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1.『チッチャイ姉ちゃん』



 ……親愛なる、『静岡のお祖母ちゃん』へ。


 ねえ、ねえ、お祖母ちゃん。

 こないだの土曜日のことなんだけど、こんなことがあったのよっ!


 たまたま……部活が、早く終わったので……。

 いつもよりもも少し早めに帰宅したらね……。

 イモウトが、あたしのお気に入りのワンピースを勝手に着て……。

 今まさに『お出かけ』しようとしていたのよ……!!!

 カチンときたわ!

 ムカッときたわ!

 ……その瞬間!

 あたしの心の中で、闘いの開始を告げる『魂のゴング』がカーンッッ!って鳴ったんだからっ!


「……ちょっと、あんた、いい加減にしなさいよね!」って、あたし。


「……何よ、洋服ぐらい貸してくれたっていいでしょ!」って、イモウト。


「貸してないでしょ!あんたね、こういうのドロボウって言うのよ!」って、あたし。


「別にいいじゃない!姉さんとあたし、全然サイズ変わらないんだしさ。勝手に着られるのが嫌だったら、姉さんらしく、あたしよりもデッカクなればいいじゃない!」って、イモウト。


「……姉さんが妹より大きくなきゃいけないなんて、誰が決めたのよ!」って、あたし。


「普通、世の中、だいたいそうなってんのよ!」って、イモウト。


「そんなわけあるかいっ!」って、あたし。


「あるわよっ!うちの上のお姉さんなんて、あんなに大きいじゃない!なのに、どうして『チッチャイ姉ちゃん』は、そんなにチッチャイんだろうね?やっぱり心が、チッチャイからかしらね?」って、イモウト。


「大きい姉さんは、バレーボールやってるからデッカイんだよ!」って、あたし。


「……へえ、じゃあ『チッチャイ姉ちゃん』がチッチャイのは、ちまちま手芸部なんかやってるから?」って、イモウト。


「あたしだって、好きでチッチャイんじゃないやい!」って、あたし。


「へへーん、劣性遺伝子!」って、イモウト。


「何よ!あたしが劣性遺伝子なら、あんただって劣性だよ!あんた、あたしと同じサイズなんだから!」って、あたし。


「あたしは、小さくてもいいんですっ!だってあたし、一番下の妹なんだもん」って、イモウト。


「はっ!……何、それ?!」って、あたし。


「一番下の妹は、小さい方が可愛いの!そんなの世間の常識でしょ!」って、イモウト。


「……あらそう。じゃあ、あんたのツムジがちょっと左寄りなのも、世間の常識なのかしらね?!」って、あたし。


「ああーっ……気にしてるのにぃぃぃぃ!チッチャイ姉ちゃんなんか大っ嫌い!どっか行って消えてなくなっちゃえ!バカぁッ!」って、イモウト。


「……人に馬鹿って言う方が、馬鹿なんだって知らないの?!」って、あたし。


「……何よ!バカバカバカバカバーカ!!」って、イモウト。


「もう!うっさいわよ、この馬鹿ッ!!」って、あたし。


「ああーんッ!『チッチャイ姉ちゃん』が、『チッチャイ姉ちゃん』がブったあ!お母さぁん、お母さぁん!チッチャイ姉ちゃんがぁ……!」って、イモウト。


「人のこと『チッチャイチッチャイ』言うな、バカァ!!」って、あたし。


 ……んんんっ!

 ……もう!


 ……静岡のお祖母ちゃん。

 三人姉妹の真ん中ってのは、損だよ……!

 三人姉妹の真ん中は……『姉ちゃん』でもあれば、『妹』でもある。


「……また、妹を泣かせたの?!あんた、お姉さんでしょ!」


 お母さんは、そう言って……いつも、あたしばっかり責めるんだよ。


「……どうして、上の姉さんみたいにできないの?」


 ……そんなこと。

 あたしに言われたって、困るよ……。

 上の姉さんと比べられてもさ……。

 そんなの無理だよね、お祖母ちゃん。

 だってさ……上の姉さんとあたしって、年齢が十コも違うんだよ。

 どうしてお母さんは、十年もの間を置いて二人目の子供を産む気になったのさ?

