【やれやれ】
三ツ森は激痛で目が覚めた。呼吸をするだけで肋骨が痛む。折れたのかも知れない。辺りを見回した。辺りは暗かった。どこにいるのか分からなかった。頭が痛かった。足も痛い。顔も痛い。腹も痛い。体中が痛かった。口の中も切れている。内臓が重く澱んでいる気がする。気持ちが悪かった。何よりも寒かった。体が冷え切っている。どうやら、道端に捨てられたらしい。三ツ森はぼろ雑巾のように路地裏に転がっていた。ヤクザと揉めた。命があるだけラッキーなのかも知れない。本来なら刺されでもして死ぬところだ。三ツ森は気を失う前の事を思い出す。でも、奴らは武器など使わなかった。素手できた。レスラーのような男を連れて、五人がかりで。汚ぇんだか正々堂々なんだか分からねぇな。何だか笑えてきた。ヤクザではなかったのかも知れない。元はと言えば奴らが無謀な運転をして、山田を車で轢きそうになったところから始まった。山田は何一つ悪くなかった。そのくせ奴らは山田に暴行を働いた。理不尽な連中だった。俺も奴らに暴行を働いた。お互い様のはずだ。なのに金まで請求された。べらぼうな金額だった。拒否ったら袋叩きだ。ヤクザじゃなかったら一体何だというのか。奴らの素性が気になった。いっそ殺してくれた方が楽になれたんじゃねぇか。三ツ森は仰向けに横たわり、夜空を見上げていた。ついてるんだかついてねぇんだか。星が瞬いていた。星を見たのは久し振りな気がした。夜になればしょっちゅう出てるんだろうけど、まともに目を向けた事が久しくなかった。体中が痛ぇ。立ち上がる気力が湧かなかった。母親が今の俺の姿を見たら卒倒するんじゃねぇか。三ツ森はふと母親の事を思い出した。でも、母親がどう思うかなんて事はどーでも良かった。いつもは母親に心配される事が憂鬱で、何をするにも気が重かった。母親の存在が行動を妨げた。頭の中に、常に母親が存在した。心配する母親の存在だ。でも、最近の俺はそんな事は考えもしない。今回の一連の騒動の中でも、そんな事は一切頭になかった。そんな事、もはや気にならない自分に気が付いた。どうやら、母親の呪縛からは解き放たれたらしい。嬉しい気がした。そうだ、俺は自由のはずだ。俺を縛るものは何もない。何だってできるし、何をやったって構わない。三ツ森は上体を起こそうとした。腹筋に力を入れると肋骨が痛んだ。手をついてゆっくりと体を起こす。そのまま立ち上がろうとした。明日から何をしよう。どうやって生きていこう。足が痛んでうまく立ち上がれない。よろめいて壁にぶつかった。そのまま壁に寄り掛かる。アテなど何もなかった。このまま死ねたらどんなに楽か。体中、死ぬほど痛かった。でも、死にそうになかった。息切れがした。肋骨が痛むので浅い呼吸を繰り返す。壁に手をつき、自分の足で立ってみる。太ももがバカみたいに痛かった。死なない限り人生は続く。ひょっとして、俺は一生このままなんじゃないか。そんな考えを、三ツ森は頭の片隅に追いやった。歩くのに勇気がいるくらい足が痛んだ。三ツ森はその場に立ち尽くし、壁に手をついたまま一歩も足を踏み出せずにいた。俺みたいな奴も別に珍しくはない。苦しんでる奴なんてどこにでもいる。順調に生きてるように見える奴だって、きっとどこかで苦しんでいる。人生なんて、積み重ねだ。ろくな経験を積み重ねてこなかった今の俺がこんな状態なのは仕方ないとして、これから先、色々な経験を積んで、プラスの事を積み重ねていけば、人生なんて、ある時急に開けるものなのかも知れない。ひょんなきっかけで、抜け出せる時は案外簡単に抜け出せるんじゃねぇか。楽観的に考えてみた。それまでは、足掻くしかない。人生を戦うとは、そういう事なんじゃないか。そんな事を思ってみる。めんどくさかった。戦いを放棄したかった。でも、放棄すれば負けるより辛い人生が待っていそうな気がして、逃げる事も憚られた。山田は戦っている。今後も戦い続けるだろう。自分だけ、逃げるワケにはいかない。戦いたい自分と、逃げ出したい自分とが揺れ動く。その葛藤も、一つの戦いだという事に三ツ森は気付かない。覚悟は決まらない。それでも、生きていかざるを得なかった。先の見えない人生に、不安しかなかった。死んでも構わなかった。それでも、自ら死を選ぼうとしないのは、まだ心のどこかに希望があるからだ。このままでは終われない、今に見ていろ、そんな気概が欲しかった。心のどこかでは、戦う事を欲している。土俵に上がる事さえできれば、戦えるのだ。その土俵が見つからなかった。まずは、それを探すところから始めなければ。その為には、足掻くしかなかった。人生を、戦うしかない。人生が報われる事なんてあるのだろうか。報われた人間はどれくらいいるのだろう。幸福な人間がいる事は知っている。でも、それが自分に訪れるとは思えなかった。どんなに足掻いてみたところでそれが訪れないのだとしたら、生きる意味などどこにもない。足掻いてみたところで、それが報われるという保証はどこにもないのだ。でも、足掻かなかったとしたら、それが訪れる事は絶対にないだろう。めんどくせぇ。全てを放り投げたかった。何もかもが嫌になる。生きる気力すら湧かねぇ。そんな自分と、三ツ森は戦っていた。満身創痍だった。それでも、人生を諦めきれない自分がいる。どうしようもないとは思うものの、そんな自分が、三ツ森は決して嫌いじゃなかった。
「やれやれ…」三ツ森はため息交じりにそう呟くと、全身に激痛を纏いながら、痛む足でゆっくりと一歩を踏み出した。
完




