チェックメイトの代償(前)
宝塚歌劇団でも降りてくるのではないかと勘違いしてしてしまうほど豪華な階段に七桁安定だろうと思われる裸の少年の像と、異様な高級感を醸す習志野芸術ホールのロビーは無人のせいか静寂と化している。
――――数分前
イケメン男は夜明さんという方で俺たちの所属するSIFの班長だと名乗り、事件内容を綴った。
「事務スタッフからの通報によると女子高生バンドLOVEtrickのライブ中、ロビーに響くほどの巨大な爆音が発生したとのこと。確認に行ったスタッフは未だに帰ってこないそうだ」
話だけ聞いていれば相当ヤバい。確認に行ったスタッフの命は下手すれば会場の天井より遥か上に行っている可能性もありうる。
「爆破系魔法とはまた面倒だな、動機はなんだ?」
ゴリマッチョが腕を組み、問いた。
「LOVEtrickといえばウィッチに対して抽象的な言動や行動が目立つグループよね?ライブパフォーマンスとかで気に触る事でもしたんじゃない?」
超ロングヘアーの女性が得意げに応えた。
「動機なんかどうでもいい」
夜明さんは二人の自由な発言に止めを指すと、女性はふてくされるようにほっぺを膨らませた。
「今問題なのは5000近くの客と帰ってこない事務員と舞台スタッフ、それとLOVEtrickの4人の安否だ。大ホールの様子が確認出来ない以上、二手に分かれて行くしかない。大ホール入り口からは俺と鋼山、橘、小鳥で行く。舞台裏からは胡蝶兄妹と零崎で行け……あと零崎」
「なんや」
「新人扱いする時間は無い。お前が邪魔だと判断したらすぐに切り捨てろ」
俺たち兄弟は目を見開くが反抗はできない。それほど過酷な現場ということだ。
既に入り口には黄色い立ち入り禁止テープで封鎖され、何事かと嗅覚のよい野次馬が群がっていた。
正直、気になってしょうがない。ってか帰って欲しい。
「全く、ウィッチに狙われたらどないすんやろな?あの野次馬共は」
施設内から大量の野次馬を見ていた俺と琴音の間に大きい黒縁メガネの長身男が野次馬を見てニヤニヤしながら悠長に言った。俺も176はあるがこの人はあからさま2メートル超えている。
「二人ともさっきはごめんなぁ。夜明さんなぁ悪い人じゃあらへんけどまだなりたての班長で、肩書きが邪魔するせいかどうしてもあんな言い方しかできへんのや」
「俺たちも覚悟の上ですので大丈夫です」
「少なくとも……えっと、零崎さん? の謝ることじゃありませんよ」
「しっかりしとるなぁ、それはそうとお二人さん」
改めたように零崎はニヤニヤを隠し切れない笑みで二人を向く。思わず少し引いた。
「な、なんですか」
「双子の兄妹と言えど異性の同い年で同居生活ってどうなんや?ドキドキせぇへんの?」
二人とも思わず吹いてしまった。牛乳含んでいたら終了だった。
動揺を隠せぬままあせあせと話す。
「い、いきなりなんてことを!」
「そ、そうですよ!」
「やっぱりムラムラしちゃうんかいな?」
「しません!こんな脳内メーカーで筋肉しかでない男になんか!」
「んだと?タッチパネルみたいな胸してる奴がよく言うな!」
……あ?
「ほっんとうにあんたって女性へのリスペクトってもんがない筋肉塊よね。一度ピサの斜塔からイタリアの男性を一望してみなさい。イタリア人の完璧すぎる女性対応が分かり次第とび降りるといいわ」
「てめぇの貧困な胸で女を語るな、万年トリプルAカップ」
ギャーギャー言い合う羽雪と琴音を横で見守る零崎。
こいつらのボキャブラリーはどこで培ったんやろ、と感心しながら傍観する零崎のイヤホンからいい感じのオクターブで連絡が入った。
電話の相手は言わずともわかった。夜明班長だ。到着の連絡だった。
状況を伝達してもらい終えると、未だに口争いが止まらない二人に零崎は呆れながらも割って入った。
「ほら、状況確認できたから行くで」
ったく、とため息を深くつくと同時に羽雪と琴音は不機嫌そうな表情を浮かべてそっぽを向き合っていた。
零崎は二人にバレないくらいの小さな笑みを浮かべた。
ええなぁ、兄妹って
狭く殺風景かつ複雑な楽屋通路を抜けて薄暗い舞台裏へと到着した。
本来ならいるはずのスタッフは誰一人もおらず、変わりにとんでもない緊張感が漂っていた。
上手く機材の陰に隠れながら舞台袖ギリギリまで忍び足で歩むが、慣れない動きに足がつりそうだ。準備運動しなくてはもうダウンだろう。
なんとか舞台袖の終幕カーテンに身を潜め舞台上に目線を散らして紫色のシャツ男と黒色コートの女を探索した。
5分前―――楽屋通路
狭い通路は三人並ぶと窮屈なので一列で走りながら通過していた。零崎さんは俺と琴音に夜明さんからの状況報告をそのまま伝達した。
「報告だととりあえず客は無事や。殺されている様子はあらへんって。恐らくスタッフも、やと」
琴音は思わずほとんど無い胸を撫で下ろした。しかし、俺は聞き逃さなかった。
「でも女子高生バンドは」
零崎さんは走りながらも顔だけ横に向けた。そして戻して話を再開した。
