56・炎の拳
「よ、よ~し! ソディスさん、またさっきので援護お願いします!」
シェルティが大鎌を振りかぶり、神獣に突撃した。
大量の水の影響で翼を失い、浴びた所から体が冷えた溶岩の様に黒く濁っていく神獣。
神獣は固く軋む体を引きずり、動きを鈍らせていた。
だけど……。
「すまないがさっきので全て使い果たしてしまったのだ」
そっと目を閉じ、くすりと微笑むソディス。おかしい所は特に無い。
「だが案ずるな。我輩の一撃により敵の機動力が激減した今、皆で力を合わせれば勝てぬ戦いではあるまい。それに空へ爪を届かせる術も既になかろう。我輩は最後の時までここでゆっくり見物させてもらうとしようではないか。最早余裕である」
それ、余裕なのは空を飛べるソディスだけだよね。何1人でゆっくりくつろごうとしてるんだ。
ふと、神獣が黄白色の炎を口に蓄え、上空に向けて過熱したブレスを一気に解き放った。
「あ」
炎のブレスはソディスをあっという間に飲み込み、押し流していった。
炎の中に消え、どこかに飛んでいくソディス。
「うそでしょ!?」
「あのバカ! なんでいつも肝心な時に限って調子に乗るんだよ!」
それは水飛沫を上げて、泉へ叩き込まれた。
あんぐりと口を開けたままそれを目で追うシェルティ。
ジノもそれを見ながら地面を踏み鳴らしていた。
アイツ、戦いに何かトラウマでも抱えてるんじゃないのか。何やってるんだ。
まぁ、一撃で死ぬ様なゲームバランスじゃないだろうし、とりあえず放っておこう。
炎を吐き切り、歯の隙間から一筋の煙をくゆらせる神獣。
白い蒸気を上げながら首を振って体についた水を払う。それから、自身に駆け寄って来ていたシェルティに狙いを定めた。
赤くくすぶる爪がシェルティに振り下ろされた。
「……ええ~い! フラッシュリーパー!」
さっきの光景を振り払う様に大鎌を振るシェルティ。
前方に加速する大鎌の必殺技。その光を帯びた残像を神獣の爪が引き裂いた。
それを尻目に神獣の懐に潜り、シェルティは大鎌でその胴を斬りつけた。
「ひえ~! やっぱり効いてないぃ~!」
大鎌の一撃をものともせず、神獣の爪が再びシェルティに襲いかかる。
「エンチャント・フェザーシューズ!」
だが、それが届く前に神獣の鼻面に突き刺さった蹴り。
軌道の逸れた爪がシェルティを掠め、すぐ横の地面を吹き飛ばした。
「ミ、ミケさんっ!」
ジノが付与魔法で移動速度を底上げしてくれたおかげで間に合った。
地面に降り立ち、私はシェルティと肩を並べた。
「あ、ありがとうございますぅ……。リアルだったら絶対チビってましたよ……」
「シェルティは勇敢。無事でなにより」
爪を躱され憎々しげにこちらを見下ろす神獣。
その視線を跳ね除ける様に、私達は神獣を見上げた。
「ふふっ」
シェルティが笑った。
「いえ、こうして2人で一緒に戦うの、あの時以来だなって」
あの時。シェルティと初めて知り合ったアイゼネルツ坑道での冒険。
冒険と言うにはほんのちょっとの時間だったかも知れないけれど。あの時もこうして2人で肩を並べてボスに挑んだんだったっけ。もうずいぶん昔の事に思える。
多数の敵に囲まれ、何度か危ない状況もあった。それでもシェルティと私で潜り抜けたんだ。
「キュア!」
シェルティの頭上を滞空しながら、ハービィが呼ぶ様に声を上げた。
あの時対峙していたサラマンダーのハービィは今、こっち側にいる。今では頼りになる仲間だ。
今回の敵はあの時とは比べ物にならないくらい強大。
「うん」
だけど、不思議と私達の心は踊っていた。
私とシェルティは同時に飛び出した。
『ガァアアアッ!!』
神獣が口に溜めた膨大な熱量を吐き出した。
「ハービィ!」
シェルティの声と共に炎の前に躍り出たハービィ。
口を開けると、その自身より遥かに大きな炎を食らい始めた。
それによって炎は私達に届くのを一瞬遅らせた。
「クゥ……ァアアアッ!」
ハービィは自身の限界まで力を振り絞り、攻撃の吸収に身を捧げた。
食らい切れなかった炎に飲み込まれ、ハービィの姿は見えなくなってしまった。
