最優先の白
翌日、朝早く。
「いやいやいや……」
本当に生き物かと疑うほどに白い肌。
細く、氷細工のようでたおやかな四肢。
それに、腰のあたりまである長い髪。
その艶やかな髪は銀髪と言うよりも、白髪と呼ぶのが相応しい。所々が雑にハネているが、それが無ければ恐ろしく妖艶な雰囲気を醸していただろう。
見た目は僕と同年代くらい。全体的に『白い』が、その姿は『ヒト』であるのに違いない。いや、正確には『耳と尾を除いて』である。
僕の知っている狼と違う。
僕の知っている人とも違う。
それなのに何故、この少女があの『狼』であると判ったのか。全体的に『白い』ことも同じであるが、真っ白い髪からのぞく獣の耳と、背後に揺れる白い尾。昨夜見た『白い狼』と偶然同じなんてことがあるはずなかった。
さて、この状況で僕は硬直していた。鋼のように硬直したまま、最も良い行動を考える。
「あー……あの、服は……?」
何よりも気になるのはやはりそこだ。
――この少女、服どころか下着の一枚すら身に着けていない。
もっとも、狼であったのだから服を着ている方が不自然でもあるが。
……正直、自分の精神を嘆いた。
こんなあり得ない光景を目の当たりにしたことに――ではない。
この状況に、『何の喜びも無い』ことにである。
もう――
「ごしゅじん……?」
思考を遮る声。眠そうなその声がどこから発せられたかは言うまでもない。
まるで声優の作った声のような、聴く者を満足させるような声だ。
僕が被っていたはずの布団はその白い少女に奪われ、一糸纏わぬその姿ではやはり寒いのか身を包むように手繰り寄せられている。布団が無ければ目のやり場に困る――いや、むしろ妖艶なのでは……。
そんなことを考えて、ふと気付く。
「あれ? 傷は……?」
昨夜のことを思い出す。
あれが夢でなかったならば、僕は『右前脚の折れた狼』を連れて帰ったはずだ。あの『狼』がこの少女であるならば、やはり右前脚――右腕を怪我しているのではないか? それにアスファルトの上を転がって、白い体毛をいくつもいくつも赤く染めていたのだ。
それなのに目の前の少女にはそれらがない。
じゃあ、昨日の『狼』ではない? その獣の混ざった姿で他人ということがあるだろうか? いや、『狼イコール少女』という考えも端からおかしいが……。
「なあ、名前は?」
目の前の少年が私に話しかける。
昨日よりも心地がいい。柔らかく清潔な布団に寝かせられていたこともあるだろうし、こうして人と接するには自然な姿だと思う。身体も楽だし、心も楽だ。
「えっと……」
でも、答えが出ない。訊かれれば答えられるかと思ったが、自らの口も私の名前を覚えてはいなかった。名前だけではない。これまで住んでいた場所も、身内も、何も覚えていない。
少年は私が答えられないことを察すると、少し考えてから話を切り出した。
「じゃあ……、とりあえず服のアテとか……無いか。なら……」
少年は机の上に置いてあった黒い板を手に、なにやら考えながら指を滑らせる。そして、傍から離れ、部屋の角に設けられた収納を開いた。
「着られそうなもの……何か……」
少年からは動揺のにおいがしていた。混乱、疑問、不審、そういった心内が想像できる。
私と同じだ。現状をどう捉えるべきかわからないのだ。お互いにお互いから必要な情報を求めているような空気。
立ち上がるべきなのかもわからない。そのまま起きた姿勢で座っていると、少年は収納の奥に入っていただろう一式衣類を着るように言ってきた。
クローゼットの中には当然、女性物の衣類は入っていない。
義母に尋ねようかと思ったが、どう説明するかと考えて頭が痛くなった。部屋を出て戻ってきたら『白い少女』はいなくなってしまうような気さえする。
少女どう接するべきか手探りなまま、備え付けのクローゼットを漁る。するとちょうどそろそろ使おうと思っていたジャージがしまわれていることに気が付いた。ジャージなら……いけるか?
正解の決断ではないと思いつつも、それでも裸のままよりはいいだろう。
「これ……、着る?」
上下セットの学校ジャージを手渡すと、少女はそれぞれを広げて観察するようなしぐさを見せた。名前も身分も覚えてはいなさそうだが、箱入り娘のようなアレだろうか。庶民的な衣類を着たことがない……とか。
それともずっと『狼』として生きてきたのだろうか、などと考えていると、スマートフォンに通知があった。
『まったくワケがわからないんだけど とりあえず行く』
メッセージアプリの通知、相手は唯一安心できる交友関係にある幼馴染みだ。
鴻野日芽。
捨て子であった僕とも『普通に』接してくれた唯一の友人。彼女の他に頼ることのできる人はいない。
『じゃあ 向かう』
金曜日の早朝。日芽とは同じ高校に通っているが、まだまだ時間はある。諸々の事情で彼女が普段から早起きであることを知っていたわけだ。
日芽へ了解の旨を返信し、スマホを机に戻す。白い少女には羞恥心がないのか、それとも警戒されていないのかわからないが、自身の姿に特にコメントはないらしい。狼の姿にもなりうるのならば、服を着ていなくても気にしないのだろう。
そんな彼女はやはりジャージを着る際も僕の目を気にする素振りもなかった。もちろん僕はしっかり余所を向いていたが……。
ジャージを着た彼女は、やはり心地よくはなさそうだった。そもそも下着が無いのだ。想像するのも憚られるが裸とどちらがマシか、といった程度だろう。
ジャージを着た後も、彼女は布団にくるまっていた。一度目が覚めて身体を動かしたからか、今度は完全に『巻物』状態である。どうやらジャージを着ても寒いらしい。
確かに秋の早朝は寒い。部屋の暖房を入れることも考えたが、朝食がてらインスタントコーヒーでも入れてみようか。彼女がそんな食生活をしていたか想像もできないが、身体の内から温めることにはなるだろう。
小型の電気ポットの電源を入れる。
ひとまず、一息つくことができるだろうか……。
第3話も書き直しです!
結構がっつり書き直しています。書き直しのために読むのでも辛い……。