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ミケのオンラインリハビリテーション  作者: 白ネコ扇子
第4章・侵攻クエスト 剣戟の攻城戦
43/87

43・喫茶店

「うお~い。シェリル~。見舞いに来たわよ~」


 ザキ達が帰り日も沈みかけた頃、入れ違いになる様に病室のドアが開かれた。

 白い病室に不似合いな赤い髪は妙に目立つ。

 顔を覗かせたのはリシアだった。

 珍しく私服だ。肩もおヘソも見える白い薄手のキャミソールに、水色のデニムのホットパンツという露出度高めの格好だ。こうして見ると脚長いなコイツ。別に羨ましくなんか、ない。

 非番の日に来るなんて珍しい。いつもは仕事をサボる口実にここへ来るというのに。


「リシア。……もう飲んでるの?」


「でなきゃ非番の日にこんな所に来る気まぐれ起こさないっての。感謝しなさいよね。はいお土産」


 なんてヤツだ。


「で? どうしたの。なんかいい事でもあった?」


「え?」


 時折コイツは人の心を読む。そんなに顔に出るかな。私。


「ひょっとして、ゲームでかっこいい人でも見つけた? ダメよ。知らない人にホイホイついていっちゃ」


「違う」


 あっちじゃ大体顔のいいキャラばかりだろ。あと子供扱いすんな。

 ふと、ルクスの顔が頭に浮かんできた。違う。断じてそういうんじゃないから。


「そういえば、さっきザキ君とすれ違ったけど。侵攻クエストの祝勝会したんだって?」


「ピョエ!?」


 変な声出た。その反応にリシアは満足そうにニヤリとして、ベッド脇のパイプ椅子を引いた。ぐぬぬ。


「リシア」


 ふと、私はパイプ椅子に腰を下ろそうとしていたリシアを呼び止めた。


「散歩行きたい」


 丸1日以上ベッドでじっとしていたから、なんとなく外に出たかった。

 ザキ達と話したおかげでずいぶん気分が軽くなった。それもあって外の空気を吸いたくなったんだ。


「オッケー」


 リシアは病院のスタッフを呼んで私を車椅子に運んでくれた。

 もう窓から見えるビルの窓にも明かりが灯り始めた時刻だというのに、リシアは二つ返事で了承してくれた。


 そういえば、コイツは私の頼みを滅多に断らない。

 以前は私もリシアの仕事をよく押し付けられていたっけ。お互いあまり遠慮しない。割と距離感も近く、一緒にいて気が楽なのは確かだ。

 見舞いに来てくれるのも家族とザキを除けばリシアくらいのものだ。

 他の同僚からは畏怖の念を抱かれたりプライドがあったりで少し距離を置かれている。同僚とは男の警官も含め、未だ組み手で負けた事ないし、そのせいだ。

 そんな中、遠慮無く私に接してくれるのはリシアくらいだ。

 まぁ、私の戦闘力を利用するのが目的だったんだろうとは思うけど。リシアはそういう所に頭を使うのがとても上手い。コンビとしてはよく機能していたと思う。

 それに私も、悪い気はしなかったし。


 仕事上の相棒、ただの同僚だけど、リシアは私にとって数少ない友達と言えるのかも知れない。今更だけど、少し感謝してる。

 照れくさいから口にはしないけどね。


 とはいえ、この前公園に置き去りにされたので釘は刺しておこう。

 だけど、上機嫌で車椅子を押すリシアの顔を見ていたら、何となく言いそびれてしまった。




「たのもー! マスター!」


 深みのある紅褐色のマホガニーのアンティークドア。

 漣の様な濃淡の織り成す木目模様が光沢を伴ってしっとりと浮かび上がっている。

 決して華美ではないが、随所に見られるさりげない細工は作り上げた職人の繊細な気質が感じられる。線の細い上品なデザインは、どこか優しげな貴婦人を思わせる魅力を帯びていた。

