白と紅と銀の少女……
拙いですが、お暇な際にお読み下さい
響き渡る喚声、埋め尽くされた人影の頭上で揺れ動くサイリュウム。
御詞を伝える巨大スピーカーは会場の空気を振動させ、ステージという祭壇に“天使”の光臨を促す。巨大スクリーンがカウントダウンを映し出すと世界は暗闇の静寂に包まれる。場内の期待ボルテージは今や炸裂せんとばかりに高まっていた。
………⑤……④……③……②…………
………プチッ
ボクはテレビのリモコンをOFFにした。
「あぁ〜ん、何で消しちゃうのぉ〜。あかりタンのイジワル〜〜〜」
台所から母の批難めいた声がする。何でもナニも昨日からどのチャンネルもほぼ同じニュースしか流れていない。先日ネットの世界から電撃メジャーデビューを果たした新人アイドルの映像。ハッキリ言って見飽きた。一連の流れをMMDで再現出来る位だ。
噴き上がる鏡面加工のリボンに乱反射したカクテルライトとレーザービームが一人の少女を浮かび上がらせる。日曜朝の戦う女の子達や魔法少女もかくやというフリフリ過多なミニスカドレス。
愛らしさを意識したダンスに揺れて見え隠れする幼さの残る肢体の絶対“神”領域。
大人でも子供でも無い危なげで蠱惑的な笑顔は見る者全てを虜にした。捧げられる声援はその存在を讃える祝詞となる。一部揃いの法被に鉢巻きという違和感を放つ者達は見なかった事にしよう。
「さて…と、ご飯〜、ご飯〜〜ン」
母が自分専用のお茶碗にライスのエベレストを積み上げて出て来た。
「イタダキマ〜ス!ン〜、あかりタンのオムレツはふわトロで最高ーーーッ!」
そう、ここ最近は忙しい母に代わりボクが家事を担当している。母がマズメシなのでは無い、むしろまだボクはその足元にも及んでいない。ただ任せると母は思い付きで作るので朝からチゲ鍋と酢豚とかアバウトに過ぎる献立となってしまうのだ。
使った食器をシンクに置いてから自室に着替えに戻る。まだ義務教育期間なのでちゃんと学校に通わねばならないからだ。
「じゃあ行ってきますね、母様」
「エエ〜〜、今日はソッチなの〜〜。もう一つのにしましょうよぉ、折角カワイイんだから〜」
我が子の制服姿に不満を漏らす母をスルーして玄関へ。
「ハンカチとティッシュは持った?それと“アレ”も」
「ハイハイ」と軽く流してスニーカーに爪先を通すと上着の袖を引っ張られた。
「ワ ス レ モ ノ !」と目を閉じて唇を突き出す母。新婚夫婦じゃあるまいし、何故毎朝出掛けに我が子にキスを要求するのだろうか?しかも唇に。
「……行ってきます」
「むぅ…あかりタンのイジワル…」
頬を膨らませる母が扉に隠されると大きく溜め息を零す。過保護というか、愛され過ぎているのでそろそろこの国の標準に合わせて貰えないだろうか…。
いつもの通学路を歩いていると近所の人達に声を掛けられた。玄関先を箒で掃き浄めるお婆さんや愛犬を連れて散歩中のお爺さん。そういったお年寄り達に昔から大人気だった。いつも変わらず優しく接してくれるのは嬉しいのだが流石に中等部ともなると少々気恥ずかしく感じてしまう。
理由は自身の容姿にあった。透き通るように白い肌、風に靡くサラサラな銀糸を思わせる長い髪。そして宝石のような紅い瞳。そう、紅梨は白児種だった。
生物学上でいえば色素欠損という遺伝子異常の出来損ないでしかない。だがこの国では白蛇や白虎など、その珍奇さと神秘性や清廉さを以って“神の御遣い”として崇め奉ろうとする古い風習がある。
他人とは異なる自分にコンプレックスを感じていた紅梨は極力他人と関わらず、目立たぬよう努めてきた。髪を染め、カラーコンタクトを着用し、前髪を伸ばして表情を隠す。幼い頃ならばそれで済んでいた。だが、性別という違いを認識し始める頃にはそうもいかなくなった。
女子は身体に丸味を帯び始め、男子は筋肉が付き始める。だが紅梨はそれと違っていた。だから母親の生まれ故郷というこの町へと引越す事になったのだ。
「ウッス!紅梨」
