散歩道の白
それからのことを、実はよく覚えていない。あまり良い響きではないが、恥ずかしさが記憶を曖昧にしてしまっているのかもしれない。それに、センラに訊ねることもしなくてよいだろう。それもそれで恥ずかしい。
まあ事態の収拾は色々とあったわけだが、それはまた別の話になる。
ただいつもの日常に戻っただけ。
でも、その日が土曜日で、休日であったのが偶然の重なりだった。
そんなわけで、今、山中のアスファルト上を歩いている。
あれから一日あった。
あの日、ご主人は、世間目にはごく普通の日常に見える様子で学校へ行ってしまった。私はそれを認めていたし、妙な非日常は追加すべきでないと思ったのだ。
その翌日が今日だ。
私はご主人の後をついて歩いている。行先は教えてもらっていたが、聞いてもよく解らないところだった。いつもの通りに、私の辞書に載っていない名称であったのだ。
ちなみに、ご主人の家が在るのもケッコウな田舎だが、この場所はさらに田舎な雰囲気がある。ここでいうのは、四方を木々に囲まれ、昼間でも暗がりが広がっているようなことを指す。何かの工場の様な施設には、山積みの土や、得体の知れない金属桶が、垣間からのぞいていた。
他に住居もいくらかあるが、どれもこれもまるで幽霊でも出そうな雰囲気だ。正直言って怖い。
そうやって少しの物音にも怯えながら歩いていたわけだが――
「おい。」
「にゅわっ‼‼え⁉なにっ…?」
怯えていたからか、その私に呼びかける声が、ご主人のものであると気付くまで数秒必要だった。
「・・・そんなにビクつかなくても何も出没ないぞ?」
「いや、え、あ、うん?うん。」
そうは言われても…。無茶な話である。聖典で学んだ『一般常識』によると、『遊園地のお化け屋敷』とは私の今の心情に似た心情になるものらしい。『偽の恐怖と理解しているのについ反応してしまう』。私だって別に何かに直接的に恐怖しているわけではない。雰囲気と未知が、僅かな物音ですら私には十分な恐怖の種になるのだ。
少し歩みを進め、見渡せるくらいに開けた土地に出た。
「あ、ご主人。コレあの時の花でしょ?」
私とご主人はアスファルト敷地面の右側を歩いているわけだが、こちら側と道の向こう側にも、一面に黄色く背の高い花が咲いていた。
「そーだな。こっちがずっと勝ってたわけか」
「『勝ってた』?」
「この手の野草ってのは周りの植物の成長を抑えて成長するから、場所によっては他の植物なんかと場所の取り合いしてるんだよ。これはどっちも外来種だったと思うけどね。」
ご主人の部屋には図鑑もいくつかあった。その中には勿論というか当然というか、植物図鑑もあったわけだ。暇つぶしに読んでいた。
『花』はわかる。知識ではなく、数少なく残っていた常識の記憶だ。だから、花を愛でることも解る。その感情もちゃんと残っていたらしい。
強い毒の臭いはなかったので、一本ばかり持っていくことにした。
『海』を知らないとは思わなかった。
『地面』や『水』なんかの名詞は知っていた。それは『言葉』として覚えていたのだろう。俺のことを初見で「ご主人」と呼んでいたが、前の飼い主(?)はそういう趣味だったのだろう(と勝手に思っておくが深く考えてはダメだと思う)。それは「お母さん」などのように、呼び掛けるために元々体に染みついていたのだろう。『自然に口から出た』という表現が相応しい。
入学試験や入社試験なんかの重要な面接で、自分の名前がスッと出てこないという類の話は聞いたことがある。それは、自分の名前を口に出すことは、「お母さん」と口にするよりもずっと頻度が低いからだと思う。
つまるところ、よく口に出していた名詞やある種の固有名詞は覚えている(染みついている)が、口に出すことの少ないことは覚えていないらしい。勿論記憶そのものも飛んでいるのだが。
あの日の翌日、センラへのお詫びがてら、彼女に『一つだけ言うことを聞く』ことを提案したところ、「何処かに連れていってほしい。」と返ってきた。
確かに、センラはどう見ても亜人系少女だったので、よくある展開で連れ去られてしまうことの無いように、部屋からは出ないように言っていた。人化していれば耳と尾以外はまるで普通の少女にしか見えないのだから、帽子を被って丈の長いコートでも着ていれば一応外に出ても問題ないし、そう言ってあったが、彼女としてはやはり不安があるのだろう。
そういうわけで、俺は彼女の仰せのままに、どこかへ連れていってあげないとならなくなったのだが、さてどこへ行くのが良いか。彼女用の日常品を買う必要があったから、それを買いに行くのでもよかったが、人目の多い場所はまだ今は厳しいだろう。それに、衣類や最低限の美容品・化粧品なんかはヒメに連れていってもらわなければ買うことができない。そうなると観光みたいなことくらいしかないわけで、ギリギリ歩いて行くことのできる距離にある『海』へ行くことにした。
海といっても、イメージとは全く違うことを前提にしてほしい。そもそも、砂浜ですらない。防波堤である。
海は一面暗い色をしていて、都会人の感覚なら平気でごみを捨てられそうなくらいだと思う。水質は普通なくらいだと思うが、決して『キレイな海』ではない。
ただ、散歩するには良い。加えて、その場所は俺の想い入れのある場所なのだ。
「ご主人。あれは…。」
「あれは視ちゃダメだ。」
センラが声で指す先。俺はセンラの前を歩いているが、声だけでも彼女が何を指して言っているのかわかる。俺の視界にも一応入っていたからだ。
名を百間星夢。俺と同じクラスかつ、少数派の、俺と普通に話せるヤツだ。言うなら、『変わったヤツ』ってところかもしれない。
どちらかというと、星夢のほうが積極的にくっ付いてくる。本人がいいなら別にいいが、俺にくっついてもいいことは無いのに。だ。
というか、この辺に住んでいたのか。小中学区は違うし、高校で知り合ったから、どこに住んでいるのかは知らなかった。この辺にはわざわざ遠くから見に来るべきものもない。友人の家へ出掛けるにしても、星夢が徒歩でいるのはまたおかしな話である。
できればこのまま気付かなかったふりをして通り過ぎたかったのだが…。
「こらぁあ‼無視するなぁ‼.」
どうやら向こうがしびれを切らしたようで、道を横切ってまで駆け寄ってきた。いや、まあ、ここまで予想通りだったのだが。




