拾われた白
不幸中の幸い……というには『幸い』が足りない。
まずすべきことは……?
僕が何か処置?
知識もないなら移動させたのすらマズいかもしれない。
携帯は電池切れだ。今朝まで充電器を挿していたハズなのに!
――公衆電話だ! 少し離れたところに、年季の入った電話ボックスがあったハズだ!
そう決まればもう、惜しみのない全力ダッシュだ。
息を切らしてたどり着けば、どうやら随分長い間使われていないらしく、触れただけで黒い煤が手に着いた。記憶よりも随分と古臭い気がする。ちゃんと機能するか心配になる。
元々劣化を想定していたのか頑丈な金属でできた取っ手を引く。ドアごと外れることもなく、意外にもスムーズな動作で中へと侵入できた。
「二〇円しかない……」
というのは二つ目の小銭入れの内容だ。財布が見当たらない。忘れたということにしておきたいが、どうせあっても偶然十円玉が無いとかいった事態になるだろう。
こんなこともあろうかと思って。便利な言葉だ。公衆電話用の小銭入れ。役立った。
電話の相手は義母だ。
警察を呼んだり、付近の住人の手を借りるべきだったが、ひとまずは頼れる人は義母が真っ先に思いついたのだ。
10分くらい待って、義母の車が着いた。
一昔前のタイプの軽自動車だ。人二人と荷物に加えて、大型とはいえ犬くらいなら後部座席に寝かせられるだろう。
自転車は諦めるしかない。一応施錠しておいたが、パンクした上に部品の曲がったものを盗るヤツはいないだろう。
学校帰りで荷物が多い。義母が運転席に、助手席に荷物を纏めて積んである。そして僕自身は後部座席へ。真っ白な大型犬は自らの血やら泥やらで汚れているが、息は安定しているように見えた。
ひとまず家へ連れて帰る。義母の判断だ。
「――狼なん?」
義母に訊ねる。何を話すべきか気まずかったのだ。
事のあらましは話したが、義母は無口な人間である。怒っているかもしれないし、鬱陶しく思っているのかもしれない。それを探ろうと無意識に思ったのかもしれない。
僕の問いに彼女は応える。ただ問われたから答えたのか、それとも何か意図があるのか。
「見た目がちゃう」
淡白な回答。もっとも、本人も必要以上の会話をする気が無いだろう。それ以上会話が続かない。
ここから自宅までは、高校生にとってはかなりの距離だが、文明の利器たる自動車にとって大した距離ではない。ほんの一〇分もあれば到着するだろう。
すなわち、あと数分はこのままの空気である。
白い『狼』は眠るようにうずくまって、深く胸のあたりが振幅している。
とんでもないことをしてしまった。という意識だけが空間を支配しているようにも見えた。他者《、、》を巻き込んでしまったら、『運が悪かった』で済まないのだ。どうすればいい。この後僕はどうすればいい。
ペットもいないし、動物病院が近くにあった記憶もない。動物の飼育に関して精通している知り合いに頼るか。それともやはり警察に届け出るべきなのだろうか。車内で流れる引き延ばされた時間は、後悔よりも『日常を取り戻す』ためにどうすべきかということばかり考えてしまう。
もっとも、この『狼』がなんであるか。捨て犬……というには不自然。何か超自然的なことを考えてしまう。
白い毛並みについた泥。まるで神聖な布でも汚してしまったような気分。引き付けられるように泥を払おうとして、急激に身体に慣性がかかった。
どうやら、思っていたよりも思考が凝縮されていたのか。現実的な時間はしかし、意外にも短いものだった。自宅に到着したらしい。
道路わきの車内に荷物を残し、白い『狼』を抱える。
アパート二階、階段を登ってすぐの、あまり好まれない部屋が僕の『家』である。
お世辞にも良い『家』ではないが、身分の不明な僕をわが子同然に養う管理人謙義母が、無償で提供してくれた『家』。
拾われた僕は、かのお人好しな性格の義母に育てられた。もちろん名前も彼女に貰った。
そして、中学の頃に、『自立しなさい』という建前で、部屋を特別に提供してもらった。もちろん、彼女の惜しみない気遣いである。その証拠に、彼女は頑なにバイトを禁止しているし、生活費は彼女が全て払ってくれている。もはや申し訳ないくらいの尽くしようだ。
部屋の中央に『狼』を左向きに寝かせる。硬い床の上に簡易なカーペットを敷いただけだ。布団でも出そうかと思ったが、すぐに義母が入ってきた。
「見せえ」
手には何枚かのタオルと塩ビの細長いパイプ。それからの処置ですぐに分かったが、応急的な当て木だ。
手慣れた手つきで折れた右脚を固定し、それから白い毛を分けるようにして身体の傷を確認していた。
それから一言、「あとは明日」とだけ言って、僕の荷物を置いて義母は停めた車とともに自分の住居たる隣家へ去ってしまった。
ひとまずはできることは全てやったということだろう。せめてもの詫びに、週末に洗ったばかりの布団を敷き、慎重に抱え上げた『狼』を寝かせる。
ひとまずこの『狼』にしてやれることはない。そう思い自分の荷物を開けるが、こんな気分で何かをしようという気にもなれなかった。精確に言えば、早く明日になって安心させてほしかったのだ。
硬い床の上、『狼』の隣で横になり、掛布団だけで寝ることにした。
電気を消すと、正しく刻まれる『狼』の呼吸音が少し僕を安心させてくれたようだった。普段よりずっと早い時間であるのに、すんなりと眠りに落ちてしまったのだった。
そして翌朝。
僕の横には『白い女の子』が横たわっていた――。
けっこうがっつり書き直しました。
3話以降もちゃんと書き直していけるか心配になってきた......
3話以降も同様に、更新されてから読まれることを強く推奨します。