【誰かが見せてやらないと】
分譲マンションの一室。キッチンで山田の母親が洗い物をしている。食卓では山田が食事を取っている。もう夜の九時を過ぎていた。
「母ちゃん」山田が母親に話し掛ける。
「ん?」
「何で夕飯、すき焼きなの?」食卓に載っているすき焼きに箸を付けながら山田が疑問を投げかける。
母親が山田の方を振り替える。「何で?」
「まだ秋になったばっかだよ。残暑だよ」
母親が不思議そうな顔をする。
「秋にすき焼き食べたらいけないの?」
「別にいいけど、うまいから」
「あなた、おでんの時もそんな事言ってたわね」
「言ってたっけ?」
「言ってたわよ。おでんは冬に食べるものだって」
「すき焼きも冬に食べるものじゃないの?」
「お肉に季節なんて関係ないわよ」
「……、確かに、言われてみれば」
「具のお野菜が変わるくらいで、すき焼きだって一年中食べるわよ」
「そっか」肉を頬張り、白米を口へと掻っ込む山田。
山田の顔は腫れていた。先日の激闘の痕跡だ。それについて、山田の母親は何も言わなかった。勝利した山田に対し、ただ一言、「良かったわね」と声を掛けただけだ。山田が就職する事を諦め、ボクシングで喰っていくと話した事についても、母親は何も言わなくなった。もちろん言いたい事はあるだろう。心配だってしてるはずだ。それでも、母親は何も言ってこない。山田はそれを有難く思っていた。口出しされてもやる事は変わらない。それでも、口出しされたら気が重くなる。煩わしさが残るだろう。ボクシングに集中したい。煩わしくないのは有難かった。
洗い物を終えた母親が山田の正面の席へ腰を下ろす。椎茸を箸でつまみながら、山田が口を開く。
「その後、勝、どう?」
「え?」
「学校には行ってんの?」
食卓の上に載っているチラシと新聞の束を引き寄せながら、「相変わらずだって言ってたわよ」と母親が返答する。
「本当にいじめられてんの?他の理由とかじゃなくて」と山田が懐疑的な言葉を述べる。チラシと新聞紙を整頓しながら母親が答える。
「また体に痣があったから良子が勝ちゃんを問い詰めたんだって。そしたら友達にやられたって勝ちゃんが言ったって」
「マジか…」
「それでまた良子が学校側に対応を求めたらしいのよ」
「へー。良子おばさんもやる事はちゃんとやるんだな。そしたら?」山田が感心したように先を促す。
「そしたらね…、悪ふざけが過ぎただけでいじめというワケじゃない。注意はしておきます、みたいな事を言われたんだって…」
箸をくわえ、頭に来たような表情を浮かべる山田。
「何だそれ。先生も一緒にぶっ飛ばしてやるしかねぇな」
「あなたはまたそういう事を言う…」困ったような表情を浮かべる山田の母親。
「良子おばさんには言ったの?勝にボクシングやらせるようにって」
「一応伝えたわよ。他には何も思い付かないものね」
「そしたら何だって?」
「勝ちゃんにボクシングやってみる?て聞いてみたらしいわよ」
「そしたら?」
「反応なしだってさ」
「反応なし?…そうか…、反応がないって事は、嫌がったわけじゃないんだな?」
「どうなんだろ。勝ちゃんこのところすっかり無口になっちゃって、良子ともあまり口を利かないみたいだから」そう言って小さく溜息をつく山田の母親。
「勝にチケット送るから俺の試合観に来るように言ってよ」
「あなたの試合?」
「そう、俺の試合」
「あなたの試合観せてどうするのよ」
「ボクシングをやりたくなるかも知れない」
「あなたの試合なんか観たらボクシングなんかやりたくなくなっちゃうんじゃないの?」
「何で」
「そんなに顔腫らして、怖くなっちゃうわよ」
「俺の試合だから意味があるんだよ」
「どうして?あなたの試合観せてどうするのよ」
「誰かが見せてやらないとダメなんだよ」
「何を」
「傷ついてでも戦う姿」
「……。戦う姿?」
「そう。勝は戦わないとダメだ。でもそんな事口で言っても分からないし、口でなんてどうとでも言えるからな。誰かが見せてやらないとダメなんだよ。勝にはそういう大人が必要なんだよ」
「そういう大人?」考え込むような表情を浮かべる山田の母親。
「…戦う姿ねぇ…。ボクシングを習って暴力で解決するなんて、それでいいのかしら…」
食卓の端にチラシと新聞の束を置きながら山田の母親が心配の声を漏らす。
「まずは目の前のイジメという問題を解決する事が重要であって、その他の問題なんて二の次だね。先生だってぶっ飛ばしていいくらいだ」
山田の顔を見つめ、浮かない表情を浮かべる山田の母親。
「あなたはまたそういう事を言う…」




