地すると、一足先に降りていたジノが手招きしているのが見えた。

 私もシェルティに目配せし、急いでそれを追った。




 私達は大通りを避け、路地裏をジグザグに走っていた。

 白い石造りの建物に挟まれた狭い道。

 これなら見つかりにくいし、空を飛ぶ鳥人族の機動力も存分に発揮できまいと考えてだ。

 今のところ敵の姿は見えない。振り切っただろうか。


「……で、どこに向かってるんですか!?」


 息を切らしながらジノに訊ねたシェルティ。

 ハービィはシェルティの背中のフードに包まって顔だけ覗かせている。どうやら主であるシェルティの気持ちが伝わってか、ずいぶんと怖がっているようだ。


「あ……うん……ゼェ。えっと……ハァ……」


 先導していたはずのジノは何故か最後尾だ。

 脂汗や鼻水をはみ出させているその顔は、普段のジノを知る人から見たらちょっと表現するに……その、なんだ。可哀想な……感じだ。

 一応知ってるはずなんだけど、このゲームの世界で疲れはほとんど感じない仕様だ。メンタルが虚弱だとこうなるのだろうか。よくわからない。


 仕方ないので立ち止まって休む事にした。


「……方角は合ってると思うんだけど……ゼェゼェ。いつもは表から行ってるし……でも多分大丈夫ゲホ……ッ。目的地は……ちょっと待って……水ちょうだい」


 溶ける様に地面に這いつくばるジノ。

 なんだか戦闘時よりジノがピンチなんだけど。大丈夫かな。


「だらしないですね。私みたいなか弱い女の子よりへばってるなんて。はい、オレンジジュースでいいですか?」


「ありがとう」


 なんて言いながらシェルティも地面に座った。

 それから、アイテムボックスからコップを取り出すと、オレンジ色が揺れるそれをそっと灰色の手に渡した。


「ちょっと、それボクのなんだけど!」


 受け取ったはずのジノが憤慨している。

 なんでだ。


 だが直後、ジノもシェルティも目をまん丸にひん剥いて後ろにひっくり返った。

 あと、シェルティの背中のフードから、隠れていたハービィの潰れた様な声もした。


「ホホウ。ごちそうさま」


 コップを受け取ったその手。

 まるで最初からいたみたいに、その灰色のフクロウは音もなく私達の隣にいた。


 取っ手を握っていた指が開かれ、手から滑り落ちていく空のコップ。

 地面にぶつかった硬い響きが、凍りついた時の中でやたらうるさく聞こえた。


「「ぎゃああああああああっ!!」」


 金切り声を上げながら、虫みたいな速さで地面を這って逃げるジノとシェルティ。


 放られたコップを蹴飛ばし、ジミーの指先が宙をなぞった。

 空中に現れたいくつものナイフ。それを両手いっぱいに掴み取ると、ジミーはジノに向けて一斉に投げつけた。


「うひぃ……!」


 その1本がジノの喉元を掠めて家の壁に突き刺さった。

 慌てて仰け反るジノの頭、腕、脚スレスレに次々とナイフが乱暴に打ちつけられていく。

 背後の家の扉に、昆虫の標本みたいに釘付けにされたジノ。


 そのジノにジミーが一振りのナイフを掲げて飛びかかった。ジミーは執拗にジノだけを狙っていた。


「これなら……どうだ!」


 そのジミーの視界の外から、私はそのナイフを持つ右腕に組みついた。

 不意を突いて腕を取り、私は引き込む様に思い切り投げ飛ばした。


「ぐホッ!?」


 ちょうどしゃがみ込んだジノの頭上に、派手な音を立てて顔面から激突したジミー。