 そんな淑やかで優美なドアは、1人のアホによって乱暴に開け放たれた。


 リシアに連れてきてもらったのは一軒のレトロな喫茶店だった。

 病院で割とあっさり外出許可をもらい、併設されている公園を横切ってすぐの所にそれはあった。大通りからやや外れ、少し静かな場所にひっそりと佇むお店。

 看板には店名であろう「ブラウン」と大きく描いてあった。


 外は焦げ茶色のレンガと濃い褐色の木の窓枠。

 アンティーク調の広い窓は丹念に磨かれて曇りひとつなく、店内のやり取りを静かに映し出していた。


 扉を潜ると、ふわっと漂う芳ばしい香りに包まれた。思わず胸いっぱい吸い込み、堪能せずにはいられなかった。

 渋めの外観から一転して、店内はベイマツを使った琥珀色の柱と乳白色の壁で明るい色合い。

 夕陽の様な電球色の照明と、白い壁に反射する間接照明が暖かみのある光で店内を満たしている。

 天井にはシーリングファンがゆるゆると静かに回っていた。


 長い年月人の手が触れてきた事で風合いを増した店内は、清潔感の中にわずかな渋みを添えている。その雰囲気はゆっくりと落ち着いた時間を過ごすのにちょうどよさそうだ。

 バリアフリーなので、車椅子を押すリシアも難なく私を店内に押し入れていた。

 すぐ近くにこんな素敵なお店があったなんて知らなかった。リシアも意外といいお店知ってるじゃないか。


「いらっしゃい。あぁ、リシアさんか。ゆっくりしていってくれ」


「悪いわねマスター。閉店間際に」


 リシアの声に、カウンターでカップを磨いていた男性が振り返った。

 カウンターの中では少し窮屈そうな、大きなガッシリとした体格。七分袖の白いシャツから覗く太い腕と、シャツを引き裂かんばかりに盛り上げる分厚い胸板。金髪をオールバックに固め、強面の顔立ちと短く整えられたアゴ髭が野生味を上げている。

 若さの中に渋さが乗り始めている年齢はお店の雰囲気によく似ていた。

 良く通る低い声は穏やかに私達を迎え入れてくれた。


「……こんばんは」


「いらっしゃい。どうぞくつろいでいってくれ。今、席に案内しよう。エレン」


 私も挨拶すると、マスターはまっすぐ視線を合わせて穏やかな笑顔を浮かべてくれた。顔立ちのせいもあり少し不器用なのか、やや獰猛な表情になっていたのは仕方ない。

 マスターが店の奥に声をかけると、1人の女性がやってきた。マスターと同じ白いシャツと、腰から下に黒いエプロンを巻いている。焦げ茶色の長い髪を後ろで結い上げた、笑顔の柔らかな人だ。


