雪崩の白
**人物説明
・泉雫 月 (いずみな つき)
高校2年生。色々あって『白い狼』を拾う。あまり交友関係は広くない。
日芽からはナツキ、センラからはご主人、と呼ばれる。
・センラ (本名不明)
ナツキの拾った『白い狼』。狼の姿と人間の姿の2つの姿を持つ。
過去どころか常識に至るまで、かなりの記憶を失くしている。
・鴻野 日芽 (こうの ひるめ)
ナツキの同級生。ナツキからはヒメと呼ばれている。
ナツキ同様に交友関係は広くない。動物好き。
時は一週間ほど巻き戻る。
自宅にて。
「ご主人……。たすけて……」
かの狼少女は、ずいぶん弱りきった様子で本の山に埋もれていた。
正確には、本と、本棚と、机と、机上にあったはずの雑貨類に、だ。
「この部屋にいるとナツキになるの?」
「いや僕になりはしない」
ひとつだけ放り出されたハンガー。センラの脚に絡まりながらひっくり返った机。そして彼女を押しつぶす本棚。
本棚はいくらか本が落ちて軽くなってはいるが、半分くらいは机でフタがされて本棚から飛び出さないままだ。それでも十分に押し返せる重さだとは思うが……。
「大丈夫か?」
僕が本棚を立て直し、散らばった本を集める鴻野日芽。
「脚とか捻ってない? 身体も痛くない?」
本棚の重みから解放されたセンラ本人は、本の散らばる床の上でもぞもぞしていた。身体を捻ってうつ伏せになると、いちど尻尾をなびかせて、それから眠るように脱力していた。
手足も細いが、それでも動けなるくらいのことだ。机の脚に絡まって自分の細い脚を痛めていたり、ひょっとすると鎖骨とか肋骨とか折れていたりするかもしれない。
「しっぽ……」
もぞもぞ蠢きながら、姿勢を変えて横向きに転がるセンラ。
「しっぽ、つぶれるとうごけない……」
ぐったりしているのはそれが原因なのだろうか。ぱっと見た感じ、骨や腱を痛めたり捻ったりはしていなさそうだ。散らばった物を見る限り、おおかた、『服にでも引っかかって弾けたハンガーに驚き』、『小テーブルに脚をぶつけて転倒し』、『尻尾の上にしりもちを付いて』、『動けなくなったところに本棚が倒れてきた』、というところだろう。
ハンガーが引っ掛かって飛んでくる。……よくあることだな!
「尻尾痛いの?」
僕が本を片付ける傍で、子供をあやす様な調子で日芽が頭を撫でながらセンラを看てくれていた。相手が動物ならば慣れているのだろう。センラも対象内なのか……?
くるくる唸りながら調子を確かめるように尻尾を動かし、センラは日芽の様子に少し不思議そうな顔だった。もっとも、日芽のことだから――
「センラちゃんの耳って私たちみたいな感じのは無いんだよね? だから耳はこっちだけだから必要だとして、尻尾の方はどうなってるの?」
思考を遮るように日芽の疑問が飛ぶ。
センラの身体には、髪を分けても見慣れた耳は無く、少し頭頂寄りに狼の耳を巨大化させたような三角のそれが付いている。他は自分の知っている『人間』との違いはほぼない。ただ、耳と尻尾を除いて。
骨格はわからないけれど、耳の方はまあ、『耳』だとわかる。
では、尻尾の方は?
「『狼』のときと『人間』のときの二通り姿があるんだよな。でも、人型でも尻尾が必要ってことは、本質は狼なのか?」
興味津々の日芽が尻尾を触るのを避け、自分の方へ抱き寄せるように尻尾を身体に巻き付けながら座り直すセンラ。なんというか、特別な魅力と可愛らしさがある。
「尻尾は無くならないけど、小さくはなるみたい」
「「小さくなるの!?」」
日芽も僕も、完全に同リアクションであった。
確かにそんな場面は昨日も今朝も無かったが、そんな変幻自在なものなのか……。
「ご主人との違いが気になったから試してみたら、もう少し小さくなった」
見ていれば、言われないと気が付かないくらいの速さですこしずつ尻尾が小さくなっていった。同時に耳も。
動物的に言えば、排熱のために耳が大きいならば尻尾は小さく、尻尾が大きければ逆に熱を逃さないよう耳は小さくなると聞く。キツネなんか顕著である。
となると、センラの場合はなんなのだ。体温調整というには不合理な気もする。そもそもそんなスピードで大きさが変わるわけがない。毛並みの変化で尻尾の大きさが変わるのはまだわかるが、耳はどうなっているんだ? 軟骨じゃないのか?