 硬い材の扉に顔を埋めたジミーは、そのままジノのすぐ隣へと無様にずり落ちていった。


 相手の力を利用した背負い投げ。いくら筋力に差があろうと、自身の力で投げられて抗うのは容易ではあるまい。


「ミケぇ……ぐすっ」


「もう怖くない。よしよし」


 ヨロヨロと私に駆け寄ってきたジノを背中に庇う。半べそだ。


 ジミーは拳を扉に叩きつけ、立ち上がった。

 けたたましい音を響かせながら扉にめり込む拳。


「ホホウ。今度は本気で遊んでやる」


 パラパラと破片が地面に落ちた。

 大きく歪んだ口元。言葉とは裏腹に、その苛立ちは最早隠せぬ程に突き抜けているようだった。


 強引に扉から拳を引き抜くジミー。

 恐らく、次の一手はジミーのまだまだ隠している奥の手が来る。


「さて、どうやって料理――」



「さっきからやかましいわッ!! 近所迷惑だよッ!!」



 突然開け放たれた扉に弾かれ、またも羽虫の様に激しく叩き飛ばされる事となったジミー。

 飛んでいった先でさらにまた壁にぶつかり、ジミーは潰れた虫みたいに石畳に倒れた。


「……おや? ジノ坊やにミケちゃんじゃないか。シェルティちゃんもそんな所で何やってんだい?」


 振り返るとシェルティが遠くで壁にへばりついて同化してた。


「ど、どうもですぅ……」


 苦笑いがなんか痛々しいな。

 うっすらと姿を透明にしてるけど、周囲を瞬く小精霊でバレバレだ。精霊族は隠密行動に不向きなようだ。


 扉から現れたのは金髪を頭の両脇で短く結んだ、浅黒い肌の小さな女の子。

 首元まで包む厚手の黒いシャツを着込み、その上に焦げ茶色の革のエプロンをしている。


 そんな体のラインを完全に埋め尽くした作業着姿の女の子が、扉を開けたままの格好で首を傾げていた。


「ギ、ギネットさん」


 地面にへたり込んだジノが震える声で呟いた。

 どうやらここはギネットさんのお店の裏だったようだ。


「どうやらおかしな事になってるみたいだね」


「……ホホウ。また邪魔が入った」


 声のした方を振り向くと、石畳に転がっていたジミーが仮面を押さえながら立ち上がる姿があった。

 ナイフを構え直してギネットさんに向き合うジミー。


 ギネットさんが扉を閉めると、蝶番の壊れた扉が音を立てて地面に倒れた。


「……ったく。その得物、立ち振舞い……アサシンだね。この修理代は高くつくよ」


 ギネットさんはため息を吐くと、小さな体で扉を壊した犯人を睨み上げた。


「ホホウ。そう、オレはレベル94のアサシン。誰が増えようと同じ。たった4人で勝てるとでも?」


 首をキリキリ回しながら、その声には(あざけ)りが混じっていた。

 獲物が増えてか、心なしか嬉しさの様なものもにじみ出ている。


 レベルは上がるに連れて次のレベルアップまでに必要な経験値が多くなっていく。

 それはレベル80に差し掛かる頃になると、1つ上げる為に遥かな頂きをいくつも乗り越える様な長い道のりとなっていく。

 さらに、戦闘不能に陥ればペナルティで減少する経験値もまた膨大となる。より強い敵と戦う事になる高レベルの戦いでは、一度の死ですら深い谷底へ転げ落ちる程の後退となってしまうのだ。


 その永劫とも錯覚する道のりを踏破し、たどり着いた境地。


 レベル94ものアサシンを相手にいくら4人とはいえ、私達と生産職のギネットさんじゃ到底勝てるとは思えなかった。


「ふん。御託はいいからとっととかかっておいで。年季の違いを教えてやるよ。小童(こわっぱ)