 姉妹で、年が十コも違うってのは……結構、スゴイんだよ。

 もうさ……世代が違う。

 ……文化が違う。

 ホント、宇宙人と話しているみたいなんだよ。

 あたしが、小学校四年の時には……上の姉さん、もう成人式だったんだもの。

 あっちは、もう大人なのよ。

 お化粧して、お酒飲んでタバコを吸ったっていいの。

 選挙権だってあるんだよ。

 なのに……。

 あたしの方は、まだランドセル背負ってる『お子チャマ』のままで……。

 ……だけどさ。

 あたしとイモウトは……年子だから。

 年齢が、一コしか違わないじゃない。

 だから……あたし。

 ずっと、ずっと……あの子の姉ちゃんをやらなきゃいけなかったのよ。

 物心ついた時から……あたしたち、ずーっと一緒なんだもの。

 おんなじ幼稚園へ通って……おんなじ小学校に行ってさ。

 あたし……毎日、一つ年下のあの子の手を引いて学校へ通ったんだよ。

 あの子の面倒ばかり、見てきたんだから……。


「……しようがないでしょ。あんたは、お姉ちゃんなんだから」


 ……お母さんは、いつもそう言う。

 ……だけど。

 あたしは……大きい姉さんに、そんな事して貰ったことないよ。

 ……あたしだって、妹だよ。

 ……あたしだって、妹なのに。


「仕方ないでしょ!上のお姉さんは、あんたと年齢が離れていて……とっても、忙しいんだから。いつも大変なんだからね……!」


 ……そんなの。

 判っているけれど。

 でも……あたしが、あの子の面倒を見なくちゃいけなかったのって、小学校で終わりじゃなかったんだからね!

 あの子ったら、中学もあたしと同じ学校だったし……!

 そんでもって……今度は、高校まで!!!

 ……ホント。

 あんたさ……高校くらいは、あたしと違うトコに行けばいいのに……!!!


「……だって、お姉ちゃんと同じ高校しか受からなかったんだもん!あたしは、何も悪くないわよ!たまたま、お姉ちゃんが先に入ってたってだけのことじゃない!ふーんだっ!ふーんだっ!あたしは、何も悪くなーいっ!!!」


 ……そして。

 高校の入学式の朝……イモウトが、あたしに言ったんだ。


「……ねえ。あたしが妹だってこと、高校じゃゼッタイに内緒にしといてよね!」


 ……え?

 ……何でさ?!


「だって……カッコ悪いじゃない。おんなじ学校にお姉ちゃんがいるなんてのはさ……!」


 あたしが、あんたの姉さんだってこと……そんなにカッコ悪いことなの?


「……もうっ!判ってよ。新しい学校での新しい人間関係が始まるんだよ!ビミョーなトコがあるんだから!!!」


 何が『微妙』なんだか、あたしには全然判らないけれど……。

 でも……まあいい。

 これだって、まあ……考えようによっては『高校入学を機にイモウトが、あたしから独り立ちしようとしている』という、喜ぶべき事柄なのかもしれないし。

 小学校の時の、いつもあたしの後ろをチョロチョロ追い掛けていた頃と比較すれば……『進歩』なんだろうね。


 ……だけど。


 その日のお昼休み……あたしは、学生食堂で大きな声で友達と話しているイモウトの姿を目撃してしまったのだ……。

 イモウトは、こう高らかに放言なすっていた……!


「……ねえねえ、みんな聞いて!

 あたしの一番上の姉さんてさ、バレーボールの選手なんだよ!プロの選手なんだよ!」


 ……ああ。

 ……一番下のイモウトよ。

 あんたは、あたしのことは恥ずかしくて友達に隠しているくせに……。

 どうして、上の姉さんのことに関しては……そんなにも、鼻高々で、自慢げに、ご学友一同様に公表しておられるのだね……?


 そして……あたしたちの一番上のお姉様よ。

 あなたは……どうして、そんなにも優等生で、背丈はスラッとしてて、足も長いし、お顔もお綺麗で……。

 その上……何で、バレーボールの『日本代表』なんかになっておられるのですか?


「……すっごいでしょ!オリンピックに出るんだよ!あたしのお姉さん!」


 ……おお!

 それは、あんたの上のお姉様……一番上のお姉ちゃん……通称・『大きい姉さん』。

つまり……あたしのお姉さんでもある。

 ……はぁ。

 確かにすごいよ。

 『大きい姉さん』は偉大だよ。

 素晴らしいよ。

 だけど……あんたにはもう一人、小さい方のお姉さんもいるわけでさ……。

 ……ねえ。

 あんたさ、あたしの存在は友達に内緒ってのは……やっぱり、ちょいとばかしヒドイ話なんじゃない……?!