だけど、そのおかげで私達は神獣に届く距離まで近付けた。
私達は神獣の左右に散った。
「アイシクルエッジ!」
冷気属性の低級攻撃魔法。腕くらいの長さの氷柱を撃ち出す事ができる。
それを片方しか無い神獣の左目に叩き込んだ。
『グゥオオ……ッ!』
神獣の顔が黒く濁り、わずかに怯んだ。
私は神獣の爪に飛び乗り、その頭上まで跳んだ。
「クレセントステップ!」
その隙を突いて神獣の鼻を水平に走り抜ける三日月状の刃。
「は……ッ!」
たまらず顔を仰け反らせた神獣の、その長い鼻先に私は全力で踵を落とした。
神獣の口が無理矢理閉じられた。
このわずかな瞬間に反撃に転じようとしていたのか、口の中に溜めた炎が暴発。歯の隙間から眩い閃光と共に爆炎が吹き出した。
炎が舞い、辺りを覆った煙が視界を遮る。
私達はもうもうと立ち込める埃に、袖で顔を守った。
「!」
煙の向こうから空に飛び出した無数の火球。
再びこちらを狙い、炎の雨が放たれた。
「エンチャント・リパルション!」
しかし、私達を狙っていた火球の進路が空中で突然曲がった。
火球は私達を逸れ他の火球とぶつかって破裂、四散していく。
背後を振り返ると、そこには扇を手にしたジノの姿があった。
『 怒れる獣の羽ばたきは火の雨を降らせ……風が吹き晴れるまで待つ他術はなし』か。
石碑のヒントの通りだ。風で火球を吹き飛ばせば待つ必要もないようだ。
しかも斥力場を武器に込めて飛ばし、効果を倍増させている。
扇の風に触れた火球がビリヤードの玉の様に次々と弾かれ、同士討ちしていった。
「シェルティ! ミケ! フォローするから……全力でやっちゃえ!」
ジノの声が背中に届いた。
「出し惜しみはしないよ! ドロー・クイックカット!」
ジノがクッキーをひとかじりすると、ジノの体が仄かに青い光を帯びた。
それはスキルのクールタイムを短縮する装填魔法。
「エンチャント・ライトアーム!」
たった今付与魔法を使用したばかりだというのに、再び付与魔法を連発する。
そして、これは武器の重さを軽減する付与魔法だ。
「ありがとうジノくん! いっきますよぅ~!」
シェルティがアイテムボックスから引き出したのはもう一振りの大鎌。
2本の大鎌を両手に携え、シェルティは煙を突き破り迫る神獣に向き合った。
わずかに再生しかけた翼が不恰好に蠢く。
長く鋭い大鎌と赤く燃える幾本の爪がぶつかり合い、甲高い金属音が鳴り響いた。
跳ね返されたのは神獣の爪だった。
その腕をいくつもの赤い軌跡が走り抜ける。腕を切り裂かれた神獣がわずかに後ろへたたらを踏んだ。
その神獣へ私も追撃する。
よろけた顔の先へ跳び、横面に蹴りを放った。
鈍い音を立てて神獣の首が反対側へ折れ曲がる。それでも負けじと神獣が片腕を薙ぎ払った。
体を捻って躱した私の頭上を、爪が唸りを上げて掠めていく。
『グウオオアッ!』
神獣が牙を剥き出し、血走った目をこちらに向けた。
間髪入れず、噛みつこうと顎が私に迫る。
「エンチャント・ブラックレイン!」
視界の端でジノが扇を振ったのが見えた。
『……ッ!!』
突然神獣が頭を垂れた。
そのまま頭から地面に激突し、牙は私に届く事なく押さえ付けられる様に閉じられた。
攻撃を当てた対象の重さを増幅させる付与魔法。
短時間だが相手の動きをわずかに封じる事ができる。
しかし、神獣はすぐにその拘束を引きちぎり、ジノを見据え喉奥から赤く燃える炎を吐き出した。
「ジノ!」
私は神獣の首に体当たりし、全力でしがみついた。
「うわ……っ!」
放たれた眩い奔流がわずかにジノを掠め、すぐ側の地面を削り飛ばしていく。
膨大な熱量が地面の岩を蒸発させ、一直線に駆け抜けた。
「く……ううっ!」
神獣の燃えるたてがみが私の肌をジリジリと焼いていく。
それでも、私は目一杯の力を込めて神獣の首を押し続けた。
炎はジノから離れる様に扇状に地面を焼き払い、奥の壁まで横薙ぎに抉り取ってからようやく消えた。
「逃げて! ジノくんを狙ってます!」
神獣の後ろ足が地面を抉った。
瞬間、爆発する様に地面が弾け、ジノへ向かって飛び出す神獣。