 しかし悠然と、ギネットさんはその小さな指先で相手を誘う様に挑発した。


 仮面の奥から聞こえたギリリと歯を噛む音。

 同時に、ジミーの手にしたナイフがギネットさんの首筋へ閃いた。


「ギネットさん!」


 ジノが声を上げ、シェルティは目を覆った。

 ジミーも含め、ギネットさんの命運は尽きたと確信していた。


「……ッ!?」


 砕け散る石畳。

 舞い上がる破片と埃の中。その隙間から、陥没した地面に埋まった上半身が見えた。

 その頭のある位置を押し潰している長柄の大槌。

 そして、それを握る小さな手。


「なんだい。口ほどにもないね」


 瓦礫と化した石畳から、鈍く輝く大槌が引っこ抜かれた。

 足下に倒れ伏すジミーを一瞥し、鼻を鳴らすギネットさん。

 そうして、ギネットさんは身の丈程もある大槌を軽々と肩に担いだ。


 立っていたのはギネットさんだった。


「バ……バカな……ッ!?」


 瓦礫の中から体を起こすジミー。その頭から被った砂埃が流れ落ちていく。

 地に倒れている自分が信じられないのか、その手はワナワナと震えていた。


 いつあんな大きな戦槌を抜き放ったのか。

 私も目で追うのがやっとだった。

 初手で速度のある必殺技を放って出鼻を挫いたのはわかったが、それよりあのジミーが一撃で叩き伏せられたその強さに驚いた。


「立ちな。まさかこれで終わりかい? こっちはまだ扉の敵討ちに全く足りてないんだけどね」


 歯噛みし、ジミーが陽炎の様にゆらりと立ち上がった。

 静かに、逆手に直したナイフを視界の中心に据えて。針の様に鋭く尖る目つきが、まっすぐギネットさんに突き刺さる。

 その構えに最早油断はない。


「いくぞ」


 刹那。薙ぎ払われた大槌が、身を屈めたジミーの頭上を掠めて空を切った。


 懐に踏み込んだジミーのナイフがギネットさんの胴に斬り込む。

 しかし、その刃を受け止めた大槌の柄。


「ホホウッ!」


 その柄を滑る様に、ナイフの刃が握る指を狙って駆け抜けた。

 とっさに大槌を放し、後ろに跳ぶギネットさん。


 やはり大振りになる大槌では小回りの利くナイフに比べて不利だ。

 有利な展開にジミーは笑みをこぼした。


「もらった――」


 その時、ジミーの視界に何かが飛び込んできた。


 武器を放り出したギネットさんを追うジミーの、その顔前に放られた金属製の筒。

 その取っ手状の部品が外れた次の瞬間。


 強烈な閃光がジミーの視界を白く焼き飛ばした。


「うがぁあッ!? め、目が……ッ!?」


 激しく身をよじらせながら、両手で目を掻き毟るジミー。


 あれはスタングレネード。

 強い閃光によって相手の視界を奪う非殺傷武器だ。

 リアルの仕事柄、お目にかかった事がある。


「な、なんだ。これは……攻撃魔道具……!?」


「生産職が道具を使って何が悪いってんだい」


 何でもないかの様に話しながらも、ギネットさんは既に次の行動を終わらせていた。


 ジミーの足下に設置された、いくつもの牙を生やした金属の顎。

 大型魔獣をも捕らえる魔法金属製のトラバサミが、強力なバネ仕掛けでジミーの脚に食らいついた。


「……ッ!!」


 それに気を取られた一瞬。

 唸りを上げる大槌が、ジミーの顔を跳ね飛ばした。


「ゴホぇッ!」


 グシャリとひしゃげた仮面と、軋んだ骨の鈍い音。重い大槌に潰された顔面が、後ろに大きく仰け反った。

 トラバサミから地面に打ちつけられた鎖が、衝撃で激しく叩き伸ばされる。


「まだまだいくよっ!!」


 立て続けに振り下ろされた大槌がジミーの体を打った。

 重いはずの大槌を小柄な体で軽やかに振り回すギネットさん。

 上下、左右に荒れ狂う鉄塊が、身動きを封じられたジミーの全身を削ぐ様に叩き潰していく。


「ホ……ウ……。これで……終わると思うな」


 ジミーが翼を翻し、そのまとったマントを大槌がすり抜けていった。

 かわしざまに、ジミーはナイフをギネットさんに投げつけた。


 体を捩ってそれをやり過ごしたギネットさん。