 ……あたしがそう詰め寄ると。

 イモウトは、ケケラケラケラと笑って……こう答えた。


「だって、しょうがないじゃん。

 『大きい姉さん』のことはみんなに自慢できるけれど、『チッチャイ姉ちゃん』のことはみんなに話しようがないんだもの……!」


 ……話しようがない?


「当たり前じゃない。

 『チッチャイ姉ちゃん』は、フツウの人だし。

 平凡で……何か特別に、人よりも秀でたところがあるわけでもないし。

 むしろ……世間一般の同世代よりも、背丈がチッチャイくらいだし」


 ……フツウじゃいけないのかい?


「いけなくはないけどさ……上の姉さんみたいに、みんなの話題にはならないじゃない!」


 それは、そうだけど……。


「ま、しょうがないって……。

 『大きい姉さん』はさ、優勢遺伝子の人なんだよ。

 わが家の家系の一番良いところを、全部ガッシリ詰め込んで産まれてきたんだよ。

 だから『チッチャイ姉ちゃん』もさ、大きい姉さんを見習って……ガンバって、精一杯生きていこうね。

 ……チッチャイなりにさ」


 ……ちょっと、カチンときた。

 あーあーあー!

 ……静岡のお祖母ちゃん!

 三人姉妹の真ん中ってのは、ゼッタイ損だよ!

 ああ、嫌だ。嫌だ。

 どうして、あたし……三人姉妹の真ん中なんかに生まれてきちゃったんだろう?

 三人姉妹の真ん中は……ホントにホントに、損ばかりだよ!


「……はぁ?!そんなのウソだね、全然ウソだよね!」


 ……ほぉ?

 あたしの意見に……イモウトは、どうも納得がいかないらしい。


「あのね……ホントに損してるのはね、三人姉妹の一番下の妹なの!

 一番下が、一番一番損なのよ!」


 ……何でさ?


「……だってさ、洋服なんて、たいてい姉さんたちのお下がりばかりだしさ。

 『チッチャイ姉ちゃん』なんて、ホントは割と得してるはずなんだよ。

 だって、上の姉さんとは十歳も年が違うから……『大きい姉さん』のお古なんて、家のタンスにそんなに残ってたわけないでしょ?

 とっころが……可哀想なこのあたしときたらさ。

 『チッチャイ姉ちゃん』のたった一年後に、この世に産まれてきちゃったわけじゃない。

 だから、ホント……昔は、いっつも『チッチャイ姉ちゃん』のお古ばっかし着せられてさ。

 あーあ、一番最期に生まれてきて……あたし、ホントにホントに損ばっかりしてるんだよねえ……!!!」


 ……それこそ大ウソだ。

 あのコが……あたしのお古を着てたことなんてことが、あるはずがない。

 だって……イモウトとあたしは、一つしか年が違わなくて……。

 その上……あたしたちは子供の頃から、ほとんどおんなじサイズだったから……。

 お母さんは、いつもおんなじ服を二つずつ買っていた……!

 そう……子供の頃のあたしとイモウトは、ほとんどいつもペア・ルックで……。

 あの頃は、いつも……「双子ですか?」って聞かれたものだった。


「……ウソだぁ。

 あたし、『チッチャイ姉ちゃん』のお下がり着てたよ!

 ……中学入った頃くらいから」


 ……それは、あんたが勝手にあたしの服を着て行くからじゃない!

 ……全然、お下がりじゃないわよ!

 あたしは貸したつもりも、あんたにあげたつもりもないのにさ……。

 あたしの服……どんどん自分の物にしちゃってさ!!!


「へへーん……着れちゃうんだから、イイじゃない!

 それにさ、洋服の方から、『チッチャイ姉ちゃん』よりもあたしの方が似合うって囁いてくるんだもの……!」


 ……バッカじゃないの。あんた!


 「そもそもさ……『チッチャイ姉ちゃん』が、チッチャイままなのが悪いのよ!

 勝手に服を着られて困るのなら……ちょっとは、お姉さんらしく妹よりも大きなカラダに成長してみなさいよね……!」


 ……あらそ。

 あたし、知ってるのよ?

 あんた、靴のサイズは……。

 あたしよりも、デッカイじゃない!


「あああーっ!足のことは、秘密にしてたのにぃぃぃっ!!!」


 ……そんな秘密があるかい、ボケ!