T字路で声を掛けてきたのは同じクラスの男子、松崎夏彦だった。勉強の成績は残念だが、スポーツ万能なお調子者。所謂ムードメーカーというやつで善くも悪くも周りを引っ張って(巻き込んで)行く。趣味はカメラで将来は戦場カメラマンと豪語している。
「お早う」と返す間も与えずいつもの如く矢継ぎ早に喋りだす。
「なぁ、ニュース観たか?昨日からどのテレビ局もあの子の話題で持ち切りだったな。流石は俺達のアイドル、初めて動画サイトであの子を観た瞬間、俺は運命を感じたね」
所属事務所不明、レーベル不明。既に公式サイトは立ち上げられているもののQ&Aは一切無い。UPされているのは活動報告と今後の予定のみ。活動拠点はライブ会場やコンサートホールで当日券のみ。しかも発表は当日朝という事で巨大ネット掲示板では情報を求めて書き込みがマシンガンのように打たれている。
「ああ…、俺に出来る事は会場で命の限りあの子を応援する事だけだ」
そう、ニュース映像の中に映った揃いの法被と鉢巻きの一団の総指揮者。私設ファンクラブ“Angelic Lover”の部長にして会員番号1番。それがこの松崎夏彦なのだ。
「しかし、生で観るあの子は流石に迫力というか、存在感が桁違いだ。ああ…あのスベスベな肌の絶対“神”領域にスリスリした……」
「黙れ!変態ッ!!」
夏彦の鳩尾に腰の入った右ストレートが減り込み、“く”の字に折れ曲がって地に伏す。
「ナ…ナイスブローだ。……お前の背中に銀河が見え…た…ぜ」
そんなルールを超越した古いボクシング漫画みたいな威力は無い。現にまだ強化ガラスの窓を突き破れもしないのだ。
そもそもアルビノ種は通常よりも虚弱なのでスポーツジムの機器を購入し、トレーニングを始めてみたものの、筋肉質になる気配も無く、余計にお腹が空くだけだった。お陰でむしろ全体的にほんの少しだけ丸くなったような……。母は夜食に一品増えたと喜んでくれるけど、食事制限した方がいいかな?
ピクピクと痙攣する夏彦をそのまま放置してきた筈なのだが校門を前にする頃にはちゃっかり横に並んで談笑を始めいた。恐るべき回復力だ。いや、きっとまだ筋トレが足りないんだ。紅梨に親友という変態を完膚なきまでに叩きのめすという目的が出来た。何事も目標があれば続け易いというものだ。
「お早うございます」
「ウイッス!」
教室の扉をくぐると既に結構な人数が登校しており、それぞれのグループで雑談に花を咲かせていた。
「あ、お早う。紅梨ちゃん、松崎くん」
挨拶を返してくれたのはこのクラスの委員長であり、松崎夏彦のライバルである櫻坂夢乃。この町に古くから続く名家のお嬢様だが本人は全くそんな事を感じさせない程に気さくに接してくれている。
茶道や華道など習い事は全て師範クラスであり、薙刀に至っては全国で5本の指に入ると言われている強者だ。天使の輪が浮かぶ艶やかな黒髪は紅梨の憧れるところであり、着物を着れば一級品の日本人形のように美しい。
背丈は紅梨より頭半分程高く、スレンダーでありながら出る処は出て、減っ込む処は減っ込んでいるナイスな体型は日々の鍛錬の賜物だろう。趣味は縫製であり小物からドレスまで何でも御座れだが、唯一の欠点は次元を超越した料理下手という事か。
ちなみに夏彦は紅梨より頭ひとつ高いソフトマッチョであり、顔も悪くない。黙ってさえいればモテモテな残念イケメンだ。
「あら、今日はそちらですの?」
紅梨の全身を見た夢乃はちょっと困った顔をした。
「ああ、そういえば今日は男子用の制服なんだな」
今更気付いたのか夏彦も落胆の表情をみせる。
「誰の所為だよ、誰の!」と傍らの残念イケメンを睨め付ける。夏彦の目標である戦場カメラマンに向けて日々事あるごとにシャッターを切り続けているのだがその対象が問題なのである。
先日、男子が固まって盛り上がっていたのでどうにか椅子に乗って背後から覗き込むとどうやら夏彦の会心の作品集を見ていたようだ。机の上には様々な構図の写真が並べられており、その奇跡の瞬間を捉えた一枚一枚に盛っていたのだ。
