試練は突然に
投稿日 H.26.11/02
パン!パン!
「伊達に毎日橙子さんに拉致られて無いっての」
埃が付いた訳でも無いが一仕事終えたケジメに掌を叩いた。
ボクが身体を鍛えている理由の一ツがコレ。やっぱり自分の身は自分で守れないと。
仲間呼ばれたら鬱陶しいからSIMカード抜いちゃえ。以外と気付かれないし、万一の時も身元辿れるからお勧めはしないけど役には立つよ。
あ…学生証発見、あとで善良な市民が大学に通達してくれるでしょう。エッ?善良な市民?ボクだけど。
お金なんて盗らないよ、泥棒さんじゃないもの。SIM…?ああ、あれは不幸な事故だったよね。揉み合ってる時に“偶然”飛んでいった携帯から何処かに行っちゃったなんてw。
下半身丸出しの画像が流出するよりマシでしょ。
だけど夏彦くんじゃないから何かしっくり来ないね、変なの。
下着どころか帽子すら脱がせられなかった大学生達は放っといて散策を続けましょう。
「下着といえばクラスの女子がブラがどうしたとか言ってたけど正直解らないんだ。痛いのは嫌だけど母様に相談するのも何か気恥ずかしいし、どうしようか……」
流石にいきなりランジェリーショップはハードルが高過ぎる。
「こんな時に夢乃ちゃんが居てくれたら頼りになるんだけど……」
「いや、ボクは男…男…」と自己暗示をかける。パンツは普段男子用を穿いているけど前開きじゃないボクサータイプなら問題無い筈だ。ブラなんてしなくてもTシャツ着てれば大丈夫だよね。アレは女の子だけの物だ、ボクには関係無い。
「そんな事、ありませんわ」
何というニアミスだろう。その紅梨が立っていたランジェリーショップの奥に夢乃が居たのだが、互いに気付いて無かった。
「どうなさいました?お嬢様」
「い…いえ、何か呼ばれた気がしたもので……」
実は夢乃は紅梨の下着を買いに着ていたのだ。幸いにしてステージ衣装は夢乃の手作りなので紅梨のスリーサイズは把握している。
問題はブラを装着する事への抵抗感を如何に軽減させるか……である。
「出来ればファーストブラから始めるのがホックも無く、簡単で理想的なのですが、見るからにブラ…ですから。チューブトップを腹巻きをお腹から胸に移動させるイメージを持たせるか、スポーツブラを丈の短いタンクトップと考えさせるか……」
いずれはワイヤー付きやフロントホックが必要になるであろうから今の内に意識改革させておかねば……。
「ヌーブラで周りのお肉を集めて盛り上がりを作って視覚的に馴れさせて…」
本人を連れて来るのが一番なのだが難関が多過ぎて途方に暮れる。
1:連れ出す理由
2:入店させる
3:選ばせる
4:試着させる
5:何度も試着させる
「……逃げるでしょうね、きっと」
むしろ家に紅梨を招いてある程度のサイズと種類を業者に持って来させた方がいいかもしれない。
そんな事を考えていた時、通の遥か向こうで騒がしい一団がいた。それをジッと見詰め理由を知った瞬間、叫ぶ。
「車を廻しなさい、早くッ!!」
「マ…マジか……」
「うおおお!俺、初めて生で見た……」
「綺麗な髪〜、人形みたい〜〜〜」
幾重にも円陣を組むように重なった人垣の四方八方から携帯のフラッシュが光る。
「っちょ……止め…嫌ッ……」
その中心に居る人物は怯えるように身を屈めて声を震わせており、透けるように白い肌は更に血の気が引いていた。
円陣の外では小さな女の子を抱き寄せた若い女性が眉を吊り上げて罵声を浴びせている。
何故このような事態が起きたか、時は僅かに遡る……。
夢乃が居る店から約二百m先に交差点があり、買い物客や帰宅途中の人で溢れている。丁度その角手前にベビーカーを持った幼等部あたりのママ友らしき女性達が立ち止まってお喋りを続けていた。明らかに通行の邪魔になっており、通行人達が迷惑そうに避けて歩いている。話の内容はまったく生産性も重要性も無い噂話だ。
相当時間が経っているのだろう。赤いボールを片に抱え、ベビーカーに掴まっている幼女は疲れきって立ちすくんでいる。