 このデカ足オンナ!

 末端肥大!!


「デカ足って言うなあああっ!

 チッチャイ姉ちゃんのバカぁ!死んじゃえ、バカぁっ!

 どっかへ行って消えてなくなっちゃえ!

 バカバカバーカァ!!!」


 ……はあぁーっ。


 ……静岡のお祖母ちゃん。

 あたしには、こんなヒドいことを言うこのイモウトが……。

 上の姉さんの前だと……コロッと、違う人格に変わっちゃうんだよ。


「……うん。『大きいお姉ちゃん』、明日の試合、がんばってね。

 あたし……ずっとずっとテレビの前で応援してるからね。

 中間試験と重ならなきゃ、東京まで試合を観に行けたんだけど……。

 ……ウン、力一杯、応援してるから。

 ホントにホント……ボールに念力掛けて、応援してるからね……!」


 そして……。

 上の姉さんも……この子のことを、とても可愛がっていた。


「……何よ。文句ある?

 一番下の妹が一番可愛いいのは、当たり前のことじゃない?」


 ……よく言うわよ。

 あんた、あたしと一つしか違わないじゃないの。


「そんでも……一番下の妹はあたしなんだもの!」


 ……おいおい、イバるな。

 馬鹿っぽいわよ……そういうの。


「そうじゃなけりゃさ……『チッチャイ姉ちゃん』が、可愛くないんだよ!」


 ……何だとぉ?!


「ほーら、すぐに暴力的になるんだもん!」


 ……ふんっ!

 暴力的にさせるのは、誰よ?!


「ほーら、ほーら、また鼻の穴ふくらませてるぅ!」


 ……ね、静岡のお祖母ちゃん。


 あたし……そんなに可愛くないのかな?

 妹として……。


「……バッカみたい。そんなの、直接、『大きい姉さん』に聞いてみればいいじゃない!」


 ……聞けるかい。

 ……そんなこと。


「……どうして?」


 ……だってさ。


「……だって、何よ?」


 ……ん。

 ……何となく。


「……何よそれ?

 あたし、時々、『チッチャイ姉ちゃん』の考えていること判らなくなる」


 ……いいんだよ。

 あんたには、判らなくてさ……。


 「……あ!

 ほらほら……『大きい姉さん』の試合、始まっちゃうよ……!」


 ……テレビの画面の中。

 大きい姉さんが……観客でいっぱいの大体育館に現れる。

 あたしの一番上の姉さんは……。

 背が高くて、スラッとしてて、キリリとして……!!!

 ……とても。

 あたしの実のお姉さんとは……思えない。

 いつだって……『大きい姉さん』のいるテレビの世界、あたしの『日常』とはかけ離れた場所にあった。

 それは、もう……お月様の裏側くらい遠くのことに思えて……。


 試合の途中……『大きい姉さん』が、また力強いスパイクを決める……。

 イモウトが、ぽつりと呟いた。


「……『大きい姉さん』て、ホント、カッコいいよね!」


 うん……ホント。

 カッコいいね……あの人は。


「……ねえ」


 ……なによ?


「『チッチャイ姉ちゃん』は……時々、『大きい姉さん』のことを『あの人』って言うよね?」


 そうだ……。

 あたしは、いつの頃からか……。


「どうして?」


 ……ん?

 だって……あたし、『あの人』とうまく話せないんだもの。

 何となく……姉妹として……家族として。

 ……シックリこないのよ。

 ……仕方ないでしょ。

 あたしが、物心がついた時には……『あの人』は、もう大人だったんだもの。

  子供の頃に遊んで貰った記憶もないし……。

 たまに会っても、何を話せばいいのか全然判らないんだもの……。


「そんなの、あたしだってそうだよ!

 でも、大きい姉さん優しいよ。とっても、いい人だよ!」


 ……そんなこと、判ってるわよ。


「いっぺん、きちんと話してみればいいんじゃない?……電話でもいいからさ」


 ……あたしは、いい。

 別に何か……特に話したいことがあるわけでもないし……。


「……何でよ?あたし、そういう『チッチャイ姉ちゃん』の気持ち、よく判らないよ……!」


 ……そうね。

 あんたは一番下だから……きっと、判らないんだよ。


「関係ないじゃん。『チッチャイ姉ちゃん』は、あたしと一コしか変わらないんだしさ」


 ううん……違う。

 そうじゃない。

 やっぱり……順番があるのよ。

 姉妹の順番が。

 『あの人』……あたし……あんた。


「……『大きい姉さん』……『チッチャイ姉ちゃん』……あたし?」


 ……そう。

 ……ずっと、変わらない順番。

 絶対に変えられない順番。

 ……三人姉妹。


「……三人姉妹?」


 ……はーあ。

 だから、やっぱり……三人姉妹の真ん中は損なのよ。

 三人姉妹の真ん中は……姉でもあれば、妹でもあるから……。


「へーん、違うわよ!