モデルは一人の生徒。友人と談笑していたりとどれもごくありふれた学園生活の日常なのだが、その内の何枚かを目にした時、紅梨の頬がピキッと引き攣った。
・襟首を拡げ、手で扇ぎ涼をとる
・そっと髪を掻き上げて水を飲む
・高い所にある本を取ろうと必死に背伸びをする
・体操着の食い込みを直そうと指を差し込んでいる
・クルリと振り返った瞬間に絶妙な位置にまで捲れ上がった裾
何れもカメラを意識していない自然体であり、どう考えても別の意図を誘発させるものがある。つまりは明らかにロングレンジからの“盗撮”。
背後からの凄まじいプレッシャーに気付き、モーゼの十戒の如く掻き分けられた道を進む。蒼白になった夏彦の顔は直ぐに見えなくなった。
「何か弁明があれば聴きますよ、松・崎・君」
「ゴメンナサイ」
周りがドン引く中、連続コンボで綺麗に土下座スタイルに折り畳まれ、後頭部を踏み付けられる夏彦を羨ましげに見る者がいるのはきっと気のせいだろう。
という訳で本日は男子の制服で登校と相成ったのであるが……。
「よろしいのですか?今日の体育、男子は水泳ですよ」
夢乃の一言にクラスの全男子がざわめき、ピキッ…と紅梨は固まった。
実の所、もう紅梨にとって色素欠損などある一点を除いて大した問題では無かった。昔は奇異な目で見られる事に怯えていたが慣れさえすれば外国人と同じだと気付けた。だがそれを遥かに凌駕する問題があったのだ。
完全なる染色体XXY…。つまり紅梨は両性だったのだ。現に初等部低学年までは自分は男子だと思っていた。だが他の男子と違い、パーツが足りなかった事に気付いてしまった。陰嚢、つまり玉袋が無かったのだ。パニックに陥った紅梨は泣きながら母親に訴えて初めて自身の事を知らされた。
両親は話し合いの結果、仕事柄現在の土地を離れる訳にはいかないので単身赴任という形で残り、紅梨は母親と共に母の故郷であるこの町に移り住んだのである。
何処でも同じではないかと懸念されたが、何故か紅梨の特異な体質は実にあっさりと受け入れられた。
性別:両性もしくは神名代紅梨――それがこの学園、そして戸籍謄本の登録であった。
――では話を戻そう。
暗黙のルールとして、男女どちらとして扱うかはその日の紅梨の服装によって定められる。
そして今日は男子の制服を着て登校した。水泳の授業は当然水着である。指定水着は女子用は珍しいセパレーツだが、男子は勿論下しか無い。
そして両性である紅梨はほんの細やかではあるが膨らみ始めている(想定サイズAA)。
そんな紅梨が参加すればどうなるか………。
「………早退します」
出した結論はそれだった。
慌て机の上に置いたばかりの鞄を手に180゜ターンする。が、教室の扉は既にクラスの男子達によって塞がれていた。何やら口々に「神名代の水着」「水着の紅梨」と血走った眼で呟いている。
そもそも紅梨は男子用の水着など準備していない。いや、セパレーツなのだから下のみでも可能ではあるだろうが…。
女子ならば見学する手段はある。だが男子にそんなものが通じる訳も無いし、残念ながら紅梨自身にもソレはまだ訪れていない。
紅梨は自身の浅慮を呪い、己が親友をExcellent finishさせると心に決めた。
「はいはい、松崎くんの処遇はともかく、紅梨ちゃんの姉上から『こんな事もあろうかと〜』って預かってるわよ」
「いや、かまってくれよ」という夏彦の声をサラリと流して委員長である夢乃は<A> <B> <C>と書かれた3ツの箱を出してきた。
「意味は解らないけど、<C>は選ばない方がいいと思うわ」
並べる際の音で<A>〜<C>の順で軽くなるのが判断出来たので紅梨は<A>の箱を選ぶ事にした。中身はクリーニングから返ってきた女子用の制服が入っていた。ただし、真新しい下着まで同梱されていたので慌てて閉じた。だがこれで女子として授業に参加出来る。
ちなみに<B>は巻物のような白い布、恐らくは晒であろう。<C>に至っては水に強いとの宣伝文句な絆創膏だった。………コレをどうしろと?
えっ?どこかで見た設定?
そんなの気にすんな、よくある事さw