「リシアさん。いらっしゃい! あら、こちらのカワイイお嬢さんは?」


「オカミさん。こんばんは。こっちはシェリル。まぁ同僚」


 むふっ。カワイイだって。

 私はオカミさんの方に向き直った。


「シェリル・キア……です」


「この子がいつも話してる相棒の! あらあら! 初めまして、オカミのエレンです。あっちはダンナのカーク。どうぞゆっくりしていってね」


 オカミのエレンさんがカウンターに目配せすると、マスターが軽く頭を下げて会釈を返してくれた。

 そうしてエレンさんは私達をテーブルまで案内してくれた。


「いつものヨロシク。こっちにも同じのね」


「はい。じゃあちょっと待ってて下さいな」


 リシアは席に着くとさっさと注文を決めてしまった。とりあえずリシアにおまかせでいいか。初めてだし、リシアのオススメで。

 エレンさんは注文を受けると、目を細めて店の奥に飛んでいった。


「で、どうだった? 初めての侵攻クエストは。なかなか歯応えあったでしょ? 結構カンも戻ってきたんじゃない?」


 リシアは席に着くなり切り出してきた。


「まぁね。強敵ばかりで楽しかった」


 魔法に必殺技と、リアルではなかなかお目にかかれないものと対峙する機会はいい経験になったと思う。


「へぇ。アンタが強敵と評価するって、相当じゃない」


 リシアはテーブルに頬杖をついて、ほんの少し驚いた様な顔をした。


「うん。ソーサリーブレイドとの一騎討ちは一番楽しかった。あれ程の使い手、なかなかいない。それにまだ伸び代もある。今後が楽しみ」


「へぇ……。ソーサリーブレイドって言ったら接近戦じゃダントツの強職じゃない。アンタもなの?」


「……ミスティックマスター」


 それを聞いたリシアはギョッと目を見開いた。


「ちなみに訊くけど、種族は?」


「……龍人族」


 リシアは口元を引き吊らせた。残念職業と最弱種族だからな。その反応にはもう慣れてる。


「ま、アンタじゃね……」


 ふふん。どや。


「……でも、ダークルーラーにはあまり歯が立たなかった」


「アンタ、ダークルーラーとも戦ったの? まぁ、アイツら格下相手にはえげつないからねぇ……。アタシも昔よく酷い目にあったわ」


 頬杖をつきながら、リシアは眉間に皺を寄せていた。


「闇属性魔法は発動が早いから魔法職のクセして接近戦もできるし、バッドステータスの妨害もあって大変だしね」


「わかる」


 私も宙吊りにされたし、ゴルディークは重力で地面に磔に。スフィアルは魔法を吸収されて自身も麻痺にされてた。リラもMPを吸い取られたりと、とにかく妨害手段に富んでいた。

 そして――


「あの魔法。『ペイン』はみんなすごく怖がってた」


「あれ、ね。効果は強力だけど、それが度を超えてるのが問題よ。味方も巻き込む魔法も多いから、ダークルーラーは嫌われてるのよね。だから人口も少ないって話だし」


 リシアは目を閉じてしみじみ語った。

 リシアも嫌な思い出があるのだろうか。いや、無い者なんていないか。


 私も痛みの恐怖で恐慌状態に陥っていた戦場を思い出し、少し身が震えた。


「だけど、こないだどこかのバカが戦場1つ丸ごと大恐慌引き起こしたとかで、ペインの魔法は効果を下方修正するらしいって。全く、どえらい事やらかすヤツがいたもんね」


 うわ。心当たりある。

 でも、おかげでペインの魔法は痛みの上限を設定し直したり、治療薬の販売も始めるそうだ。


「あと、死んだプレイヤーをゾンビみたいに蘇らせる魔法。敵味方全員を配下にするなんて反則」


「へ? あったっけそんなの。……あ、リベリオンアンデッド!? あんなの取るヤツいたんだ!」


 頬杖をついた腕から転がりかけた顔を持ち上げるリシア。

 あんなの? ずいぶん私との認識に温度差があるな。


「どういう事?」


「ん~とね。あれ、闇魔法の極大魔法なんだけど、使い勝手が悪いのよ」


 リシアは目を閉じて手を顎に添えながら記憶をたどっていった。


『リベリオンアンデッド』

 戦闘不能になったプレイヤーやモンスターをアンデッドとして蘇らせ、戦闘に参加させる反魂魔法。

 ただ、プレイヤーの場合は本人ではなくNPCとしてAIが操作する事になる。本人は自陣営の首都に転送されている為、コピーの様なものだ。

 蘇ったアンデッドは生前と同じステータスであるが、アンデッドの特性として聖属性への耐性が著しく低下。回復魔法も受け付けない。

 敵味方双方に大きな損害が出ている場面であれば切り札となりうるが――


「敵味方関係なく襲うのよね」


「うえ……」


 アンデッド同士で争う事はないが、生者へは無差別に攻撃するという。味方まで壊滅したら、その後の人間関係も壊滅的被害を受ける事になるだろう。

 例外的に1体だけ直接術者が操れるみたいだけど、数が多いと対象のアンデッドを探す前に自分がアンデッドの餌食になりかねない。

 ピンチの時の切り札としては、非常に使い勝手が悪いのは確かだった。


「オマケにあれを習得するのに同じ極大魔法が3つは覚えられるってんだから、覚えるのなんかほとんどいないのよ」


 スキルポイントのコストが極めて高いのも習得する人口が少ない理由でもあるらしい。

 極大魔法というのは「初級」「低級」「中級」「上級」のさらに上に位置する高位スキルだ。上位職に昇格する事で使える様になる。これまでの下位職にはない強力なスキルが多く、より戦術の幅を広げる事ができる。


「……そうだったんだ。だけど――」


 私は自分が体験した状況を話した。

 崖に挟まれた狭い地形。主力の集団をぶつけて全滅するまでこちらに大きな損害を与え、その後安全な所から魔法を発動。発生した双方の死者全てがこちら側にだけ襲いかかる状況を作っていた。

