第3話 現在地の確認
国はフォルスト神聖王国。
その王都ネルイ。
その中心部からやや離れた所に、それはあった。
冒険者ギルド直営の宿。
冒険者ギルド直営の宿、と言うのは、そう珍しい物ではない。
ちょっと大きな都市になら、必ずと言っていいほど存在している。
値段は少しばかり割高ではあるが、防犯や情報収集と言った面から考えれば、決して割に合わないものではない。
むしろ、重要な仕事の最中などにはなくてはならないものだ。
なにしろ宿の従業員全員が何らかの武術や魔術に通じており、ある種の治外法権さえ持っている。
つまり、ここで問題を起こす馬鹿は皆無と言っていい。
むしろ問題を起こすのは、真正の馬鹿だけである。
今日初めてネルイを訪れたローザとミカエルだが、以前いたミュレイ王国の貿易都市シズマでもギルド直営の宿に泊まっていた。
と言うか、それ以外の宿に泊まるのは、本人達はもちろん、他の宿泊客にとっても迷惑以外の何物でもない。
ギルド直営以外の宿に泊まると、必ずと言っていいほど、何かがある。
恨みをかっているどっかからの襲撃とか。
仕事の妨害工作だとか。
ミカエルの女性関係の揉め事だとか。
最後のは自業自得だとしても、2人とも微妙どころではなく、かなり恨みはかっている。
怨恨ではなくても、それぞれ事情があったりもする。
そう、いろいろあるのだ。
本当に、嫌になるほど。
そんな訳で、ギルド直営の宿があるなら、そこに泊まると決めていた。
場所も冒険者ギルドで聞いておいた。
宿の名前は『気まぐれな悪魔の館』。
はっきり言おう。
その名前を聞いただけで、何か予想がついた。
嫌な予感とか、そういったものの前に、そもそも聞き覚えがある名前だ。
シズマでの宿の名前が『気まぐれな悪魔の館』。
同じ名前である。
そして、たどり着いた宿の外観も、記憶にあるものと同じだった。
名前にちなんでか、所々蔦に覆われた壁。
屋根は黒とも群青ともつかぬ寒色。
窓ガラスは特注の曇りがかったもの。
多分、きっと、ちょっとしたキズさえも記憶にあるものと同じなのだろう。
「暇な奴だな」
「わざわざ転移させたんですね」
ミカエルもローザもどんよりした口調になってしまう。
いや、むしろ感心すべきなのか。
シズマからネルイに宿を転移するという、大がかりな魔術を使った事に。
そもそも空間魔術は高度な部類に入る。
代表的な空間移動は魔術の消費が大きく、せいぜい2・3人移動できれば大したものだ。
それを人間ではなく建物に応用するというのは、中々に大変だ。
対象が生物ではない分、生命維持に関する面では難しくない。
しかし、対象が大きい分、半端なく魔力を消費する。さらに、移動する場所に関して、恐ろしく精密さを要求される。
少なくとも建物の転移など、ローザはやりたくない。
やって出来ない事はないが、やりたいとは思わない。
そして、予想しながら開けたドアの中には、これまた予想通りの面々がそろっていた。
どっかで見た事のある店主に従業員。
どっかで見た事のあるパーティー。
「ミカエル、ここってネルイですよね?」
ローザの目は真剣だ。
都市どころか、国さえ移動したというのに、顔ぶれが変わらないというのはどうしたものなのか?
「諦めろ。
奴は10人ぐらい分身がいるという噂だからな」
きっぱりと断言する。
神出鬼没で10人の分身を持つ―――と噂されているのは、この宿の主人だ。
本気で違う大陸で同時刻に目撃情報があったらしい。
らしい、と言う噂なのだが、本人を知る全員が全員、そんな事もあると納得してしまう。
宿の主人―――フェルディナンド・ヒノ。
どっからどう見ても20代半ばの外見で、自己申告50歳。
穏やかな笑顔の好青年。
その実、お腹真っ黒。
多分、本来ならシズマどころか冒険者ギルド本部にいなくてはならないフェルディナンド。
彼はいつもの通りの笑顔で、ローザとミカエルを宿に迎えるのだった。
「いらっしゃいませ。『気まぐれな悪魔の館』へ」