24・レツト平原
「ルインスペル」
私は青空の下、広大な平原で1つの黒い石碑の前に立っていた。
ここは『レツト平原』。
アルテロンドのすぐ東に隣接している平原だ。
西にアルテロンドの街を囲む白い城壁が南北へずっと続いているのが見える。
その中央に1つだけある大きな城門がこの都への出入口だ。城門のすぐ外側は深い堀になっており、唯一ある跳ね橋が城門へ到る道となっている。
この跳ね橋はプレイヤーが操作して上げる事もできるらしい。他の通行人の迷惑になるから、やる人はあまりいないと思うけど。
城門は街の東西南北にそれぞれ1つずつある。私もマクシミリアン砦跡に行く時には北側の門から進んだ。
平原は東へずっと続いており、南北は高い山で挟まれている。
特に、南側の山は『不毛の山岳地帯』と呼ばれている。
この世界を南北に分断する山脈で、道は無いに等しく非常に険しい。モンスターすら存在せず、転落死の危険も高い為立ち入る者はいない。
ちなみに、山岳地帯唯一の盆地に始まりの街アルバと、山道で繋がるアイゼネルツがある。
だから飛行船で移動していたのか。徒歩で走破しようと考えた事もあったけど、やめておいてよかった。
北側の山も平原からは険しい崖となっていて登る事は難しい。
ただ、こちらの山は『ティーア山地』というフィールドとなっていて、登る道は別の場所にあるとの事だ。モンスターも出現する。
レツト平原には東の果てから流れてくる1本の大河があり、マクシミリアン砦跡の北から西にある森へと進んでいる。
他にも不毛の山岳地帯から流れる小さな川がいくつもある。アルテロンド周囲の堀はそこから水を得ている。
城門から東へと進む街道は純白の石畳で整備されていて、複数の荷車やパーティが行き交っても余裕があるくらい幅広い。石の継ぎ目はカミソリ1枚入る隙間もない精度で加工されている。
今まで見てきた中で最も綺麗な街道だ。
途中にいくつかある川を渡る橋も白い石造りのアーチ橋だ。
この広大な平原は、かつて攻めてきた魔王軍の軍勢との大規模な野戦が行われた古戦場であるらしい。
そのせいか、昼間は獣や昆虫、鳥タイプのモンスターが徘徊しているが、夜は夜行性の獣の他にアンデッドモンスターも現れる。
平原の各地にはかつての名残だろうか、時々古代の石碑が点在している。
ちょうど目の前にもひとつある。黒い石でできており、大きさはダイニングテーブルくらいか。腰かけるにはちょうど良い高さだ。
文字は磨り減っているが、まだかろうじて読める。
私はその前に立ち、新しく覚えたルインスペルの魔法を唱えたのだった。
「……読めない」
ルインスペルは古代の文字を読める様にする魔法なのだが、浮かんできた翻訳は所々虫食いで満足に読めない。
読める文字と読めない文字があるみたいだ。
「マクシ……」
ただ、読める文字に思い当たる単語があった。
もしかしたらこれは地名を示す標識か何かなのかも知れない。
じゃあ、これに続く読めない文字はミリアン砦と読むのかも。
それと、わかったのはこの古代文字がアルファベットの様な文字の組み合わせで意味を作る表音文字ではなく、文字単独で意味を持つ表意文字だという事だ。
東国で使われている漢字や古代の遺跡で見られる象形文字とかと一緒だ。
修行でいろんな国を旅したおかげで、簡単なコミュニケーションが取れるくらいには語学には自信があるのだ。……大体ボディランゲージだったけど。
翻訳された文字はこの場を離れると消えてしまうが、この場に留まっていれば時間経過で消える事はないようだった。
「……読める文字が増えた」
どうやらルインスペルは時間経過で熟練度が上がっていくという事がわかった。
文字ひとつひとつに熟練度が設定されているらしい。
アルファベットや数字みたいな基本的な文字はすんなり習熟するようだが、漢字の様に難しい文字はそれなりに時間がかかるみたいだ。
一体何万文字覚える事になるのやら。気が遠くなりそうだ。とにかく沢山読めって事か。
