毒々な白
俺が席に戻ってきてすぐに違和感があった。
センラははじめから気付いていただろう。ただ気にしていなかったか、初めての場所でのにおいであるからそういうものだと思っていたのだろう。
「……!」
テーブルの下を伝って隠しながらスマートフォンをヒメに渡す。まずはこれで安全は確保できるだろう。
―――これは植物系の香りだ。
植物と括ったとしても、特に青い草の匂いが強い。加えてユリに似た匂いもある。
階層化された嗅覚情報の扱いにはまだまだ慣れないが、これは同一植物のものだろう。ただしそのものがこの場にあるわけではない。
これは『スズラン』の匂いだ。
これが日常に在ることには違和感はない。だが、花や実に始まり、茎や根に渡って全体に猛毒成分をもつその植物は、少なくとも食堂にはあってはならないものであろう。
「(一旦部屋に戻ろう)」
小声でセンラに伝え、席を立つことにした。代金は先払いだ。と、言っても、手首に着けたバーコードを読むだけで、実質は後日請求になるのだが。
部屋に戻った俺達は、鍵を掛けてから真っ先に部屋中を点検した。あれやこれやと言う前に、だ。
カメラ、盗聴器から、なくなっている物や増えている物がないかを確認し、ひとまずは異常がないことを確認する。
「…ひとまず大丈夫か」
無駄に豪華なソファに腰を下ろす。合わせてセンラは二人掛けのソファ|(定位置)によじ登り、丁度床に座るのと同じように座り込んだ。
おそらく高さのあるが低いイスに座るのは慣れないのだろう。家にも椅子と呼べるものはないワケだが、そこまでの記憶も無いのか。それとも元々その手のイスにはあまり触れることが無かったのか。
ちなみに食堂車の高い椅子には座れていたようだ。彼女のやりやすい細かい事情は俺にはよくわからない。
「で…、一体何が…?」
床に荷物を広げて点検していたヒメが床に座り込んだまま言う。
証拠になるものを持ってくる余裕はなかったが、十分覚えている。
「ヒメの席にあった水のグラスに恐らく毒が入っていた。グラスの水からスズランのにおいがしたんだ」
今落ち着いて考えてみれば、必ずしもそうであったとは言い切れない。
嗅覚に於いて鋭敏になって、それを元に言っているのだから、確かな証拠とも言い難い。
センラが言うのなら確かだろうが、彼女は植物系の匂いにはさして鋭敏とは言い切れないということもある。確認してもらうには段階が必要だろう。
「ナツキがどうしてそう言うのか私にはわからないんだけど…、でも信じることにする。もしかしたら命の恩人なのかもしれないし」
「確証はないけど、異様ではあったと思う。あの場にスズランのにおいがあるのがまず異様だし、始めは気が付かなかったけど、帰って来てから気付いた時には、多分グラスがすり替わっていたか、中身に混ぜられていたんだ」
仮に全てが推測通りだとすると、明らかにここに殺意が介入している。
問題は対象がヒメであるということだ。
「とうとう殺意を覚える程に嫌われちゃったのかな?私は…」
「いや、ヒメが悪いんじゃあない。それと、全部が予想通りなら、多分『彼』がグラスをすり替えていた」
皮肉を言うヒメだが、無理矢理話を進めさせてもらう。
「ちょっとは心配してってば」
むすっとしてヒメは言う。ただ、彼女も彼女だ。
「その『彼』って私の隣にいた…?」
「彼の席には大きめの盆の和食があった。都合のいいことに」
「グラスを席の端へ寄せて置いていても自然だし、毒の溶液を持っていたのなら、箸を使った料理を注文したくなるだろうし、なにより私が割れたグラスを拾うために席を離れたときに、彼だけ注目すらしなかった」
そう言うが、やはり推測の域を超えることはない。そうなるとこちらは何も手を打つことはできないわけで。
「…とりあえずは向こうにつくまでは大人しくしておこうか」
「部屋に居れば…、まあ大丈夫かな?」
ヒメは軽い調子でそう言う。
なるべく彼女のことも気にかけていたいが、あまりあれこれと手を尽くすのも変だろう。
ひとまずは『彼』の名前も人相もよく知らないのだ。注意はしつつも大人しくしておくしか手が無い。
ヒメと会話していて違和感があった。
「…?」
俺はスズランの毒についてスマホで調べていたし、ヒメは荷物の点検をしていた。お互いは自分の手元にしか目をやっていないし、会話自体は物騒な内容だが違和感はない。
そう。会話に登場しなかったが、この場にはもう一人、真っ白な狼系少女が居た筈である。
「お…?」
顔を上げると、二人用ソファから後ろへ、床の方へ身を乗り出しているセンラの姿があった。
「んーんーんんー」
一体なにをしておるんだとソファの後ろへ回る。一通り荷物を片付け終わったヒメも、考えていることは同じようだった。
センラは手先に夢中になっていたようだった。狼耳を覆い隠すための帽子も重力に負けて床に落ちていたが、白耳少女は気に掛けてもいないようだ。
さて、当のセンラを射止めたなんぞやだが。
少女のか細い指から華奢な腕には、対称的な黒っぽい色のごつごつした大繩が巻き付いていた。それは第一印象だ。
とてもそんなモノがこの場に居るだなんて誰も思いやしない。
『ソレ』がさも当然のように動き出すまでは、できれば認めたくはなかった。
で、それって…
「コブラじゃねーか!」
「ひゅーっ」
やや遅れてこちら側へ回ってきたヒメが棒読みで茶化す。
問題のそのヘビは、よく図鑑などでも見かけるヤツ――コブラか。俺は別に生物に詳しいわけではないし、そこらに居るものでもないのでよく似ただけの種なのかもしれないが。
ヘビなのでそこまでの攻撃性はないのかもしれないが…。
いや、しかし。
「なんで懐いてんだ?」
「ごしゅじーん。このコかわいいよー。飼お?」
猛毒生物を腕に巻きつけながら、センラは思い切り和んでいた。
「もう狼一匹飼ってるんだが…」
だいたいよく見るコブラは頭から少しの部分が広がっている画像だが、実際は威嚇する際の行為であるとか。
ちなみに今はどういうわけかセンラに懐いてしまっているため、一見すれば普通のヘビと大差ない。
と、いうか。
「わーっ…カワイイーっ‼」
なんだってこんな状況下でコブラさんがハーレム状態になろうとしているのか。ヘビが主人公のライトノベルじゃないぞ。
当猛毒コブラさん(オス)は人間の異性にも興味があるのか、美少女二人に囲まれて幸せそうにしている。
で。誰の仕業だ。




