猫と夜
夢白夜。
動きやすく変形させた、和服に似た着物をやや崩した状態で、彼女は(物理的に)揺れていた。
「あ…、あ、」
この郷において、すべての始まりの神々とされる『九狼』。
その内、『夢白大神』を祖にもつ、夢白の末裔。
(…お、落ちない…よね…?)
万事休すの状況で、狼に変化して窮地から脱した彼女だったが、狼になる際に『敵』を蹴りつけて後方へ跳躍、そして、
「袖が…」
彼女は木の上にいた。大地を駆ける狼は木に登ったりはしないわけで、たまたま枝の上に着地したに過ぎない。
その後、枝の上での動作に慣れている筈もない彼女は、姿勢を整えようとして失敗し、一段下の枝まで落ちたわけだが、枝に袖が引っ掛かったまま外れなくなってしまっていた。
(とれない…。…力いっぱい引っ張れば、枝を折って解けるかもしれないけれど、もしも勢いがついてしまったら…)
夜は改めて枝下に目を向ける。
対峙した状況からはどうにか抜け出せたが、木の根元には一〇体以上の『敵』がこちらを見上げていた。
木を登ってくる様子や、飛び道具を使うようでもないが、落ちればどうなるかなど分かりきっている。
絶体絶命の状況ではないにしろ、このままではいつ手を滑らせて落ちるか分かったものではない。いまも、明らかにバランスの取れていないことに気付いていない夜だが、かえって袖が引っ掛かったまま外れなくなっているのでどうにか落ちることは無いという状況なのだ。
(星夢様たちは…無事でしょうか…)
どうしようもない状況だが、夜の頭には星夢や焔のことが過る。彼女にとっては、自分が危険に晒したも同じなのだ。
そう、彼女が心配したからか、
「…え?」
枝に遮られて、半身しか見えなかった『敵』、一人でも脅威であろう内のその一人が、突然に殴り飛ばされた。
「夜ちゃんッ‼そのまま動かずに待ってて‼」
百間星夢。最初は夜とはだいぶ離れた位置で『敵』に囲まれていたはずの彼が、夜の落とした鉄扇を武器に、下に屯する『敵』を突き倒していく。
狼に由来する膂力の『舞』は、星夢といえど破壊力では敵わないだろう。それでも星夢が『敵』を突き飛ばすことができるのは、夢白の、対人用の護身術とは異なり、星夢は格闘技を併せた技術でもって、人間型の『敵』のバランスを崩しているからである。
バランスが崩れた『黄金製』の相手ならば、その一瞬は相対的に浮いている様なものである。そこから運動の方向を見切って鉄扇で突き、『敵』を排除する。
「間に合った…、とは言えないか。夜ちゃんがラッキーガールでもなければ今頃は…」
そして、
―――ッドンッッッ‼‼‼‼
轟音は空を焼いた。
もはや爆炎と表現するのが相応しかろう『突き』が、星夢の突き倒した黄金の『敵』を溶かしつくしていく。
「焔ちゃん!木が燃えてるって‼」
「そんなところにいるのが悪いのです…」
拓けた元の戦場から森へ。高温の炎で空気を揺らがす剣を手にした小柄ネコミミネコ尻尾悪魔は、蜘蛛の巣でも巻き取るように辺りの草木に移った炎を回収していく。
人間ならば十に満たないその姿の背後、元の戦場で合った場では、ドロドロに溶けて鈍い色の黄金が地面を覆っていた。
その名を冠する通りに高温を扱う彼女にとっては、黄金の造兵を溶かすなど、こて先の半田が解けて滴るのと同じなのだろう。とくに、敵の数にうんざりしてきた後半の戦場はなお、である。
「星夢様、焔様、御無事でしたか…!」
躊躇いには罪悪感が含まれていた。が、それを扱うのは星夢や焔の側である。
「夜ちゃん、なんでそんなところで遊んでるのか聞きたい、ってのも大いにあるんだけど。取り敢えずそこから降りれないのかい?」
星夢の目線が明らかに夜の目線とすれ違っているのは、夜の服装が、スリットの入り大きくはだけたものであるからだろう。
護身といえど戦闘の際には、彼女たち九狼の着る衣装は変形して動きやすくできる。その都合で彼女の服装は、月光のような白い肌に重ねて非常に蠱惑的なのである。
その点において星夢は遠慮しない。
