45・フルースの森
「ここがブラッドバットの出現する『フルースの森』だ。来た事はあるかね?」
獣道を歩いていると、横を歩くソディスが話しかけてきた。
アルテロンド周辺はいくつかのフィールドに囲まれている。東のレツト平原。南の不毛の山岳地帯。北のティーア山地。
そしてここ、西のフルースの森だ。
どこもアルテロンドに来たばかりの初心者がまず狩りをする事になるフィールドである。
南を除いて適正レベルは皆それぞれレベル10から20程となっている。
「まだない」
私は軽く首を振った。
息を吸うと胸を満たす森の青い香り。
奥へ向かうに従って木々も高く大きくなっていく。
少し日が傾いてきたのもあり、森の中は少し薄暗い。
しかし、時折木々の隙間から差す木漏れ日が、繁る枝葉や足下に生きる野草の緑を鮮やかに浮かび上がらせていた。
遠くから聞こえてくる鳥のさえずり。
緑の葉に乗った雫がポタリと静かにこぼれ落ちた。
「おおよそ10キロメートル四方のこの森林は、多くのプレイヤーにとって己の力を高める修練の場としか認識されていない」
ソディスが天を覆う木々を見上げた。
私も連られて上空を見上げる。
既に幹の先端は遥か遠く、見えない。その幹からは網目の様に張り巡らされた太く立派な枝が、森の空を埋め尽くしていた。
ふとその枝の1つにしがみつく小さな影が目に映った。
枝を足場に走り回っている森の動物だ。
枝に付いていた木の実を1つ掴むと、他の枝に飛び移り見えなくなった。
「ここにある全ての木々にも個性があり、それを住み処にする動物達やモンスターの種類も豊富である。それら全てが多くの恩恵を与えてくれる事を、実の所ほとんどの者が知らない」
ふと視線を下ろすとソディスが立ち止まった。
「ミケ。これを見てみよ」
ソディスはその場にしゃがみ込み、地面の土を右手で一掴みすくい上げた。そして、その手を私の前に差し出した。
『腐葉土:原産地・フルースの森。37グラム』
ソディスが手を広げると、その土にウィンドウが表示された。
「これは?」
「一見フィールドの背景でしかないと認識してしまうだろう? だが、果ては強敵から得られる聖剣魔剣の類いから、足下にあるこの土に至るまで、この世界の全てはアイテムとして成り立っているのだ」
まさか、フィールド上のあらゆる物がアイテムになるなんて知らなかった。
こうして話を聞いてみると色々と新鮮で面白い。
「このゲームは我々が想像しているより遥かに果てしなく、また奥深い。こうしてあらゆる物に目を向け、可能性を探ってみるのもまたこの世界を楽しむ醍醐味と言えよう」
ソディスは手の土を見ながら、少し楽しそうに笑みを浮かべていた。
そういえば、こうして森を歩いているとお父さんと旅をしていた日々を思い出す。
お父さんもこうやって森の生き物や自然のありがたみを教えてくれたっけ。
大体獲って食ってたけど。
「……だけど、使い道は?」
ただ、所詮は何の変哲もない土だ。アイテムとしての効果はないだろうし、どんな価値があるんだろうか。
NPCのお店に売却するにしたって、使い道のないアイテムを持って行っても買取金額は小数点以下だろう。買い取ってもらえるかも怪しい。
「言い忘れていたな。我輩の職業は『クレアトゥール』。万物の担い手にして、想像力と創造の盟主である。アイテムの扱いならなんでもござれだ」
妙なニックネームは置いといて、確か生産メインの職業だったっけ。
リアルでは特に優れたファッションデザイナーを指す言葉らしいけど、元々の意味は物を作ったり発明したりする人の事だ。
そう言えば今まで関わった事なかった。
『クレアトゥール』
唯一アイテムや装備品を作り出す事ができる生産職である。
非戦闘職である為、ステータスの伸びは全てが最低クラス。
代わりに物理属性、魔法属性、回復、支援、妨害とあらゆる性質を持ったアイテムを作り出し手段とする。また、それを他者に譲渡する事も可能。
オリジナルの装備品も作る事ができ、手間と費用はかかるがNPCの店より優れた性能を持たせる事も可能である。
生産には材料が必要だが、戦闘中にMPやスタミナを消費するスキルがない。
それと、他職より多くのアイテムを所持できる。
独自のアイテムとその製法を編み出せば非常に重宝される職業である。