 さらに熟練度を上げての効果範囲拡大。これによってこちらの部隊は壊滅的な損害を受けたのだった。


「ひえ~……。なるほどねぇ。そういう使い方があるから習得条件が渋いってワケか。でも、それだけの効果範囲になるまで熟練度を上げたってのは相当面倒……いえ、そんなレベルじゃないわ」


 有効射程範囲は自身を中心とした数メートルだが、これは熟練度によって拡大可能。

 しかし、クールタイムが3時間と長大なのもあり、熟練度を上げるには気の遠くなる様な時間が必要になる。


「余程のヒマ人か、正直頭おかしいヤツね。それ」


 あのダークルーラーのカラカラとした笑い声を思い出した。正直頭おかしいヤツだったと思う。


「あ、頭おかしいで思い出したけど、もしルルドっていうヤツと出会ったら絶対関わっちゃダメよ。笑いのツボがズレてる上に、ワザと周りを巻き込むのが好きな変人だから」


「……うん」


 どこかで聞いた名前だけど、忘れよう。


「あら、ゲームの話?」


 と、現れたのはエレンさんだ。注文した食事とコーヒーを持ってきてくれた。

 白い皿に乗せられてきたのは大きなトマトとパティがサンドされた、ハンバーガーだ。

 バンズから激しくはみ出した肉からはトロリと肉汁があふれ、焼けた肉の脂とスパイスのきいた香りが食欲をそそる。おっと、ヨダレが……。

 その横にさりげなく添えられたコーヒーからも白い湯気と共に芳ばしい香りが立ち昇っていた。


 ここ、喫茶店ブラウンでは料理をエレンさんが。コーヒーをマスターが担当しているそうだ。

 カウンターの奥から時折チラリとマスターが視線を覗かせていた。コーヒーの出来具合が気になっているのか。なんだかその様子が、構ってほしいのに素直になれないネコみたいで可愛い。

 ……って、視線をカップに向けたら、コーヒーの表面には白い泡で描かれたネコのラテアートが!

 思わず顔を綻ばせていたら、カウンターの奥でマスターが小さくガッツポーズを決めているのが見えた。


「マグぁ~ウェ~……」


 リシアのヤツ。もう食べてる。口一杯にハンバーガーを頬張って変な声を出している。しゃべるか食べるかどっちかにしろ。


「はい……。ゲームの話、です」


 代わりに答えようとしたけど、飲食店でゾンビの話してたなんて言えない。


「流行ってるものね。エクステンドオンライン。私もうちの人と一緒にしてるのよ」


 私が口を開きあぐねていたら、エレンさんが口火を切ってくれた。


「そうなの?」


「ええ。リシアさんに誘われたのがきっかけでね。あの人最初は『機械は苦手だ』なんて渋ってたクセに、今じゃ私より夢中になっちゃって、剣術の勉強まで始めちゃったんだから」


 エレンさんは口元に手を当てて目を細めると、カウンターの方に目配せをした。


「そうそう。今じゃそこそこ名の売れたプレイヤーとして活躍してるんでしょ?」


 頬張っていたものを飲み込んだリシアが言った。


「まぁ、おかげで侵攻クエストばかりに引っ張りだこで、他の地域へ冒険に行けないってぼやいてたんだけどね。今度やっと中立陣営へ移る事ができるから、これで少しはのんびりできるわ」


 エレンさんとマスターは夫婦で同じパーティを組んで冒険しているそうだ。他のメンバーはゲーム内で知り合った気の合う人達で一緒に遊んでいるんだって。

 お店を夕方早めに閉めて、食事と少しの休憩の後は夜までゲームで遊ぶのに費やしているという。

 喫茶店の忙しい時間帯はモーニングからランチタイムで、ティータイムの後は人が引いていく。なので夜は自分達の時間に使えるんだとか。

 それとここはオフィス街に近いので週末は人の行き来がほとんど無く、お店もお休みにしているそうだ。


「このお店を始めてからずっと忙しくて、やっと落ち着いてきた頃にちょうど趣味らしい趣味もなかったからねぇ。仮想世界だけど、本当にいろんな所に旅行してるみたいで楽しいのよ」