こいつは積極的に後衛を攻撃する傾向がある。カルネもフォルマージさんもそれで不意を突かれた。
神獣の勢いに弾かれながら叫ぶシェルティ。
私も神獣の首にぶら下がったまま、ジノを視界に捉えていた。
しかし、ジノに動く様子はなかった。
「エンチャント――」
扇を空へ掲げ、迫る巨体に相対したまま魔法を唱えるジノ。
「ソディス! 後はなんとかしろ!!」
そのジノの視線が神獣の頭上へ向いた。
黒い羽が舞った。
「任せておけ。ミケ、アイシクルエッジを合わせよ」
私は咄嗟に神獣の首を離し、手を前に出した。
上空からジノの前に躍り出たのは、黒い翼。
迫り来る牙を前に、ソディスは青いアンプルを握った手を前に伸ばした。
そして、再びその先端を折った。
「――ダブルエクステンドッ!!」
その瞬間、幾本もの氷柱が神獣の体を貫いた。
それは氷でできた森を一点に凝縮した様な、青く透き通った鉄格子。
大きな神獣の体を包み込む程巨大な氷の檻が、周囲の空間ごと神獣を封じ込めた。
ジノが唱えたのは「アイテムの効果を倍化する付与魔法」。
ソディスが使った圧縮貯水弾は私の氷魔法を媒介に凍結し、ジノの付与魔法に強化された事で巨大な檻を作りしたのだ。
魔法を放った姿勢のまま私はジノの側まで転がり、その様子を眺めていた。
『オオオオオッ!!』
だが、神獣が咆哮を上げると、その全身から爆炎が迸った。
凄まじい熱波に、神獣を覆う氷の檻が音を立てて砕けていく。剣山の様にいくつも突き刺さった氷柱も、神獣が力任せに体をよじらせる度に次々へし折られていた。
神獣の咆哮はその周囲を焼き尽くし、近くに存在する全てを許さないのだろう。
大木程もある氷柱は瞬く間に溶け、悲鳴を上げて蒸発していった。
「これで勝利は確定した」
何でもない様に神獣に背を向け、ソディスはそう宣言した。
牙を打ち鳴らし、唸り声を上げて氷の檻をこじ開ける神獣。
それでも、氷の檻はその短い寿命を絞り尽くす様に、必死に神獣をその場に閉じ込めていた。
「ふうぅ……っ」
その前に、2本の大鎌を携えたシェルティが立ちはだかった。
弾かれる様に飛び出す2つの刃。
『ガァアアアッ!!』
神獣が氷の檻を破壊しながら、牙を剥いてシェルティに躍りかかろうとした。
「二鎌・ハーフムーンダンス!」
その神獣の顔を、半月状の軌跡が水平に切り裂いた。
二筋の傷に頬を抉られ、それでもシェルティを食らおうと前に出る神獣。
「からのぉ……ッ、二鎌・フルムーンパーティーッ!」
円を描く大鎌が神獣の肩を抉り、両腕を切り刻んだ。
飛び交う無数の刃は神獣の体を切り裂き、首を貫いて尚駆け抜けていく。
そして、シェルティはさらに踏み込み、大鎌を深く左右に構えた。
「二鎌・ニュームーンピリオドッ!!」
シェルティのかけ声。その声は同時に発生した炸裂音にかき消された。
シェルティは耳をつんざく音の中、微動だにせず静かに佇んでいた。けたたましく鳴り響く炸裂音の中で、静寂に包まれるという矛盾。
それは新月を思わせる見えない剣閃。
音が空気を裂いて通り過ぎたのを感じた時。
既に神獣の横に裂けた大きな口から尾の先にかけて、赤い軌跡が通り抜けていた。
まるでピンと張った糸の様に綺麗なその断面を滑り落ち、残っていた氷の檻ごと崩れる神獣の体。
赤い火の粉が舞い上がり、それと代わる様に神獣の体から熱い輝きが失われていく。
芯に残った黒い炭の様な残骸が、乾いた音を立てて砕け散った。
それから、シェルティはようやく大きな息を吐いた。
「……ったはぁ……っ! やってやりました!」
こちらを振り返り、シェルティはにっこり微笑んだ。
手を振ろうとして大鎌で両手が塞がっていた事に気付き、また照れ臭そうに笑った。
そんなシェルティに釣られて私の顔にも笑みが浮かんだ。
「皆が力を合わせた結果だ。我輩も誇らしい」
ソディスがこちらに歩いてきた。なんかまだびっしょり濡れてる。
いつもの澄ました顔で私達を見渡すソディス。ちょっと偉そうだ。だけど、勝てたのはソディスのおかげでもあるし、まあいいか。
「まさかソディスが戦闘で活躍する日が来るなんて思わなかったよ。やるじゃん」