 三人姉妹で一番損なのは……それでもやっぱり、一番下の妹なんだからっ!」


 ……何でよ?


「……だってさ。

 三人姉妹の一番下は……ゼッタイに『お姉ちゃん』にはなれないんだもの」


 ……え?

 あんた、なりたいの?

 ……『お姉ちゃん』に?


「ま、たまにはね……そんな夜もあるわよ」


 ……ふうん、ちょっと意外だわ。


「ううん……正確には、ちょっと違うかな?」


 ……どういうこと?


「……あたしね。

 ずっと、一番上の姉さんみたいになりたかった。

 子供の頃は、ホントにそう思ってた。

 でも、あたし……なれなくて」


 それは……あたしも同じ。


「……ねえ、『チッチャイ姉ちゃん』。

 『大きい姉さん』が。バレーボールの代表選手だからって……やたらと、色んな運動部から誘われなかった?」


 ……うん。

 中学とか高校とかの……入学式の後とかにはね。

 ……だけどさ。

 ……あたし、そういうの向いてないし。


「あはは。オリンピック代表とかと比較されるのって、あんまりだよね」


 ……そうよ。

 『あの人』の試合は、昔からよく観に行ったけれどさ……。

 あたし、自分でバレーボールやるのは、どうしても好きになれないんだよね。


「手首のとこが、痛くなるんだよね……真っ赤に腫れあがっちゃってさ……!」


 ……あ、判る判る。

 ……そうそう。


 そうだ……あたし。

 バレーボールなんて、

 昔から、

 ずっと、

 大嫌い、

 だった……。


「前にさ……お父さんが、『家のガレージをブッ壊して、上の姉さんのために、バレーボールの練習場を作ろう』なんて言い出したことがあったじゃない?」


 ……あった、あった。

 家のリフォームをしようって話が出た……最初の頃でしょ?

 でも……個人の住宅でバレーの練習場なんて、どんな物を造ればいいのか全く見当がつかなかったのよね。

 しかも、大きい姉さん……合宿所で暮らしているから、ほとんど家にはいないわけだしさ。

 ありゃ、お父さんの大暴走だったわよね。


「……仕方ないよ。

 ただのサラリーマンの娘が、いきなりオリンピック代表選手になっちゃったんだから。

 お父さんとしては、『大きいお姉さん』のために何かしてあげたいって思ったんでしょ」


 ……そう言えば、お父さん、ずっと『家を建て直す』とか、『リフォームしたい』とか言ってるけど……全然実行する気配がないわよね。


「……あれ?『チッチャイ姉ちゃん』、聞いてないの?

 リフォームは、あたしの高校受験が終わるまで延期になってたんだよ。

 夏休み前には工事着工するってさ……!」


 ……嘘?!


「いや……ホント!」


 ……その年の夏。

 あたしたちのお父さんは……本当に、家のリフォームと建て増しを決行した。

 それは……一年ごとに大きく成長していくあたしたちに対して、お父さんが一念発起して行った一大事業であり……。

 その結果……あたしたち姉妹は、新たに増築された棟にそれぞれ自分の個室を与えられることになったのだが……。


 ……なあに?

 ……あんたは、何が不満なのよ?!


「……『チッチャイ姉ちゃん』の部屋の方が、日当たりが良さそう」


 ……変わんないわよ、どっちもさ。


「じゃあ、部屋替わってよ。交換ね!」


 ……嫌よ。


「……やっぱ、こっちの部屋の方が良いんじゃない!」


 あのね……あたしの部屋は、朝は日当たりが良いけど夕方はちょっと暗いの。

 んで……あんたの部屋の方は、朝はちょっと暗いけど夕方は結構明るいの。

 ……そんだけのことよ。

 日当たりの良い悪いなんて、別に大した問題じゃないわよっ!


「……静岡のおじさんが、『日照権』とかで、マンションの建設会社とモメてるじゃない!」


 ……それはそれ。これはこれ!