「……あっ」
小走りに走り抜けたサラリーマンの鞄が幼女に当たり、持っていた赤いボールが手から離れてしまった。ぼ〜っとしたままボールを追い掛ける幼女は全く周りを気にする様子は無い。信号はそろそろ青から黄色へと変わろうかというタイミング、そこへ一台の白い車が渡りきろうとスピードを上げて走ってきた。
「危ないッ!!!!!!」
道路の反対側で信号待ちをしていた白い帽子と日傘を持った女子学生が咄嗟に飛び出しす。
キキキキーーーーッ!!!!と甲高いブレーキ音と人々の悲鳴が響く。
間に合わない……誰もがそう思い、目を閉じて顔を背けた。
縁石に乗り上げて止まった車の運転手は後方を一瞥しただけで走り去ってしまった。
車道の端にはガードレールに身体を預けるようにして幼女を抱き締める女子学生。
ここで漸く事態に気付いた幼女の母親らしき者が「私の子供に何する気よ!?さっさと離れなさいよッ!」と叫ぶのを聴いた人々が「親なら喋ってばかりいないで子供をちゃんと見ておけッ!!!!」「子供を助けてくれたのにその言い草は何ですかッ!!」「何様のつもりだオバハン!」「何だ、このBBAマジ有り得なくね?」と一斉に批難されていた。
「大丈夫?何処か痛くない?」と女子学生が訊ねても自分に何が起きたかすら理解していないのか虚ろな目を大きく見開いている。女子学生が助けた時に打ったのだろうか?少し離れているのでよく見えないが幼女の肩の辺りに痣のようなモノがある。なら何故泣かないのだろう。
オロオロと狼狽する女子学生を見詰める幼女が首を傾げてこう呟いた。
「………ぎんいろ………ルージュちゃん?」
「………えッ?」
幼女の大きな瞳に映った自分を見たのだろう。女子学生は慌てて頭の上を探っている。おそらくは自分が被っていた帽子の存在を確認しているようだ。
一瞬、全ての音が消えたかに思えた。あれ程泡沫を飛ばして怒鳴り合っていた幼女の母親達や目撃者達も、事情が判らずけたたましくクラクションを鳴らす後続車も店の販促BGMすらも凪いだ。そして幼女の一言が爆発的な波紋をもたらした。
「ル……ルージュって、あのルージュ=ペァ?」
「嘘…信じられない…」
「ェッ?何…どういう事?もしかしてドッキリ?」
「いや、マジでルージュだ!!!!」
「うおおおおぉぉぉぉぉ!間違いない本物だーーーーッ!!!!」
その場のほぼ全員が一斉にポケットや鞄から携帯を取り出し、レンズを紅梨に向けてシャッターをきり始める。先程まで非常識なママグループに散々人としての道や世の理を声高高に説いていた者達さえ尚食ってかかるママ共を「邪魔だッ!」と突き飛ばしてまでメモリーに収め続ける。ママ共は激昂し怒鳴り散らすも無視され完全に蚊帳の外である。
よく見れば幼女を庇いながら受け身を取ろうと転げたせいか制服は砂にまみれて汚れ、所々破れたストッキングからは白い肌が覗いている。背後にガードレールがある為、後退る事も出来ず、ただ涙を浮かべて怯えるその姿は何か邪な感情を掻き立てる。
もっと大きく、もっと鮮明に撮ろうとゾンビの如くにじり寄ってくる集団に紅梨が頭を押さえるように身を丸めた瞬間、人垣の向こうから大きなエンジン音を発てて一台の黒い高級車が猛スピードで走り込んで来る。
「キャアッ!!」「危ねぇッ!?」
騒然とする人々が退避して出来た隙間に飛び込むとけたたましいブレーキ音を発て、群衆を蹴散らすかのようにギリギリの幅で半円のブレーキ痕を画きながらスピンターンをかまして停車した。
「乗って!早くッ!!」
バンッ!と勢いよくドアが開け放たれると中から中等部らしき少女と黒ずくめの男が身を乗り出すように紅梨の身体と鞄を掴んで拉致るように引き擦り込んでドアを閉めると同時に急発進というアクション映画さながらな離れ業を敢行する。
あまりの出来事に何が起きたか理解が追い付かずにギャラリーが放心状態となり邪魔されなかったのは僥倖だった。
「もう大丈夫よ、紅梨ちゃん」