「下手に医者とかに見せたら研究対象だなこりゃ……」
僕の言葉に、本人であるセンラよりも日芽の方が戦慄していた。何かとんでもない思い出でもあるのかもしれない。
狼が人になって(逆?)、人とは言っても耳と尻尾は残っていて、しかも大きさも変わる。人の時の耳と尾は、なにかシンボル的なものなのかもしれない。生物的というよりも、神話的な雰囲気すら感じさせる。
「まあ、怪我がないならとりあえずいいか。尻尾、間違って踏まないように気を付けないといけないな」
「虎かな?」
日芽が言うと冗談に聞こえない。むしろ怒られるならばいいが、尻尾を刺激すると弱るわけだ、この狼娘は。繊細なものだとよく覚えておこう。
そんな風に感心していると、尻尾が限界まで小さくなったセンラが、思い出したように目を伏せた。
「どうした? 無理に確かめなくていいぞ?」
身体に巻き付けることもできないくらい小さくなった尻尾も元気がない。
変化によって体調を崩すようならば大変だ。あまり興味本位で調べるものじゃないかもしれない。――そんな風に思っていると、
「あ、あの……、部屋散らかしてごめんなさい……」
心を打ち抜かれたような気がした。
ご主人と日芽は、昨日言っていた通り私のために服を調達して帰ってきた。二人がかりで両手に大袋、昨日以上の大荷物だ。
「これとかセンラちゃんに似合うと思って――」
日芽が嬉しそうに服を広げてみせる。私には服の良し悪しはよくわからないけれど、私への服でこうも楽しそうなのだから、無下にもできない。
ご主人は黙々と服を弄っていた。はさみを手に、何か小さなものを切り取っている。値札とか手入れの情報が書かれているらしい。
「あ、えっと……」
なんでもいい――とは言えない。ご主人は大量の値札と格闘しているし、日芽はやたら興奮していて歯止めが効かなさそうだ。
子供のような笑顔の日芽にされるがまま、昨日使った狭い別室へ押し込められる。当然、新しい服の着方もわからないわけで、両手で布の山を抱いた日芽が出口を塞ぐ。
「日芽……さんって――」
「好きに呼んでくれたらいいけど」
「ヒメって、着付けが仕事なの?」
着付け、というか、何というのだろう。買った衣類のようだし、そういうのを着せる仕事。
「あー、なんかセンラちゃんに呼ばれるのなら悪い気もしないね! ……仕事はまだ就いてないし、別に特別コーディネートが好きってわけじゃないけど、同じくらいの歳の女の子に服を選ぶって楽しくない?」
妹や姉もいないのだろうか。仲間内で互いの服を選ぶのだって同じだと思うけれど、何も知らない私が文句を言うこともない、しかも気兼ねなくできるから別なのか。もっとも、私が日芽にとって気の置けない相手であればの話だけれど。
「助かっているけど。でも、私よくわからないから……」
「好きなの着ていけばいいよ。ナツキも一緒にいたんだから、嫌われやしないし」
やっぱり楽しそうだった。日芽の普段がどんななのか私は知らないけれど、心の底から楽しそうな日芽の姿にこちらも気分はよくなる一方だった。
結局、私がすぐに着られそうな服は四割ほどだけだった。着やすいものを選んでくれたのだろうけど、どうにも被って着る方式や脚を通して身に着ける方式の服は窮屈で苦手なのだ。また、複雑すぎる服や装飾の凝ったものも少し着こなしづらい。そういったものを除いて、四割ほどの衣類が普段私の着ていくものになる。
残りの衣類は、いくつかは日芽が持ち帰り、いくつかは置いて行った。普段着られなくてもいつか着ることもあるだろうし、生活に慣れてきたら挑戦してみるのもいいかもしれない、という理由だ。
日芽を見送りに、ご主人は外へ。私も一緒に、と言ってみたけれど、玄関から出ない方がいいだろうと、玄関での別れまでで外に出るのは止められてしまった。この容姿ゆえならば仕方がない。
ご主人や日芽、それにご主人のお母さん? としか会ったことがないわけで、どんな人が周りに暮らしているのかわからないのだ。ご主人にしたってそうなのかもしれない。私に対して周りの人間がどう反応するか未知なのだろう。
とにかく、まず私はご主人に尋ねるばかりでなく、自分でも常識を身に着けないといけないのだ。
「『辞の典……こういうのとか?」
傍に積まれた本の山。私が散らかして、ご主人や日芽がひとまずの片付けで積み上げたものだ。いちばん上に置かれた『現代語辞典』を開いてみる。
「センラ、ご飯作るから本を――」
まだ碌に目を通さぬうちに、ご主人が戻ってきた。慌てて本を戻そうとしたが、ご主人も私の行動に気付いて、読んでいればいいと促してくれた。
――そうして、ほんの入り口に過ぎないけれど、常識を身に着ける術もひとつ見つかった。
新しく記憶を重ね、これが新たな『私』になっていく。その、導入。
第2章第1話。本格的に第2章です。
2話もまだ書直ししないといけないですね。それまで続きを読むのは堪えてください……。