「ああっ!何かを誤魔化してるぅ!!」


 ……ふぅ。やれやれ。


 あたしたちの部屋として造られた……真新しい三つの部屋。

 あたしたちが取り合っていたのは……もちろん、二番目と三番目の部屋。

 一番日当たりの良い大きな部屋は……最初から、あたしたちのものにはならないと決まっていた。

 つまり、そこは……『大きい姉さんの部屋』。

 だけど……その新しい部屋に『あの人』の姿を見ることは、ほとんど無かった。


「……そんなの仕方ないじゃない。

 『大きい姉さん』は、あたしたちが物心ついた頃には、もう家にいなかったんだから。

 学校の合宿所とか、チームの寮とか……今は東京のマンションで一人暮らしでしょ!」


 ……そうね。

 家の中に残っている大きい姉さんの物ってさ……。

 大きなベッドと……何も置いていない勉強机と……それと洋服ダンスが一つだけよね。

 ……他には、何も無い。


「……ポスターが一枚貼ってあるじゃない。

 『大きい姉さん』が、コマーシャルに出た時のがさ」


 ……あれは、お母さんが貼ったのよ。

 『大きい姉さん』がいない時に、勝手に。


「……そうだったっけ?」


 ……そうよ。

 お正月に帰って来た時に、『大きい姉さん』が恥ずかしがってたもの……。

 「こんなのが貼ってあると、あたしの部屋じゃないみたい」って……。


「そうだよ!

 『大きいお姉さん』、いつも、お正月には帰って来てくれるじゃない!

 毎年、あたしにお土産をくれるわよ……外国のもあったよ!」


 そりゃ……たまには、帰っても来るわよ。

 だって……ここは、『あの人』の家なんだもの。


 イモウトがあたしを、暗い眼で見る……。


「ねえ……『チッチャイ姉ちゃん』は、『大きい姉さん』のこと嫌いなの?」


 ……あたしは。


 ……好きだよ。

 ……嫌いじゃないわよ。

 だけど、『あの人』は、ものすごく遠いところの人みたいなの。

 何だか、自分のホントのお姉さんじゃないみたいな感じがするの。

 ……どうしても。


「……『希望』なんだよ」


 ……え?


「よく、お父さんが言ってるじゃない。

 『上の姉さんは、我が家の希望だ』って……!」


 希望……希望……希望ね……。

 何だか、それもまた遠い感じがする……。

 あたしには……全然身近な言葉じゃない。

 だって、あたしにとって『希望』なんて言葉は……!!!


「それで……君の希望はどうなんだね?」


 担任の先生が……あたしに言った。

 ……高校二年生の秋だった。


「……君の『進路希望』を聞いているんだよ?」


 えっと、あの……一応、進学するつもりです。


「……一応っていうのは、どういうことだね?」


 えっと……一応っていうのは、ホントは良く判らないからです。

 だって、あたしはまだ十七歳で……。

 将来の希望とか、目的とか……まだ、何も見えていないんです。

 あたしは普通の人間で……。

 もう、びっくりしちゃうくらい……ごく普通で。

 自分には……特別の能力とか才能とか、一つも無いってこと……良く判ってます。

 ……それで。

 両親は……あたしに『大学に進学しても良い』って言ってくれました。

 だから、あたし……今はとりあえず、大学を受けてみようと思います。

 そして、大学にいる間に……本当に自分がやりたい事が見つかればいいなあって考えています。

 ……先生、ダメですか?

 こんな『進路希望』では……?


「……『チッチャイ姉ちゃん』、バカなんじゃないの?

 そんなのダメに決まってるじゃない……!」


 イモウトが……あたしを冷たく笑った。


「だいたい大学だってさ……入れればどこでもいいってものではないでしょ?

 『チッチャイ姉ちゃん』、何学部を受けるつもりなのよ?」


 ……一応、教育学部。


「へえ……じゃあ、将来は学校の先生になるんだ?」


 別に……そんなの判らないわよ。


「……判らないなんてことないでしょ?!

 大学の教育学部ってのは、先生になる人のためにあるんじゃないの?」


 …で…もさ。


「……あのねえ。

 『チッチャイ姉ちゃん』は、もっと自分の人生計画というものを、しっかりと考えるべきなんじゃないの……?」


 ……うるさいわね。

 そう言う、あんたは……どうするのよ?

 あんただって……あたしの次の年には、受験でしょう?


