姫のまた一難
どうにか間に合ったというべきか。それとも間に合わなかったからこうして谷の上に浮いているのか。
「どうにか…戻らねぇと」
突然殴られたわけだが。どうにか谷底まで落ちて鬼灯みたくなることはなかった。
《おめー見てたか?『あのコ』を》
「…列車の食堂で見たな。いや、それよりも…」
ほんの一瞬だったが、殴ったヤツがどんなだったかは一応見えた。咄嗟に雁啼を出しかけていたから、彼に頼っていた部分が大きいが。
雁啼の手を借りて、谷の上の空から、ちゃんとした地面へと足をつける。
《あのコ。センラちゃんと同じような身体の作りをしてたように見えたが?》
たしかに修道服のベールは解いていたように見えたが、いや、まさか。
それよりも先に。ヒメを見つけなければならない。まずは屋敷に戻るべきか。
強引に抑え込められたような破裂音が空気を震わせた。
「―――ッッ‼‼」
自分が撃ち抜かれたと気付くまでに数秒掛かった。
撃たれたのはどうにか右腕だけで済んでいることまで確認できれば、日芽は聡かった。
その場で痛みに絶叫したいところだったが、それよりもしなければならないことがあった。
(と…び、ら――を)
蹴りつけるようにして玄関扉をどうにか閉める。まずは今度こそ心臓を打ち抜かれないように、相手の命中率を下げることが優先だった。
それからは男の侵入を防ぐため、
「か、鍵…っ」
玄関扉を封じてしまえば少なくとも隠れるくらいの時間は確保できる。そこまでやれば次の手を考える時間が手に入るだろう。
だが、日芽は右利きだった。
「――痛…ッ⁉」
弾丸の貫いた腕が痛む。反射的に出した利き手に硬直が走り、このとき明らかに不利な時間ができてしまった。
「ァア⁉」
強引に、ドアノブを回すこともなくドアが蹴破られる。頑丈な鍵部品が機能するよりも早く。
男はその場で日芽を撃ち殺すことが目的らしいが、日芽は最善策を選び続けて生き延びることが目的である。どちらが有利なのかなど、論ずるだけ無駄だろう。
どうにか日芽が採れた行動は生物的な反射行動だった。
(やっば……っ⁉)
正直なところ、まだ男の方へ向かっていった方が手はあったかもしれない。
反対方向へ前傾姿勢で距離をとろうとしたが、男は容赦しなかった。
パシュッッ‼と、強引に塞いだ破裂音が連続して炸裂する。
「っあぁ…っ…‼」
体勢が体勢であるから命中したこと自体が不幸ではあった。だが、それでも致命傷ではないというのが不幸中の幸いか。
(足っ…が…、マズ…っ)
左足、太ももの辺りを外側を抉るように弾は掠めた。辺りに血が飛び散り、血が少なくなったからなのか、自身の血液を目にしたからか、心なしか気分も悪くなってくる。
いや、それよりも。
「わざわざ追い込むたァ、なかなか面白ェじゃねェかよ」
立つのにさえ必死な日芽を眺めて、男は興奮気味に言う。
彼の目的が殺すことにしても、より苦しんでもらう方がよいらしい。
「うっ…ぐ…⁉」
右腕と左足。それぞれが左右であるから左腕と右足に頼ることになる。トレーニングならば相応しいにしろ、これでは逃げ這うにはバランスが悪すぎる。
さらに、限界も共に迫る。
「ぁ……?」
視界が眩み、強烈に体が怠くなる。明らかに血液が失われ過ぎている。
ほんの数秒ばかりで、重力が残った体力に勝る。
床の感触が恐怖を煽り、逃げることもできなくなってしまった日芽は、男を薄れる視界に眺めていた。いつ自分が死ぬのか、そう計りたかったのかもしれない。
(マズ…い…。意識、が……)
男が引き金を引いたようだったが、引ききるまで意識を保つことができなかった。
痛みに死ぬよりも意識が無い内の方が、ある意味では救われていたのかもしれない。
くぐもった破裂音が、男の喜々とした感情を体現したようだった。