 エレンさんはどこかに想いを馳せているのか、目を閉じるとにっこり笑みを浮かべた。


「……むぅ。今度ちゃんとリアルで旅行に連れて行ってやるぞ」


 閉店間際で少しずつ人が席を立ち、残っているのは私達だけだ。

 静かな店内にマスターの呟きが小さく木霊した。

 思わず声が響いてしまったせいか、マスターは顔を強ばらせた。


「あら、どこか連れてってくれるの?」


「う、うむ。実は……。飛行機のチケットを融通してもらってな。その、良かったら今度の週末にでもどうだ? お前が前に行きたがっていたあそこなんだが……」


 マスターは少し照れくさそうに呟いた。

 エレンさんはただただ笑っていた。小躍りしそうなくらい嬉しいのが顔に描いてある。

 その様子をリシアはニヤニヤ楽しそうに見ていた。


 そんな時だった。

 お店の扉が開かれ黒いスーツ姿の若い男性が入ってきた。

 素人目に見てもそこそこ高そうなスーツで、身なりの良い痩身の男性だ。

 ……良いんだけど、なんだか項垂れていて、トボトボとした足取りで力無くカウンター席に着いた。

 細身で背は高いようだったが、項垂れているせいか少し小さく見える。やや乱れた短い黒髪と黒縁眼鏡で、本来はキッチリとした格好なのだろうと思われるが、今はなんだかくたびれている。

 細く垂れ下がった目の、何だか気弱そうな人だ。


「いらっしゃい。エドワードさん。……どうしたんだい? いつもと随分様子が違うようだが」


「……マスター。いつもの」


「うむ……」


 一応普段通りの声をかけるマスターだったが、明らかにおかしい様子に心配そうな面持ちとなった。

 マスターが豆を挽き、出来上がったコーヒーをカップに注ぐまで、エドワードと呼ばれた男性はずっと顔を伏せたままだった。


「さ、どうぞ」


 マスターがコーヒーをテーブルに置くと、エドワードはゆっくりその取っ手に指を添え、香りを感じるとようやくひとつため息を吐いた。


「マスター。聞いてくれますか」


 エドワードは少し震える声でそう言った。

 マスターは何も言わず、ただ黙して言葉の先を待った。


 なんとなく、離れた席の私達も静かに見守っていた。

 さっきまで楽しくワイワイお話していたのが、一変して何やら重々しい空気に変わってしまったな。

 まぁ、3人共ちょっとワクワクしながら聞き耳を立てているんだけどさ。リシアなんかあからさまに目を輝かせてるし。


「私にはずっとライバルだと思っていた人がいたんです。まぁ、私が勝手にそう思っていただけなんですけどね」


 しばしの沈黙の後、エドワードは口を開いた。


「初めて会った時、その圧倒的な実力に打ちのめされて、それからですよ。一目惚れみたいなもんです。その人に憧れて追い付く為に、いつか並んで張り合える様にと努力したものです」


 何の話だろう。仕事か、それともスポーツだろうか。だけど体型はひょろひょろで、体を動かすのが得意そうには見えない。チェスみたいに頭を使うものかな。私は苦手だ。


「それでも、その人はやっぱり凄くてね……。なかなか勝てるものじゃなかったですよ。私には……その人みたいなセンスってものが無くて。真面目にコツコツがんばるしか取り柄のない私じゃ真っ向から張り合えないから。無い頭を必死に絞って色々考えて、とにかくコツコツコツコツ積み重ねてですね……」


 始めはポツポツとだったが、言葉を繋いでいく内に次第に流暢になっていく。手にしたカップが静かに宙に漂っていた。


「初めてあの人に勝った時の事は今でも覚えてますよ。いつの間にかあの人に私の名前を覚えてもらっていたのには言葉では言い表せない感動がありました。そしていつしかお互い負けまいと気を張って、今では勝つ為に毎回方々手を尽くしてギリギリ食い付いてきました」


 どこか遠くを見て思いに耽っているエドワード。思い出す度にその時の感情が蘇っているのか、少しどこか楽しそうにも感じられた。


「先日は万全を期して挑んだにも関わらず、見事にしてやられてしまいましてね。ただ、今回初めて最後だけは真っ正面からぶつかり合ったんですよ。思えば最初は正面からその人と渡り合えるなんて思ってもみませんでした」