読める様になるまで待つしかないか。
しかし、あまりのんびりとはしてられなかったようだ。
突如襲いかかってきた刃を飛び退いて避け、背後を振り返る。
ノコギリ状の刃が石碑に突き立つのを尻目に、私はその持ち主を見据えた。
そこには鋭いアゴをキチキチと打ち鳴らす人間大の巨大なカマキリ「ヒュージシックル」の、2振りの鎌を振りかぶっている姿があった。
草原と同化しそうな緑が、鎌を一閃した。
一直線に刈り取られた草が空に舞う。
閃いた刃をかい潜り、私はヒュージシックルの小さな頭をアッパーカットで打ち上げた。
頭部が小さいせいかイマイチ手応えが軽い。
胸部を蹴飛ばして鎌の追撃を躱し、距離を取る。
昆虫が人間と同じ大きさになると、人間の数百倍の力があると言われている。果たして本当かどうか。
じゃあ、実際に試してみようか。
私は一歩前に出て距離を詰めた。
と、見せかけてすぐにバックステップで退く。その場で私を捕らえようとした鎌が地面を抉っていた。あれに捕まったら胴体ごと真っ二つにされそうだ。
地面付近で閉じられた前肢を飛び越え、間合いの内側に飛び込む。細長い胸部に何発か拳を叩き込むが、硬い外骨格はなかなか砕けそうにない。
逡巡していると、頭上から鋭いアゴが襲ってきた。
すぐに横へ跳びヒュージシックルの側面へ回り込むが、4本の脚を巧みに使い素早くこちらに向き直られた。
ならば、とその4本脚が持ち上げる胴体の下に滑り込んだ。
後頭部を鎌が掠めた。
大きな腹が目の前を埋め尽くす。私は地面に仰向けになっていた。
指先を固めると、視界いっぱいの腹に抜き手を放つ。
柔らかく指先が突き刺さる感触があった。思った通り腹が弱点だ。ここは防御力が低い。
そして、だめ押しに新しく覚えた攻撃魔法を唱えた。
「ライトニングボルト!」
手の周囲に小さな魔法陣が出現し、眩しい雷光がヒュージシックルの身体中を貫いた。
『ライトニングボルト』
雷属性の低級攻撃魔法。スピードのある電撃で敵を射抜く。
1発しか撃てないが、威力はプリズムアロー4発分よりかなり高い。
射程も初期の3メートルからかなり延びたとはいえ、現在6メートル弱のプリズムアローより長い10メートルもある。
そして、食らった相手の動きを数瞬鈍らせる事ができる。
体内から電撃を撃たれたヒュージシックルは激しく痙攣し、ヨロヨロと逃げ出した。
初級魔法のプリズムアローと違い、ライトニングボルトにはわずかだが発動までにチャージタイムがあった。
しかしながら、低級魔法なら1秒と大した時間ではないみたいだ。
私は距離を取ろうとするヒュージシックルの細い脚を蹴り折ると、バランスを崩したその背中に飛び乗った。
首を取ろうと手をかけたが、2本の鎌が邪魔をして叶わなかった。胸部が細いせいか、腕の可動域が背中にまで届くみたいだ。
そういえば、カマキリを背後から掴み上げた時も指を挟まれた事があったっけ。
私はその鎌を掴むと、もう1本脚を蹴り折り引き倒す。
そして、胴体に脚をかけて思いきりのけ反った。鎌の前肢を引き伸ばし、関節を反対側に極めて破壊する。
バキバキと音を立てて外骨格が割れ、関節が砕けた。昆虫としては比較的人間に近い上半身をしていた事が仇になったな。
極め技は筋力さえ勝っていれば、防御力を無視してダメージが通る。ヒュージシックルの片腕より私の全身の筋力の方が勝っていたようだ。
私はもはや満足に動けず、戦う術を失ったヒュージシックルにとどめを刺し、一礼した。
どうやら昆虫が人間大に巨大化しても、数百倍も強くはないみたいだ。
「……西・マクシミリアン砦 東・渓谷地帯……」
しばらくすると石碑は全文読める様になっていた。
やはり標識だった。
ちょっぴり達成感を味わい小さくガッツポーズ。
こんな感じでレツト平原でレベルを上げ、私はレベル14になっていた。
ここレツト平原の適正レベルは11~20となっている。アルテロンドへ到着してからすぐに行ける狩り場だしね。