その為、クレアトゥールは皆それぞれ互いに鎬を削り合い、また自分を必要としてくれる多くの繋がりを求めている。
「これが、クレアトゥールの固有スキルだ」
ソディスはウインドウを出現させると、左手でそれを操作した。
すると、手の中にひとつの金属製の器が現れた。
ダチョウの卵くらいある楕円形の容器だ。
縁をボルトで固定されたガラス窓が中央にあり、中は真っ暗。
その容器にはいくつものパイプや計器が取り付けられ、そのデザインはまるで掌サイズの工場を思わせる。
「機械の……卵?」
「まぁ、見ているといい」
ソディスはウインドウを通じて器の操作を行うと、そのギミックを作動させた。
器の上部が開き、機械の卵はまるで花の蕾の様にその殻を開いていく。それはやがて一抱えもある鍋程の大きな杯へと姿を変えた。
ソディスは右手の土をその中に注いでいった。
そして、器を再び変形させて蓋を閉じると、途端に中心の窓から紫色の光があふれ出した。パイプのひとつから激しく蒸気が吹き出していく。
やがて光と蒸気は収まり、小気味いいベルの音と共に器の上部が開いた。
『土の魔力結晶(品質・劣等):1グラム』
「別のアイテムになった?」
「これは精製器という。もっとも、持ち運び可能な簡易版だが、素材の性質を凝縮したより純度の高いアイテムへと作り直す事ができるのだ」
器を覗き込むと、底の方に米粒くらいの小さな何かが見えた。
仄かに黄土色の光を放つ石だ。
「精製で出来た物は装備や他のアイテムの素材として利用できる。アクセサリーの核やポーションの原料。これならば元が腐葉土であるから畑の肥やしなどとしても使用可能であるな」
まぁ、少量の土からできたこれの質はあまり良くないみたいだけど。
また、精製済のアイテムはそれ以上精製する事ができない。この小さな結晶を集めてもより良い結晶にはできないという事だ。
いくら土を集めても、器一杯に入る量で精製した完成品が限界の物となる。
まぁ、精製の重複が可能なら無限に良いアイテムが作れてゲームバランスが壊れかねないしね。
「こんな物でもお守り程度にはなる」
ソディスはその結晶の粒を指先で拾い上げると、アイテムボックスに仕舞った。
「もちろん土だけではない。この自然全てがもたらす恩恵を力として振るうも、生活を潤す糧とするも、あらゆる物の可能性を見出だすのはプレイヤー次第。そして、その可能性を余す事無く引き出す事ができる……まさに世界の可能性を力に換えるのがクレアトゥールの在り方なのだ」
アイテムを作れる事くらいは何となく知ってたけど、こんな足下の土まで自在に扱えるとは思わなかった。
この森の物はその効果、精製品、素材としての適性や相性。さらに手触りから味に至るまで全て頭に入っていると、ソディスは少し胸を張って笑った。「ここまで調べているのは我輩くらいだろうが」と、付け足して。
少しソディスを見直した。
それが事実なら相当の時間と労力、検証を積み重ねてきたはずだ。
数多の試行錯誤の果てに得られた結果と経験も、この世界が与えてくれる恩恵と同等の価値がある。
「ミケ、我輩の目に留まった君は運が良い。我輩も作り手の一柱を自負している者だ。必要とあらば、その時はいつでも力を貸そう」
話を聞いた後だととても心強く聞こえる。
……だけど、私はさっきコイツの被害に遭った3人の姿を思い出した。
アレはコイツが作り出した装備やアイテムが原因だったんだよな。お前は世界の可能性を何に使ってるんだ。
「……いつか、お願いする……かも」
「楽しみに待っているといい」
女のいつかは絶対に来ない。得意気なソディスに、それを知られる日が来ないよう切に願った。
「む。もうじき日が沈む頃だな。ミケ、この先だ」
森の日没は早い。ソディスが歩を進めると、ちょうど辺りはロウソクを吹き消した様に暗くなった。
ソディスが私の前を行き、道の少し高くなっている峰からこちらを振り返った。
私はソディスの横に立ち、そこから見える光景に目を見張った。
「わあ……!」
青白い光が、静かに流れる水面で踊っていた。
それが、私の得た最初の感想。
小さな鈴が鳴る様に聞こえてくる、かすかなせせらぎ。
峰の向こう側に見えたのは森の中を流れるいくつもの小川。