 すぐ反撃に移り、腰溜めに大槌を構えた。


「んん? これは」


 しかし、突如固まった様にギネットさんの体がその動きを止めた。

 ギネットさんはすぐ背後にかろうじて動く目を向けた。

 地面と、そしてギネットさんの影を貫く刃。


「影縫い」


 アサシンの妨害スキル。

 相手の影に刃物を突き刺す事を条件に発動し、体の自由を奪う効果がある。


「ホホウ。動けまい。悪い手癖を封じさせてもらった」


 脚に噛みつくトラバサミを無数の軌跡が斬り飛ばした。

 頑丈であろう魔法金属が、焼け焦げたサイコロステーキみたいに沸騰音を上げながら転がっていく。

 バラバラにしたトラバサミを尻目に、ジミーはナイフをギネットさんに突き出していた。


 迫るナイフ。

 あわや鈍く光る刃がギネットさんの幼い顔を傷つけようとした時。


「ふんぬっ!」


 しかし、それに合わせた様に、大槌のフルスイングがジミーの顔面を打ち抜いた。


 声もなく、全体重を乗せたであろう勢いを反転させて後ろに飛んでいくジミー。

 ジミーは糸の切れた人形の様にキリキリ回転すると、ややあってそのまま仰向けに倒れた。


 混乱する頭を必死にまとめながら、ジミーは声を絞り出した。


「バカな……何故……動ける」


 ジミーは背中に伝わる冷たい石畳の感触を味わいつつ、視界の端に立つ小さな女の子を見上げていた。


「あたしらくらいになれば装備に抗マヒ効果を付加させておくなんて常識だろ」


「この……オレの影縫いだぞ。並みの耐性で防ぎ切れるはず……ない」


 ヨロヨロと力なく手を着いて起き上がるジミー。


「強さにアグラをかいて、格下ばかり相手にしてるからそうなるのさ。ま、相手が悪かったね」


 重い威圧感を放つ大槌を担ぎながら、その不似合いな小さい足でギネットさんはジミーに歩み寄った。

 そのちょこちょこと歩く姿はただの可愛らしい女の子だ。

 だが、見上げるジミーと、見下ろすギネットさん。誰が見てもどちらが強者でどちらが弱者なのか、はっきりしていた。


「オレは……魔王軍全ての者から選ばれた……陣営の最精鋭」


 マントに隠れた腕で回復ポーションを使い、ジミーは地面を叩いた。

 まだ動けたのかと感心する私達を他所に、反動で空高く飛び上がったジミー。


「オレが……ッ! 魔王軍最強なんだッ! このオレが……負けるはずないッ!!」


 翼を広げ、ジミーは私達の手の届かない高度まで昇った。

 そうして、指で宙をなぞるジミー。

 何かがアイテムボックスから取り出され、ジミーの手に出現した。


「……これが最後の切り札」


 ジミーが手にしたのは、腐肉と毒気を塗り固めた様な濁った色の長大な弓。

 それに虫の頭を模した矢じりが番えられ、のたうち蠢きながら灰色の汁を吐き出していた。


「『腐毒弓・灰獄(はいごく)』。お前達が届かぬ空から、全てを焼き滅ぼす毒の炎で――」


 ジミーが何か話していたが、それとは別にキンと鈴を打った様な高く鋭い音が響いた。


「ホウ?」


 突然上空のジミーの鼻先に現れた何か。

 フワリと浮かぶ様に眼前に静止しているそれ。不意に現れたそれを、ジミーは何故か目で追っていた。

 青白い光を放つ金属球だった。


 しばしそれを眺めていたジミー。

 ただ、それが何なのかはわかっていないようだった。


 呆然とそれを見ていたジミーだったが、ふとその向こう側に視線を動かした。

 そうして気づいた。


 ジミーの目に映ったのは、バットの様に大槌を振り抜いた姿勢でいるギネットさんの姿。

 ジミーはようやく気づいたのだ。既に致命的な遅れを経ていた事に。


「虎の子の『封神球』だ。あるダンジョンに住んでた雷神龍の心臓から作った一点物だが、お前さんにくれてやるよ」


 震え出した金属球から迸るのは、溢れんばかりの青白い稲妻。

 全てを理解し、ジミーは目を見開いた。


「ッ!!」


 そして、天を突く巨大な雷がジミーを食い尽くしたのは同時だった。


 叫び声を上げる間もなく巨大な雷に飲み込まれたジミー。

 突然黒く染まった空を叩き割った様に、稲妻の白い亀裂が広がった。