東へ進むにつれてモンスターが強くなっていくので、最初はアルテロンドの付近でレベルを上げていく事になる。
私がいるのは大体平原の中心だ。何もない草原が360度広がっている。視界の端に時折他のプレイヤーがモンスターと戦っているのが見えるが、おおむねのどかな風景だ。
東の果てには石碑にも記してある渓谷地帯への入口があるとの事。レツト平原を流れる大河の源流があり、景色のいい渓流が見物だとか。
その先に、次のシナリオクエストの舞台があるという。
私は首にかけた赤い宝石に触れた。
『ドラゴンハート』
マクシミリアン砦跡でのシナリオクエスト報酬で手に入れたアクセサリーだ。
【筋力+2%】の効果がある。
私の場合体術熟練度による補正のおかげで攻撃力を得ている。
だけど筋力はそれほど高くない。むしろすごく低い。
なので、筋力+2%じゃほとんど効果を実感できない。分母が小さければ効果はその分小さくなってしまう訳だ。
ちょっぴり残念だけど、綺麗な宝石なので気に入っている。
『アクセサリー』
指輪、腕輪、ネックレスや首輪、ピアスなど身を飾る物全般を指す。
物理的な防御力はほとんど無いが、様々な特殊効果を宿している。
ステータスの底上げをしたりバッドステータスを予防したりと、効果は多岐に渡る。
『バッドステータス』
敵からの攻撃などによってステータスの低下や行動に何らかの制限がかかり、身体や精神に異常が発生した状態の事。
毒やマヒなど、身体的なバッドステータスは体力値で回復速度やかかり難さが改善される。
幻覚やスキル使用不能など、精神的なものは魔力値で改善される。
ただし、敵のレベルによってバッドステータスの効果も強くなっていく。
なので、ステータスそのものを鍛えるか、より高い予防効果のアクセサリーが必要になってくる。
アクセサリーは身体中どこにでも際限なく装備でき、身に付けてさえいれば効果は発揮される。どうやらアイテムホルダーに取り付けているだけでもいいみたいだ。
ただ、ほとんど重量は無いに等しいが、必要魔力量はそれなりに高い。
なのでたくさん着けて無数の効果を得ようとしても、魔力値の限界を超えれば効果は不発となるので意味はない。
やはりアクセサリーだからか破損しやすく、修理費も結構高い。
しかも、修理にはその為の素材も必要になるらしい。持っていなければ修理できないのだ。
……獣身覚醒時は外しておこう。
ちなみに、髪留めに使っているバレッタもアクセサリーで、【防御力+1】の効果がある。
装備品にではなく身体に直接防御力が付与されているようだ。なんか、少し皮膚が分厚くなった感じに近いかも。
私は赤く輝く宝石を眺めながら、記憶を探っていた。
ドラゴンゾンビが言っていた事が気になっていたからだ。
あれは単なる憎しみだけではなかった様に思える。まだ、少し理性的な……そう、使命感の様なものを感じた。
復讐心以外にもそれとは別な因縁があるのかも知れない。いずれそれについても調べてみよう。
……とは言え、適正レベルがまだまだずっと上なので、当分は先の事になりそうだけど。
当然だが、シナリオクエストも進行すれば難易度は上がっていく。
ただ、シナリオクエストは未だ最後までクリアした者がいないのだとか。
噂ではとてもクリアできない難易度なのだそうだ。まあ、どんなクエストなのかは大体想像がつく。
とりあえず、予め受けていたクエスト『ヒュージシックルを1体討伐せよ』と、ミスティックマスターのクラスクエスト『レツト平原の石碑を解読せよ』をクリアしたのでアルテロンドへ戻ろうと思う。
次回投稿は30日午後8時予定です。
新章開幕です。
これからの課題は文章のわかりやすさをそのままに、もっと読みやすくスッキリさせて行きたい。
なので、もしかしたらこれから過去に投稿した分も少しずつ手直ししていくかもしれません。
次回第25話『侵攻クエスト』
お楽しみに!