つり橋の女 (ショートショート63)
山間部にあるその村は風光明媚な名所として知られていた。
訪れる観光客は年間を通して多い。
一番の目玉は深い谷に渡したつり橋だった。高さ五十メートル、長さは三百メートルを超える。
その夜。
公園管理事務所のテレビの前で、警備員の目はある地元ニュースに釘づけとなっていた。村にひとつだけのコンビニに、強盗が押し入ったそうである。
犯人は店員を刺殺して逃走中。
真紅のフルフェイスヘルメットで顔を隠した姿が、店内の防犯カメラに写し出されていた。
――この村も、ぶっそうになったもんだな。
警備員はつぶやいてから、夜間の見まわりに出ようと立ち上がった。
と、そのとき。
ガラス窓の外――薄暗い駐車場に、女のうしろ姿を見た。
女はつり橋の方へと歩いていく。
――まさか……。
警備員は直感した。
公園の営業時間はとっくに過ぎている。こんな時間に、しかも一人でつり橋に来る目的はただひとつ。自殺しかないことを……。
ここは飛び降り自殺の名所としても知られ、まれにその目的で来る者もいる。そうしたうちの数人を説得し、寸前で助けたことがあった。
警備員は事務所を飛び出すと、走って女のあとを追った。
女はつり橋の中央付近にいた。フェンスにもたれるようにして、じっと谷底をのぞきこんでいる。
ためらっているように見えた。深い谷底に飛びこむのだ。おじけづくのも当然であろう。
女の足もとには脱いだ靴がそろえられてあった。
――やっぱりだ。
警備員は女のもとにかけ寄った。
足音に気づいて、女が振り向く。
端正な顔立ちの若い女だった。
「こんな高いところから落ちたら、美しい顔がグチャグチャになりますよ」
警備員は女に向かって声をかけた。
こう言えば、たいていの女は思いとどまる。
そのことを、警備員は経験から心得ていた。死んでも美しくありたいと思う女性には、これが一番いい説得方法なのだ。
「……」
女がその場に泣きくずれる。
――もうだいじょうぶだ。
警備員は確信した。
警備員は女を連れ、深夜の管理事務所にもどった。
「どうして?」
それとなく理由をたずねてみた。
「わたし……」
女がポツポツとしゃべり始める。
恋人と別れて間もないこと。その恋人に、取り返しのつかないことをしてしまったことを……。
――どんなこと?
警備員は内心ひそかに思った。
だがそれを、あえて問いただすようなことはしなかった。こんなときはなにより、そっとしておいてやるのがよいのだ。
とはいっても……。
飛び降り自殺の恐怖は、女の記憶に刻んでもらわねばならない。このつり橋で、二度とバカなことをさせないためにも。
「谷底を見たとき、さぞ恐かっただろ?」
「はい、とっても」
「あんなところから落ちたら、めちゃくちゃに顔がつぶれるんだ」
警備員は念を押すようにおどしをかけた。
「イヤですね、そんなことになるなんて」
女は両手で、ほほのあたりをつつんだ。
おどしがきいたようである。
「だからね、もう変な考えは起こさないように」
「はい。貴重なお話、ありがとうございます」
女は立ち上がると深々と頭を下げた。
ご迷惑をおかけしました、失礼します……と言い残し、事務所を出ていく。
――どうやって来たのかな?
警備員は首をかしげた。
駐車場には一台の車も停まっていない。さりとてふもとの村から徒歩で来るにはかなりの時間がかかる。
「車じゃないみたいだけど?」
「バイクです。近くまでバイクで来たんです」
女は振り返ってほほえんだ。
警備員は窓辺で、立ち去る女のうしろ姿を見送っていた。
女が闇に消えるまで……。
翌朝。
女は死体となって発見された。つり橋の中央付近の下、岩だらけの谷底で。
美しい顔には傷ひとつなかった。
真紅のフルフェイスのヘルメットに守られて……。