首元の痕と、消えた彼女
俺の名前は、會澤 奏多。高校三年生。
クラス替えの後、あいうえお順のため、俺の席は廊下側の一番前。
俺には、密かに憧れている存在がいた。
俺にとってのマドンナ、松島 花音。
黒髪のロングヘアーに、おしとやかな性格。
窓際で時折なびく髪。
誰にも媚びず、かといって群れない。
その距離感が、余計に魅力的だった。
気づけば、いつも彼女を目で追っていた。
ただ一つ、気になることがあった。
首元にある赤い痣。
恋人によるものか、それともDVなのか。
俺には判断がつかなかった。
心配なのか、恋なのか。
その感情すらわからないまま、時間だけが過ぎた。
ある日の放課後。
一人で帰る花音を見つけ、俺は思い切って声をかけた。
「花音さん。俺、同じクラスの會澤です。知ってますか」
「あ、會澤くんだよね。もちろん知ってるよ」
その笑顔に、少しだけ安心した。
「何かあったら、俺に相談して」
そう言った瞬間、花音の表情がわずかに曇った。
「ごめん、今日急いでるから。またね」
短い会話だった。
それでも、彼女のことが脳裏から離れなくなった。
俺は調べることにした。
気づけば、やっていることはまるでストーカーだった。
それでも、心配のほうが勝っていた。
花音の帰宅時間を割り出し、同じ電車の別車両に乗る。
たどり着いた先は
彼女の艶やかな髪からは想像もつかない、ボロボロのアパートだった。
休みの日。私服に着替え、変装して彼女の家を見張った。
朝方、部屋に入っていくのは夜職風の派手な女。
花音にどこか似ていて母親だと、すぐにわかった。
夕方になると、四十代ほどのチンピラ風の男が出入りする。
おそらく、母親の男なのか?
だが、花音がその男と一緒に外へ出る姿を、俺は一度も見ていない。だから父親ではない事はすぐ分かった。
その事実だけが、妙に引っかかっていた。
夏休み前。
嫌われる覚悟で、俺は花音に声をかけた。
「松島さん、俺、気づいたんだ」
花音の顔が強張る。
「一緒に児童相談所に行こう」
「え、なんで?」
「何も言わなくていい。ただ、そう感じたんだ。迷惑なら無視してくれていい」
しばらく沈黙が流れた。
花音は視線を落としたまま、小さく息を吐いた。
「あまり言いたくなかったけど……もう限界だったんだ。會澤くん、ありがとう。気づいてくれて」
その一言だけで、十分だった。
それ以上、聞くつもりはなかった。
彼女を知ることより、守ることのほうが大事だった。
連絡先を交換し、家を出られる日を決めた。
俺は早生まれだったから免許を持っていた。
花音を初心者マークの車に乗せるなんて格好悪いななんて、思ったけどどうでもよかった。
家族以外で助手席に乗せたのが、花音だった。
車内は静かだった。
何かを話そうとしても、言葉が見つからなかった。
それでも、花音が隣にいるという事実だけで十分だった。
児童相談所に彼女を連れて行った。
それで、終わりだと思っていた。
職員に引き渡した後、振り返ることはなかった。
振り返ってしまえば、何かが壊れてしまいそうだったからだ。
帰り道。
さっきまで隣にいたはずの気配だけが、やけに残っていた。
夏休み明け。
花音は、学校に来なかった。
理由は誰も知らない。
憶測の噂だけが、勝手に広がっていった。
まさか黒髪美少女とクラスで影の薄い俺が関わっていたなんて誰も疑いもしないだろう。
それでも俺は、これでよかったと思っている。
本当に花音を守れたのかどうか、今でも答えは出ていない。