そんなジノの物言いに私は、つられてジノも吹き出した。ソディスも小さく笑みをこぼした。
「皆さ~ん! 見てました~? 私の超絶ウルトラハイパーなか・つ・や・く!」
シェルティも大鎌を下ろし、こちらに歩いて来ようとした。
そんなシェルティの声にソディスも振り返った。
「シェルティもよくやってくれた。我輩――」
ソディスはシェルティの方を向いて歩き出し……。
急にその足を止めた。
『やるじゃねぇか』
シェルティの背後でバラバラに砕け、黒く静まっていた神獣の残骸。
しかし、その表面に亀裂が走り、内側から再び赤い輝きが顔を覗かせた。
それはうず高く積み重なり、そして立ち上がった。
だらしなく弛んだ頬で手を振るシェルティだったが、急に後退りを始めたソディスの様子に首を傾げた。
「どうしたんですかソディスさん? まさか、やっと私のスゴさに気付いちゃったんですか? ふふ~ん! しょーがないですねー! まっ、これからは私を……」
『もう一度相手してくれや。今度は本気でいくからよ』
突然振り下ろされた赤い拳がシェルティめがけて唸りを上げた。
「おいシェルティ! 後ろ!」
ジノが引きつった声を上げた。
しかしその時、空から放たれた炎の礫が拳を遮った。
「クアアッ!」
その起点にいたのはボロボロの体で宙を漂うハービィだった。
さっきの神獣のブレスで吹き飛ばされていたけど、かろうじて助かっていたようだ。
しかし、それを最後に力尽き、落ち葉の様にシェルティの足下に落下した。
「あ、ハービィ! ……って、後ろ?」
シェルティはハービィを抱き上げ、後ろを振り返った。
そして、背後に迫っていた拳の主を見上げて目を丸くした。
パチパチと炭の弾ぜる様な音と共に、黒く冷え切っていた体が赤熱し始める。
砕け散った体が繋ぎ合わさり、その隙間から炎が吹き出した。
炎の中から蘇ったそれは、しかし2本の脚で立っていた。
「な、なんだよ。生き返った上に変身したぞ……」
それを見ていたジノが後退りした。
炎をまとい形を変え、再び私達の前に立ち塞がったそれ。
「オオカミ男ですぅ!」
腕の中のハービィをギュッと抱き締め、シェルティが悲鳴を上げた。
吹き出す炎で全身を包み、眩い赤色に脈打つ怪物。
体は先程までと比べてかなり小さくなっていた。だが人と同じく2本の脚で立ち、鎧の様な筋肉をまとった上背は見上げる程に高い。
その首には荒々しく伸びた白いたてがみと、左右に裂けた大きな口をした頭を乗せていた。
そう。そこに立っていたのは、人の体とオオカミの頭の半人半獣となった神獣だった。
そして、神獣は構えた。
「はぁ……ッ!!」
私は神獣の懐に飛び込み、最短距離で胴に拳を撃ち出した。
しかし、その拳は神獣の手刀に叩き落とされ、反撃に繰り出された正拳が私の頬を掠めた。
「……速い」
咄嗟に体を傾けなかったら頭蓋骨を粉々に砕かれていた。
私は頬をなぞる赤い軌跡と、少し冷える汗を手で拭った。
私のどてっ腹めがけて放たれた前蹴りを横に避け、その動きを読んでいた様に追ってきた裏拳を籠手で弾いて軌道を逸らす。
息もつかせぬ攻防。
それに、この敵はただ力任せに力を振るっているのではない。
格闘術を使う。
それもかなりの練度。あのマスターエイプですら足下にも及ばない。それ程の使い手。
神獣の巨躯から放たれた拳を蹴飛ばし、距離を取る。
「プリズムアロー!」
どうにかして相手の出方を見なければならない。
私は指先を向け、秒間4発の氷の矢を撃ち出した。
『小細工かい』
だが、神獣は撫でる様に片手で空を払い、1、2、3、4発と全て握り潰してしまった。
私の繰り出した拳が神獣の拳とぶつかった。
『俺に飛び道具は通じねえ』
拳で鍔競り合いをする中、神獣の大きな口がさらにニヤリと裂けた気がした。
強い。
マスターエイプと違って防御回数に制限が無いのか、まだ一撃も入れられていない。
それに筋力、攻撃力に差がありすぎる。力を逸らしたり衝撃を分散させて直撃は避けているものの、それでも小さくないダメージが蓄積している。既に籠手には亀裂が入っていた。
「ミケさん……!」