「……へ?あたし、受験しないよ」


 ……え?!


「あたし、専門学校行くから。

 専門学校へ行って、美容師になるの。

 あれ……『チッチャイ姉ちゃん』には、話してなかったっけ?」


 ……そんなの聞いてない。


「あたしさ、美容師になるのが夢なの。

 それで、将来はさ……地元で美容院やりたいんだよね。

 こないだ『大きい姉さん』に電話で相談したらさ……お店を出す時には、開業資金を援助してくれるって約束くてれたの……!

 だから、あたしね……!」


 ……静岡のお祖母ちゃん。


 あたし、ショックだった……。

 いつの間にか、妹が自分よりも先を歩いている……そんな気がした。

 一人だけ……置いてきぼりにされたみたいな気分。

 あたしは……この子のお姉ちゃんなのに……!!!


「と、まあ……あたしの『進路希望』はそんな感じなの。

 で……『チッチャイ姉ちゃん』は、どうするの?」


 あたしは……。


「……『チッチャイ姉ちゃん』は、将来何になりたいのさ?」


 あたし……その夜、お父さんに言った。


 ……あのね。

 あたし……東京の大学受けたいの!

 それで……受かったら東京で一人暮らしする!

 ……そうしたいの!

 お願い、お父さん……!!!


 イモウトは……そんなあたしを見て、また笑った。


「―何、言ってるのさ?

 『チッチャイ姉ちゃん』に一人暮らしなんて無理に決まってるじゃない!」


 ……あのね、お父さん!

 あたし、行きたい大学があるのよ!

 東京に……。

 東京にね……!


「そんなの嘘だよね……嘘に決まってるねっ!」


 そう……嘘だよ。

 全部、嘘。


 静岡のお祖母ちゃん……。


 あたし……どうしても、この家を出たいの。

 あたし……三人姉妹の真ん中をやめたいの。

 このままここに居ると、あたしの人生は始まらない……。

 あたし、そう思ったの。

この家から離れないと、あたしは……。

 ……人生の扉が開かないような。

 ただこのまま……何も起こらないで人生が終わってしまいそうな……。

 ……そんな気がして。


 だけど……お父さんは、あたしに厳しくこう答えた……。


「東京の大学へ行くのは構わないが、一人暮らしは許さない……!

 東京に行くのなら、上のお姉さんのマンションに一緒に住まわせて貰いなさい……!」


 ……そういうことじゃないの。

 ……そういうことじゃないのよ、お父さん。


 『あの人』からも……電話を貰った。


「……あたしの部屋から通えばいいわ。

 いつでも、下見にいらっしゃいよ。

 練習の無い日だったら、ダイカンヤマとかにも連れてってあげるわよ……!」


 ……そういうことじゃないの。

 ……そういうことじゃないのよ、お姉さん。

 

 あたしはただ……あたしの人生を始めたいだけなの。

 三人姉妹の真ん中のお姉ちゃんじゃない……あたし一人の人生を。

 『チッチャイ姉ちゃん』じゃない……あたしだけの人生を。

 あたし一人だけしかいない場所で……。


 ……静岡のお祖母ちゃん。

 あたし……ゼッタイにこの家を出るよ。

 お父さんが、静岡のお祖父ちゃんの家を出た時みたいに……。

 あたしだって、この家を出るんだよ……。

 今そうしないと……今出て行かないと……。

 きっと……このままじゃ、何も始まらない気がするの!

 あたし……もっとシンプルになりたいの。

 余計なもののない……あたしだけの、シンプルな生活に。

 ねえ……お祖母ちゃん。

 こういう気持ち……判ってくれる?

 ……判らないかな?

 こういうのって、誰にも判って貰えないことなのかな……?


 お願い……誰でもいい。

 あたし……判って欲しいの。

 あたし、始まりたいの……。

 扉を開けたいの。

 だって、あたし……まだ、何にも始まってないみたいなんだもの……!


 だから、あたし……東京へ行くの。

 東京へ……この家を出て、

 東京へ!

 東京へ!!!


 あたし……そう信じていた。

 東京に……あたしの未来があるんだって。


 ……なのに、

 運命は、

 いつも、

 あたし一人にだけ、

 厳しくて……!!!




   ◇ ◇ ◇




 ……暗闇の中を疾走する、自動車のヘッドライト。

 耳をつん裂くような、ブレーキの軋む音!

 ライトの眩しい光と衝撃音!



 ……そして。





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