「察しがええな。そう、loveなんちゃらっていうグループの女の子4人は十字架に貼り付けされているかのように腕、足ピーンとさせて空中で浮いてるんやと」
俺も琴音も思わず絶句してしまった。現実として同じ施設内で行われているが人間倫理の欠片も無い非現実的手法。
非道すぎる。
なぜ女子高生4人か考えた瞬間、俺はロビーでの出来事を思い出した。
膝まではあるであろう髪の毛をしたモデル顔の女性が何気なく述べたヒント……
「やっぱりlovetrickのパフォーマンスが原因」
「恐らくな。真美姉の考えがビンゴやろ。その裏づけに浮いている4人に紫色のシャツ男と黒コートの女が罵声を浴びせながら火属性魔法と氷属性魔法を交互に浴びせ続けてるって報告もうけとる」
琴音は口に手をあてて悲惨感を顔に出してしまう。
「真空凍結乾燥技術……」
「その通り、フリーズドライや」
「フリーズドライ?」
首を傾けた。琴音の変わりに零崎が解説する。
「冷凍食品に使われる手法や。熱い寒いの繰り返しで水分をぶっ飛ばす」
「んなことしたら……」
「意識が無くなったころにはミイラ化してお陀仏やな。時間もあまりあらへんちゃうかな」
それが仮にも人間のすることか!?あまりにも卑劣すぎる。感情の剥き出しか気がつかないうちに拳は震えるほど強く握られていた。
舞台袖から狭い視界で見てもわかる。このバンドグループのテーマは学生なのだろう。ミニスカートにセクシーさを醸す垂れたネクタイ姿の4人は報告通り、舞台上約5メートルぐらいの高さで浮遊していた。いや、させられていたという言葉が正しいか。
客は全員着席状態。怖いぐらい静寂が流れている。
もう状況は極限の緊張状態だ。
早く指示の連絡が来ないのかと右イヤホンをこれでもかと確認するが、いつまでたってもこない。
「早くしねぇと……」
「まぁまぁ、慌てるなって羽雪ちゃん」
キッ、と顔を強張らせて余裕の表情を浮かべる零崎を睨んだ。
「何でこんな悠長にしてられるんですか!?時間がないなんて」
声を遮断するようにオレンジ色を纏った炎天の火が宙に浮いた女子高生を焼き、悶絶するように苦痛の叫びが会場に響く。
「零崎さん!!」
小さな声に怒りを込めた。
「上の指示や。待て、やて」
「夜明……班長ですか?」
羽雪の問いに無言のまま流す。羽雪は歯を食いしばり怒りを隠せずにいた。胸に付けていたイヤホンマイクのスイッチを押して夜明に連絡を取ろうとしたが琴音がマイクに手を被した。
「時間の無駄だよ」
「やる前から決めるな」
俺は琴音の手をどかそうとするが琴音はさらに強くマイクを握った。
「覚えてないの?班長が零崎さんに言ったこと」
―――お前が邪魔だと判断したらすぐに切り捨てろ
フラッシュバックする班長の冷酷さ漂う声。恐怖。
しかし、そんなことを気にしているほど弱い人間では無いと言い聞かせるように表情には出さない。
「だから何だよ。脅されたから降伏してただの飼い犬になれってか?それこそ時間の無駄だ……零崎さん」
零崎と目線を合わせる。すでにマイクからは手を放している。
「あんたが俺を邪魔とみなして消すんだったら俺も容赦しません」
生意気な口に思わず琴音は焦りだすが、零崎は顔色一つ変えずに聞いていた。
耐えかねた琴音は怒りの限り俺の胸ぐらを捩じりながら掴む。表情は怒りに満ちていたが、目からは涙があふれ出そうだった。胸ぐらを掴んだまま琴音は崩れだした顔を隠すように俺の胸に顔を寄せた。
「……お願いだから、わかって」
絞り出すような声で、その声は裏付けするよう心の声も聞こえた。
――――――ひとりにしないで
ダメだ。
1人にしてはダメだ。
俺の脳が、身体が赤信号を出して俺を歩かせない。
「班長の狙いは魔法の完全消費や」
零崎は舞台上を見ながら言った。その零崎に琴音と俺は目線を移す
「四人に対してミイラ化するまで連続で魔法を使っていればいずれ魔法は無くなるっちゅー考えや。そこを前後から挟み撃ちにして一斉検挙狙いやろ……あの四人は助けてもすでにダメージが大きすぎてアウトって考えたんやろな。チェックメイトにつなげる完全捨て駒扱いや」
「……あんた、そうとわかっていて」
「胡蝶羽雪捜査官」
零崎は羽雪の目の前に立ち、一つ頭抜ける高い目線から見下ろす。
「訓練学校で上下関係学んでこなかったんか?口には気ぃつけや」
初めてこの人に恐怖を覚えた。悠長な関西弁にお兄さんらしさ感じる対応力から優しいイメージに付け加えられた冷酷な一面だ。
零崎は再び舞台に目線を移した。今でもGOの連絡は来ず、四人の悲痛な叫びが響き渡るばかりだ。
「なぁ、羽雪ちゃん」
その声は優しいトーンに戻っていた
「将棋でチェックメイトの際、平均していつも手元にいくつの捨て駒が残る?」
「は?」
問いの意味が解らなかった。
「俺はハッピーエンド派なんや。みんな盤上で喜ばせたいやん。やから」
突然、零崎の手に電気と思われる電磁線が大量にあらわれ、やがて刀を形成するように集合した。
零崎のイグナイト〈雷刀ーボルトソード〉
零崎は顔をにやけさせて言った。
「捨て駒はゼロや」