 暴れ狂う龍のごとく空を翔け巡り、咆哮と絶叫を繰り返す雷。

 天を裂き、地を穿つ光の渦は止む事のない様に思えた程長く空を支配していた。

 黒い空の端から端へ、北から南、西から東へと何度も走り続けていた稲妻。


 やがて、それは突然終わりを告げた。

 稲妻は消え果て、眩い光が瞬いていた黒い空も急速に元の曇天に戻っていった。


 見上げる私達が忘れかけていた頃、空から吐き出されたそれが見えた。

 ややあって、遠く離れた表通りにそれは落ちた。


 見ている事しかできなかったが、歩き出したギネットさんに促される様に私達もその後を追った。


「あれを食らってまだ息があるとはね。ま、気は晴れた。とっとと起きて失せな」


 表通りに出ると、ギネットさんはしゃがみ込んでそれの頬を軽く叩いた。

 ギネットさんが話しかけた、その地面に横たわる黒こげ。


「ホ……。あ、ありえない。この……オレが……」


「図太いやつだね。これだけやられたってのにまったく」


 やれやれとギネットさんは首を振った。


 もはやジミーは虫の息だった。

 あれだけの脅威を誇ったジミーを軽く片付けてしまうなんて。

 私はシェルティ、ジノと顔を見合せ、改めて息を飲んだ。


「ギネットさん。ありがとう。助かった」


 私は助けてもらった事に安堵し、ギネットさんにお礼を言った。

 ただ、あまりの出来事に、まだ頭が着いてきていなかったのだけれど。


 あの強さ。ギネットさんって何者なんだろう。


「あたしゃクレアトゥール、鍛冶師のギネットさ」


 私の心を見透かした様に、ギネットさんはにやりと笑って見せた。

 答になってない。けど。


「ま、レベルが98あるだけさね」


 と、こっそり教えてくれた。


「ギネットさ~ん。なんか騒がしいけど、何かあったのかね?」


 その時。ちょうどギネットさんのお店から誰かが出てきた。


「誰か倒れてるのか? どれ」


「おい、押すな押すな」


 それもどうやら大勢のようだ。小さな店内にどれだけ詰め込んでいたのかと思えるくらい、ゾロゾロと団体さまが飛び出てきた。


「ちょいと変な虫が出ただけさ。もう片づけたよ」


 軽く洗濯でも済ませたかの様に言うギネットさん。


「……ギネットさん? この人達はどちらさまですか?」


 と、私の後ろにしがみつきながら訊ねたのはシェルティだ。


「キュ……」


 例のごとくその頭にハービィも隠れている。


「おや? あんた達もソディスに言われて来たんじゃないのかい?」


「ソディスに?」


 きょとんとした顔で首をかしげるギネットさん。

 それに対してジノも首を傾げた。……ジノも私に隠れながら。


「俺たちゃソディスの旦那から言付けをもらってここに集まったのさ」


 ちょうど先頭にいた1人がそう言った。


「今日、アルテロンドで戦いがあるかも知れないからって、ギネットさんの店に集まるよう方々に声をかけてたみたいだぜ。ま、旦那にゃ世話んなってるからな」


「報酬もかなり弾んでくれたしなぁ」


「その分酷い目にもあってるがね!」


 集団から笑い声が上がった。


 ソディスの言ってた『やる事がある』って、この事だったんだ。

 ソディスはずっといろんな伝を頼りに声をかけ続けていたのだ。

 ジノの話では意外と結構な数のファンがいるらしい。詳しい事はソディスの企業秘密らしく、よくは知らないみたいだけど。


 どうやら数十人は集まっているようだった。

 皆レベルはまちまち、中立陣営の人も混じっている。とにもかくにもソディスの呼びかけに応じてここへ来てくれたらしい。

 少し安堵すると共に、心が熱くなった。


「ほら、あんた達! 遊んでるヒマはないよ! どうやら事はもう始まってるみたいだしね」


 ギネットさんが地面に転がる黒こげに親指を向けた。


「ホ……ホウ……。こんな烏合の衆を集めた所で、オレ達に勝てる訳ない」


 崩れた砂をかき集めるかの様に、体を引きずり立ち上がったジミー。

 手にした弓を杖にして、地面へ突き立てた。