「夜ちゃん。降りられないのなら私はこのまま眺」
「せいむ様。私今いい感じにアップを終えた刃を手にしてるです」
焔が炎を纏う黄金剣を振り回すのを超人的に回避しながら、星夢は夜にも聞こえるだけの音量を維持したまま、
「枝を切るかい?そのナマケモノみたいな姿勢だと、くるっと回って落ちそうだけど」
「あ、あの、実は私このような状況は苦手で…」
「うん。それは多分誰でも分かる」
焔は剣から炎を剥がしながら、
「ここからだとよるの手を切断した方がやりやすいのです」
「えっ⁉ちょっと、もっと穏便に…っ⁉」
「冗談だって」
「ホントにやるでもいいですよ」
「やめてください‼」
そうは言いつつも、焔は熱の冷めつつある剣を口に咥えて巧みに幹を駆けあがってゆく。
姿性質がネコであるためか、木登りに関しては達人的であった。
「焔ちゃん。取り敢えず夜ちゃんを降ろせそうかい?」
「枝を折ったらすぐに外れたです。見ての通りひっくり返ってるですけど」
狼は陸上ではその地域の頂点になり得る狩人である。しかし、木を登ったりはしない。
今までは袖が引っ掛かってそのためにバランスが保たれていたが、焔が取り外した途端に夜は枝につかまったままくるっと落ちてしまった。
夜はどうにか筋力だけで枝に掴まることはできたが、物に掴まる技術は持ち合わせていない。そのまま手を滑らせて落ちるのも、時間の問題である。
「ぅ…う…た、助け…て…」
「落ちればせいむ様が拾ってくれるです。私も降り方は知らないのです」
猫は、爪や骨格の性質上木に登ることを得意とする。ただ、やはり構造上降りる手段は飛び降りる以外に持ち合わせていない。
「はやく手を離すです。タイミングが掴めないとホントに地面まで落ちるですよ」
「へい夜ちゃん‼流石に真下から見上げるのは、後で焔ちゃんに八つ裂きにされそうだから遠慮したいんだが。早く落ちてきてね」
「せ、せめていったん…引き揚げてください…」
夜は今にも落ちるという恐怖に、どうにか焔の方へ訴えかけた。
だが、焔は、
「うるさいです。持ち上げるに素では力が足りないです。面倒なのでそのまま落ちるのです」
「――あっ⁉ちょっと、だ…、ぁわっ‼⁉」
焔は容赦なく、夜の手を外した。
抗いようもなく、重力に引き摺られる夜。
「はいよっ」
真下で待機していた星夢は、自分音言葉の通りに見上げもせずに、一度ジャンプしてから夜をキャッチ、それから二人分の重量による衝撃を完全に殺して着地した。
それに続いて、空中で半回転して焔が着地する。
「大丈夫?夜ちゃん」
「あ、は、はい…」
星夢に横抱き――つまりお姫様だっこ状態の夜が、精神的に疲れ切った様子で答えるが、彼女はそれでも気丈を意識しているようだった。
「どうみても大丈夫じゃないのです」
焔が夜の着物の切り分けられた裾を捲ると、彼女の足首は明らかに異常の色を示していた。
「…折れてるね。アイツらにやられたというよりは着地…着枝?に失敗したのかな」
「大丈夫です。一旦変化すれば治りますから、降ろしてもらっても構いませんが」
夜はそう言って星夢の腕から抜け出そうとしたが、星夢はそうする彼女を支え直して、
「それだけの体力が余ってたら良かったね。その心拍数、呼吸数じゃあ、キツそうだ」
「燃料の残りはどれくらいあるのです?」
焔は黄金の剣を自己カスタムに鍛造しながら言う。
対し夜は、自分が想像以上に疲労していたことを指摘されて初めて気付いたためか、ばつが悪そうに、
「ぅ、う…。駄目…です……。すみません…本当、に」
「いいよいいよ。私は今幸せだ」
どういう意味ですか…、と焔が呟いたが、星夢は気に掛けずに先へ進むことにしたらしい。
「ただ夜ちゃん、焔ちゃんに追跡能力はないから、貴女の嗅覚頼りなわけだ。睡眠でその部類の体力が回復するという話だったけど、ゆっくり休ませてあげられなさそうだ」
夜は小さく返答した。それから道を探る。
ひとまず、『敵』の脅威は今、退けられた。