その流れによって離ればなれにされた小島で、1本の木がちょっと寂しそうに枝を揺らしていた。
川が我が物顔で森を横切っているおかげで、ここは森の木々から切り離された広いドーム状の空間になっているようだった。
やがて小川はこの空間の中央にある岩場へとぶつかった。
辺り一面高低差の激しい岩々が広がっている。突然目を覚ましたかの様に隆起した岩盤が、木々を押し退け顔を覗かせていた。
だが、木々もまたその岩を握り潰す様に根を這わせ、互いに生命力を戦わせているようにも見える。
その隙間からは水が染み出し、小さな流れを生み出しては元の川へと取り込まれていくのを繰り返していた。
私達は辺りを見回しながら小川に足を踏み入れた。
水の跳ねる音。
川は浅く、足首の少し上が水に浸るくらいしかない。その足にキン、と突く様な冷たさを感じる。
水は清らかで、底を白い砂が埋め尽くしているのがよく見える。
ゆらゆらと流れに逆らっていた黒い魚影が、私達の気配に驚き素早く逃げていった。
何故、この暗闇でそれらの様子が見えるのか。
それは、この辺り一面から浮かび上がる青白い光のおかげ。
岸辺の土や岩。倒木の表面。辺りを囲む木の幹。さらに水中にも、その所々から静かに浮かび上がる光が辺りを照らしていたおかげだった。
その小さな声はせせらぎに寄り添いながら、ひそやかな歌を奏でていた。
「きれい……」
この広く、遠くの木々に包み込まれた幻想的な空間に、自然とあふれ出た感想だった。
「ここはホタルゴケの群生地だ。夜になると光を放ち、この様な光景を作り出す。ここに限らず、フィールドは夜でも周囲が見える様何らかの光源が用意されている。製作者の粋な計らいだな。エクステンドオンラインはもうずいぶん長いが、ここは一番のお気に入りだ」
ソディスも小川に入り、私の横に並んだ。ソディスも森を見上げ、青く染められた森を眺めていた。
「……物の価値を見出だす事が我輩の仕事であるのだが、価値の有無……それさえも忘れてしまう程この世界はかように美しいものにあふれている」
ソディスの顔を水面に映る光がゆらゆらと照らしている。
「そして我々は今、その世界にこうして生きている。それだけでこの上なく素晴らしい事だとは思わないかね」
ソディスはいつも通りの澄ました顔をしていた。
でも、どこか自分の宝物を自慢する無邪気な子供みたいにも、私には見えた。
「うん」
しばらく幻想的な光景に見入っていた私とソディス。
ソディスは光の舞う森から、私に視線を向けた。
それに気付いて私はソディスを見上げた。
「ミケよ。これを」
ソディスはコートのポケットから1本のアンプルを取り出し、私に差し出した。
黄色に輝く液体の入った小瓶だ。
「これはだな……む?」
ふとソディスが何かに気付いた。
小瓶が私の手に収まったと同時に、それは私の耳にも届いた。
暗闇の奥から近付いてくる小さな風切り音。ザワザワとした喧騒に似たそれ。
これは羽音。それも複数だ。
そして、それは姿を現した。
青白く照らされた森の中、暗闇を飛び交う赤く光る目。
群れを成して飛んできたのは、私の広げた両腕よりも大きな翼を持った巨大なコウモリだった。
その群れは一斉にこちらを目指しており、その速度は思っていた以上に速い。
「ミケ! よく聞け!」
私はその声にソディスを振り返った。
「予測より出現が早い! あれがブラッドバットだ。この広大な森にごく少数しか出現しないレアモンスターだが、日没直後の数分間だけはこの場所を必ず通る。ブラッドバットの血は普通の手段では入手できないと言ったのを覚えているな。それを使え。来るぞ!」
「!!」
気付いた時、既にコウモリの群れは目の前まで迫っていた。
意を決する間も無く飛び出した私は、コウモリの群れが接近したタイミングでアンプルを折った。
……のだが。
「ぶ……っ!?」
そうしたら突然足がもつれ、私は顔面から岩場に突っ込んでしまった。痛い。
「か、体が……動かな……い」
「いいかミケ! それはパラライズ(麻痺)ポーション! ブラッドバットは吸血をせねば血を落とさんのだ! しかも満腹になる前に抵抗すると一斉に逃げてしまう! しばらく耐えてくれたまえ!」
ソディスはいつの間にか遠くの木陰に隠れ、そこからこっそり声を張り上げていた。
お前私を売ったな!