 エドワードは鼻息荒くその様子を思い浮かべ、語っていた。それこそ、最初の様子が嘘の様に精気に満ちていた。


「その時、初めて本当にその人に認められた気がしたんです。その高揚感が残っていたまま次の機会を思い浮かべていたら……」


 エドワードは拳を握り興奮気味だったが、ここで急に再びガックリと肩を落としてしまった。


「そのすぐ後、その人が活動の場を移すと聞いて……。それでもう、その人と勝負する機会が失われてしまって……」


「…………」


 マスターはじっとエドワードの話を聴いていた。黙ったまま彼が話を終えるまで、ただただ耳を傾けていた。


「ふむ……。俺にも似たような覚えがありますな」


 エドワードが話を終え、しばらく沈黙が店内を包んでいたが、マスターが不意に口を開いた。


「俺も趣味で格闘技……の様なものをしているのだが、互いに競ってきた相手がおります。初めて出会ったのがいつかは覚えてませんが、いつの間にか互いに研鑽を積み、しのぎを削る者同士であると勝手に思う様になっていました」


 マスターは腕を組むと、静かに言った。


「……もし、その人ならば、エドワードさんと競った事を忘れる様な事はないでしょう」


「そう、でしょうか……?」


「少なくとも、俺なら忘れませんな」


 マスターが力強く言い放つと、エドワードはそれを見ながらしばらく沈黙した。


「……そうですね。確かに、勝ち逃げされたままでは気分が悪い。そうだ! 追いかけてみます。勝負の舞台が替わっただけだと思えばもしかしたら! マスター! ごちそうさまでした!」


 エドワードは顔を上げコーヒーを飲み干すと、先程までとうって変わって意気揚々と店を出ていった。ちゃんとコーヒー代は小銭ピッタリで置いてある。結構几帳面な人みたいだ。


「……ふう」


 マスターはその背中を見送ると、小さく息を吐いた。その顔は、少し満足そうだった。


「や~。なかなかいい話を聞かせてもらったわ! 青春ねぇ~」


 ようやく沈黙から解放されたリシアが跳ねる様に立ち上がって拍手をした。囃し立てるリシアに、マスターは顔を赤くして頬を指で掻いた。


「そういえばよくゲームでアナタと張り合ってた人がいたじゃない。あの人もアナタが中立陣営に移るって聞いたら残念がるんじゃない? ちゃんと挨拶してきたら?」


 エレンさんはエドワードの飲み干したカップをトレイに乗せると、マスターに視線を向けた。


「……そう、だな」


 マスターは考える素振りを見せて、強面の顔をより険しくしていた。

 でも、どこか楽しそうに見えた。私にはわかる。あの不器用な表情は、私となんとなく似ている気がするんだ。


「さぁって! 私達もそろそろおいとまするとしましょうか。ごちそうさま。マスター、オカミさん。またね」


 リシアは口の端に付いてたソースを親指で拭うと、ペロリと舐めた。

 そしてテーブルに紙幣と小銭を置くと手を振って歩き出した。


「ごちそうさまでした。料理とコーヒー、美味しかったです」


 私がそう言うと、エレンさんは目を細めて笑ってくれた。


「ありがとうございました! またいつでもいらっしゃい」


「うむ。そう言ってもらえれば何よりだ。ありがとう」


 マスターも不器用で獰猛な笑顔を浮かべていた。


 ライバルか。

 ふとベリオンとの戦いを思い出した。

 プレイヤーの技術なら私が、キャラクターの性能では向こうが上の不恰好な勝負だった。だけど、互いにそれぞれの研鑽を積んでいけば、きっともっと良い勝負ができる様になる気がする。

 そう遠くない未来で、その機会は私を待ってる。車椅子じゃなければ飛び跳ねたい気分に浸りながら、私は店を後にしようとした。


 リシア。アイツまた私を置いてった。

 はぁ。締まらないな……。

 これで今章は終了です。

 第1部『チュートリアル編』完、といった所です。ここまででようやく舞台となっている『エクステンドオンライン』の設定がほぼ出てきた感じですかね。


 次章はまだ設定の細かい部分が煮詰まっていない為、しばらく更新をお休みしようと思います。

 再開は未定ですが、復活まで少々お待ち下さい。まぁ、エタらない様にはしますので、楽しみに待っていて下さい。


 次章からは新しい舞台、新しいキャラクターと共に、ようやく物語が動き始めます。


 次回第44話『挑戦者と加害者と私』


 しばしお待ち下さい!

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