宵と月と白
暗い住宅地。
かつては栄えていたのだろう、この町には空き家と廃墟が並ぶ通りがいくつも存在するらしい。
宵に街を歩けば、すべてが人の居ない家屋ではないにしても、どの家もひどく廃れており、荒れた庭に割れたガラスの幾片かが散らばっていることも珍しくない。
人が住まう家ならば、屋内や軒先に明かりの一つでも在ろうものだが、少なくともこの辺りでは、頭上の月と無数の星ばかりが輝いている。
少し通りを違えれば、古い街灯の明かりが頼りなくはあるが道を照らしている。それも人通りのある場所を選んでのことだ。この道も、行く先にも、明かりは天のそれだけである。
後悔とも違う。言うならば、『否定』。
狼の姿になればいっそう鼻は冴え、身体は軽く、疾く。
ほとんど暗闇と変わらなくとも、地面はアスファルトで覆われているのだ。その特有の感触と臭いさえあれば、私は道を辿れる。
誤解であってくれればそれでいい。ほんの気まぐれで夜の世界を歩きたくなっただけでもいい。
辿り着いた先に、いつものように姿があれば、それで安心できるのだ。
街のこと、そしてある程度の常識は、辞書をめくればいくらかの知識として得ることができた。そして実際に、無機質な街並みと科学の凋落を目に、しかし感動も落胆も持ち合わせていなかった。
ただ、必死に先を急くのみ。
ただ、不安と恐怖が後から迫ってくる。
客観的に見れば逃げるような姿なのかもしれない。心の内は同じようなものだろう、それを少しでも打破せんと、限界の速さでひたすら駆ける。
私はずっと気付いていた筈なのだ。気付いていたけれど、自分が物を知らない所為だと思うようにしていた。
打ち解けるにつれて、その否定は強くなっていったのだ。気のせいに違いない、と、日ごとにより強く思うようになっていた。
――だけど、それは今朝、打ち砕かれた。
もっとはやくに声に出して訊ねていれば、何か変わったかもしれない。今朝、家を出るのを引き留めていれば、いいや帰りを待っていると、そう伝えられたら何か違ったかもしれない。
でも、私はそれができなかった。
些細な不安と危惧が、その重大さ故に、私を動かすまいとしたのだ。
住宅街を抜け、少し林道のようになった丘を登っていく。
空が近くなる。冷たいコンクリートの壁と錆びたトタン屋根の臭い。
その暗闇の中で私を導く、あの親しい匂い。
だが、少しの安心も無かった。
狼の優れた嗅覚に嫌悪を覚え、人型に切り替える。地面は硬く、風は重い。夜の空気が肌を刺し、足元に散らばる何かもわからない破片が、柔い裸足を傷付ける。
この姿でもわかってしまう。それだけの重圧があった。
「――ご主人」
トタンの屋根と、上向きに出張った換気口。
そこに結びつけられた合成素材の細い縄。
慌てふためくこともできなかった。
――私は。
縄を解き、その身体を抱き寄せる。
もう立っている目的すら無くなった。地に膝をつき、顔を寄せる。
まだ温もりが残っている。
まだ、魂はそこにある。
――私は、ご主人と一緒に幸せでありたかった。
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