「ハービィを連れて逃げて。長くは保たない」
背を向けたまま、こちらに手を伸ばしかけたシェルティを制す。
シェルティはさっき大技を連発したばかりだ。
大鎌は重量級武器であるが、全武器中唯一特定の必殺技同士を繋げて連続して技を放つ事ができる。
その代わり、形状が扱いにくい事に加え、技後に全ての必殺技の合計時間だけ行動不能に陥るという欠点がある。
そして、連続した必殺技はそれだけ多くMPを一気に失う事となる。
HPを消費してスキルを行使する精霊族の特性故に、シェルティのHPは大きく消耗していた。
シェルティが唾を飲んで頷き、すぐにハービィを抱いたまま立ち上がろうとした。
「あれ?」
しかし、シェルティの脚は力なく折れ、膝を着いてしまった。
まだすぐに命に関わる程ではないが、ダメージを受けた手足は薄く消えかけていた。
「先程泉に落としてくれたおかげで、今度はまだ貯水弾の残数に余裕を残してある」
「ソディスいくぞッ! エンチャント・ダブルエクステンドッ!」
左右から神獣を挟み対峙するソディスとジノ。
巨大化した水の壁が一気に神獣を押し潰しにかかった。
『しゃらくさいわぁッ!』
大地を震わせるかけ声と共に、掌底が水の壁を打った。
「なっ!?」
思いがけない神獣の行動に、ジノが目を見開いた。
掌底と水の壁の狭間を凄まじい衝撃波が駆け巡る。拳圧が液体を押し弾いているのか。
いや、違う。
「気功掌か」
折ったアンプルを握ったまま、ソディスが呟いた。
水と掌の間を仄かに輝く壁が遮っていた。
気功。
レベルの高いマーシャルアーティストの使うスキルだ。
MPを消費する事で魔法の様な光の弾丸を撃ち出す攻撃が可能となる。
魔法と違って物理属性、遠距離攻撃や他にも様々な使用法で戦術の幅を広げる事ができる。
それを防御に応用したのが、この気功掌だ。
その一言を漏らした瞬間、ソディスが後ろに弾かれ、飛んだ。
神獣が掌を拳に固め、水の壁を撃ち抜いたのだ。
胸を打たれたソディスは激しく小石を巻き上げながら地面に転がり、動かなくなった。
「ソディ――」
ジノが声を上げかけた瞬間、神獣が振り返った。
そして、ジノが息を飲み始めた時点で既に神獣はジノに肉薄し、その視界を拳で埋めていた。
「ぐ……っあ」
ジノの鼻先まで迫った拳。
しかし、その拳を両手で掴み、私はジノと神獣の間に割り込んだ。
「ミケッ!!」
ジノが叫び、その横を掠めて私は吹き飛ばされていった。
咄嗟に神獣の拳を受け止めてジノへの直撃は避けられた。
だけど、拳は防御を突き抜け、私の胸に深く突き刺さった。
いけない。
ダメージが大きい。スタン状態に陥り体が動かない。
速い上に重い。あと2、3発食らったら確実に終われる威力があった。
数瞬置いてやっと息が吐けた。なんとか首を持ち上げて前を見る。
その私の目の前に神獣の足が踏み下ろされた。
できればあともう数秒待って欲しかった。
だけど、神獣はジノではなくこっちに来てくれた。これでジノへの攻撃は中断された。
後は私が攻撃を受けている間にソディスとシェルティを回復して体勢を立て直してもらえれば――
「ど、どこ行く気だよ! お前の相手はこのボクだ!」
その時、神獣が振り返り、背後から迫った風の刃を拳で打ち払った。
「ジ……ノ」
両腕を広げて私から自分に注意を引き、神獣と向かい合っているジノ。
脚が震えている。
あのわがままで自分第一のジノが、一体どれだけの勇気を振り絞っているのか。ギュッと握り締められた拳からそれが伝わってきた。
「し、躾けのなってないワン公だな! このボクがまずはお手から教えてやるよ!」
震える声で精一杯の虚勢を張るジノ。きっと目にこぼれそうな程涙を溜めている事は想像に難くない。
ジノは扇を向けて魔法を唱えようとした。
だけど、それは悪手だ。
接近戦に不慣れなジノでは一瞬で殺されてしまうのは目に見えている。
「ジノ!!」
体の動かない私には見ている以外何もできなかった。
そんな事実が、鉄槌となってジノへと振り下ろされた。
次回投稿は29日午後8時予定です。
対神獣戦、決着です。
次回第57話『撃破』
お楽しみに!