 その言葉に「なにをー!」と抗議の声が上がったが、ギネットさんが睨みつけて黙らせた。


「オレ達は全魔王軍から選ばれた精鋭中の精鋭。魔王軍陣営の最強戦力……。全てをこの世界と強さに捧げた、力の求道者」


「ずいぶんと大層な負け惜しみだね」


 ジミーの尊大な小話に、ギネットさんが鼻を鳴らした。


 それでも、ジミーは壊れたラジオの様にしゃべり続けていた。


「……日々強くなる為に戦い続けてきた。お前らが仕事や学校、青春などと無為な時間を過ごしている間。家族や世間に白い目で見られようとも、想像を絶する長時間のログインで体を壊し何度も救急搬送されようと! オレは強くなる為に全てを捧げ、ただひとり孤高の道を歩き続けてきたのだッ!!」


 こいつバカじゃねーの。


 働け。


 ……いや、私は休職中なだけですよ~。

 ケガでちょ~っと長くお休みしてるだけですから。違いますから。毎日ゲーム三昧ですけど、違うんです。


 まぁ、強くなりたい気持ちはわからなくはないけど、周りの人を蔑ろにするのは違うだろう。


「そんなオレ達が、負けるわけがない。ホホウ。かかってこい。勝つのはオレ達――」


 ジミーが焼け焦げた腕を支え、弓を構えようと持ち上げた。


 そんな時だった。


「おい、あんたっ!?」


 誰かがジミーの異変に気づいて声を上げた。


「う……がァッ!? こ、これ……は! また……こんな時にッ!?」


 突然ジミーの体が赤い光を放ち、点滅し始めたのだ。

 異様な苦しみ方で地面に倒れ伏し、赤い点滅が早まっていく。

 これまで見た事のない現象だった。


 しかし、その危機感を煽る印象には心当たりがあった。

 それは、パトカーや救急車のランプに似た、緊急を知らせる万国共通のシグナル。


「バイタルアラートだ!!」


 リアルの体に異常があった場合に発動する、緊急ログアウト措置。

 VRゲームが登場したばかりの時代、長時間のログインなどで健康に害が発生し、社会問題になった事があったのだ。

 その為現在のVRギアにはユーザーの体に異常が発生した場合、強制的に回線を遮断する機能が備わっている。


 苦しみ、もがきながらも武器を握りしめるジミー。


「このバカ! しっかりしな! すぐにログアウトして助けを呼ぶんだよ!」


 大槌を放り捨て、ギネットさんは苦しむジミーに駆け寄った。


 それでも、ジミーは――


「こんな所で終わってたまるか! オレはまだ……まだ戦え――」


 ――そこで、ジミーの姿は消えた。


 あれだけの力を持ち、執念に燃えて立っていたジミーが、あっけなく。


 私はジミーが消えた場所で立ち尽くすギネットさんに駆け寄った。

 ギネットさんは顔をしかめたまま歯を食い縛り、黙していた。

 私とギネットさんはその場所をただ見つめていた。

 だが、嘘の様にもうジミーの痕跡はどこにもない。


「なあ」


「これ、リアルでヤバいやつじゃないか?」


「ああ……」


 周りがざわつき始めた。

 とはいえ、誰も明確な行動をとる者はいない。まだみんな混乱してるようだった。


「一応VRギアには何かあった場合自動的に通報する機能はあるけど……」


 ある「けど」、なんだ。少しずつ不安が胸に滲んできた。


「長時間のログインでも一定時間ごとにアラームが鳴るから、ヘビーユーザーの間ではVRギアを改造してその機能を壊してる奴もいるって聞いた事ある……」


 周りにいた1人から、そんな声が漏れてきた。

 それを聞いて私はついに飛び上がった。


「救急車!!!」

 次回投稿は29日午後8時予定です。


 ゲームの時間はほどほどに。

 昔、プレステ2のメモリーカードに空きがなかったせいで、長期休暇中にぶっ通しで買ったばかりのゲームをエンディングまでやったのを思い出しました。

 皆さんはそんな孤高の道は歩まない様に。心のバイタルアラートはしっかりセットしましょう。


 次回第66話『クビ宣告!?』


 お楽しみに!

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