体が痺れて動けない私に、コウモリの集団が一斉に群がった。
「「「キーキー!」」」
ソディスお前覚えてろ! ……うぎゃーーーー!!
襲われながら、私は子供の頃公園で手にしていたポップコーンをハトの大群に奪われた時の事を思い出していた。それ以来ハトは苦手だ。
「おお。こんなにも多くのブラッドバットは初めて見るな。喜べ。大漁だぞミケ。……む?」
想定していたより豊富な成果に、興奮気味のソディス。
ただ、あまりに多いコウモリの群れは、何匹か私の体にありつけずあぶれてしまっていた。
そんな彼らはちょうど木陰でふんぞり返っているもう1人を見つけ、狙いを定めた。
「ふっ。誰の許しを得て我輩を見ている。コウモリ風情が。せめてその散り様で我輩を興じさせよ。案ずるなミケ。我輩のレベルは26だ。高々レベル10と少々の敵に遅れは取らんさ。さぁ、勝負だブラッドバット。どちらが正しいかは戦いで決めよう。伊達に長くこの世界に生きておらんという事を教えてやろうではないか!」
案ずるかバカ!
私は群がるコウモリに噛みつかれながら、ソディスの姿を眺めていた。
うっすらとした笑みを浮かべながらのソディスの動作は、どこか気高く優雅な趣があった様に見えた。
ソディスは飛び交うブラッドバットの群れに動じる事なく、ゆっくりと余裕をもって構えた。
「ぬわ! 速いぞ!? このっ、このっ! 待て! み、認めよう。今は貴様が強い! そうだ、わかった! どちらが正しいかはジャンケンで決めようミケ助けてくれエエェェエェッ!!」
叫び声が森の中に響き渡る。
なんだあれ。次々と群がるコウモリに、ゆっくりすぎるソディスはろくに反応する事もできず囲まれていた。
ようやく今になって無様に握った拳をブンブン振り回している。
あ、腰を抜かして倒れた。
次第にコウモリの山に埋もれて見えなくなっていくソディス。
すごい。あれだけ動いてるのに全然抵抗と認識されていない。
なんだかとってもスカッとした。
「ゼェ……ッ、ゼェ……ッ。ゲーム歴って……何……?」
「……我輩に……ゼェ……戦いは似合わない……オェ……」
危なかった。マヒが解けるのがあと5秒遅かったら全滅してた。
私達は小川の中で大の字に寝転がっていた。もうビショビショだ。
エクステンドオンラインはもうずいぶん長いんじゃなかったのか。弱すぎる。レベルも私とそれほど大差無いし。
「ふぅ……これで、ブラッドバットの血は完了だな」
ようやく呼吸が整った頃。ソディスは立ち上がると、髪をかき上げながら満足そうに笑った。脚ガクガクだけど。
ブラッドバットの……って言うか、私の血だよね。これ。
「ん……」
なんか余計な苦労をした気がするけど、ひとまず材料ゲットだぜ!
次回投稿は13日午後8時予定です。
今回は間違いなく午後8時に投稿しましたよ。
前回間違えて午前8時に投稿予約してしまって、最後の見直しができなかったので。
なので、まれに投稿直前で設定を変えたりする事もあります。
『クレアトゥール』の名称も直前で決まりました。他候補として「ブラックスミス」「アイテムクリエイター」「クリエイトスミス」など、色々ありました。
次回第46話『再会』
お楽しみに!