??? - parallel -
「『孤独』…?それとも…」
「『狐』、です。キツネを漢字で書いて―…、それでそう読むんです」
T市、その地域と周辺を大きく括った域にようやく一つ高等学校がある。特別レベルが高いわけでもなければ、別に偏差値帯が低いこともない。
高校の正門から大通りへ出てそれからすぐに横道を行くと、学校の敷地と平行な斜面上に沿う細い坂道がある。その内の周囲に比べてやや大きい一件家。
表札には『鴻野』と刻まれているが、その下の方に、元々家族全員の名が刻まれたプレートを取り付けるスペースがある。が、さて今は不自然な空白となっている。
「貴女、この前、ここの坂の下の道で石を蹴って遊んでいた小学生を戒めましたよね?」
「戒……め…、…?」
この家自体はそれほど古くはないが、新築したものでもない。資産だけが残されていたために主が都合に従って買い取ったものである。
季節は初夏。繁くでもなく、しかし勢いづく緑は確かに、一様が生を醸していた。
「それで私はようやく狐としての姿を得ることができたのです」
「ゴメンちょっと意味が分からないんだけど…」
よく掃除の行き届いた玄関の一段上がったフロアに、お揚げ色の小狐の姿があった。
そのすぐ傍部屋――ちなみにリビングになっている、その部屋から出たすぐ廊下のそこに、松葉杖を突いてきょとんとした表情の家主があった。
――鴻野日芽には身内は無く、ひとり使用人を除いては、一七歳の彼女だけが血縁の家族である。
「『殺生石』って知ってます?」
玄関フロアに陣取っていた小狐は、そう問いながらトコトコとリビングへ歩いて行く。日芽がその入り口にいようと構う様子もなく。
「殺生石…って、九尾の狐、もしかして玉藻前の…?」
「ええ、大体それで合ってます」
狐はリビングに遠慮なく入れば次はテーブルに飛び乗ってそこに座り込んだ。杖を突く日芽はやや手間取りながらも無礼なぞ意に介さず彼(?)の前の椅子に腰を下ろした。
それは棚とつながったテーブルなのだが、その棚の方からのそのそと、日芽の横の方のテーブル上にやたら刺々しい水亀が歩み寄ってきた。周囲には加えてどう見ても危険そうな毒蜘蛛だったり、有名な毒蛇だったり、数匹連れの蜥蜴だったりが集まってくる。
「その殺生石の、『欠片』が私です。つまり玉藻姐の欠片妖狐が一人になりますね。管狐ほど立派な妖怪というわけでもないですが」
「……」
「にわかに信じられないといったところですか?」
「……どうでもいいや…」
日芽は一度その『妖狐』から視線をずらし、テーブルに置かれた器へ手を伸ばした。左手で杖を支えているのでつい右手を伸ばしてしまい、それから右腕を怪我していたことに気付いて、痛みに一度だけ手を引っ込める。
暗い色をした木製の器にはクラッカーのような小さな板が何枚か。その内の一枚を手に取って、そのままの動きで机上に伏せているゴツいカメの口元へ差し出した。
「カミツキガメ…ってヤツですか…?」
「ワニガメちゃんね。私の友達。…カミツキのカメさんも居るけどね」
ワニガメ。カミツキガメの親戚でもあるが、名前から察せられるように強力な顎が特徴である。日芽の飼っているサイズなら、スーパーに売っているスイカくらいはたやすく嚙み砕く力がある。無論その性格からして人の腕くらいも同様である。
十分に人になれたカミツキガメは、そうであっても飼い主の指に嚙み付くことがある。そうなれば大怪我待ったなしであるが、日芽の場合―――
バリィィィッッ‼‼‼
と、妖狐の彼目線で言うならカメの口元から、木材を砕くに似た音が炸裂した。
もちろん、それは日芽の腕を嚙み砕いた音ではなく。
「だんだん食べるの上手くなってるよねー」
バリバリと、なお豪快な音を出しながらワニガメは顎を動かす。ワニガメの口の形状的に、板状のエサは食べ辛いらしいが、定期的に上を向いて上手に零さないように喰らっていく。
「普通に口周りの餌カスを拭ってるようですけど…、貴女ソレ本来なら指どころか手首ごといかれますよ?」
「大丈夫だって。私はご飯じゃないし」
「はぁ…」
「そもそもカメさん…ワニガメの彼女じゃなくてカミツキガメの方はさっきからここに…」
「…⁉」
当然のように日芽は言うが、妖狐の反応が当たり前なのも違いない。なんせ先ほどから立て掛けられた松葉杖を揺らしていたのはカミツキガメの方であったのだ。
妖狐はやや引き気味に主人に懐くワニガメを眺めていたが、その後にわらわらとよく名前の判らない小動物や虫が食べこぼしをさらって行くのを見て、改めて現実から目を背けることにしたらしい。ちょっとした地獄絵図がそこには広がっていた。とは妖狐の後の話である。
日芽は追加でエサを砕いては周りに与えていくが、妖狐『狐』は構わずに話を続けることにしたらしい。
「元々ただの『欠片』だったのですが…」
狐はどうしてか日芽に懐ききっているワニガメやコブラから距離をとりながら、
「もともと妖狐ですから貴女と関係を持った際に存在を持てた、つまり妖狐化できたというワケです。妖怪は人間とのかかわりが大事なんです」
日芽は妖狐へクラッカー状の餌を差し出すが、妖狐に顔を逸らされてそのまま自分の口へ運んだ。この万能餌、人間にも対応しているらしい。ただし味は薄い。
テーブル上には幾らかの破片が残っているが、そこに鼻を押し付けて万能餌の正体を探りながら、さらに狐は付け加える。
「ですから私もここに住みますよ。もう決めましたので」
「―――……………はぇ?」
硬直の日芽の手から食べかけの餌ビスケットが滑り落ち、その先ではやたら機敏な動きのワニガメがナイスキャッチをかました。
それからは自分も日芽の食べかけを狙ったコブラと取り合いになって玄武みたく絡まったり、天井から落ちてきたモフい大蜘蛛がかっさらっていったり。
妖狐にはそれらは全てが初めてで、全てが新鮮だったが。
――既に、その時、その風景には、もうすっかり馴染んでいたのかもしれない。