小刻みに震える小さな身体を抱き寄せるとやっと安心したのか眠るように気を失った。
膝の上で幼子のように寝息をたてる紅梨の銀色の髪を撫でた後、無意識に口許に持って行った親指の爪をギリッと噛んでいた。
「……赦さない。…絶対に赦さない。私の宝石…紅梨を傷付ける者は……絶対にッ!」
パキッ!っと夢乃の爪に亀裂が入った瞬間、車内に装備されている電話が着信を知らせる。
「私よ……そう、ご苦労様。そうね、特にその車を運転していた者とその母親を……ええ、必ずよ」
現場に居た手の者からの報告で状況は把握できた。紅梨を助ける事無く写真を撮り続けた者達は自ら愚を曝すであろうから待つだけでいい。だが逃げたドライバーと見下げ果てた母親には監視カメラなどあらゆる手段を用いて見付け出し、必ずや相応の酬いを受けさせてやる。この街の全てはこの櫻坂の下にあるのだから。
「お嬢様、あと4分で到着します。紅梨様の主治医側も受入体制が完了しているそうです」
「そう…」夢乃は当然だと特に感情も無く、ただその儚げな存在を見詰めるのだった。
「……ええ、幸いにして怪我は……今は眠って……ただ、精神面での……ハイ、お任せください。では……」
紅梨の検査を終え、神名代家への報告も済んだ。受話器越しにも紅梨の母親の動揺、心配、そして怒気が伝わってくるのが判る。だが現段階では自分に出来る事が無い事を理解しているからこそコチラに任せてくれた。本当に聡い方だ。だが同時にとても愚かな方だ……。我が子の存在が自分の全てであり、自分の存在は我が子の為に在るなど。本当に愚かだ……この私同様に……。
主治医たる女医は若いがとても優秀な人間だ。しかしいかに優秀であろうと紅梨という特異窮まりない存在を己の野心でモルモットのように扱う輩は必要無い。例え他の者にはどれ程必要であったとしても……だ。
その主治医が肉体的に問題が無い事は保証してくれた。だが精神面では目覚めてみねば判断がつかない。
溜め息を吐いて櫻坂グループ傘下の総合病院病棟最上階の個室へと戻る。この階には一部の認められた者しか入室を許されてはいない。仮に相手が秘匿を必要とする著名人や官僚、国賓級の人物であろうと同じだ。
――以前何処かの小国の王子だか次期後継者だかがこの病院を訪れた事がある。ブクブクと肥え太った醜いイボ猪のような男だ。
どうやらお忍びでやって来ていたらしくお供も二人しかいない。説明によると持病からの体調不良でその治療と療養の為、最上階の個室を使いたい。そしてお忍びなので最小限の人間しか同行していないので余計な者の中に命を狙っている者が居るやもしれないので配慮するようにと言ってきた。
アポイントも無く突然やって来て何を吐かしているのだこの豚は?つまり建物と設備と医者以外必要無いので明け渡せという事か。
『申し訳ございません。当院では“恥知らずな馬鹿”は治せませんので、どうぞ貴方が自慢されている“己が主の健康管理すら出来ない”優秀な医師に診て貰ってくださいませ』
『貴様、誰と話しているか理解できないのか!』
ああ…居るよな。こういう己が権威は全世界共通…って馬鹿。かつて社長をしていたが引退している自称:亭主関白とか…。
『ここは我が櫻坂の治める地ですので』
『愚かな…我が国はいつでも核を撃てるのだぞ』
『今、貴方が居る状態で可能ならいつでもどうぞ。もう一度言いますが、ここは櫻坂の地です』
その後、その王子だか次期後継者だかがどうなったかなど関知する程の事では無いが、実際に継承したのは遥か序列の低い人物であったし、その後一切の公式の場に出ていない。――つまりはそういう事だ。王家の力が失墜した国としても操り人形は見映えが良いのにこした事は無いだろう。
夢乃は思う。紅梨の為ならばいくらでも櫻坂の力を奮おう。そしてその櫻坂が紅梨を害するならば――。
「………ん」
「目が覚めたのね、紅梨ちゃん」
振り返った夢乃の顔はいつもの穏やかな友人のそれだった。
はぁ